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日本史についての雑文その107 マルクス主義
さて、19世紀前半にドイツで生まれたヘーゲル哲学を批判しつつ、それでいてヘーゲル哲学から派生してその基盤の上に成立してきた思想としては、実存主義思想やポストモダン思想などがありますが、その中でも最大のものは、やはりマルクス主義思想でしょう。
ドイツ生まれのユダヤ人であったカール・マルクスが19世紀に打ち立てた共産主義思想、別名はマルクス主義思想というものは、ここまで述べてきた、18世紀後半から19世紀前半にかけて現れてきた様々な政治思想や経済思想の影響を受けて、それらを否定的あるいは肯定的に発展させてミックスさせて成立したものでした。

マルクスは1818年にプロイセン王国のトリーアでユダヤ人家庭に生まれましたが、彼はいかにも19世紀の時代のユダヤ人らしく、祖国を追われて無国籍者としての人生を送ることとなりました。
だいたいにして、中世から近代にかけて、ヨーロッパにおいてユダヤ人ほど国家によって虐待され続けた民族はいません。もちろんユダヤ人側に全く問題が無かったとは思いませんが、国家主導で大規模なユダヤ人への迫害が野放しにされ、落ち度の無い女性や子供までも一様に虐待虐殺され続けていたのは、やはり行き過ぎであったことは間違いの無いことでしょう。
これによって、「国家」というものとユダヤ人の間には抜き差しならない対立関係というものが生じることになりました。ユダヤ人にとってみれば「国家というものさえ無くなれば」という呪詛の感情を持つようになったのも無理からぬことであったのでした。
思えば国家破壊思想である人民主権説を考案したルソーもユダヤ人でありました。もちろんルソー思想は近代啓蒙思想の上に組み立てられたもので、啓蒙思想自体は別にユダヤ思想とは無関係なものです。しかし近代啓蒙思想をルソー流にアレンジした際に、危険な国家破壊思想が混入されたのは、ルソーの中にあるユダヤ人としての「国家への呪詛」が無意識的に働いたという可能性はあるでしょう。
マルクスは学生時代からそのルソー思想に触れて育つことになりました。マルクスの通った学校の校長が熱烈なルソー崇拝者であったからです。マルクスは生涯において数多くの論述をすることになりますが、それらは全て、革命の正当化のための論理や、その方法論についての論述であって、マルクス自身の思い描いていた理想社会は、ルソーの目指していた理想社会、つまり人民主権の全体主義国家であったのです。
つまりマルクス思想の原点であり本質であったのは、あくまでルソー思想であり、他の部分はその理想実現のための肉付けに過ぎないということになります。そういう意味で、マルクスは思想家であり著述家でもありましたが、その本質は革命家であったのです。
そしてマルクスの作り上げた方法論を使って、後に地球の半分の地域でルソーの夢想した全体主義の無神教修道院体制が実現することになるのですから、革命実践家としてはともかく、革命理論家としてのマルクスは非常に優秀であったのであり、ルソーの忠実な弟子であったのだと思います。

ただマルクス自身はユダヤ人を嫌っており、ドイツ人としての誇りを持って生きていたようです。だからこそ、ルソーの描いた理想社会を調和をもって実現する世界精神の具現者をプロイセン国家そのものに求めたヘーゲル哲学に共感し、青年ヘーゲル派に加わることにしたのです。マルクスの思想の原点はあくまでルソー思想ですが、活動の原点は青年ヘーゲル派ということになります。
しかし1831年のヘーゲルの死後、ヘーゲル哲学は右派と左派に分裂しました。原因はヘーゲルの構想と現実との食い違いでした。現実のプロイセン国家はルソー思想の実践などするわけがなく、むしろその逆で、そうした過激な急進的民主主義分子は取り締まるようになっていきました。
そうした現実に直面して、それでもあくまでプロイセン国家に期待していこうとした人達がヘーゲル右派を作り、プロイセン国家にはもう期待せずにそれを批判しつつ新たな世界精神を模索していこうとした人達がヘーゲル左派を作ったのです。
これはまぁ、そもそもヘーゲル哲学自体が弁証法などというカルト理論を基にして全体主義体制を目指すというような謬説ですから、右派であろうが左派であろうがどっちもどっちではあるのですが、現実には明らかにプロイセン国家はヘーゲル哲学の思い描いたような世界精神の具現者ではないわけですから、ヘーゲルの見込み違いを素直に認めるべきなのです。ですから、それをせずにあくまでヘーゲルの遺訓にしがみついている右派のほうが非現実的であり、新たな別の可能性を模索する左派のほうがまだ幾分、現実的だったといえるでしょう。
マルクスはこのヘーゲル左派のほうに加わることになりました。ちなみにもう一方のヘーゲル右派のほうの路線はどんどん国家主義的傾向、民族主義的傾向を強めていき、最終的にはナチズムを構成する一要素になることになります。

といっても、マルクスの加わったヘーゲル左派のほうが順調だったかというとそういうわけでもなく、1830年代にドイツ諸邦で進行した産業革命に伴って生じてきた様々な社会問題に現実的に対応しきれない状態が続きました。結局、ヘーゲル哲学自体があまりにも観念的すぎて、観念の世界では立派なことを言うだけで、具体的な現実の社会問題に対する実践の役に立つような代物ではなかったのです。
そこでマルクスはヘーゲル哲学の超克を試みることとなりました。ヘーゲル以前の哲学は世界を様々に解釈してきましたが、マルクスは哲学の使命は世界を変革することだと主張し、理念の世界史ではなく現実の世界史を見ることを重視し、そして現実を見る限り、プロレタリアートの問題、つまり産業革命後の階級問題を、資本主義社会は解決することが出来ないと断定しました。
つまり、マルクスは現時点で存在している国家や市民社会の中には調和のとれた理想社会をもたらす世界精神になり得るものは存在しないと主張したのであり、その解決は階級格差が無くなる未来の共産主義の世界においてのみ可能であるとしたのです。マルクスの唱えた共産主義社会とは、生産手段の私的所有を廃絶した社会でした。
簡単に言えば、ヘーゲルがあくまで現代において解決策を見つけようとしたのに対して、マルクスは未来における解決を目指したのです。そうなると、ヘーゲルにおいては歴史を自分の時代をゴールにした形で解釈するだけでよかったのですが、マルクスにおいては、歴史は未来の解決時点まで延長されることとなり、歴史は解釈されるものではなく、実際にその未来の問題解決可能世界を実現するために現代を変革していく運動を始める契機としての意味を持つものとなるのです。
こうしてマルクス、そして同志のエンゲルスは、ヘーゲル哲学を「観念における闘争を現実の闘争と思い込んだ転倒した意識」として厳しく批判し、ヘーゲル派を離れて、現実の政治経済の変革へ進む共産主義思想にシフトしていったのです。

そして、マルクスは観念の世界の出来事によって現実の世界が左右されるヘーゲル哲学の弁証法に基づいた歴史観にも異議を唱え、歴史の段階を動かすのはあくまで現実の市民社会の経済などの「下部構造」なのであって、観念の世界、例えば宗教や政治劇の世界である「上部構造」なのではないと主張したのです。これが「唯物史観」の基本構造となるのです。
つまり、ヘーゲルにおける物質界以外の観念世界を重視した歴史観を批判して、そうした観念世界の要素を排除して、物質界の原理のみで構成した歴史観を作ろうとしたのです。そういうヘーゲル史観へのアンチテーゼ的な意味で「唯物」な史観であったのです。
しかし、その唯物史観にしても、ヘーゲル弁証法史観のアンチテーゼであるという意味において、ヘーゲル弁証法史観の要素も継承しつつ、総合的なジンテーゼに昇華するというのが、そもそも弁証法の説くところなのです。つまり唯物史観もヘーゲル史観の後継者なのであり、その歴史法則主義、つまり「神のお告げ」的な性格は同一だといえるのです。いや、マルクスの唯物史観の場合は、そもそも神を排除しているから、単なる予言者的教説というべきでしょう。
このマルクスの唯物史観において予言される未来社会とは、共産主義社会の到来ということになるのですが、これは生産手段の私的所有の廃絶によって階級格差を解消した後、社会が急速に豊かになって全ての人が完全に平等に完全な豊かさを手にするという一種のユートピア社会であり、それに至る前にはプロレタリア独裁という労働者階級による独裁の全体主義体制を経ることになります。
実際にはそういった共産主義社会というユートピア社会は到来しなかったわけで、現実化したのはその前段階の全体主義体制のみでした。それはルソーの説いた、人民の社会契約によって成り立った全体主義体制と同一のものであったと考えていいでしょう。マルクスの思想の原点はルソーにあるのですから、それは当然そう考えるのが妥当なのです。
つまり、ヘーゲルにしてもマルクスにしても、どちらにしても、そもそもはルソー思想を実現していくための方法論という意味では共通しているのであり、ヘーゲルの方法論が非現実的に迷走しているからマルクスは否定しただけであって、その目的であるルソー思想の実現までは否定していないのです。ならば、マルクス思想こそが、ルソー思想を実現していくための新たな方法論なのだと考えていいわけです。

また、マルクスはヘーゲルの弁証法の観念性を批判することによって、「意識が人間の存在を決定するのではなく、人間の社会的存在が意識を決定する」という考え方に至り、ヘーゲル弁証法の「肯定→否定→総合」言い換えれば「創造→破壊→新たな創造」のような進化過程を、ヘーゲルの説くような意識レベルで行われるものから、物質レベルや現実社会レベルで行われるものに置き換えようとしました。つまり、これが「唯物弁証法」の創造ということになります。
そのためにマルクスは「階級闘争」という新しい概念を発明しました。社会的矛盾の克服のために経済的な階級と階級の間で展開される闘争が「階級闘争」であり、これは唯物的な運動であり、社会においては必ずそういった否定的な運動が起きて、それによって新たな社会が創造されるものであるとして、この「階級闘争」こそが「唯物弁証法」における社会進化の契機になる重要な要素であるとしたのです。
これによって、マルクス主義思想においては階級闘争が絶対視されることとなったのですが、この唯物弁証法の形成論理にはどう見ても相当強引なところがあり、これは結局、単に階級闘争を正当化するための屁理屈であるようにも思えます。
この1830年代?1840年代の頃はフランスにおけるサン・シモン主義やフーリエ主義のような社会主義思想がヨーロッパにおいて広まっていましたが、これらは富裕な資本家階級の主導によって平等な社会を作ろうという思想で、非常に楽観的な考え方でした。マルクスも社会主義の目指す理想社会については共感を持っていましたが、その楽観的方法論については批判的でした。
どうやらマルクスは、ヘーゲル哲学にしても社会主義思想にしてもそうですが、現状の社会制度を少しでも肯定し楽観するような思想に対しては厳しい批判を加え、階級闘争によって社会を作り変えていくことこそが正しい方法なのだと主張することが目的のようなのです。
それはやはり、もともとルソー思想の熱烈な信奉者であるために、徹底的な変革への志向があるからなのでしょう。つまり、極言すれば、マルクス主義思想という複雑多岐かつ壮大な理論体系というものは、もしかしたらルソー的理想社会実現のための徹底的な変革を正当化するための論理なのではないかとも思えるのです。マルクスの著作における論理的な難解さ、言い換えれば論理の矛盾や破綻の多さも、そのように考えれば納得のいく部分もあるのです。
とにかく実際にマルクス主義思想の中で後世において実現したものは、ルソー的全体主義国家の地獄だけだったのであり、それ以外のマルクスがその実現を予言した様々な事柄は、その究極目標である「共産主義社会の到来」も含めて、実際には全て実現しなかったことを考えれば、マルクスの理論は、ルソー思想の実践という核の部分を除いた修飾的部分は全てまやかしであったと考えたほうがしっくりくるのです。
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