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日本史についての雑文その88  富国強兵
ナポレオン戦争によって各国が国民軍を持つようになりましたが、結局、ヨーロッパの覇権を握ったのはイギリスでした。どうしてそういう差がついたのかというと、「国力」が違うからなのです。
同等の愛国心を持ち同等の戦術を持った国民軍同士が対峙した時、その優劣を分けるのは兵器や装備の差です。国民軍というものは非常に大規模な軍隊になりますから、その全員に行き渡る武器や装備、補給物資などを用意するのは大変な産業力が必要なのです。フランス革命以前の戦争のように、国王のポケットマネーで賄えるようなレベルではなくなってきたのです。

そうした産業力でイギリスは抜きん出ていたのです。イギリスはナポレオン戦争中は最大の武器生産国で、ナポレオンと戦った連合国軍の武器はほとんどイギリスが供給していました。
また、そもそもナポレオンがどうしてもイギリスに勝てなかったのはイギリスが世界最強の海軍を持っていたからなのですが、精強な海軍もまた、よほどの産業力が無いと持つことは不可能なのです。これは単に国内制度を民主化してナショナリズムを高めたからといってどうにかなるものではなく、産業を興して富を蓄えなければいけないのです。

何故イギリスがそれほどの国力や産業力を有していたのかというと、それはもちろん他国に先んじて産業革命期に入っていたからなのですが、それだけではありません。
単に産業革命によって、例えば綿織物を大量生産したとしても、国内で消費しているだけでは国内を金が回るだけでそれほど膨大な富の蓄積は生みません。やはりイギリスが海外植民地を多く持っていて、それら植民地を自国産品を売りさばく市場と化したことが大きな要因であるといえるでしょう。
植民地から原料品は安く買い、時には低賃金で現地民を酷使して生産させて原料価格を下げてまでも原料の低価格を維持し、それらを使って作ったイギリス製品を植民地に大量に売りつけるのです。植民地ですから関税などイギリスの自由に決められますから、最初は関税はかけずに低価格のイギリス製品で植民地市場を席捲してしまい、逆に植民地で作られた加工品にはイギリスでは高い関税をかけて売れないようにして、そうして植民地の現地産業を潰し、その後は植民地でイギリス製品を高値販売して暴利を貪るわけです。
このようにして蓄えた富で軍備を整えたり、武器を作って他国に売ったりするわけですが、他国からの輸入品にも高い関税をかけて自国産業の保護を図ります。
このような極端な保護貿易主義が罷り通ったのは、イギリスの強大な軍事力が背景にあるからなのです。そしてその強大な軍事力を支えるのが、海外植民地の多さと、産業革命の進展と、民主主義の導入による国民軍思想だったのです。これはつまり「富国強兵」の思想と言っていいでしょう。
そして、イギリスの覇権はほぼ確立したところで、今度は他国の得た利権をも全部吸い尽くそうとして、イギリスは保護貿易主義から自由貿易主義に転換したわけです。これにより、ますますイギリス主導の国際経済体制が作られていったのです。そして、この自由貿易体制もまた、イギリスの「富国強兵」によって支えられていたのです。

そうなると、他のヨーロッパ諸国も、イギリスに追いついて強い国家を維持していくためには、イギリスと同じ「富国強兵」をやらねばいけないのです。つまり、民主主義を導入しつつ、産業革命を進展させて、より多くの植民地を獲得していかざるを得ないのです。これは国家サバイバルのために、否も応もなくやらねばいけないことだったのです。
こうしてヨーロッパ諸国はブルジョワジーの意向を反映して民主主義制度を段階的に取り入れつつ、産業革命を進展していき、そして海外植民地獲得を目指していったのです。このようにして列強によるアジア・アフリカの植民地獲得競争が始まったのです。
それが本格化するようになったのは、南方の風土病であるマラリアの特効薬キニーネが作られるようになった1820年以降のことで、それ以降は西欧列強諸国の国民が大挙してアジアやアフリカに植民していくようになり、奥地まで支配していくようになりました。こうして世界は列強によって分割され始めていったのです。

アメリカでも、1830年代には民主党のアンドリュー・ジャクソンが大統領を務め、この時代は白人男子の普通選挙制度が確立するなど、民主主義が進展しました。そしてこのジャクソンの時代はアメリカで産業革命が始まった時代でもあり、インディアン強制移住法を制定して原住民を大陸西部へ追い出して西部開拓を進めた時代でもありました。また、しきりに東アジアへの通商路開拓を試みるようになり、清国との交易に参入しようとしました。
これらは全く矛盾した政策ではなく、これらが全部合わさって、これもアメリカなりのやり方での「富国強兵」を目指す政策であったのです。西部の開拓地はアメリカ東部の新興資本家層から見れば、アメリカ的な植民地であったのです。
そしてそれだけでは足りず、太平洋の対岸に位置する清国をアメリカ製品の市場としたいと望むようになったのです。アメリカはモンロー宣言によって大西洋方面へは進出していけませんから、太平洋方面へ進むしかないのです。そうなると清国という巨大市場が最初に目につくのであり、そこはまだイギリスの植民地にはなっておらず、アメリカにも市場参入のチャンスはまだあるのです。
だからアメリカは急いで清国との交易態勢を整えようとしました。そして、他の列強諸国が全部アジア大陸の沿岸伝いで清国に辿り着けるのと違い、アメリカだけは清国へ行くためには太平洋を横断する必要があり、その途中寄港地としてアメリカだけが日本を利用する必要があるという地理的条件を備えていたのです。

そういう歴史的背景があって、1837年のモリソン号の浦賀来航事件が起きたのです。アメリカとしては、異国船と見れば砲撃してくるという日本という国に接触することにはリスクを感じたでしょうが、しかし清国市場参入のためには出来れば日本と国交を結びたかったようです。
それで日本側を刺激することを避けるために軍艦ではなく商船のモリソン号を選び、しかも日本人漂流民を送り届けるという名目で浦賀沖に派遣したのです。
この時の、いや後のペリーの時もそうなのですが、アメリカの目的はあくまでまず第一には日本に寄港して補給を受けられるような状態を作ることであり、積極的に貿易したいという思惑すらそれほどありませんでした。アメリカもヨーロッパ諸国も、清国市場に比べて日本市場というものをかなり過小評価していたのです。この評価は開国後は一変することになるのですが。
とにかく貿易すらどうでもいいわけですから、ましてや侵略目的など全く無いわけです。それをアピールして警戒心を解くためにあえて危険を承知で商船で来ているわけです。非常に友好的な使節であったといえるでしょう。

この1837年時点でのアメリカという国は、現在の超大国アメリカでもなければ、1853年に砲艦外交を仕掛けてきたアメリカでもなく、未だ建国から50年弱の新興国で、英米戦争の敗戦から23年、ヨーロッパから離れて自立の道を探っている段階であり、領土も未だ北米大陸の東南部のみで、産業革命は始まったばかりで国民の大半はまだ農民ばかりという国でした。
確かにアメリカという国家は潜在的に軍事的脅威ではありましたが、徳川斉昭が言うように「外患」と言うほどの存在ではなかったのであり、ましてやこの時のモリソン号は問答無用で大砲を撃ちかけて追い払うような対象ではなかったのです。しかし異国船無二念打払令に忠実に浦賀の幕府当局はモリソン号に大砲を撃ちかけて追い払ってしまったのです。
これでアメリカも呆れてしまい、日本へ働きかけるのをやめてしまいました。このことからもアメリカがこの時はそれほど日本という国に執着を持っていなかったことが分かります。
アメリカという国は伝統的に、本当に確固とした目的があった場合は、このような民間船砲撃事件のようなことが勃発すれば、それを最大限に利用して迅速に行動を起こす傾向があるからです。このモリソン号の時にそうした迅速なリアクションが無かったということは、アメリカがこの時は無理に日本を開国させようとか、ましてや侵略しようなどという意思は持っていなかったということを表していると思います。
こういうあまり「外患」とはいえないような事件を「外患」だと言って騒いでいる間に、本当の意味での「外患」の影が日本に迫ってきていたのです。それが1840年に始まったアヘン戦争で明らかになりました。
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