KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本史についての雑文その104 歴史法則主義
ヘーゲルはこのように、弁証法という詭弁を使って、カルトの言説であるルソー思想を、そのフランス革命における明らかな失敗を目の前にしながら受容してしまっています。このあたりはイギリスのバークら保守主義思想家らの示したキッパリとした拒絶と排撃の姿勢とは明らかに違っています。
何故、ドイツとイギリスとでこのような差が生じたのかというと、イギリスは長らく統一国家であり、確固とした伝統と歴史があり、特に「法による支配」の伝統があったからであり、一方ドイツには統一国家すら無かったからなのでしょう。

それゆえ、イギリスにおいてはルソー思想の失敗を検証していく中で自国の伝統を再発見し、真正の自由の思想を発見していったのに対し、国家の伝統なきドイツにおいては、ルソー思想の失敗の検証に際して、遥か古代のグノーシス主義やギリシャ神秘主義へ逃避して、そこに弁証法という誤魔化しの技術を発見し、結局はルソー思想を受容し、古代神秘主義的救済教説とルソー思想の合成生物のごとき畸形思想であるヘーゲル哲学を生み出したのでした。

こうしたドイツにおけるヘーゲル哲学の傾向は、ヘーゲルが世界精神の担い手として期待したナポレオンの失敗後はますます顕著になっていきました。ヘーゲルにとっての理想社会実現のための世界精神の担い手は、ナポレオンから今度は実在のプロイセン国家に移っていったのです。
ここでヘーゲル哲学はドイツ国家統一運動の進行の過程の中で、国家主義的、そしてドイツ諸邦の民族主義的傾向を反映して民族主義的な色合いを濃くしていきます。また、ウィーン体制下で増大する貧富の格差という社会問題を受けて、国家による管理的福祉行政や大衆組織的な職業団体の必要性を強調するようになり、ますます国家主義的傾向、全体主義的傾向を強めていくことになりました。
そもそもヘーゲルがその弁証法的歴史観において「失われた理想郷」とした、プラトンの理想とした古代ギリシャのポリスの姿そのものが非常に全体主義的なものでした。プラトンは個人の自由を嫌悪し、全ての国民が全てを共有し、完全に同一の思考や感情を持ち同一の生活をする国家を法律によって強制する刑務所のような国家を構想したのであって、そうした社会を理想郷としたヘーゲル哲学はそもそも最初から全体主義的傾向が強かったといえます。
そういうわけでヘーゲルの描く国家の姿は、上部構造が近代的全体主義国家でありながら下部構造が近代に逆行する古代回帰的になるという、二重構造を持つようになり、その国家哲学の根底には「民族精神の救済」が据えられることになります。
その上部構造としてはルソーの描く社会契約による理神教あるいは無神教のカルト宗教団体のごとき全体主義体制であるが、下部構造としては、民族精神が帰還し救済されるべき「故郷」としての「千年王国」となるのです。
つまり、このヘーゲル型全体主義国家においては、民族精神は神によってではなく国家によって救済されることとなっており、国家が神の代わりを果たすことになっているのです。国家が1つの人格や単一の精神に擬制され、国家が神格化され、ご神体として崇拝の対象となるのです。よってこのような国家では国民は個々として存在できず、国家の中に埋没していきます。こういう国家は必然的に全体主義化していくのです。
このように国家が神となってしまっているために、このヘーゲル型全体主義国家は、民族精神の救済を求める「聖戦」や、民族の故郷へ帰還するための「運命の戦争」が国家によって発令され、国民はそうした戦争にひた走ることになるのです。

こういったヘーゲル型全体主義国家の特徴は、歴史の必然的運命を予言する「歴史法則主義」と、その運命を間違いなく実現するために変革を完全に統制すべきという「完全統制主義」となりますが、その典型例が、ヒットラー・ナチズムであることは明らかでしょう。
ナチズムのバイブルであったアルフレート・ローゼンベルクの1930年の著作「二十世紀の神話」によると、アーリア人種は元来優れており、他の人種を指導すべき「運命」にあるとされるが、現代においてはセム系種族、すなわちユダヤ人によって「堕落」させられており、そこでアーリア人種の「救済」のために人種保護や人種改良、人種衛生、つまり民族浄化が「聖戦」「運命の戦争」として位置づけられるのです。
これは明らかにヘーゲル的な神託的哲学であり、グノーシス主義の系譜に位置する歴史法則主義の亜種です。あとは、この「計画」を間違いなく実行するための完全統制社会が揃えばいいわけで、そのためにルソー的な全体主義イデオロギーと、それを詳細に統制国家の設計図に落とし込むための社会主義思想とが合わさった姿が「国家社会主義ドイツ労働者党」つまり、ナチスというわけなのです。

しかし、この「現在以降の未来へ向かう歴史にはある特定方向への発展や進歩の定めがある」などという歴史法則主義というものは、これはヘーゲル型に限らずマルクス型全体主義国家においても基本理念を構成しているのですが、しかしこれは明らかに迷信であり妄想です。
何故なら、歴史の発展や進歩に関する科学的理論は一切存在しないし、そもそも歴史の始まりさえ定かでないのに未来が分かるはずもないのです。後にマルクスは「社会科学が隠された未来を解き明かす」と大嘘をつきましたが、マルクスの歴史法則主義の母胎となったのがヘーゲルの歴史法則主義であり、それが明らかにグノーシス神話などを基にした「神のお告げ」的な妄想であったことからも、マルクスの大嘘も明らかになるといえるでしょう。
ヘーゲルやマルクスのような歴史法則主義者たち、つまり「神のお告げ」教徒たちは、歴史の法則の解明が可能だと嘯くのですが、歴史から汲み取れるのは絶対的な「法則」ではなく、せいぜい「趨勢」や「傾向」なのです。
こういったものから、なんとなく未来を予測し、それが良くない予測であれば、我々自身の智恵や汗や努力によって少しでも現在の社会を改善していくべきなのであり、「歴史は定められた運命であり動かすことは出来ない」などという「神のお告げ」のごときニヒリズム的呪文は、個人や国家の倫理・道徳的な正しい生き方を否定し嘲笑する腐敗と、未来のみを崇めて現在を揶揄し呪詛し破壊する狂気をもたらす魔術的呪文なのです。
歴史に絶対的な法則などありません。歴史は決して必然の運命ではなく、個人の意思によって左右され得るものなのです。私が拙文にて追求しているのも歴史の法則ではなく、歴史の傾向であり趨勢なのであり、過去において人間がどのように歴史を動かしてきたのかなのです。それは「未来は決定している」という諦念や慢心を求めてのことではなく、出来うる限りの未来予測と、その実現あるいは回避のための努力の方策のヒントを追求してのことなのです。
私がここで分類している文明サイクルのそれぞれの時期の末期にはそれぞれ危機があります。それを先人たちの努力で切り抜けてきたのです。決して運命的な法則のみに則って自然に進化してきたわけではありません。先人の努力で危機の局面を切り抜けられなければ文明は崩壊していたのです。日本の先人たちが努力して切り抜けてきたのです。そして、それによって社会は何らかのゴール、例えば楽園や救済などに向けて進化してきたのではなく、単に文明の遺産を受け継ぎ積み重ねてきただけのことであり、今後もこのゴール無き道に延々と遺産を積み上げていくだけのことなのです。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。