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日本史についての雑文その18  日本の出遅れ
このように見てみると、列強のアジア進出といっても、その状況は1815年のナポレオン戦争後に新たに生じた事態であり、それ以前の日本側は、ロシアとの一時的トラブルはあったものの、基本的には管理貿易体制を着実に守っていれば良いという状況であったことが分かります。あくまでも対外的には。
この1815年の状況の大変化の時点から数えて、1853年のペリー来航まではあと38年です。実際に日本の為政者が海外の脅威と向き合わねばならなかった期間は38年間であり、決して200年以上も惰眠を貪り時間を無為に過ごしていたわけではなかったのです。
また1815年以後の対応も、少なくとも1838年の外洋蒸気船という最新兵器の出現によって対応が破綻してしまうまでは、それなりに迅速な対応が出来ており、為政者は決して平和ボケしていたわけではないと言っていいでしょう。
「鎖国」によって外国の進んだ文明から取り残されたといっても、1853年のペリー来航から数えても外洋蒸気船の実用化からは15年遅れというだけであり、鉄道の開通からは28年遅れというだけのことでした。それも世界の最先端からそれだけ遅れているというだけのことであり、ヨーロッパ諸国の中ではまだまだそれらの実用化にこぎつけていないような国家もあったのであるし、確かに遅れていることは遅れているのですが、それは決して致命的な遅れではなかったのです。

イギリスの産業革命開始の1770年代から数えたらペリー来航時には既に80年ほどが経過してしまっていましたが、これは特別早かった例でして、例えばフランスが産業革命期に入ったのはナポレオン戦争後の1810年代の終わり頃でしたし、ドイツが産業革命期に入ったのは1820年代後半、アメリカが産業革命期に入ったのは1830年代後半ですから、このあたりになりますとペリー来航の20年ほど前の出来事であり、それほど大きな差があるというわけでもありません。
もちろん日本でも黒船来航からすぐに産業革命期に入れるわけではないですし、産業革命期に移行するためにはそれなりの下地や蓄積というものが必要であるのは言うまでもありません。しかし下地や蓄積ならば、日本にだって後述するようにその時点ではそれなりに存在していたのです。
また産業革命にしても近代資本主義にしても、また近代軍事体系にしても、それはヨーロッパで試行錯誤されて、黒船来航時点でもまだまだ発展途上のものだったのであり、その最新の最も改良を重ねた形のものを日本は手に入れることが出来たわけで、後はそれを使いこなす人間の水準さえ整っていれば問題は無く、むしろ非常に無駄が無いともいえます。技術的なものというのはそういうものなのです。そして江戸時代末期の日本人はそういう水準を満たしていたのです。

あと、江戸時代末期の日本に無くて同時代のヨーロッパに存在した有意義なものとしては、議会制民主主義と近代法体系があります。しかしこれらにしてもそれほど絶望的な遅れというわけではなかったのです。
議会制自体はヨーロッパに古くから存在する合議形態でしたが、これは単なる政策決定システムに過ぎず、多くの国民が政策決定に積極的に加わることによって議会制民主主義として機能するということになると、これはフランス革命以後ナショナリズムが高揚してからということになり、それが具体的にシステムとして機能していくような形に整えられていくのは1830年代以降のイギリスやアメリカにおいてであり、黒船来航時にはこれも未だに試行錯誤の途中の状態だったのです。
また、近代法体系についても、それが整備されていったのはナポレオン戦争以後のことであって、ヨーロッパの各国が立憲政体になったのは1848年革命の時のことであって、それは黒船来航のたった5年前のことに過ぎないのです。
特に黒船来航時から明治憲法制定の頃に主流であったのは慣習法を基盤とした歴史法学の体系であり、明治憲法もそれに基づいて作られたのですが、その系統に関しては1840年代以降のドイツを中心として発展していったのであり、まさに黒船来航時はその試行錯誤の途中であったのです。
ただ、国際法については、何せ東アジアには華夷秩序というものがあったせいでもともと西洋風の対等な主権国家同士の国際社会というものが存在していませんでしたし、西洋においても国際法や国際社会が成立したのは1648年のウェストファリア条約以降のことで、その頃はちょうど日本が鎖国体制に入った直後であったので、日本人は幕末の黒船来航時には、この国際法や国際社会という概念に面喰うことになります。
ただ、それもすぐに対応していくことが出来ました。それだけの知性の蓄積が江戸時代の日本においては為されていたのであるし、それなりの情報収集も出来ていたからでした。

このように議会制民主主義のシステムや近代法体系についても、黒船来航時に決定的な出遅れというものがあったわけでもなかったのでした。産業革命も含めて、結局はごく短期間で西洋の水準に追いつくことが出来たのですから、「鎖国」による出遅れは実際にさほどの影響は無かったのだと言っていいでしょう。
かといって、全ての非西洋の国が同じようにスムーズに産業革命や議会制民主主義、近代法体系を咀嚼していくことが可能というわけでもなかったのですから、その違いは何処にあるのかということになると、そこはやはり黒船来航に至るまでの日本における文明の熟成というものに注目しなければいけなくなります。
「鎖国」による些細な出遅れに注目するだけでなく、むしろ江戸時代を通して日本の文明がどのような変遷を辿って成熟していったのかに注目したほうが、明治以降の歴史を見る場合にも有意義な視点となるのではないでしょうか。
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