KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本史についての雑文その28  元禄赤穂事件
その「ある事件」とは、こうした元禄バブル崩壊の混乱とその収拾の最中、1701年に浅野内匠守が江戸城にて吉良上野介に刃傷に及び、激怒した綱吉の命により切腹、赤穂浅野家は取り潰しとなり、そして翌1702年に浅野遺臣の大石内蔵助ら47名の赤穂浪士が江戸の吉良邸に討ち入り上野介を討ち果たしたという一連の事件のことです。世に言う元禄赤穂事件です。
これは事の起こりは、勅使を迎える江戸城においてその饗応役である浅野が何やら逆恨みして無抵抗の吉良に刃傷に及んだのであり、それに対してコチコチの勤皇家であった綱吉が激怒して処分したのであって、これはどう考えても浅野のほうが悪いのです。
ただ浅野側の言い分を全く聞かず綱吉が即断したのは行き過ぎではあったとは思いますが、言い分を聞いたとしてもおそらく浅野の切腹処分は同じであったのも確かでしょう。
しかし赤穂浅野家の国家老であった大石内蔵助などの浅野家家臣団のほうでは喧嘩両成敗を求めて吉良家への処分も求めたわけで、これはお家取り潰しだけは避けたいという苦肉の策ではあったのでしょう。
しかしそもそも喧嘩であるというのは強弁に近く、仮に喧嘩であったとしても、両者の理非を問わず両成敗するというのは戦国期の遺風であって、法治国家ではあり得ないことです。だから浅野内匠守のみが処分されて吉良上野介が処分されないのは当たり前のことで、そんなことは大石は分かっていたはずです。
それでも大石が喧嘩両成敗をあえて求めたのは、主君の不調法による切腹は致し方ないとしても、それだけでお家取り潰しの上、藩士が路頭に迷うようになるまでの処分は、やはり不当に重すぎると感じたからでしょう。吉良家の処分も求めることによって、浅野家への処分を出来るだけ軽くしたいという戦略であったと思われます。

武士道を「公共のための忠」の境地にまで高めた山鹿素行の門弟である大石が、いささか愚かであった亡き主君にのみ拘泥したとも思えず、まず第一には天下国家のため、そして次いで赤穂浅野家全体のための忠を優先し行動したはずなのです。
だいいち、大石が亡き主君への忠義のみの人間であったならば、主君の切腹の後ですぐに追い腹を切っていたはずであるし、あるいは城を枕に討ち死にしたかもしれません。あるいは、城明け渡し後、すぐに吉良を襲い仇討ちを図ったはずです。
しかし大石はそのいずれの道も選ばず、公儀の処分を粛々と受け入れつつ、浅野家再興のための運動を懸命に展開したのです。これは主君個人への忠は超越し、主家への忠が優先されているからであり、また、天下国家の正規の手続きを何よりも尊重しているという意味で、まさに素行の武士道を体現しているといっていいでしょう。
そして運動むなしく主家の再興が不可能となった後、47人の同志で吉良邸に討ち入って吉良上野介を討ち取り、吉良の首を泉岳寺の亡き主君の墓前に供えた後、幕府の奉行所に出頭して公儀の処分を待ち、従容として切腹して果てたのです。

ここでもポイントとなるのは、亡き主君の墓前で追い腹を切らなかったことです。仇討ち自体が目的であったならば、本懐を遂げた後、墓前で腹を切ればいいのです。それをせずに幕府に処分を委ねたことに意味があるのです。
いや、要するに腹を切る勇気が無かっただけじゃないかという意見もあるかもしれませんが、最後の切腹の際は全員取り乱すこともなく見事であったとのことですし、だいいち、吉良邸にたった47人で討ち入った勇気はいったい何だったのかということにもなります。
吉良側が全く油断していたから結果的には成功しましたが、返り討ちに遭って全員殺されていてもおかしくなかったのですから、そもそも彼らが死を恐れていたとは到底思えませんし、自首した後の仕官先のことを考えて討ち入ったともとても思えません。
彼らは死を覚悟してはいたが、死を恐れてはいなかったと思います。奉行所に出頭した時点で、生きて戻ることなど考えてはいなかったでしょう。
では、彼らは何のために生命を賭してこのような挙に及んだのでしょうか。ここで考えるべきは、刃傷事件発生から47士切腹に至るまで、大石らの視線は、常に一貫して幕府当局に向けられているということです。つまりこの討ち入りは、幕府の誤った処分に対する抗議の討ち入りなのではないでしょうか。

主君が江戸城で刃傷事件を起こした場合にその大名家を取り潰すのが処分として妥当なのかどうかは私にはよく分かりません。ただ、大石はそれを不当であると確信したのでありましょう。
そして自らが正しいと信じたら、たとえ生命を賭けてでも諫言していくのが真の忠義なのであり、その忠義を向けるべき相手は天下国家であるべきであるというのが大石の師であった山鹿素行の教えだったのです。そして大石もまた陽明学の徒であり、認識は即、行動につながるのです。
元禄赤穂事件において大石内蔵助の吉良邸討ち入りの狙いは、公儀の不当な処分に対する生命を賭けての抗議であり諫言であったのであり、それを為すことこそが公儀に対する忠義であるという、彼の「公共のための忠」の武士道の実践だったのです。
大石らは決して亡き主君の無念を遂げるためにのみ討ち入りをしたわけではなく、幕府当局への強烈な抗議意思の表明のためにこのような挙に及んだのです。
つまり、幕府の不当な処分によって浅野家は潰されたのに吉良家は生き残っているのであり、浅野家が潰れたのが不当なのであれば吉良家が潰れていないのも不当なこととなり、不当な状態を正常に戻すために浅野家の再興を願い出てきたがそれが叶わなくなった以上は、吉良家を潰すことで不当な状態を正常化するしかないというわけです。それを幕府がやらないのなら、旧浅野家臣自らが吉良家を潰すというわけです。
いや、ハッキリ言ってムチャクチャな言い分であり、こんな言い分が通ってしまったら世の中は乱世に逆戻りになってしまいます。こんな戦国さながらの暴挙を許してしまっては、そもそも何のために家康以来の武断政治や文治政治の苦労があったのかということになります。だから幕府はこれに対して断固たる処罰をもって臨むしかないのです。
ただ、ムチャクチャではありますが、抗議行動としては筋は通っているのです。このような行為を正当化することは断じて許されないのですが、最初から正当化や免罪などを度外視して、生命を賭けての抗議行動として評価する限りにおいては、大石らの行動は非常に筋は通っているわけです。まぁ最初の取り潰し処分が不当であればの話ですが。
いや、そもそも大石は、その最初の浅野家取り潰し処分の是非についても再度検討を促す意味でも生命を賭けての抗議行動を起こしたのであり、大石はそうやって自分達が犠牲になっても幕府の誤った判断が是正されるのであれば、それが天下国家への忠義になると考えたのです。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

 TBありがとうございます。
 現代政治への言及を除けば・私の記事より優れております。
 ただ
 Rankingが低すぎますね。
 もしRankingを上げたいなら
 1) 現代の政治につなげること。
 2) 文章と文章の間を空けること(読みやすくなります)。
 3) できるだけ”ひらがな”を使うこと。
 要するに
 「私のマネをしろ!」
 ということなのですが(笑)、あなたのポリシーの問題なので無理は言えません。
 
 あと
 芸能人などへのTBを送ることですね。
 タレントはあまり気にしませんから・・・笑
 なお
 私へのTBはいくらでも送ってかまいません。関係がない記事でもOKです!

【2007/08/07 23:53】 URL | 柳生すばる #Umrgomz2 [ 編集]



この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。