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日本史についての雑文その78  啓蒙主義
1837年に浦賀へやって来たモリソン号はアメリカ合衆国の船でした。このとき、はじめて日本の歴史にアメリカ合衆国という国家が関与してきます。
ヨーロッパとロシアは既に日本史との関わりの中で出てきたのでその歴史の中で日本に関係してくる部分については説明しましたが、アメリカは今まで出てきていなかったので説明していませんでした。日本人は何故かこのアメリカという太平洋を挟んだ最大の隣国の歴史をあまり知らないのです。

そこで、まずアメリカについて説明していきたいと思うのですが、アメリカを知るためには、まず近代民主主義思想の歴史について知る必要があります。そうなると結局、近代ヨーロッパ初期の歴史について触れることになるのですが、それも結局は幕末日本への外圧に関わってくる話ですので、更に触れていきたいと思います。

モンゴル帝国軍のヨーロッパ侵攻をきっかけにして引き起こされた14世紀のヨーロッパにおける黒死病の大流行によって、黒死病の特効薬と見做された香辛料を求めてコンスタンチノープルでベネチア商人とイスラム商人の交易が始まり、それが15世紀になってイタリア・ルネサンスを開花させることになったことについては先述しました。
ルネサンス以前の中世ヨーロッパ社会というものはキリスト教的価値観に支配された社会であり、何事も唯一神ヤーヴェの摂理によって説明されなくてはならなかったのです。それは自然現象でも政治でもそうであり、それに反するものは異端として厳しく迫害されました。とにかく不寛容な神だったのです。いや、実際は神が不寛容だったというより、教会権力が不寛容だったのですが。
そういった窮屈な時代にルネサンスが起こりました。ルネサンスの語意は「再び誕生する」であり、中世のキリスト教的価値観が生じる以前の古代ギリシャやローマの価値観を再評価しようという運動でした。
こうして15世紀から16世紀にかけて興ったルネサンスは結局、教会権力へのアンチテーゼというのが本質でしたので、イスラム世界における自然科学も輸入され、その後ヨーロッパにおいてキリスト教神学に縛られない科学的思考というものが発展していくことになりました。

その出発点となったのが17世紀前半のフランスの哲学者ルネ・デカルトであり、デカルトは近代哲学の父といわれます。デカルトが出版した初めての哲学書が1637年の「方法序説」であり、ここでデカルトは当時の主流哲学であったスコラ哲学の唱える「真理は信仰によって獲得される」という説を批判し、理性を用いて真理を探求していこうという姿勢を示しました。
これが近代哲学の始まりであり、理性万能主義の始まりでもありました。ちょうど日本が三代将軍家光の時代で、管理貿易体制を完成させてヨーロッパとの関わりを薄くしていこうという頃のことでしたが、丁度これ以降のヨーロッパ世界はそれ以前のものとは異質なものになっていくのです。
ただデカルトの哲学体系は主に数学や物理学など自然科学系の方法論が多く、社会科学方面には向かわなかったのですが、少し後にこのデカルトの理性万能主義の方法論をもって社会を科学的かつ理性的に分析していくという動きも生みました。これが啓蒙主義であり、17世紀後半にイギリスで生じ、18世紀にヨーロッパ大陸、特にフランスで発展しました。

それまでのキリスト教的社会観というものは、聖書に忠実な世界観であり、聖書に素直に従うならば、聖書の書かれた時代、つまり古代世界、特に古代ローマは悪しき時代であり、神の罰が下って世界は終末を迎えてその後に神の支配する世界が到来すると聖書に予言されたように、その後ローマ帝国は滅び、それゆえにその後に訪れた現代世界は神の支配する世界なのだというのが、当時のキリスト教的社会観でした。
つまりこれは神の代理人としての当時の教会権力の支配を正当化する論理であり、これを超自然的な偏見と見做して排斥し、人間本来の理性の自立を促すというのが啓蒙主義の目的でした。それゆえにこのキリスト教的社会観は啓蒙主義においては否定されることとなり、ルネサンス以前の中世社会こそ暗黒の時代であり、古代ローマや古代ギリシャの時代にこそ人間が理性的に生きた理想の輝きがあり、それがルネサンス以降復活して啓蒙主義によっていよいよ理想社会が実現しようとしているという、そういう歴史観が唱えられることとなりました。
これは当時における現代に連なる中世の歴史や伝統の積み重ねを否定し、断絶した遥かな不確かな過去、極言すれば架空の世界である古代ローマや古代ギリシャ的世界にシンパシーを感じるという意味では、言ってみれば、一種の伝統や慣習、歴史の否定思想なのだといえるでしょう。ルネサンスにも近代哲学にも啓蒙主義にも、伝統軽視で理性偏重のそうした傾向が見られるということです。
こういう考え方はもちろん教会権力の反発を招くものだったのですが、1618年に始まった三十年戦争の結果、1648年に結ばれたウェストファリア条約によって各国の王権が教会権力に優越するという原則が確立したことにつれて、ヨーロッパにおいて広まることとなりました。こうして17世紀後半から啓蒙主義の時代となっていったのです。
教会権力とはカトリックと不可分のものでプロテスタントとは敵対していましたので、プロテスタント国の君主は教会権力を抑えて自らの王権を高めるために啓蒙主義は都合が良かったので、サロンを設けて啓蒙主義を唱える知識人らを保護しました。こういう君主たちを啓蒙君主と呼びました。逆にカトリックと繋がりの深いフランス王室などは啓蒙主義から敵視されがちでした。

このように啓蒙主義においてはルネサンス的な古代ギリシャやローマの時代を理想視する傾向もありましたが、あくまで啓蒙主義においては神という存在を介在させずにデカルト流の科学的手法に基づいて社会の在り方を分析して理想の社会を描いていくというのが本筋でした。ですからあくまで啓蒙主義の規定する理想社会とは架空の社会なのですが、キリスト教的絶対神の存在しない世界という仮定条件そのものがどうしても古代ギリシャやローマのイメージと重なりがちになるのも事実でした。
いや、実際の古代ギリシャや古代ローマ社会というのは啓蒙主義的な無神論や理神論の世界ではなく、日本やインドのような多神教的世界であり、非常に宗教色の濃い社会であったのが実像なのですが、あまりにも長く絶対的な一神教世界に生きてきたヨーロッパ人には多神教世界というものがどうも理解できず、それが無神論世界に見えてしまうようなのです。
そういうわけで彼らの思い描く神なき仮想現実社会と古代ギリシャやローマが同一視されるきらいがあるのですが、これは古代社会に対する大いなる誤解であるといえるでしょう。
私のような多神教の徒から見れば、唯一神以外のあらゆる神々を否定する一神教のほうが、限りなく無神論に近いと感じられます。あらゆる神を殺し、唯一残った絶対神だけを崇拝する一神教は、その唯一神を殺すことによって、あまりにも容易に無神論に陥るのです。そういう意味で一神教は無神論と紙一重の存在であり、そうであるからこそ、マルクス主義はキリスト教社会において生まれたのであるし、また、自然科学が発達したのもキリスト教あるいはイスラム教のような一神教世界においてなのであったのだと思います。
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