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日本史についての雑文その49  大衆消費文化
大量消費という部分では、まず人口が増加傾向になったことと、都市人口が増えたこと、商業の発達によって物流網がいっそう整備されたこと、そして問屋制家内工業の普及によって現金を所有する庶民が急増したことなどが原因に挙げられます。
現金所有者が増えるためには、そもそもの貨幣流通量が多くなければいけませんが、それは田沼意次による南遼二朱銀などの貨幣改鋳政策によって市場の需要を満たすだけの量は確保されていました。
もちろんそれによってインフレ傾向にはなっていましたが、問屋制家内工業による大量生産でコストが引き下げられ、物価高は相殺されて、比較的安価な品物が庶民の手に入るようになっていました。

こうして都市部には問屋制家内工業で作られた生活加工品を売る商店が軒を連ねることになり、更に都市民の余剰金をあてこんで外食屋や劇場などが立ち並ぶようになり、多くの人々が豊かな食文化や観劇を楽しむようになり、都市部を中心とした大衆消費文化が発生したのです。

また庶民の余剰金は単に衣食住に費やされるだけではなく、より豊かな生活文化や行動文化の方向へも向かうようになり、まず吉宗時代から普及し始めていた寺子屋がこの時期から激増し始め、庶民の識字率が急上昇し、それに合わせて本の出版点数が急増していきました。つまり情報産業が発達したということです。
出版される本にはもちろん真面目な学術書もありました。儒学や心学、蘭学、国学などの庶民への急速な普及がこの時代に見られたのは、これらに関する書物が数多く出版されたという要素が大きいのです。
思想体系や思想集団だけ出来上がっても、それだけでは急速な普及はしないのです。やはり出版業というメディアの発達という要素は外して考えることは出来ないでしょう。
他に歴史読み物や古典作品、和歌俳諧に関する書物や地図なども出版され、「読本」という物語的小説も数多く出版されました。これら出版物によってもたらされる情報に刺激されて新たな教養や技術を身につけようとして習い事をする庶民も増え、習い事産業も発達しました。

しかし情報産業という意味でいうなら、こうした普通の書物よりも絵草紙のほうを注目すべきでしょう。
江戸などでは普通の本屋以外に、絵草子屋というものがあり、そこではもっぱら大衆向けの通俗的な絵入りの印刷物を扱っていたのです。こうした江戸の出版文化を創った有名な版元の蔦谷重三郎なども、実は絵草子屋だったのです。
何故こういった絵入りの印刷物が発達したのかというと、この頃の日本では印刷は活字印刷ではなく版木印刷が主流であり、版木ならば文字以外に絵も一緒に彫り込むことが出来るので絵入りの印刷物を大量に刷ることが可能だったのです。
そういう状態のところにもってきて、1765年に多色刷り、つまりカラー印刷の技術が発明されたのです。
多色刷りが可能になった背景には、問屋制家内工業によって複数回の刷りに耐えられる丈夫な和紙が大量生産されるようになったことと、経済発展によって、何色分もの下絵師、彫師、刷師などによる複雑な工程の分業体制をとることが可能になったことがあります。
このようにして多色刷りが可能になったことによって絵入り印刷物、つまり絵草子の商品価値は高まり、広く売り出されることになったのです。
絵草子屋で扱われた絵入り出版物の代表格が黄表紙で、これは1775年に恋川春町という人物によって創始されたもので、一種の絵本というか漫画というか、とにかく絵がメインでそこに文章が書き込んである読み物で、もともとは子供向けの絵本から発展して、大人向けに荒唐無稽な非現実的ストーリーを書いた娯楽作品でした。この代表的作家に山東京伝がいます。
その他、絵草子屋で売られていたものには洒落本という一種のパロディー本や、浄瑠璃本や芝居本、そして双六などのゲーム類など、とにかくビジュアル重視の出版物が多くありました。また、吉原ガイドブックなどのような情報誌のようなものも置いてあり、何時の時代でも大衆向けのメディアは似たようなもののようです。
こうしたガイドブックの類には色街情報だけではなく、いや最初は多分そんなのばっかりだったと思われますが、ほどなく旅行ガイドや名所案内のようなものも多く出版されてくるようになり、そうした情報に刺激されて、庶民が物見遊山や旅行を楽しむようになったのです。
こうした中、1771年に伊勢お陰参りが発生してから旅行ブームに火がついて、特に伊勢参りは大変多くの庶民が参加しました。それにつれて街道筋もどんどん整備され、数々の名所が作られ、宿場町も情報を受けたり発信したりする場所となり、全国に一種の庶民による情報網が構築されるようになったのです。これにより、日本という国の一体性が高まるようになりました。

このように、メディアのもたらす情報によって新たな需要が生じ、新たな産業が発展するという現象が生じてきたのです。これは一種の宣伝効果といってもいいのですが、そういった宣伝効果を最も明確に担ったのは浮世絵でした。
浮世絵も絵草子屋で売られていた代表的商品でしたが、これは当時は決して芸術作品ではなく、今で言うところのブロマイド、チラシ、そしてポルノだったのです。だから額に飾ってあるような代物ではなく、大量に印刷された紙屑同然のものだったのです。
それが日本が開国した1860年代以降に日本の陶磁器がヨーロッパに輸出された時にその包み紙に使われていた浮世絵の印刷されたチラシ類を見たヨーロッパ人が驚嘆し、それが元で西洋の印象派絵画が生まれたのです。
西洋人が浮世絵の何に驚嘆したのかというと、その構図や色使いもさることながら、なんといっても西洋人を驚かせたのは、一般庶民の日常生活や風物などが描かれていたからでした。
現代人の感覚ではそれがどうしたという感じでしょうが、当時の西洋絵画ではそういうものは絵の題材とされるようなものではなかったので、それが新鮮な驚きに繋がったのです。それまでの西洋絵画では絵の題材となるのは歴史上の大事件や有名人、神話の一場面のような、大きな主題に限られていたのであり、近代的な大衆社会が形成されつつあった19世紀西欧においてはそれらは違和感を生じつつあったのです。そこに日本の浮世絵が刺激となり印象派絵画が誕生したというわけです。
まぁそんなことはこの際どうでもいいことなのですが、とにかく浮世絵には一般庶民の日常生活や風物が描かれていました。ただ、それはもう少し後の時代、化政文化時代における葛飾北斎や安藤広重のイメージであり、この田沼時代の浮世絵というのは、ちょっとそういうのとは異なり、最初は春画から始まりました。
春画とは性行為を描写したもので、今で言うポルノです。まぁ何時の時代でも、新しいメディアやソフトというものはエロから普及していくもののようです。浮世絵も都市部では様々な種類のものが出回りましたが、農村部では春画ばかりが出回っていたようです。
そして浮世絵は絵草子屋で売られているような黄表紙などのような出版物や瓦版の挿絵としても使われましたが、浮世絵単体でも商品となっていました。それにも色々な種類のものがあったのですが、この時代に特に多かったのが美人画や役者絵でした。これらは有名な花魁や歌舞伎役者などを描いたもので、今で言えばアイドルのブロマイドのようなものでした。
しかもこれは単なるブロマイドではなく、広告媒体でもあったのです。つまり、その描かれている花魁や役者の着ている服や頭に挿してある簪や櫛、手持ちの小物などが実在の商品であり、絵の中で当代の人気者にそれを着用させたり持たせたりして、それを大量に印刷しバラ撒くことによって絶大な宣伝効果を生じたのです。もちろんその商品を扱う問屋からは広告料を取っていました。絵草子屋を経営していた版元は、こうした広告代理店のような業務も行っていたのです。
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