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日本史についての雑文その94  社会主義
このように、ルソー思想には「全体主義体制」という暗黒社会の設計図が存在していたのですが、それはあくまで設計図が存在していたというだけのことであり、それを現実社会に計画的に建設していく具体的手法は18世紀においては、まだ存在していなかったのです。
しかしフランス革命と、その後のナポレオン戦争の混乱を経てヨーロッパで民主主義思想が受容されていくにつれて、19世紀前半から後半にかけて、その暗黒の千年王国や透明宮殿を建設していく様々なバリエーションの道具がヨーロッパ社会で作り出されていくことになるのです。

何故その道具が様々なバリエーションを有するようになったのかというと、それは、全体主義の前段階である民主主義というものの受容の仕方が各国ごとにそれぞれ違ったからなのです。
何故その受容の仕方に違いが生じたのかというと、各国のもともとの国家や国民の性格や状態の差によるものもありますが、フランス革命やそれに続くナポレオン戦争との関わり方の違いによるところも大きいといえるでしょう。

まずフランス革命やナポレオン戦争の元凶となったフランスは、ナポレオン戦争後は敗戦国として周辺国の監視下に置かれ、革命の歴史を否定されてブルボン王朝を押し付けられることとなりました。
しかし身分制社会は復活しませんでしたし、制限選挙下での立憲君主制という民主主義体制は残っていました。現実的にはフランス革命によって状況は一変していたわけです。またナポレオン戦争によって周辺各国にもフランス革命流のナショナリズムや民主主義が浸透しつつありました。
また、ナポレオン戦争終了後すぐ、1820年ぐらいにはフランスも産業革命期に入り、そうなるとその担い手である市民層の発言力が増し、結局はフランス革命の結果は否定しようもないようになってきたのです。そうしてフランスの市民層は、他のヨーロッパ諸国とは違い、フランス革命やナポレオンについて否定的に考えるよりも、早い時期に肯定的に考えるようになっていったのです。
むしろ、産業革命に伴う資本主義の進展によって市民層の中で富裕なブルジョワ層といわれる資本家層と、貧困な労働者層との間の貧富の格差が拡大していくにつれて市民共同体は分裂の危機を迎えるようになり、そうした事態を解決して共同体を維持していける新しい社会思想が求められるようになっていきました。

そうした中で注目されるようになっていったのがアンリ・ド・サン・シモンが19世紀初頭に唱えた思想でした。彼の生前はその考えは世に受け入れられなかったが、1825年の彼の死後、その考えは「サン・シモン主義」という一種のカルト的な教説として、弟子たちによって広められました。
サン・シモン主義によれば、社会の重要な任務は政治を行ったり道徳を伝えたりすることではなく、ひたすら富の生産を促進することであるので、産業階級は貴族や僧侶よりも重要であり、国家の行政は市民の手で行うべきであるという主張がなされます。
これはつまり、フランス革命や産業革命を肯定する思想であって、そして、1825年以降に急速にこの思想がフランスにおいて受け入れられたことによって、このサン・シモン主義が1830年のブルジョア革命である七月革命を正当化する機能を果たしたともいえます。
そしてサン・シモン主義においては、そうして産業階級によって運営される国家の理想像として、相続財産の廃止と平等原理に基づく共同社会を形成することが示されており、このようにすれば貧富の格差が無くなって平和な共同体が維持されて人々が幸福に暮らせるという考え方でした。ここにおいて、社会主義思想における理想的な社会の在り方の原型が示されたのです。
また、同じ頃にシャルル・フーリエはそうした共同社会を更にユートピア的に構想しました。400名から2000名の人間が農業主体の共産の共同生活をする生産と消費の共同体「ファランステール」でした。
これらはつまり社会主義思想であって、生産と配分の手段や方法を社会の成員全員で共有することによって社会を運営していくという考え方で、生産手段の社会化と経済的平等を実現することに重きを置きます。
これはまさにデカルト的な理性万能主義から生まれた社会改造や人格改造の思想でした。社会主義は新しい合理的な社会が人為的に創造可能なものだと考える思想で、それは人間が万能の神に等しい能力を持つという過信を前提としなければ成立しません。
ユートピアとは「何処にも無い場所」という意味ですが、まさにこうした社会主義的理想郷こそが真性のユートピアというものであり、そしてこのユートピアこそがルソーが理想とした原始の自然状態であり、人間性善説に基づく限り自然状態において自然権を行使する人間は善なるものであるので、このユートピアが建設されれば人間は完全なる「善のみの人間」に改造されるものであると考える狂気こそが社会主義の正体なのです。

また、この社会主義というものは厳密には政治学の範疇のものではなく、むしろ社会学や経済学の範疇のものだといえるでしょう。そもそも社会学という学問ジャンル自体が、フランス革命時の共和主義派の論客で国民公会の議長も務めたコンドルセが、人間精神の進歩の過程で生まれてきた社会科学として創設したもので、人間精神が段階的に進化するという進歩思想に基づいていました。
それを受けて19世紀前半期にはサン・シモンの高弟であったオーギュスト・コントが、人間精神進歩の歴史が社会学で完結するとして、フランス革命後の社会の姿を予知し予見し、市民社会の危機を克服するための学問としました。また、コントの段階的に社会が発展するという説は後にマルクスに影響を与えることにもなります。
こうしたコンドルセやコントの進歩思想や社会進化論にも、社会が何らかの科学的法則によって支配されていると考えるようなデカルト的理性万能主義の影が見え隠れします。特にコントなどは社会学を師であるサン・シモンの思想を実践していくための手段と位置付けていることは明白といえるでしょう。
このようにこの時期のフランスにおいて社会学が重きを置かれるようになった原因もフランス革命にあります。つまり革命後のフランスにおいては「人権宣言」によって、各人は生まれたことによって既に絶対的な主権を有しており、その権利は政治的地位ではなく、政治体の外部に存在するものでした。
つまり、この「人権」にとっては政治は不要なものであり、むしろ自然状態のほうが望ましいわけで、フランス革命とはつまり、「政治」を「自然」に還元しようとする革命という性格を帯びるようになったのです。
そして、まさにフランス革命はそのような経過を辿ることとなり、政治体としての国家は解体され、アナーキーとしての自然状態が出現したのです。そしてフランス革命においては新しい統治形態に対する関心はほとんど払われることはなく、下層民の貧困や欠乏などの具体的な「社会問題」にのみ振り回されることになったのです。そしてその解決策は特権階級からの略奪という狂気に至ったのです。

「社会学がフランス革命後の市民社会の危機を克服する」といっても、その本質はこのような狂気の革命イデオロギーなのであって、それ故に、その社会学の1つのバリエーションであった社会主義も、統治形態としてよりも、産業革命が進展したことによって、資本主義が勃興し、その作用によって生じた資本家層と貧困労働者層の間の不平等を是正して富を再分配し、新たなユートピア的な共同体を作り上げるシステムとして期待されたのですが、それは実は、資本主義によって損なわれた既存の共同体を更に徹底的に損なうだけのものでしかなかったのです。
だいたい資本主義が共同体を損なっていったのは、その過度の伝統無視の即物的な理性万能主義、物質至上主義の行き過ぎによるものだったのであり、それを実行していった主犯格はまさに新興の産業階級である市民そのものだったのです。
ですから、資本主義の暴走を抑制するためには、伝統や慣習に則った道徳や保守主義こそが必要だったのです。それなのに、資本主義を更に上回る理性万能主義や産業重視思想、市民絶対主権主義に突き進んだ社会主義思想に救いを求めるとは、全く愚行と言うしかないでしょう。
フランス革命時にイギリスでバークが喝破したように、私有財産こそは自由の源泉なのであって、その財産を放棄して社会に預けてしまうこのユートピアにおいては人間は社会主義の体制が決定した労働を強制される自由喪失状態の日常生活を送るのですから、それは牢獄であり、そこで暮らす人間は囚人であり奴隷であり、もはや人間ではないのです。
社会主義的人間とは、権力に命じられたまま食べ、着て、労働し、生殖する夢遊病者のごとき存在であって、そのような存在が「完全なる善のみの人間」などのような神様のごとき存在になるはずがないのです。そんなことは大嘘の戯言に過ぎないのです。
何故なら、財産と自由と道徳の3者は不可分の関係にあるからです。財産を失い自由を喪失した人間が道徳的であることなどあり得ないのです。実際、後のソ連や北朝鮮のほうが、いかなる自由社会よりも犯罪や悪事が横行することとなったのです。
実際、ほとんどの人間は自由の価値など理解することは出来ず、自由を得た人間はすぐに自分の自由を捧げて奴隷的に服従する対象としての独裁者を求めるものであり、特に物質的豊かさと引き換えと言われれば、驚くほど簡単に自由を捨て去るのが常です。そして労働の強制を絶対視する社会主義体制は、必然的に民衆の生殺与奪の権を独裁者によって握られた全体主義体制へと至るのです。
そして、結局は自由放棄の代償として手に入れるはずであった物質的豊かさすら手に入らないのです。つまり社会主義とは、全てを失い、地上の地獄でのたうち回ることであるということは、その後のソ連や北朝鮮の歴史が証明しています。
このように、社会主義思想とは、ルソー民主主義の性善説に則ってユートピアの建設を謳い上げて、その実は全体主義体制への最短距離に人々を誘い込もうという巧妙な罠であったのです。
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