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日本史についての雑文その92  植民地主義
こういった19世紀前半の欧米諸国における道徳的退廃は、それでも本国においてはまだ抑制されていました。伝統的社会が未だ健在であったのであまりの不徳に対しては抑制が働いたのです。アメリカにおいても、ヨーロッパ伝統社会の影響が残る東部地域においてはまだ道徳的な抑制が効いていました。
しかし、伝統的社会の存在しない、あるいはそれが破壊された植民地においてはそうした道徳的な抑制が効かないために、こうした欧米諸国の道徳的退廃が際限なく発揮されることとなったのです。

アメリカにおいては事実上の植民地である西部開拓地において特にそういう道徳的退廃が蔓延したのです。だからこそ東部では合衆国憲法は守られているのに、西部では違憲立法が罷り通り、法律も通用しないアナーキーな世界が現出することになったのです。

道徳的退廃は無法状態を生み、アナーキーを生むのです。そしてそこでは平然と殺人や虐殺が行われます。そしてそれは民主主義によってもたらされるのです。何故なら、ロックからルソーへと続く民主主義思想の本質は、人間の持つ自然権の賛美であり、それは言い換えると、国家以前の原初のアナーキーな状態である自然状態の賛美であり、国家を解体して自然状態への回帰を望む思想となるからなのです。
だから、その民主主義思想の忠実な実践であったフランス革命は国家を破壊してアナーキーを出現させたのであるし、民主主義制度の漸進的導入期であった19世紀の欧米諸国の植民地や開拓地においても、もともとその土地に存在していた国家や社会を破壊して、それにより伝統的な道徳が衰退してアナーキーが出現し、不法行為や残虐行為が罷り通るようになったのです。
そして、これは後のことになりますが、ナチスによるユダヤ人大量虐殺やソ連やシナ共産党による人民大虐殺も、これは「一部の者の狂気」によって行われたのではなく、極端な民主主義体制下における「道徳的退廃」によってアナーキーが出現して実行されたのだということは強調しておかなければいけないでしょう。
彼らは、国民全員が、それが「悪」であると知りながら、それを嬉々として、あるいは仕方なく、実行したのです。フランス革命時にはフランス人だけがそうした道徳的退廃に陥っていたのですが、それがナポレオン戦争後に全ヨーロッパに拡散し、世界中の欧米植民地で道徳的退廃が出現することになったのです。

欧米諸国の人達は、自らのこうした道徳的退廃が非常に居心地が悪かったのでしょう。それを誤魔化すために、一生懸命、屁理屈をひねり出すようになっていきました。それが植民地主義、コロニアリズムというものです。
つまり、「植民地化は、その地域を文明化するために有益である」という理屈です。つまり我々は善意で植民地政策を行っているのだと主張したいわけです。そのためには、植民地化される地域がそもそも文明化していないのが前提です。だから彼らは、世界の各地を「欧米諸国地域=文明」と「それ以外の地域=未開」というふうに勝手に分類したのです。
まぁ、もともとは、信仰や習慣の違いなどから自国民を守るためにそういう区別が必要であったようですが、この奇怪な植民地主義にこの分類法が利用されるようになってからは、その意味合いは全く変わってしまいました。
すなわち、文明地域は未開地域を好き勝手に植民地化してもいいということになってしまったのです。何故なら、それは未開地域の文明化のために有益なことだから、善行であるということなのです。
まぁ一応、トルコや清国、日本などのように、世界には欧米以外にもちゃんとした政府や法律を持った地域もありましたから、それらはさすがに「未開」とは出来ず、「半未開」という有難い称号をいただくことにはなりましたが、しかしこれも普通に「文明」と規定してもよさそうなものを、わざわざ「半未開」などという侮蔑的な名称を冠するというのも、植民地化の余地を残すための意図が透けて見えます。
まぁ確かに、これらアジア国家の法律、特に刑罰などは欧米人には受け入れがたいものがあったのは確かだとは思いますが、それにしても「文明」と「未開」という色分けはあまりにも露骨であり、植民地主義イデオロギーを補完する意味でこのような差別的区分法は受容されていたという解釈がやはり妥当でしょう。

こうした植民地主義を錦の御旗にして欧米諸国は世界各地で植民地を広げていきました。その一環として1839年にイギリスはアヘン戦争を起こしたのであり、また、アメリカは1840年代には北米大陸西部で領土を大拡張し、1846年にはオレゴンを領有し太平洋岸にまで領土を広げ、1848年にはカリフォルニアを領有し、太平洋に本格的に進出する態勢を整えたのです。
また、アヘン戦争終結時の1842年の南京条約で華夷秩序が崩れて門戸開放させられた清国市場にはイギリス、フランス、アメリカなどの商船が大挙して押しかけるようになり、これで世界中の海に欧米諸国の商業航路が開通することとなり、日本近海にも欧米の商船や軍艦が定期的に航海するようになり、こうなると日本としてもこれら諸国に門戸開放するしか選択肢は無くなってきました。

しかし、ここで重要なことは、この欧米諸国の掲げる植民地主義というものは虚構であるということです。何故なら、実際に彼らが植民地化した地域で、その間に文明化が進んだ地域などほとんど無いからです。むしろ文明が破壊された事例のほうが多いのが事実です。
つまり、この植民地主義というものは、欧米諸国が自らの道徳的退廃を覆い隠すために唱えた欺瞞であり、植民地での収奪を正当化するための方便に過ぎなかったのです。
もちろん欧米諸国の国民の中には「文明」と「未開」という図式を信じ込んで白人至上主義に凝り固まった人達もいたでしょう。しかしそうした人達にしても、自分達のやっていることが本当に現地人の文明化に寄与していると本気で信じることが出来たでしょうか?アヘンを密売することが清国の文明化に寄与するなどということを本気で信じることが出来る人がいたでしょうか?

そういう意味で、この植民地主義自体が、まさに道徳的退廃そのものであり、狂気や妄信の域にすら達していなかったということが言えると思います。
例えば似たような差別主義としてはシナの中華主義がありますが、中華主義はシナ人の古来からの皮膚感覚に基づいて成り立ったイデオロギーであり、差別することそのものが目的化しており、他の商業的目的のための方便などではありません。そういう意味で一種の妄信であり狂信であるといえます。だから中華主義はなかなか解消されないのであり、厄介なものなのです。
それに比べて、この欧米の植民地主義というものは所詮は商売のための方便に過ぎないのであって、文明だの未開だの半未開だの、そういった下らない差別などは、実力を示すだけでいとも簡単に引っくり返るのです。
幕末から明治、大正、昭和初期にかけての日本の歴史というものは、国家サバイバルのために、まさにそれを実行した歴史なのであって、それが始まったのがこのアヘン戦争の情報を得た時からなのであり、それが最終的にアジア地域に拡散していき、アジア地域において完全に植民地主義が引っくり返ったのが昭和の大東亜戦争の時ということになるのです。

しかし、この植民地主義を引っくり返すということは、一度、欧米諸国の植民地主義のゲームに乗った上で、日本自身がそのプレイヤーとしてそれを実行するということであり、それは幕末日本としては逃れられない運命であったのです。
植民地主義のゲームを欧米流のルールに則って行うということは、彼らの流儀を受け入れるということです。彼らの文明システムの本質を理解して自らのものとして吸収したからこそ、日本はそのゲームを達成することが出来たのです。
しかしそれは同時に、彼らの文明の持つ道徳的退廃もまた受け入れるということであり、この道徳的退廃との戦いも、近代日本の重大な課題となったのであり、その課題は現在の日本において、まさに極限にまで達していると言えるでしょう。
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