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日本史についての雑文その87  ウィーン体制
こうしてナポレオンの追放によってヨーロッパでの戦闘が一段落したイギリスはアメリカを叩くために北米大陸に軍事力を振り向けました。ナポレオン戦争で強化されたイギリス軍にアメリカ軍はあえなく破れ、1814年8月には首都ワシントンが陥落し、大統領官邸も焼け落ちてしまいました。
12月に英米間にガン条約が結ばれ英米戦争は終わり、国境線は戦争前の状態に戻されました。イギリスに北米大陸での領土的野心が無かったのでそういうことになったのですが、実際はアメリカの完敗だったわけです。

この英米戦争中に海上封鎖をされたことによってアメリカはヨーロッパから孤立することになり、それまでのヨーロッパ依存型の経済から国内で完結する経済への転換を余儀なくされ、経済的・文化的に自立することになったのです。ここから初めてアメリカはヨーロッパから離れて独自の道を進むようになったのです。そういう意味で、この英米戦争は第二次独立戦争とも言われます。

1814年の英米戦争の敗戦後、アメリカ国民はもうヨーロッパのほうを向いても暮らしていけないことを悟り、大挙して西方のルイジアナ植民地へ移住していきました。ここに西部開拓の時代が始まったのです。1818年にはノースダコタ、1819年にはフロリダを獲得し、アメリカは現在の領土のほぼ東半分を領有することとなり、盛んに西部開拓を行い、東部では保護関税を使って国内工業などが育成されるようになっていきました。
こうしたヨーロッパ情勢から距離を置く国策は、ヨーロッパ大陸とアメリカとの間の相互不干渉を唱える1823年のモンロー宣言で表明され、これがモンロー主義、つまり孤立主義政策となり、この後100年ほどアメリカの外交政策の基本となります。
この孤立主義政策とは、別にアメリカが自国領土に閉じこもる政策という意味ではなく、自国の東方に位置するヨーロッパの国際政治に巻き込まれることを避けて、自国の西方の西部開拓地や太平洋方面に勢力を広げていこうという政策だったのです。1820年代には日本近海をアメリカの捕鯨船が走り回っていたのはこういうわけだったのです。

一方、ヨーロッパでは1814年のナポレオン追放後、諸国代表が集まって戦後処理を話し合っていたところに1815年にナポレオンがエルバ島を脱出してフランスで帝位に復活するというハプニングもありましたが、すぐにワーテルローの戦いで敗れて大西洋の孤島セント・ヘレナ島に幽閉され、ナポレオン時代は完全に終わり、ウィーン体制の時代となっていきました。
オーストリアの宰相メッテルニヒを中心としたウィーン体制下のヨーロッパでは、例えばフランスにおけるブルボン王家の復活など、フランス革命以前の状況へ世の中を戻そうと試みられたのですが、それはやはり無理でした。各国とも、ナポレオンを倒すためにナポレオン軍と同様の国民軍を編成したため、国民軍制度には欠かせない愛国心と国政への参加意識を国民に持たせるために、民主主義的制度の導入は不可避だったからでした。
国民軍という大規模かつ精強な軍隊システムを一度一斉に導入してしまえば、自分の国だけがそれを捨て去るわけにはいかなかったのです。そんなことをすれば他国から侵略されてしまいます。だから、各国政府は内心では民主主義を胡散臭く思いつつも、それを完全に封じ込めることは出来なかったのです。国民も一度得たそうした既得権を手放すことには同意しませんでした。
そういうわけで、ウィーン体制下でもヨーロッパの民主主義化はじわじわと進展していったのです。各国にとっては、結局はその民主主義をいかに自国にとって害の無い形で上手に段階的に受容していくのかが重要なテーマとなっていったのです。こうして、いわゆるブルジョワジーと言われる富裕な市民層や資本家層の権利の拡大が進んでいきました。

最初にウィーン体制の綻びが見えたのは1820年のスペインにおける民主的改革を求める革命ですが、これはすぐに鎮圧されました。ちなみにこの時の混乱の中、中南米諸国がスペインから独立しています。スペインではその後1830年代に立憲君主制下でブルジョワ階級の支持を得た改革が進められることとなりました。
このスペイン革命の影響を受けてイタリア諸邦においても1820年以降、民主的民族的運動が起こるようになり、これは何度も失敗しながら結局1861年の立憲君主制のイタリア王国による統一に結実することとなりました。

フランスではブルボン王朝が立憲君主制下での復古王政を敷いていましたが、1824年に即位したシャルル10世が民主主義勢力を圧迫する政策をとったため1830年に七月革命が起きてシャルル10世は追放されブルボン王朝は廃され、ブルジョワ層に支持された「市民王」ルイ・フィリップが国王に推戴されました。
この七月革命ではブルジョワ層への選挙権の拡大が行われましたが、更なる選挙権の拡大を求める労働者層の不満が募り、そうした労働者や農民の諸権利の拡大を求める政治運動が起きるようになっていき、国王ルイ・フィリップがそれを抑圧したために1848年に二月革命が起きて、国王は退位し亡命し、フランス第二共和制が始まることとなりました。
この二月革命はブルジョワ主体ではなく、労働者主体の革命であり、第二共和制下のフランスでは男子普通選挙が実施されましたが、労働者が暴動を起こしたりして政情が安定せず、労働者による革命運動は国民の支持を得られず、1851年のルイ・ナポレオンによるクーデターに至り第二共和制は短い寿命を終えて、フランスはナポレオン3世による第二帝政の時代に入っていきます。

また、イギリスでは1832年の選挙法改正で、産業革命によって勃興してきたブルジョワジー層への選挙権拡大を図りましたが、これが更なる選挙権拡大を求める大多数の労働者層による政治運動を招来することとなりました。
こうした中、イギリスでは労賃を抑えるために物価の抑制を求める資本家階級が高率関税によって輸入食料品の物価の高騰を嫌い、保護貿易を撤廃して自由貿易に移行することを求めたので、1840年代には自由貿易体制に移行し、新興の資本化階級の支持を得た自由貿易派の自由党と、農業に基盤を置き旧来の貴族階級の支持を得た保守党の、二大政党時代となっていきました。
この自由貿易体制というものは国際的な市場原理主義のようなもので、結局は最強国の一人勝ちしかもたらさないシステムであり、19世紀においてはイギリス、20世紀においてはアメリカがその恩恵を独占することとなったのです。
つまり、イギリスは自国の覇権が磐石のものとなったことを十分承知して、自国の一人勝ちになることが分かった上で自由貿易を提唱しているわけであり、一見公平に見えて、実は極めてエゴイスティックな提案であったということになります。第二帝政期のフランスなどはこの自由貿易体制に乗ったためにイギリスに利益を全て持っていかれて経済混乱に陥る羽目にもなり、それがナポレオン3世の権力の弱体化を招いたりしました。
そうして、1848年にはイギリスの労働者による政治運動は最高潮を迎えますが、これを政府は鎮圧することに成功し、以後、イギリスはヴィクトリア女王統治下で19世紀後半から20世紀初頭までの大英帝国の最盛期を迎えることとなるのです。

ドイツ諸邦においては民主主義的、民族主義的運動は当初はあまり波及してこなかったのですが、ナポレオン戦争でプロイセンが獲得した飛び地領土のラインラントとの物流促進のための1828年の北ドイツ関税同盟の成立と、それを契機とした1833年のプロイセンを中心としたドイツ関税同盟の成立以降、産業革命が急速に進展し、ブルジョワ層が民主化やドイツ統一を求めるようになり、1848年にドイツ三月革命が起きて、プロイセンを中心としたドイツ統一の道筋がつけられましたが後一歩のところで挫折し、結局1871年のドイツ帝国の成立によって統一が達成されることとなります。
ウィーン体制の立役者メッテルニヒを擁するオーストリアでは、1848年にフランス二月革命の影響を受けて民族主義運動や民主主義運動が高揚し、それを受けて宮廷はメッテルニヒを追放し、立憲体制に移行し、ここにウィーン体制は崩壊したのです。しかしこの後オーストリア国内の民衆暴動は左傾化しエスカレートし、国内は混乱しましたが、ロシア軍の援軍も受けてなんとか鎮圧されました。このウィーン三月革命の後も民族主義運動は激化し、結局1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立することになるのです。
こうしてウィーン体制は崩壊していったのですが、このような民主主義の進展はつまり、国民軍を支える国民のナショナリズムを高めて、強大な国民軍を維持していくために必要な措置だったのでした。そしてまた、産業革命を支えて国家を富ます資本家の意向を優先する政策でもあったのです。
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