KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


現代史についての雑文その20 ポツダム宣言
7月16日夜に原爆実験成功を簡潔に報せる第一報がトルーマンの手元に届き、その後、ポツダム会談の本会議が進行していくのに並行して、アメリカ本国の陸軍当局から次々と原爆実験の状況を報せる報告がポツダムのスチムソンへ、そしてスチムソンからトルーマンへ届けられました。
ただ、ポツダムは言わばソ連のホームグラウンドであり、電信の類は傍受されている可能性が高く、宿舎の会話すら盗聴されている危険があり、それ以前に原爆開発計画は米政府内でも少数の高官しか知らない極秘プロジェクトであったので、通信士にもその存在を知られてはならず、そのため原爆に関する本国との連絡は全て暗号で行われました。それも原文を通信士に渡して暗号化させるようなものではダメなので、最初から隠語で通信文を作成してそれを送るという方式となりました。つまり送り手と受け手にしか文意が分からないようにしたのです。この方法の場合、機密性は高く保持されますが、あまり複雑な内容の遣り取りには不向きでした。

...read more
スポンサーサイト

現代史についての雑文その19 新世界秩序
1945年7月15日に米英ソ首脳会談に出席するためにドイツ東部、ベルリン郊外の都市ポツダムに到着したアメリカ合衆国大統領トルーマンは、翌16日の夜に、その日の朝にニューメキシコ州の砂漠で米軍が実施した人類史上初の原子爆弾の起爆実験が成功したという第一報を受けました。そしてポツダム会談の本会議は翌17日から始まり、その冒頭の前、17日の早朝にトルーマンはソ連国家主席スターリンと初対面し非公式会談に臨みますが、この時点では原爆実験の詳報はまだ受けておりません。
この米ソ首脳の非公式会談の席でスターリンはトルーマンに対して、8月半ば頃にヤルタでの密約通りソ連が対日参戦すると確約し、トルーマンは大いに喜びました。当時、日本との戦争で米軍の被害を少なくするために出来れば米軍の日本本土侵攻作戦を行わずに早期に日本を無条件降伏させることがトルーマンの求めることであり、ソ連の参戦によってそれが実現する可能性が高くなるからでした。それをこのポツダムでスターリンに改めて要請することがトルーマンにとって今回は大きな懸案であったのですが、それが早々に解決したことになります。それでトルーマンは大いに喜んだのです。

...read more

現代史についての雑文その18 ドイツと日本4
さて、最後に「戦勝国が敗戦国だけの戦争犯罪を裁く特別軍事裁判を実施する」というドイツ・フォーマットを日本に適用したことによる影響ですが、このフォーマットのドイツにおける適用例がニュルンベルク裁判で、日本における適用例が東京裁判であるのは、誰でも分かると思います。ニュルンベルク裁判と東京裁判には共通点も多く、それらはほぼ全て裁判としての致命的欠陥にあたる部分でした。と言うより、この2つの裁判は共に全体が致命的欠陥というもので出来上がっているような代物だったので、共通点が多いのは当たり前であったのですが。
まぁ東京裁判については語るべきことがあまりに多く、それはまた別の機会にも詳しく触れることになると思いますが、ここではドイツと日本の対比ということで、ニュルンベルク裁判と東京裁判とで違った点、すなわち、ニュルンベルク裁判のフォーマットを適用しようとして東京裁判で生じた影響や相違点を切り口にして考えるのが適当であろうと思います。まぁそういう点も細かい点も含めれば多くあるのでしょうけれど、ここでは特に致命的な4つの点に絞ります。

...read more

現代史についての雑文その17 ドイツと日本3
続いて「戦勝国は敗戦国に対する戦争賠償の請求権を放棄する」というドイツ・フォーマットを日本に適用したことによる影響についてです。これはドイツにおいてはドイツ国民を追い詰めるような巨額の賠償を科すことがドイツ統治を困難とし、新世界秩序にも悪影響を及ぼすという考え方に基づいて実施された措置です。せっかくナチスだけを悪玉にして一般ドイツ人を免責するプロパガンダをしていたのですから、そこで巨額の賠償金などかけてしまっては台無しなのです。
こうした原則は日本にも適用され、戦勝国は日本に対する賠償請求権を放棄しました。ただ、ドイツの場合と同様、在外日本資産の没収は行われました。しかしこの在外日本資産の没収額が日本の場合かなり巨額となったのです。それはどうしてなのかというと、そのほとんどは朝鮮、台湾、満州にあった日本資産であったからなのです。これらの地域は日本領土もしくは完全に日本の勢力圏で、しかも日本は官民挙げてこれらの地域にかなり大規模な投資をしていたのです。それらの地域が終戦後、「不当に併合した領土」と見なされて取り上げられてしまい、そこにあった日本資産が在外資産として没収されてしまったのです。

...read more

現代史についての雑文その16 ドイツと日本2
続いてのドイツ・フォーマットは「民衆と戦勝国を免責し敗戦国の統治階級を断罪するプロパガンダと言論統制を実施する」というものです。ドイツにおいて戦勝国がこれを実施した理由は、ドイツ統治を円滑化するために全ての罪をナチスに被せて一般ドイツ人を免責して戦勝国の味方にするためであったのですが、これをやるためには大前提として「民主主義が機能していない状態であった」ということを強調する必要がありました。民主主義が機能しているのなら政府の行為には国民も責任を負うことになり、一般ドイツ人を免責することが出来なくなるからです。
これを日本にもあてはめようということなのですが、ドイツや日本において実際に民主主義が機能していたかどうかについて考えるには、そもそもの民主主義の定義や、ドイツや日本の伝統的社会の特徴なども考え合わしていかねばならず、まともにそんなことを考察すればとても話が長くなってしまいますので、そういうことは省略します。

...read more

現代史についての雑文その15 ドイツと日本1
さて、このように延々とポツダム会談で話し合われたドイツの戦後処理について見てきましたが、ここで日本人たる私が注目したいことは、この日本降伏直前の時期に戦勝国首脳が集まって協議した、本来はナチスドイツ崩壊後というかなり特殊な条件下でのレアケースであるはずのドイツの戦後処理の手法が、そのまま無条件降伏した敗戦国に対する戦後処理の一般的フォーマットとして戦勝国の上層部の頭に安易に刷りこまれたということです。
ドイツと日本とではそもそもの国柄が違い、戦争に至った状況や敗戦に至った状況も、とにかくあらゆることが違うのですが、戦勝国の偉いさん達はドイツのことは多少知っていても日本のことなどほとんど知りませんから、まぁドイツと同じようにすればいいだろうという程度の軽い気持ちで、あるいは他の思惑も絡めて、この「ドイツ・フォーマット」を日本の戦後処理にも適用しようとすることになるのです。そうした気分はこのポツダム会談の途中で日本に対して発されることになる「(第一の)ポツダム宣言」にも反映されることとなります。この日本の国情と合わないドイツ・フォーマットを戦後日本に乱暴にあてはめようとするところに終戦時から戦後の日本の様々な混乱や歪みの原因の一端があったと思われます。

...read more

現代史についての雑文その14 ホロコースト神話
ポツダム会談の本会議が始まってみると、議題は降伏したドイツの処分をどうするかについての話に終始しました。ドイツについてはまず併合した領土の返還、連合国への賠償、国外居住ドイツ人の本国送還が義務づけられることとなり、戦後ドイツは民主化、非武装化、非ナチス化が図られることとなり、さらにナチスの戦争犯罪の追及が行われることとなりました。
ナチスドイツは全ヨーロッパを征服したという印象を持たれがちですが、大部分はドイツ軍の影響下の傀儡政権とはいえ独自の政府を持った独立国がドイツと同盟していただけで、国家が消滅してドイツに併合されていたわけではありません。ドイツが降伏すればドイツ軍は撤退していきますから、それらドイツの傀儡政権や友好政権も後ろ楯を失い弱体化するのは必然ですが、それぞれの国家内の問題ですからドイツの問題とは別個の問題となり、これはポツダム会談で扱うべき問題ではありませんでした。

...read more

現代史についての雑文その13 トリニティ実験
トルーマン一行がまだ大西洋上の政府専用船の上にあった1945年7月12日、アメリカのニューメキシコ州の砂漠地帯にあるアラモゴード爆撃試験場の北端部に極秘に資材が運び込まれて「ガジェット」というコードネームを名付けられたプルトニウム型原子爆弾の組み立てが開始されました。「ガジェット」というのは「装置」という意味で、人類史上初の核実験であるトリニティ実験における試験爆発用の実験装置がそのままコードネームになったものだといえます。
ちなみに実験名の「トリニティ」というのはキリスト教における唯一神の顕現した姿である「三位一体」を意味し、ロスアラモス研究所長のオッペンハイマーが名付けた実験名でした。彼にとって原爆の開発は神の降臨とそれに続く至福千年王国の実現に直結するものであったのでしょう。この世の戦争を無くして世界政府による平和、すなわち至福千年王国を実現する究極の神がこの地に降誕する予定であったのありましょう。

...read more

現代史についての雑文その12 対ソ終戦工作
1945年7月15日から連合国によって占領中のドイツのベルリン郊外の都市ポツダムで米英ソ3カ国の首脳会談が開催されることが決定し、そこでヨーロッパの戦後処理の問題と共に対日降伏勧告の共同声明についても議題としていく方針が米政府において決定されると、それに合わせて、米政府は自らの対日方針を事前に固めていくことになりました。
この対日声明案の推進者であったグルーやスチムソンらは、沖縄が陥落して本土が丸裸になればさすがに日本も態度を軟化させるだろうと思っていました。ところが5月末に沖縄への航空支援の打ち切りを決定した日本政府は、その後、6月に入ると更に本土決戦のボルテージを高めてますます頑なな態度を示すようになり、これにより米政府内におけるグルーら軟着陸を目指すグループの発言力は弱くなってしまい、これにはさすがにグルーやスチムソンらも呆れ、日本国内にまだまだ頑強な強硬派が健在なのだと解釈し、ちょうどこの頃になると原爆の完成にも目処がつくようになってきたのもあり、天皇制度の保証を明示した対日声明の後でそれでも日本が降伏を拒否するようなら原爆を投下してその威力によって早期降伏に導くしかないと考えるようになっていきました。

...read more




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。