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日本史についての雑文その80  民主主義思想
そこで理性万能主義を守りつつホッブズ理論を発展的に批判して1689年に「市民政府二論」で主権の分析を行ったのがイギリスのジョン・ロックでした。ここでロックが主張したのは、要するに「主権に対する抵抗権が国民にはある」ということでした。
ホッブズ理論においては主権というものは自然状態から契約によって国家を作った時に生じるものとされたのですが、ロック理論においては主権は国民の参加する立法機関で多数決で制定されるものとして、つまり国民の自然権の一つである立法権の下に主権を置いたのです。これは典型的な制定法絶対主義、つまり人定法主義だといえます。

これならば、国民にとって主権が不都合なものであるならば立法権を行使して主権を修正することが出来るわけです。しかもその判断基準として叡智や徳などは必要なく、その意見が単に多数を占めるだけでいいのです。そうして主権を修正するということは国家自体を作り変えることを意味するのであって、これは革命を肯定する理論ということになります。
ロックが「市民政府二論」を書いたのは、その前年1688年に起きた名誉革命を正当化するためであったのです。名誉革命で議会の決定によって国王ジェームズ2世を廃して新国王ウィリアム3世を迎えたという経緯を正当化するために、議会の決定が既存の主権、つまり専制的な王権に優越するという論理を構築したのです。
これによって主権というものは国民を服従させるような絶対的なものではなくなったので、それを制定する国民に特に叡智や徳などは必要ではなくなったのです。こうして国家主権というものは安易に立てられるものとなり、国家の存在証明が容易になったのです。

しかし、そもそもホッブズは自然状態における国民の自然権の暴走をどのようにして制御するかというところから論理を構築して、そのために主権というものが存在するとしたのですが、このロック理論では主権が国民の自然権の下位に位置することになってしまい、国会で多数決で議決される制定法によって主権が制限されてしまうということになります。これでは自然状態における無政府状態を防止する理論であることが出来ません。
それに対してロックは専制君主の統治よりは無政府状態のほうが望ましいと述べており、これは完全に革命肯定論になってしまっています。ロックはホッブズ理論を都合よく作り変えて名誉革命を正当化しようとしただけであり、それによって国家内において国民に無制限の権力を与える理論を構築してしまったのです。
しかし実際の名誉革命の経緯はロックが解釈したものとは相違しており、議会の優越の根拠とされたのは1215年のマグナカルタや1628年の権利請願であって、それはまさに国王と議会の間の古からの「国王も法の下にある」という慣習であり、専制的な国王がそれに反したために議会が国王を廃したという、きわめてイギリス特有の事情によるものです。
この場合、むしろ主権である法(コモン・ロー)に抵抗したのは国王のほうであり、それゆえに国王に正当性は無く、国王は敗れたのであり、「国王にすら主権への抵抗権は無い」ということが確認されたのが名誉革命の実相なのです。いわんや、名誉革命によって「主権に対する抵抗権が国民にある」などということが証明されたなどというロックの説などは全くの謬説に過ぎないのです。
ロックは単に、議会が王権に優越したという表面的現象に目を奪われて、名誉革命の意味を取り違えて、それを正当化するためにホッブズ理論を引っ張り出してきて、その修正を施すかのようにして、根本的に違ったものに作り変えてしまったのです。

国家が主権を有するという点ではホッブズもロックも共通しているのです。しかしホッブズ理論においては国民は主権に服従する存在であったのに対して、ロック理論では主権が国民の立法権に服従する形になっているのです。これでは主権は骨抜きとなり、主権よりも国民が優越することになってしまいます。そんなものが主権と呼べるのか疑問でもあります。
だいたいホッブズは性悪説に基づいて国民の自然権の暴走を警戒し、その暴走を抑えるために主権を必要としたのに、このロック理論ではあまりにも国民の自然権の暴走に対する警戒感というものが無く、性悪説は排除されて、代わりに性善説に支配されています。ホッブズとロックでは社会に対する認識が180度違うのです。
しかし、これはそもそもホッブズが「自然状態」や「契約国家」などという人工的概念のみで社会を分析しようとしたため、国家というものを上手く説明しきれなかったために、ロックのこうした逸脱を招いたともいえます。いわば国家論における理性万能主義、主権絶対論の限界が最初から露呈していたのだといえます。

こうした逸脱を生み出した流れの結果、このホッブズ以降の啓蒙主義的かつ人工国家論的な社会哲学の系譜は、とうとうフランスのジャン・ジャック・ルソーの1762年の「社会契約説」において「人民主権」というとんでもない逸脱をきたすことになるのです。
ロックによって暗に示されていた国民による主権に対する優越は、このルソーにおいてはよりあからさまな形で示されることとなり、国民と政府を完全に切り離し、主権は国民にあるということになりました。こうなると国民は国家から相対的な位置に立つことになり、もはや国民というよりは人民と呼んだほうが適当ということになります。
これは究極の性善説に基づいており、人民はもはや人民であるという理由だけで主権という絶対的権限を有するということになり、政府や国家や法律を自由に作り変えたり転覆したりすることが出来るということになったのです。
しかし、もともと人民の自然権の暴走をいかにして抑制するのかがテーマであったホッブズ理論から見ればこれはとんでもない逸脱で、それを抑えるどころか、人民に更に主権という絶対的権限を与えてしまい、人民各自がそれを好き勝手に行使した場合には国家自体が存続不可能な無秩序状態に陥ってしまうということに正当性を与えてしまう、とんでもない暴論となっています。
更にルソー理論の恐るべき点は、こうした人工国家形成のための社会契約が「一般意思」というものに基づいて為されるとし、そしてこの「一般意思」を神託化してしまい、その内容は絶対的権力者である「立法者」しか分からないものだとしてしまったことです。
つまりルソー理論においては立法はロック理論のように国会のような立法機関で行われる必要は無く、人格を備えた立法者によって為されるのであり、しかもその立法者は「一般意思」を独占した、国家を超越した絶対的独裁者となり、国家改造まで行い得るということでした。この恐るべき独裁は、後にフランス革命時にはロベスピエール、ロシア革命時にはレーニンやスターリン、ドイツ第三帝国においてヒットラー、シナ共産革命時には毛沢東によって現実化することになるのです。
さすがにこのルソー理論は当時の知的エリートの集うサロンでも少数派しか形成しなかったのですが、しかしこういう人民の放埓を肯定するような社会観は社会下層の一般民衆の受けは良いもので、革命の暴力を正当化するものとして一部の扇動家たちによって利用されることとなり、フランス革命を準備することとなったのです。

ルソー理論が当時のサロンにおいても少数派にしかならなかったのは、既に18世紀前半のイギリスにおいて、ホッブズ以降の啓蒙主義に基づいた人工的な社会契約説や理性万能主義はデイビッド・ヒュームによって徹底的に批判されていたからでした。
ヒュームはホッブズの唱えた「自然状態」を「単なる哲学的虚想」と斬って捨て、人民の同意や理性によって国家を作るという社会契約説は現実無視の理性主義に発する暴論に過ぎないとしました。
ではヒューム理論では国家形成の契機はどのように説明されるのかというと、それは道徳的行為の称賛を国民が共感することによってであり、そのような共感が生じるのは人間が理性的存在ではなく情緒的存在であるからであるとしました。
道徳は人間の情緒を喚起し、情緒こそが人間の行動を決定づけるのであって、理性的判断によって人間の行動が起きるわけではないとヒュームは唱えました。つまり道徳は理性を経由せずに情緒的判断によって道理を生み出すのです。
このヒュームの言うように、道理を国民が共有することによって国家が形成されるためには、道理を生み出す道徳は多くの国民の共有するものでなければならないわけで、それは伝統や慣習によって自然的に成長してきた叡智や徳でなければならないのです。

ヒュームは決して性善説はとらず、人間は全て無節操で利に走りやすいならず者であると規定したという点ではホッブズと共通しているのですが、ホッブズ理論が人工的国家論にあくまでこだわって、そういう性悪な人民が突如自発的に契約を結び合意に達して国家を作るという不自然な飛躍した理屈を展開して破綻しているのに対して、ヒューム理論においては時間をかけて積み上げられてきた伝統的な道徳観というものを介在させることによって国家形成の仕組みをスムーズに説明することが出来ているのです。
人間が間違いを犯しやすい不完全な存在であることは間違いない真実であり、そういう存在である国民が国家を作ったり主権を行使したりするにあたっては、多くの人間が長い時間をかけて正しさを証明してきた道徳の助力を必要とするのは当然のことであるということをヒューム理論は述べているのであり、これは結局、コークのコモン・ローの支配を肯定する保守主義に連なるものなのです。
このようなヒュームのような考え方が18世紀におけるイギリスの知的エリート層の一般的な考え方であり、大陸においても社会契約説が非現実的であるという点は知的エリートの集うサロンにおいては支配的な見解であり、ロックやルソーのような過激思想はあくまで少数派だったのです。

これが近代西洋におけるデモクラシー、つまり民主主義思想が生まれてきた経緯なのですが、ここでひたすら追求されているのは「主権」という絶対的権限の在り処がどこにあるのかという点です。
特に理性万能主義側、人工的国家論側、すなわち大陸法思想の側ほど、主権へのこだわりが強く、特にその中でも、この絶対的権利である主権の在り処を人民側に置くとした考え方が民主主義ということになるのです。
これは日本人の考える民主主義というものとは違和感のあるものです。日本的な民主主義思想というものは、言わば合議至上主義と言うべきものであり、より多くの人間による合議の末の合意のほうが、より良い結論を得られるし、より全体の賛同を得やすいであろうという見通しに基づいたものです。それが究極まで広がった場合、国民全員の参加する合議や合意が最も望ましいという思想になり、それが日本的民主主義ということになるのです。
この議論の積み重ねそのものを重視する姿勢は、慣習法の積み重ねを重視するゲルマン法思想に極めて近い考え方だといえるでしょう。ゲルマン社会においても合議は非常に重視されていたのであり、日本社会においても伝統や慣習は非常に重視されていたのです。
このように、日本社会はむしろコークやヒュームのようなゲルマン法思想に親和的な土壌があったのですが、後に近代日本は主にロックやルソーに繋がる大陸法思想を取り入れていくことになるのであり、それが近代日本の微妙な捩れとなっていくのです。

江戸時代の日本を論じているはずが、こうして必要以上の脱線をしてしまっているわけですが、これら近代民主主義思想やそれに対抗する保守主義思想は、江戸時代の後に続く近代日本に大きな影響を及ぼしてくるものなので、この機会にその基本的流れを押さえておくことにしました。
そして、この2つの潮流がアメリカ合衆国という国家を作り上げ、それが幕末日本に大きな影響を及ぼしてくることにもなるのです。
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