さて、ユーラシア大陸の東半分で大唐帝国が世界帝国を形成しつつあった630年頃、その遥か西のアラビア半島で急速に勢力を拡大していたのがイスラム教でした。このイスラム教がユーラシア大陸東部の大唐帝国に匹敵する世界帝国をユーラシア大陸西部に作り上げ、その後、騎馬遊牧民族と共に中世世界の最重要要素となっていくのです。このイスラム教誕生に至るユーラシア大陸西部の思想状況をまず、ざっと振り返ってみます。 古代ローマ帝国が最盛期を迎えたのが2世紀前半の五賢帝時代で、この頃はローマ帝国のあった地中海世界の西のオリエント地方にはパルチア王国があり、ユーラシア大陸の西側ではこの二大国が勢力を均衡して共存していました。この頃のローマ帝国にしてもパルチア王国にしても、これらは多様な価値観の存在する世界帝国でありました。 ...read more
中央アジアから北アジアの草原地帯や砂漠地帯のオアシス等には古代からイラン系、チベット系、トルコ系、モンゴル系、ツングース系などの騎馬遊牧民族が住んでいました。彼らは遊牧民という特性上、部族集団ごとにかなりバラついて居住しており、遊牧は農耕と違って労働を集約すれば効率が上がるというようなものではないので、それぞれの部族集団は基本的に独立性が高かったのでした。 しかしその一方で、遊牧民というのは移動しながら家畜を育てるという生活の特性上、肉や乳など以外の食料や生活材が慢性的に不足するので、それらを交易によって得る必要があり、交易によって他民族や他部族と自然と繋がっていき、交易路の安全を確保するということが多数の部族集団の共通の課題となりました。また気候不順などが原因で交易品全体が大幅に不足した際には戦争に訴えてでもそれらを確保する必要もありました。 ...read more