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日本史についての雑文その102 ドイツ観念論哲学
19世紀ドイツにおいて生じた、これらの傾向、すなわち法治主義や人定法主義は、結局はルソー民主主義を起源とするものなのです。だからこそ、その帰結がヒットラー・ナチズムという全体主義に至ることになるのですが、しかし、その全体主義が何故このように特殊な形態をとるようになったのかについては、ドイツ観念論哲学が関係してきます。
ドイツ観念論というのは、イマヌエル・カントの批判哲学に対する批判論として起こったものです。

そもそも哲学というものは古代から、私たち人間が認識する現実社会と、私たちが理想として思い描く世界とがあまりにもかけ離れているという、現実と理想の乖離を解決するために考察が始められたものであり、そのために人間によって理想世界をどこまで認識出来るのかが重大なテーマでした。
そして人間理性によって神も含むあらゆるものが認識可能であるとしたのがデカルトの哲学だったのです。ここに近代的な啓蒙主義哲学が起こったのですが、この流れを受けながら、それを論理的に突き詰めていくと、やはり人間理性によっては神のような根源的存在を認識することは出来ず、人間が認識できるのは現実社会の事柄のみであると説いたのが18世紀後半のドイツで活躍した哲学者のカントでした。
といってもカントは神の前に屈服したわけではなく、むしろ現実世界を人間の支配する領域として、神の支配から切り離したといってもいいでしょう。神のような形而上の存在は人間の認識不可能なものであるからこそ、現実世界における人間の実践の際の指標となるとしたのです。認識不可能で彼方に存在するものであるからこそ、現実に左右されることなく不変であり、それゆえ確固たる指標になり得るということです。
そして人間の本質を現実世界における実践にあるとし、その指標たる形而上的なものが認識不可能であるのなら、人間の実践行為はそれに左右されることはなく、外界に左右されず自分自身の良心に従えばいいということになります。神は人間の理性では認識は出来ないが、人間個々の内面は神と同一の存在であるということなのです。
こうしたカントの批判哲学によって、人間個々は現実世界において神の代理人のごとき主権者として自由に実践活動を行うことが出来るようになったのです。近代的個人の道徳理論はカントによって打ち立てられたのです。これは人間性善説に基づいていることからも、明らかにルソー的な啓蒙主義思想の影響を受けた考え方です。
しかし、このカントの考え方だと、人間は自分たちの認識できないものを自分の存在根拠としているということになり、人間は実は自分自身さえ本質的には認識できていないということになったのです。
これは近代そのものの持つ矛盾であり、カントは、現実世界と叡智世界の分裂、実践的意識と理論的意識の分裂、存在と意識の分裂、人間と神の分裂という、近代的人間の分裂した姿を遺すことになりました。
カントが亡くなったのは1804年で、まさにフランス革命の後、ナポレオン戦争が始まり、ドイツにも近代民主主義思想の荒波が押し寄せようとしていた時代でした。そうした新しい時代に対応して、カントの遺したこの近代的人間の分裂状態を再び統一に導こうとしたのがドイツ観念論でした。特にこの時代のドイツは未だ国家統一も出来ていない後進国であったので、そのためにかえってドイツ観念論は鋭く理念を追求し難解なものとなっていきました。

ゲオルグ・ヴィルヘルム・ヘーゲルが執筆活動を開始したのもちょうどこのカントの死の頃であり、その後ヘーゲルは1831年の彼自身の死までカントの批判哲学を超克するための哲学的思索を継続しますが、このヘーゲルによってドイツ観念論哲学は完成されたといわれます。
ヘーゲルは南ドイツのテユービンゲン神学校で学んだのですが神学校の環境にはなじまず、ルソー流の啓蒙主義やカントの批判哲学に心酔し、それらの普及活動に取り組んでいました。そういうわけでしたからヘーゲルは1789年に起こったフランス革命にも大いに期待していたのですが、フランス革命はジャコバン党の独裁暴政に堕していき、ヘーゲルの期待したような理想社会の実現には至りませんでした。
つまり、ここで「近代精神」であるところのルソー啓蒙主義やカント批判哲学は挫折したのです。そこで、哲学の徒であったヘーゲルの関心はカント批判哲学に向かうことになりました。この挫折の原因は、先述したカントの遺した近代的人間の分裂状態にあるのではないかと、ヘーゲルは考えたのです。ならばその分裂状態を再び統一することによって理想的な近代社会へ至る道が開けるのではないかというのが、ヘーゲルのカント批判の動機となったのでした。
そのためにヘーゲルがとった方法論が弁証法というものでした。弁証法とは非常に難解な論理体系なのですが、ごく簡単に言うと、Aというテーゼを否定するBというアンチテーゼがある場合に、Aが完全に否定されることなく保存され、結局、AとBを総合したジンテーゼという結論に至る進行そのものが弁証法という思考方法なのです。
つまりAとBという相反する分裂状況をCに統一するための思考方法というわけで、ヘーゲルはこの弁証法を使ってカントの遺した分裂状態を統一にもっていこうとしたのです。
すなわち、もともと現実世界と叡智世界、実践的意識と理論的意識、存在と意識、人間と神とが統一されたAという状態が存在していたのですが、途中でそれらが分裂させられたBという状態が生じるようになったというふうに人間社会の歴史を捉えたのです。カントが見ていたのはこのBの状態のみであったということです。
しかしヘーゲルは、このAもBも歴史の発展段階の途中経過に過ぎず、これらを総合して、またAとは違った形で現実世界と叡智世界、実践的意識と理論的意識、存在と意識、人間と神とがより完璧な形で統一されたCという理想状態へ至るのが歴史的運命なのだと唱えたのです。
簡単に言えば、「失われた楽園」→「迷妄の現在」→「救済された理想社会」というモチーフに表現される歴史発展モデルということになります。このモチーフはキリスト教の世界観に非常によく似ており、やはり神学校出身のヘーゲルらしさなのかとも思われますが、ヘーゲル曰く、これは「否定と、その克服」というグノーシス主義の基本モチーフから生成したものであるそうです。
ヘーゲルの生まれ故郷であるシュヴァーベン地方に伝わる神智学に、グノーシスの呪術的な霊魂解放の信仰やユダヤ教の黙示録的神話などが含まれていたので、ヘーゲルはその影響を受けて弁証法を考案したのだといわれています。
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