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日本史についての雑文その26  徳川綱吉
1675年から1700年ぐらいにかけての幕藩国家修正期後期の時代は、これもまた修正期前期の流れを受け継いで文治政治を更に徹底化していった時代であり、それを強力に推し進めたのが1680年から1709年の29年間の長きに渉り将軍職についた五代将軍の徳川綱吉でした。
この人は後世の評判はすこぶる悪い人物なのですが、決して悪い人ではなく、むしろ大変に真摯な政治を行った一種の哲人政治家であり、決して暗愚な将軍ではなく、むしろ名君といってもいいと思います。ただしあくまでも江戸時代前期的意味においての名君なのですが。
悪名高い生類憐れみの令にしても決して本質的に悪い法令ではなく、むしろ現代の動物愛護にも通じる先進的な側面もあります。また、柳沢吉保や荻原重秀のような有為の人材を家門家格にとらわれずに実力本位で登用して、幕政に実力本位登用制の道を開いた先駆者でもありました。
ただ、この人の問題点は、江戸儒学のエキセントリックなまでの信奉者であり体現者であったという点で、特にその聖人人治主義的側面の信奉者であった点です。ただ、これはこの当時の儒学とはこういうものであったのだし、それが治世の学問として公認されていた時代であり、綱吉はそれに忠実であっただけなのです。綱吉一人がおかしかったのではなく、こういった時代精神そのものが歴史の急激な流れの中で取り残されていきつつあったのです。

儒学の、道徳的に完成された聖人が政治を行えば世の中まるく治まるというような考え方は、やはり非現実的なのです。政治とは人ではなくシステムなのであり、徳ではなく法や議論の応酬によって治まるものなのです。だから政治が上手くいっている場合は為政者に徳があるからなのではなく、為政者が上手くシステムに働きかける能力があったからなのです。
ただ、真摯に政治に取り組む人物であるからこそ結果を残す可能性も高いのも事実で、そうした人物は確かに徳も備えた人物でもある場合は多々あるのであり、つまりそれは割合高い確率の偶然の一致というべきもので、決して徳そのものが政治的なパワーたり得ているわけではないのです。
それでも為政者たる武士階級の徳が高い時代においては、そういった偶然の一致もかなり高確率で存在するわけであり、江戸儒学の教えも結果的には正しいものであるかのように思われ信頼を得ることが出来ていたのですが、武士階級に徳が消失してしまった場合には江戸儒学の人治主義的な教えは虚しい形式論に堕することになってしまうのです。
そしてこの哲人政治家である徳川綱吉の時代こそが、全く皮肉なことに、武士階級の徳が失われてしまった時代なのであり、それゆえに綱吉の江戸儒学の理想に則った理想主義的な施策は全て上滑りな形式論となり、世の中の悪評を買ってしまったのです。
この綱吉を悪く言った世の中の人々こそ、全く綱吉に比べれば徳の足りない人々であったという点を考えると、少し綱吉が気の毒な気もしてきますが、そもそも人間なんてものはその程度の徳しか持ち合わせていないのが普通なのであり、この現世に聖人を求めようという儒学の教えのほうがそもそも非現実的なのです。
そのようなあり得ないことに挑戦しようとして真摯の努力した綱吉という人は個人としては確かに尊敬に値する人物ではあったとは思いますが、為政者としてはやや現実主義的ではなかったのかもしれません。

では何故この時代に武士階級の徳が失われてしまったのかというと、それは経済発展や貨幣経済に翻弄された結果なのです。しかしその経済発展自体が、そもそも徳治主義に目の眩んだ為政者による過剰な税率引き下げ競争の結果だったわけですから、これもある意味では自業自得なのかもしれません。
もちろん経済発展そのものは良いことであり、修正期前期を通して進んだ安定成長はこの修正期後期に入っても順調に進み、それにより庶民、特に上方の町人に富が蓄えられ、その富によって元禄文化が花開きました。
この元禄文化ですが、この時点までの日本の歴史上の、いや世界でもそうだったのですが、文化というものはほぼ全て貴族や武士など社会の上流階級によって担われてきたものだったのですが、これは初めて町人によって担われた文化という点で非常に画期的でありました。そしてこの後の江戸時代、そしてその後現代に至るまで文化の担い手は常に庶民であったという点が、今の日本から見ると当たり前のように見えますが、これは全く画期的なことで、その始まりとしては、非常に意義深いものでした。
ただ、その内容ということになると、確かに見るべきものもありますが、私などから見ると、全体的には、どうしても江戸後期の文化文芸に比べればまだまだ浅薄で享楽的で成熟度や深みが足りないように思えてなりません。まだまだ庶民文化は成熟していなかったのでしょう。
少なくとも、こうした元禄文化の各コンテンツが綱吉が目指したような聖賢の道とは全く対極にあるものであるという点は間違いないとは思います。もちろん、どちらが人間の本来の性に近いのかといえば、聖賢の道よりも元禄文化の享楽性のほうがそうなのでありましょうが、この時代の事実としては、こうした上方の享楽的な文化に触れた武士階級が華美や贅沢に溺れて堕落していき、綱吉の目指した聖賢の道を画餅に帰さしめてしまったという点は確かでしょう。
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