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日本史についての雑文その65  成熟の進展
このように工場制手工業の発生によって、農村内に雇用者や被雇用者の関係が生まれるようになり、労使間トラブルのようなものが生じるようになったり、また藩の専売制などとの価格トラブルも激化するようになり、それらが訴訟や百姓一揆を激化させていき、そうした様々な問題を調整していくために農村内の自治組織が高度に政治化されていったのです。それが後に明治期の自由民権運動に繋がっていくのです。よく言われるように、地方政治は民主主義の学校だということです。
また、工場制手工業の発生と国内市場の成熟によって、変質期末期に発生した大衆社会は大都市だけでなく農村部にも波及していき、大衆文化も成熟しつつ発展していきました。
特に1818年以前の寛政の遺老の時代は寛政の改革時と同一の大衆文化への圧迫政策が続いていましたから、文学や浮世絵などの表現は制限されていましたが、可笑しなもので、こうして表現が規制されている中でこそ却って知的な表現の工夫というものは進化するもので、表面の浮薄さを追求する必要が無くなった文学作品などは、非常に質の高い作品を生み出していきました。例えば十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」などです。
また、この時代は博物学や蘭学が発達し、伊能忠敬が蝦夷地を含む日本全国を測量し非常に精密な日本地図を完成させたり、その他、大名から一般庶民に至るまで、盆栽や小鳥や金魚、鈴虫やコオロギなどを飼育したり、古銭や珍木奇石を収集したりする趣味が流行し、それらに関する図版入りの書物が刊行されたり、高度な園芸書が刊行されたりしました。
これらは別に世に中に何らかの影響を与えたということもない、単なる娯楽に過ぎなかったのですが、ここで注目すべきことは、庶民レベルにまで非常に知的な探究心や観察力、知的考察力、空間把握能力が浸透していたということです。
これらの日本の庶民の知的レベルの高さは、次の爛熟期後期に爆発的ブームを迎える寺子屋教育と相まって、黒船来航前に図面一枚を頼りに蒸気機関や蒸気船を自作してしまうというレベルにまで到達し、これが後に明治日本の文明開化と殖産興業を支えることになるのです。

爛熟期におけるこうした一般民衆レベルの成熟というものは、次にある新文明の形成期の前期よりもむしろ後期になってから成果となって表れてくる場合が多いようです。形成期前期においてはやはりこうした庶民の新勢力を背景としつつも先駆者の動きのほうが際立っており、その後の形成期後期において庶民レベルが活躍することが多いようです。

この後、1818年に寛政の遺老たちが退場し、将軍家斉の側近であった水野忠成が老中首座になってからは緊縮政策は撤回されて緩和政策がとられることになりました。
これはどういう政策であったのかというと、簡単に言えば、貨幣改鋳を繰り返すことによって貨幣流通量を増やし、貨幣の質を落とした分の差額を益金として幕府の手中に収めて幕府財政を潤わせるという政策でした。そして、その潤った分はほとんど将軍家斉の贅沢のために消えていったのでした。
要するに家斉は自分が贅沢をしたいがために倹約令などを含む緊縮政策を撤回し、貨幣改鋳を繰り返したのですが、この傾向は1823年に実父の治斉が死去して以降はますます顕著になり、いわゆる大御所時代に突入していくのです。
貨幣改鋳益金の収入は膨大なものとなり、幕府財政の収入の半分はこれによるものとなりました。その代わり、この政策を実施している間は年貢の増徴は行われませんでしたし、大名や庶民に変な手伝金や役金が課されることもありませんでしたので、大衆の生活には余裕が生じるようになり、貨幣改鋳によるインフレ成長と相まって、次の爛熟期後期において大衆社会は大発展し、大衆文化は大きく花開くことになるのです。

ただ、この爛熟期前期において発生し、次の爛熟期後期において大きく発展する工場制手工業の及ぼす影響として重要なものを挙げると、それは工場制手工業を突き詰めていくと、鎖国と幕藩体制の否定に行き着くということです。
それはどういうことかというと、工場制手工業が発展していけば、より安い原料や、より安い労働力を求めるようになり、また、より広い販売ルートを求めるようにもなります。しかし鎖国や幕藩体制による庶民の移動の自由の制限によって、それらが阻害されているというわけなのです。
そういうわけで、工場制手工業の担い手である富農や商人たちは、鎖国をやめての外国との自由な交易、農民の移動禁止措置を撤廃してもらい、より安価な労働者を求められるような措置、専売制を止めて自由に原料や材料が入手できる自由経済などを求めるようになってきました。
しかし、そうやって国内経済が自由化されて大きく発展した場合、そこにはもう、何も生産しない階級としての武士階級の存在する余地は無くなってしまいます。しかしそれは、武士階級の消滅は、幕藩体制の否定に直結するのです。
ですから、幕府当局はそうした庶民による自由経済への欲求、特に海外交易への期待感には非常に強い警戒感を抱くことになったのです。
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