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日本史についての雑文その97  社会民主主義
このベンサムの功利主義哲学を受け継いだ人物がジョン・スチュアート・ミルでした。
ミルもまた、「政治における功利主義」と「経済における自由放任」を基本方針とした人でした。
経済学者としてのミルは古典派経済学の19世紀半ばにおける代表的人物で、1848年に「経済学原理」を著しています。この中でミルは自由放任政策を基本的に支持しながら、ユートピア社会主義の潮流を受けて、社会主義的な色合いを帯びた経済論も展開しています。

19世紀半ばのイギリスは産業革命や植民地獲得競争の勝利などで最盛期を迎えつつある頃で、急激に物質的な豊かさを獲得しつつある反面、貧富の格差の拡大など、今までに無い社会変動が起こり、従来の古典派経済学の自由放任政策だけでは新しい事態に対処が困難になってきていました。
そこでミルは「大きな政府」によるセーフティネットを構築し、その再分配機能によって貧富の格差を解消し漸進的な社会改革を行うことを構想しました。これは、同じ古典派経済学の克服法として、後のマルクスのような急進的方法ではなく、より穏健な方向のもので、社会民主主義の先駆けであったといえるでしょう。

社会民主主義とは、社会の革命的変化によって経済的平等を達成することのみに執拗にこだわる社会主義とは異なり、政府の機能によって政治的平等と経済的平等を穏健に実現していこうというもので、政治的には「最大多数の最大幸福」を目指し、経済的には再分配による格差解消を目指すというミルのこの考え方は、まさに社会民主主義そのものといえるでしょう。
こうしたミルの思想の影響を受けて1884年にはロンドンで社会民主主義者の団体であるフェビアン協会が設立され、これが20世紀初頭に労働党を設立する基盤となるのです。

しかし、そもそも何故、ここまで貧富の格差が社会問題化するほど資本主義が暴走したのでしょうか。それはやはり、民主主義の普及につれて道徳が次第に失われていったところに、産業革命の進展によって資本主義が欲望を一気に肯定し、本来はその欲望に歯止めをかけるべき道徳が衰退していたために欲望が際限なく暴走し、国内的には貧富の格差の増大、国外的には植民地における収奪が起きたのでしょう。
ミルの支持していた「古典派経済学」というのは経済面における自由放任政策を基本としたもので、政治が経済に介入せずに自然のままに放置しておけば「神の手」が働いて自然に調和がとれて社会全体が丸く収まるという考え方で、なんだか神がかりのようではありますが、実は結構、理に適っているのです。

商売というものは元来、豊かさと幸福を目指して行われるものであり、社会全体が豊かにならないと商売も成立しないものだったのです。地域社会の構成員がそれぞれ売り手であり同時にまた買い手でもあったのです。もしAさんとBさんしか住んでいない村であった場合、Aさんがやたら貧乏でBさんがやたら金持ちだったら、AさんはBさんの品物を買えませんからBさんも儲からず困ってしまいますし、Aさんが貧乏で商売さえ出来なくなったらBさんはAさんから必要品を買うことも出来ません。
つまり、社会が比較的閉鎖的で、その社会の構成員がみんな商店主や農民のような個人事業者であり、また同時にみんな消費者であったような「古典的」な社会においては、構成員がお互い助け合って横並びで豊かになっていかないと、その社会の経済自体が成り立たないのです。
つまり地域社会は運命共同体であったのであり、お互い権利を主張し合うよりも、譲り合い助け合ってこそ、地域社会も、そして各自の運命も上昇するのでした。だからこそ、そうした古典的な時代においては隣人愛というものが自明のものとして存在したのです。そしてそれらが総合して、地域社会における信仰共同体のようなものを作っていったのです。
ですから「神の手」といっても、これは大袈裟な比喩でもなんでもなく、こういった地域社会の共助精神という道徳観が伝統的宗教に裏打ちされた社会全体の共有の価値観の働きによって、自然に経済的調和が成立するということを表現したものだったのです。

但し、この「神の手」は、あくまでこうした伝統的道徳が存在する、閉鎖的な地域共同体を基本とした古典的世界でのみ成り立つ概念なのであり、だからこそ、この「神の手」の働きが前提となって成立する経済学は「古典派経済学」と呼ばれるのです。
すなわち、19世紀前半期に、産業革命の発達によって社会構成員が資本家と労働者に階級分化していき、そして市場は閉鎖的村落から飛び出していき、植民地なども含めた海外市場まで視野に入れることが可能になったことによって、「共助」などせずとも、「搾取」によって豊かさが実現可能になったのです。
もちろん、そうした「搾取」によって豊かになるのは一部の資本家だけなのですが、そうした階級格差、地域間格差などが大きくなればなるほど、社会総体としての「富」が多く生み出されるのもまた事実であったのです。ただ、その「富」を握るのはごく一部の富裕階級や、一部の強国だけであったのですが。
そして、そうした「搾取によって豊かになる」という不道徳を平然と行えるようになった背景には、民主主義思想によって人民が平等な権利を持ち政府に相対するようになることによってアトム化し、それによって地域共同体が解体されていき、隣人愛のような道徳観が失われて個々の欲望が暴走しつつあるという時代背景もあったのでした。
こうした、産業革命と民主主義革命を経た、新たな「道徳なき」時代においては、従来の古典派経済学の自由放任政策を放置しておくと、そこにはもう「神の手」など働かないわけですから、完全な資本主義による弱肉強食の世界が現出することとなり、強いものはとことん勝ち続け、弱いものは徹底的に負け続けることになるのです。
つまり資本家はどんどん肥え太り、労働者は搾取され続け痩せ衰えるのです。また、大都市はどんどん発達し、田舎はどんどん寂れていきます。そして、宗主国や強国には富が集中し、植民地や弱国は全てを収奪されて滅亡に瀕することになるのです。そして、この「資本主義の暴力」が幕末から近代日本にも襲来することになるのです。
こうして、産業革命と植民地主義と民主主義の進展した新しい資本主義の時代においては、古典派経済学では新しい事態に対応できないことが明らかになってきたので、その対策のために、例えばフランスでは社会主義思想が唱えられたのであり、そしてイギリスにおいては古典派経済学の権威であるミルによって、社会民主主義政策によって資本主義によって生じた歪みを補修していこうという試みが提唱されたのです。
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