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日本史についての雑文その8  鎖国政策
ここでこの幕藩国家確立期後期の幕府の施策のうち対外政策のトピックとして、いわゆる「鎖国政策」について触れておきます。
そもそも「鎖国」という言葉は1801年に日本のオランダ語通詞がケンペルの「日本誌」を翻訳する時に造った言葉で、それまでは存在しなかったし、そもそも「日本誌」の中にもそのように訳すのに適当な言葉は無く、超意訳によって造られた言葉なのです。

だからこの時代の「鎖国政策」といっても、「鎖国令」などという命令や政策が存在したわけではありません。キリシタン禁止政策、貿易の国家一元管理政策、日本人海外渡航禁止政策が存在しただけのことだったのです。
「いや、そもそも外国とちゃんとした国交も結んでいなかったではないか。これが鎖国ではないのか」という意見を言う人は歴史を見る目というものがありません。違った時代や世界の尺度で価値判断をしてしまうという最大の愚を犯しているからです。現代の国際社会や近代ヨーロッパの常識で考えるならば確かにそうなのかもしれませんが、これは17世紀の東アジアの世界での出来事なのです。

そもそも19世紀半ばまでは東アジアにおいては、今日的な意味でのまともな外交関係などというものは存在していません。存在したのは「華夷秩序」という概念だけでした。中心に「中華」という文明の中心地があり、その周辺に中華の文明の恩恵を受ける蛮族の地域があるという概念です。これを考え出したのは古代シナ人で、もちろん「中華」はシナ文明世界で、日本などは蛮族の1つというわけです。
日本という国はそもそも、7世紀に、この華夷秩序を拒否するという当時としてはコペルニクス的な発想の大転換によって実質的に建国された国家であり、その後は多少の例外はあったものの基本的には終始一貫して華夷秩序からは外れた国家として存在してきたのです。といってシナは自らと対等な存在というものは決して認めませんでしたから、日本とシナとの間には基本的には正式な外交関係というものは常に存在していなかったのです。
ではシナ以外の国とはどういう関係であったのかというと、シナ以外の国といっても、16世紀以前においては、日本周辺には国家といえるようなものは朝鮮半島や満州地方の国家ぐらいしか実質的には存在しませんでした。それらに対しては日本は日本なりの華夷秩序を要求していました。
つまり、日本はシナ版華夷秩序からは脱して自由な立場にはなっていたのですが、かといって現代的な対等外交の概念が芽生えたというわけではなく、「華夷秩序」という発想からは自由になったわけではなく、シナに対抗して、日本を中心とし中華とした日本版華夷秩序というものを構想したのです。つまり朝鮮半島国家に対して日本の衛星国になるように求めたのです。
もちろん実質的に朝鮮半島国家を衛星国にしていたというわけではありませんが、日本の為政者としてはこういう意識が当たり前であったということです。朝鮮側も、時にはこうした日本の要求に付き合っていたり付き合わなかったりして、日本とシナとの間で行ったり来たりして適当にやっていたようです。まぁ基本的にはシナ寄りだったわけですが。

つまり、もともと東アジア世界では、まともな外交関係などというものは存在していなかったというわけです。そこにもってきて豊臣秀吉による朝鮮や明への侵攻事件が起きたわけで、これによりシナや朝鮮との関係はいっそう冷え込んでしまいました。徳川家康はこの両国との関係修復を図りましたが、どうしても華夷秩序という障害もあり上手くいかず、結局は明との外交関係は成立せず、朝鮮との間では国書を偽造したり対馬の宗氏に丸投げしたりという離れ業を使ってやっとのことで外交関係を修復しましたが、こんなものはまともな外交関係とはいえません。
まぁ、こんな調子ですから、この確立期後期の家光の時代に明や朝鮮とまともな外交関係が存在しないのは、むしろ当たり前の話で、鎖国が原因であるとか、そういう問題ではないのです。
ではヨーロッパ諸国はどうだったのかという話になるかと思いますが、これら諸国、つまり主にスペインとポルトガルですが、彼ら日本に来ていた連中というのは、ちゃんとした国家使節として外交交渉をするような連中ではなく、むしろ単なる商人に過ぎず、あからさまに言えば、彼らが新大陸などで行った行状を見れば、海賊盗賊の類といってもいいような連中でしたから、もともと外交など問題外であり、単に貿易の利を求めた関係に過ぎないものでした。
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