KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本史についての雑文その25  経済成長
さて、このように1650年から1675年の幕藩国家修正期の前期において全国的に儒学による文治政治が定着していく過程で面白いことが起きてきます。
この時代の儒学は先述したように個人の道徳の完成を目指すもので、その結果、君主の徳によって善政が行われるということを目標としていました。つまり逆を言えば、善政が行われていれば、その藩の藩主は儒学をよく収めて徳があるのだと見なされるということでした。そういうわけで全国的に善政競争が行われるようになったのです。

では善政とは何なのかというと、それは領民が喜ぶような政治であり、領民は何を一番喜ぶかというと、それはやはり税が安いことです。つまり善政競争とは、税率引き下げ競争に他ならないわけです。
まぁこの修正期前期になってそんなことが可能になったのも、その前の確立期を通して領民に重税を課して、それによってインフラ整備を十分に行ってもう一通りはインフラが整備された状態になっていたからなのですが。
また、そもそも重税というのは戦争を前提とした重武装国家を想定したものであり、例えば古代律令国家なども対外戦争を前提とした国家体制であり、それゆえに重税が基本方針であったのですが、江戸時代もこの四代家綱の治世あたりになると、もう内戦の可能性はほとんど無く、鎖国政策をとっていますから対外戦争の可能性もありません。
そもそも当時の日本は世界最強の軍事国家でしたから、鎖国政策によって自ら攻める意思を放棄した以上、他国から攻められる可能性というものも無く、よって対外戦争は起きないということになるわけです。ならば重税はなおさら必要ないわけです。
つまり、この修正期に入ったあたりから、そもそももうそんなに重い税率を領民に課す必要性がほとんど無くなっていたのであり、税率が下がったのはごく自然なことだったのではあるのですが、それでもなかなか人間は既得権を手放すことは出来ないものですから、それが全国的に断行されたというのには、やはり文治政治の影響が小さくはないと思われるのです。
こうして、この修正期の前期の中間ぐらいになって文治政治が各藩に浸透していった頃から税率は急激に下がり始めていったのです。確立期においてはだいたい七公三民ぐらいの税率であったのですが、それが次の修正期後期の綱吉の治世の頃には三公七民にまで税率が下がります。その急激な税率下降の時代がこの修正期前期というわけです。

この時代の税とは年貢であり、農民は米を納めるわけですから、税率が下がれば農民の手元にその分多くの米が余るわけです。米が余っても仕方ないので農民は売り飛ばして金に換えます。こうして農民は多くの可処分所得を得たわけです。
その金で何を買うのかといいますと、まず米以外の食料を買うわけですが、多くの米を売って得た金を全部衣食の贅沢に使うような勿体無いことは普通しません。こういう場合は更なる収入を得るための先行投資に充てるのが普通です。
といっても、この時代は身分制が固定していますから土地ごと売り払って農民を辞めて商売を始めるというわけにもいきません。だいたい田畑永代売買禁止令によって土地の売買自体禁じられていたわけですから、更なる収入を得るためにはまずは自分の田畑の生産性を上げるしかないわけです。
田畑永代売買禁止令というのは1643年に出された法令で、前年に起きた寛永大飢饉の影響で農民が土地を売って没落していくことを防ぐ目的で出されました。太閤検地で土地は直接耕作する農民の所有物であるということになりましたが、所有物であるということは各自が自由に売買することも出来るというわけで、飢饉などで困窮した農民がそれを自由にやり出したら農村共同体が崩壊してしまいます。ですからそれを防ぐためにこういう法令が出されていたわけです。

さて農業の生産性を上げるためには、まず性能の優れた農具を使うことと、それから肥料を工夫すること、あとは農薬を使うことなんですが、この農薬は江戸時代にはありませんから、主に農具と肥料ということになります。これらはお金を払って購入することになります。
しかしいくらお金があっても商人がそれを売りに来なければ買うことは出来ないわけで、以前はそれがネックとなっていたのです。ところが確立期における五街道などのインフラ整備のおかげで全国に流通ルートが出来上がって商業発達の助けになっていたのです。
また、確立期以来奨励されていた新田開発の結果、新たな開墾地が大幅に増え、まぁ土地の売買は禁止されていたわけですからその新開墾地を自分のものにすることは出来ないわけですが、可処分所得のお金からそれらの土地の賃料を払って新たな生産地を得ることも出来るわけです。
こうして生産地も増えて農具や肥料によって生産性も上がり、米の収穫量は大幅に増えたわけです。そうなると税率が下がってるので更に米が手元に多く余り、つまり可処分所得が増えます。そうなると農民としてはそれをまた全部米の生産量増大に使うよりは、他の野菜や商品作物の生産のための投資、つまり種や苗の買い付けなどに充てたほうが実入りがいいわけです。何故なら、年貢は米に対してかかるものであり、野菜や商品作物は年貢として取られることなく、収穫した分をまるまる換金することが出来るからです。
つまり農民としては、自分の耕作している土地の指定されている収穫量の米さえ収穫できていれば、それ以外は実入りのいい野菜や商品作物を作ったほうが得なのです。
商品作物とは、食用ではなく商品化される作物で、例えば茶やタバコ、い草、菜種、うるし、木綿などです。多くの可処分所得は野菜や商品作物の生産に投資され、それらは商人によって買い取られ換金されて、そのお金で農民はまた野菜や商品作物の原材料を買ったり、作付け地の賃料を払ったり農具や肥料を買ったりしたのです。そして商人は買い取った野菜や商品作物を都市部や他の農村漁村などで売ってまた金を得ることになります。
こうして商業、特に確立期を通して普及した国産通貨の効果もあって貨幣経済が発達し、農民も商人も豊かになり、そしてもちろん生産性が上がり開墾地も増えれば税収も増えるわけですから税率が下がったとはいっても大名もそれなりに潤い、日本全体が大変に豊かになっていった時代がこの1650年から1675年の幕藩国家修正期前期の時代であったといえます。そしてこの庶民の豊かさが人口をぐんぐん増加させ、そしてまた次の時代に世界初の町人文化である元禄文化を生み出すエネルギーともなるのです。
ただ、商品作物や野菜などのような米以外の作物に関しては、その作付には制限が加えられており、あくまで米作第一主義の原則はこの時代はまだ崩されていませんから、主に米作が発展したのが実情ではあります。
ただ商品作物なども作られ始め、これが後に享保期以降は規制が撤廃されて日本の産業構造を変えていくことになるのです。
この修正期前半においては、米作が大いに伸びて日本人の主食である米の需要が満たされるようになったということが重要なことといえます。
そして、この経済成長、特に米の収穫量が大きく伸びたことによって、天領からの年貢収入だけで幕府財政を維持することが出来るという保科正之の文治政治への切り替え時の目算は正解であることが証明され、儒学の奨励が税率を引き下げ、それによって経済が成長し、天領が潤い幕府財政が潤うということで、武断政治から文治政治への施政方針修正の試みは大成功となったのです。

修正期前期の時代を一言で表現すれば、文明の建設期の行き過ぎを修正しながら安定成長へ乗り出す時代なのだといえるでしょう。
誰もがこのまま全てが上手くいくのだと思うのです。ところが現実にはそうは簡単にいかないもので、次の修正期後期の時代において、文明は思わぬ行き詰まりを見せることになるのです。
それは、この修正期前期の成功の源であった経済成長によってもたらされたのです。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。