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日本史についての雑文その55  大衆文化の弾圧
さて、子平の著作は幕府の政治を批判したからという理由で処罰されたのですが、他にも定信は、風紀を粛清するとして出版統制令を出して、好色本や風刺本を取り締まりました。
1791年には山東京伝などが処罰され著作は発禁になり、版元の蔦谷重三郎も財産を没収されたりして、江戸大衆文化は弾圧されました。
これもやはり、新興勢力への抑圧政策の一環であったのだと思われます。浮世絵なども弾圧されましたが、まぁこれは、浮世絵の多くは春画、すなわちポルノだったわけですから、いささか仕方ないような気もしますが、ただ江戸時代の庶民の開放的性感覚から言えば、ちょっと厳しすぎる処分のような気もします。他にも銭湯の男女混浴禁止措置など、朱子学にかぶれた硬直化した禁制も多かったようです。

しかしこれらの風紀粛清策は時代に逆行したもので非常に評判が悪く、しかもこのような弾圧では大衆文化は全く勢いは衰えることはなく、むしろこの後さらに大きく拡大発展していくことになったのでした。
洒落本は衰えましたがそれに代わって読本が隆盛を迎え、江戸大衆文学はその文学性をむしろ深めていくことになり、更にジャンルを広げて多くの購読層を獲得していき、それは続く19世紀前半に大きく花開くことになるのです。
また浮世絵は定信の弾圧に負けることなく創作が続けられ、1794年には蔦谷重三郎は再起を賭けて東洲斎写楽という新人絵師を売り出し、数多くの個性的な作品群を生み出したりしています。
また、この弾圧後、人物画から風景画にシフトする絵師も多く、これにより更にバラエティーに富んだ作品が生み出されるようになっていきます。これが次の時代に北斎や広重を生み出していくことになるのです。

このように、江戸大衆文化は、定信の反動政治による弾圧を受けて、むしろより成熟していっているような印象を受けます。
いや、真に力のある文化というものは、むしろ適度な締め付けを受けたほうが、それを刺激として創意工夫によってカバーする範囲を広げたり表現方法を工夫していくことで新たな技法を開発したりするのでしょう。そうして文化は成熟していくのだと思われます。
元禄文化について、確かに見るべきものは多いのですが何か成熟が足りないという印象を受けたのですが、それはこうした適度な締め付けが足りなかったのではないかと思います。
このように締め付けを受けて更に成長し成熟していくのは文化だけではありません。蘭学も定信によって弾圧されましたが、この後、19世紀前半に洋学として着実な発展を遂げ、情報収集や翻訳だけではなく、もっと幅広い分野で具体的成果を挙げていくことになります。
また同じく定信に弾圧された商業資本や大衆社会そのものも、むしろ19世紀前半には飛躍的発展を遂げることになります。
これらは、定信が1793年に失脚して、その後に幕府の政策が開明的なものに転換したから発展したというわけではないのです。逆に、定信失脚以降も、少なくとも1817年までは定信に代表されたような幕臣保守派の反動政策は何ら変わらず継続されていたにもかかわらず、その弾圧をものともせず、それらの新興勢力は発展し成熟し続けていったということが重要なのです。
新しい文明を推進していく勢力は、変質期後期における初期的なこうした弾圧を受けても潰れることはありませんし、むしろ定信の反動政治は、新興勢力の更なる活性化の引き金になったのだといえるでしょう。そうして次の時代に新興勢力はその影響力を発揮してくるようになるのです。
結局、定信の反動政治によってダメージを受けたのは、当の幕府の政治や財政状況、そして武士階級だけだったということになります。
これらは全部、幕藩国家体制を支えるものであり、幕藩国家体制を立て直そうという改革政治が、むしろ幕藩国家体制の足腰を弱める効果を発揮してしまうという悪循環が生じてきているのです。このような悪循環が明確になったのは幕藩国家においては初めてのことであり、この変質期末期の寛政の改革は、幕藩国家の曲がり角であったといっていいでしょう。

同じ行き詰ったといっても、修正期末期の行き詰まりは、政治は順調で経済的に行き詰ったのであり、この変質期末期においては逆に、経済のほうは順調で政治的に行き詰ったのだということになるでしょう。
修正期の後にやってきた改革期においては、政治改革をすることによって経済を復活させることが出来たが、この変質期の後にやってくる時代においては、経済が更に成長していくことによって既存の政治体制がついて行けなくなっていくのです。それは言い換えると、経済成長によって新たな政治体制が生まれてくる過程なのだとも言えるのですが。
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