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日本史についての雑文その366 2つの倫理と主権国家
一方、17世紀のヨーロッパにおいてはカトリック勢力とプロテスタント勢力の争いがますます最高潮に達して、遂には1618年に三十年戦争という全ヨーロッパ諸国を巻き込んだ大戦争が勃発し、その結果、カトリック教会のヨーロッパにおける最大の庇護者であったカトリック帝国の神聖ローマ帝国が事実上解体し、その版図がプロテスタント国家であるプロイセンやカトリック国家であるオーストリアなどにバラバラになったことでプロテスタント勢力が勝利を収め、17世紀後半からカルヴァン派の主張したような政治と宗教が分離した国家、すなわち主権国家の時代が始まったのでした。
この主権国家という国家のモデルは、17世紀の初頭、スチュアート朝期のイギリスにおいては既に示されていました。イギリスにおいては16世紀後半のエリザベス1世の治世下でカトリック教会の支配を完全に脱して安定的に政治と宗教の分離が進んでいたため、教会が人民を支配する国家ではなく、国家が直接に人民を支配する国家としての「主権国家」の理念がいち早く示されるようになっていたのです。

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日本史についての雑文その365 2つの倫理と重商主義
しかし、このスペインやポルトガルの貨幣経済以前のセンスの略奪経済体制の暴力がもたらした金銀によってヨーロッパにおける本格的な貨幣経済が始まったこともまた事実であり、「金銀を略奪する」というところから始まったヨーロッパ貨幣経済市場においては、金銀(=貨幣)は商品購入のための単なる代価ではなく、常に略奪的、投機的に金銀そのものを得ようとする傾向が潜在的に存在することになったのでした。
スペインやポルトガルはこの貨幣経済市場において、当初は新大陸から略奪した金銀を運んでくるという意味で常に「金銀の保持者」であろうとし、その金銀を好む時に用いて新大陸で金銀を略奪してくるために必要な武器など軍事力を整備するための場としてこのヨーロッパ貨幣経済市場を作り出し、利用しようとしました。

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日本史についての雑文その364 2つの倫理と新大陸
このように東南アジア地域やインド地域、中東地域などのユーラシア大陸南部地域は西洋諸国によって植民地化、あるいは半植民地化されたことによって、植民地時代だけでなく独立後も何かと苦労する羽目になっているといえます。それは確かに事実ではあるのですが、しかし東南アジアやインド、中東などの場合はまだ恵まれているほうなのです。
どういうふうに恵まれているのかというと、独立後に西洋起源の全体主義体制や帝国主義体制、民主主義体制などを導入した際、自らのもともと持っていた伝統的な価値観、例えば東南アジア地域では仏教文化であったり、インドではヒンズー文化であったり、中東やパキスタンやインドネシアではイスラム文化であったりする伝統的価値観との間で、相性が合ったり合わなかったり、様々な軋轢が生じているのですが、こういう軋轢が生じるということ自体が一見苦しいことのようで実は恵まれていることなのであり、こうした伝統的価値観が全体主義体制や帝国主義体制の持つ腐敗の暴走に対する一種のブレーキとして機能していたのです。

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日本史についての雑文その363 2つの倫理と東洋史
米ソ冷戦構造がどのように崩壊していったのかについてはまた後ほど触れるとしまして、その冷戦対立の主要舞台となり、なおかつ冷戦時に世界を二分したイデオロギーの発火点となったヨーロッパの歴史と倫理との係わり合いから少し離れて、そのヨーロッパ文明を生み出した海といえる地中海から見て東にあたる地域、古来「オリエント」と称された地域の歴史と2つの倫理観の係わり合いについても見ていきたいと思います。
このオリエント、つまり中東地域において生まれた文明が古代ギリシャに伝わり倫理というものを生み出し、またそれが中東に伝わって幾つかの世界宗教、キリスト教やイスラム教を生み出していったのですが、7世紀になって中東地域ではイスラム教に基づく「統治の倫理」と「市場の倫理」を持つイスラム共同体が世界帝国を築くようになり、次いでそのイスラム世界帝国の東への拡大がユーラシア大陸中央部の騎馬民族に大きな影響を及ぼすようになっていったのでした。

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日本史についての雑文その362 2つの倫理と西洋史
「統治の倫理」と「市場の倫理」が別々に存在している場合においても、その時代その地域のそれぞれの場合に応じて、どちらかの倫理が時代に適合していたり、どちらかの倫理の担い手の階層が勢いがあったりして、それぞれの場合における中心的倫理は、ある時は「統治の倫理」、ある時は「市場の倫理」というように入れ替わっていきます。ある地域のある時代においては極端に「統治の倫理」が強くて「市場の倫理」が弱いという場合もあるであろうし、逆もまた然りです。それらの倫理が時には混じり合ったり、時には分離したりしてきたのが人間の倫理観の歴史なのですが、概して貨幣経済が浸透すると「市場の倫理」の勢いが強くなってくるものであり、また民主主義の進展に応じて身分の区別が撤廃されて2つの倫理は混じり合いやすくなってきたといえます。ただ、それでも地域や時代の特性によってそうした傾向も一律のものではないのが実情です。
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日本史についての雑文その361 2つの倫理
世の中というのは、やや冷静で一歩引いた態度で「徳」を相対化して高尚な理念なるものに懐疑の目を向ける庶民目線の立場と、一方ではひたすら道義や真理を探究して「徳」の実践を重視する高尚な学者先生のような立場の両方が存在してバランスがとれているものなのですが、紀元前5世紀終盤のギリシャにおいて前者の立場で「徳」を相対化して実利を優先していたのがソフィスト達であり、それに対して異議を唱えて哲学を創始して「徳」の実践こそ魂を向上させる価値があると唱えたのがソクラテスであったのでした。
その後、哲学の主流はソクラテスの弟子のプラトン、アンティステネスに受け継がれ、プラトンの系譜からは思索重視の学派が生まれ、プラトンは「アカデメイア派」を創始し、プラトンの弟子のアリストテレスは「リュケイオン派」を創始し、またアンティステネスの系譜からは実践重視の学派が生まれ、アンティステネスは「キュニコス派」を創始し、紀元前3世紀初頭に「キュニコス派」の流れからゼノンが出て「ストア派」を創始しました。

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