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日本史についての雑文その51  海からの脅威
もし、この子平の危惧の通りに全ての海岸線が外国からの侵略ルートになるとすれば、実際にはそれを全て固定砲台で防御することは不可能です。となると、日本側も動く砲台、つまり軍艦で対抗するということにならざるを得ないわけですが、そうなると海軍を創設しなければいけなくなります。
ところが、これが江戸時代の日本においては非常に困難なことなのです。何故なら初代将軍の徳川家康が、外洋を航海できるようなまともな船を建造することを禁止していたからなのです。

もちろん、江戸時代初期には朱印船や奉書船などが堺や博多から東南アジアの日本人町まで航海などもしていましたから、その頃は外洋を航海できる立派な船が作られていたのです。しかし、そういった船は幕府だけが独占して、他の大名や一般人にはそういったまともな船を作ることは禁止したのです。
何故そういうことをしたのかというと、もちろん内乱防止のためです。家康は関が原の戦いで勝利した後の論功行賞で、もともと徳川家の家臣ではない外様大名は山陽、山陰、四国、九州などの西国の僻地に追いやって、畿内や東海道のような日本の中心部は幕府の直
轄地にしたり譜代大名の領地にしたりして、外様大名から徳川の本拠地である江戸を防御する布陣を敷いたのです。
しかしこれは敵が陸路で攻めてくる場合を想定しての布陣であって、敵が西国から兵船を仕立てて一気に江戸を攻めてくることは想定していません。もちろん先述のように海から陸を攻めること自体、この時代は困難だったのですが、それでも家康は念には念を入れて、幕府以外は大きな船を作ることは禁止したのです。これは内乱防止という意味もありましたが、大名による密貿易防止という目的もありました。
船の大きさ自体も制限しましたが、更にマストは1本だけに制限し、甲板も竜骨も無い、非常に沈没しやすい、外洋航海が絶対に不可能な船だけしか作ってはいけないようにしたのです。
そうこうしているうちに幕府も奉書船を廃止したので、幕府自体もそういった変な船しか作らなくなり、日本においては外洋航海船の建造技術は失われたのです。
子平の提言に従うならば海軍創設に行き着くことになるのですが、そもそも日本には大きな船を建造する技術がありませんし、仮に技術が復活したとしても、幕府の禁制という厚い壁があります。また大砲も、武器の研究開発も幕府が禁じていますから、相変わらず関が原の戦いの時代の段階から進歩していない骨董品のようなものです。
子平の提言に沿った施策を実行していくとしたら、このように幾つものハードルを越えていかなければいけないのです。

実際はこの後ヨーロッパは1789年から、フランス革命からナポレオン戦争の混乱期を迎えることになり、それが終結する1815年までは西洋列強の動きはストップすることになったので、すぐに子平の危惧が現実化することはなかったのですが、逆にそのナポレオン戦争中に進行した軍事革命や産業革命によって、子平が脅威とした西洋列強の軍艦や大砲はいっそうその威力を増すこととなり、19世紀に入ってから子平の予言は現実化していくことになるのです。

このように、この幕藩国家変質期後期、言い換えると新文明の胎動期後期においては、国外からの影響という新たな要素が現れてくるようになったのです。
それはロシア船の来航という形で現実にも現れてきていたのですが、それだけではなく、そうしたロシア船来航も含めて、西欧情勢に関する単なる情報であったとしても、それらをもたらされた日本側からのリアクションが出てくるようになったということのほうが重要だといえるでしょう。
そうした国外情報に対する国内のリアクションが、形を現してきた新たな文明を推進していく新たな要素として加わってきたのであり、それによって更に新文明の成長は加速していくことになるのです。
そういった国内のリアクションも含んだ国外からの影響が最初に現れてくる時代が、この胎動期後期という時代だといえるでしょう。そして、この後、草創期前期、草創期後期という順で国外からの影響は大きくなっていき、新文明の成長を加速させていきます。
そして、形成期前期には新文明勢力が国外からのパワーを手中にしていき、形成期後期に国外からのパワーを活用しつつ新文明を形成していきます。そして確立期前期には国外からのパワーを活用して新文明を建設し、確立期後期には新文明勢力の手によって国外からのパワーは管理されて抑制されていくようになっていくという、こうした一連の流れは鎖国について論じた際にも説明しました。
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