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日本史についての雑文その110 19世紀のアメリカ
では、この長々とした近代西洋史に関する記述への脱線の最後に、非ヨーロッパ圏の2つの巨大な国家の19世紀におけるナポレオン戦争後の状況も見ておきます。まずは新大陸国家であるアメリカ合衆国の場合を見てみます。
アメリカは、フランス革命に先立ってルソーらの民主主義思想に基づいて13邦が独立して招いた混乱を収拾するために保守主義思想に基づいて連邦国家を建国したことによって出来た国家ですから、基本的には保守主義思想を国是とする国家です。

ですから当初はフランス革命にも批判的だったのですが、ナポレオン時代になってからアメリカでも民主党系政権が出来て、民主主義勢力が勢力を拡大し、ナポレオンを支援するようになったので、英米戦争でイギリスと戦い敗戦することとなったのです。
これに懲りてナポレオン戦争後のアメリカはヨーロッパの政局に関与することを避けるようになり、ヨーロッパとの接触を減らし、西部へ西部へと進出していくようになったのです。
ですから、ナポレオン戦争後のヨーロッパにおいて生じた政治思想上の大きな変化の影響をアメリカはあまり受けることはなく、ハミルトン流の保守主義思想とルソー流の民主主義思想という両極端の政治思想が競い合い、それが共和党と民主党という二大政党制となり、アメリカの政治思想はヨーロッパとは異質に、独自の発展を遂げていくこととなります。そしてそれと同時に、産業革命と西部大開拓を経て、国力を増進させていくことになります。

そのルソー的民主主義の野蛮性は西部開拓地において顕著に発揮されることとなり、例えば西部での領土拡張の手法というのは、先に移民をどんどん送り込んでアメリカ人で多数派を形成しいろいろ既成事実を作ってしまい揉め事を起こし、自国民保護の名目で軍隊を派遣して占領してしまうというものでした。
その最も典型的な例が映画でも有名なアラモ砦の話で、デイビー・クロケット率いるアメリカ移民義勇兵がメキシコ軍を相手にアラモ砦に立てこもり全員戦死するという事件によってアメリカ世論は「リメンバー・アラモ」、つまり「アラモを忘れるな」を合言葉に戦争感情が高まり、1846年に米墨戦争が起こり、それに勝利してカリフォルニアを獲得することになったのです。
この「リメンバー・アラモ」という合言葉はアメリカという国家の発展期を象徴する一大美談の代名詞として、アメリカ人なら誰でもが知っているキャッチフレーズとなったのであり、後にこれをもじって「リメンバー・パールハーバー」という合言葉が生まれることになるのです。
そして1848年にこのカリフォルニアで金鉱脈が発見され、一攫千金を夢見て多くの人が西部へ移民していくようになったのです。また、ヨーロッパからの移民も急増し、アメリカの人口が増えていくことにもなったのです。
その途中、1853年にはペリー艦隊を日本に派遣し、翌年には開国させることに成功し、幕末日本に一時期深く関わるようになりますが、1861年に南北戦争が起きたため、その混乱によって東アジアでの影響力を大幅に減退させ、明治維新後の日本においては影の薄い存在となってしまいました。

南北戦争は奴隷解放の戦いのようによく言われますが、実際は、黒人奴隷を囲い込んでプランテーション農業を行いヨーロッパに農産物を輸出したい南部住人と、黒人奴隷を解放して工場労働者として自由に使いたい北部の資本家層との対立が根本的原因です。それに北部の資本家層の支持を受けた共和党と、南部の農民層の支持を受けた民主党との政争が絡んだもので、経済摩擦に起因した戦争でした。
実際、戦争は1865年に北軍の勝利に終わり、黒人奴隷は解放されましたが、黒人差別は制度としてもしっかり残存し、選挙権などの公民権は20世紀後半まで与えられることはありませんでした。南北戦争は人道的なものを目的とした戦争ではなく、あくまで経済政策を巡っての戦争でした。
南北戦争終了後はヨーロッパ向きの政策を主張していた南部勢力の声は掻き消され、解放された黒人労働者を低賃金で動員して過酷な労働をさせて大陸横断鉄道の建設が進められ、それが1869年に完成すると、もっぱら西部開拓地の開発に集中していくことになりました。
この時代に西部劇などでお馴染みのワイアット・アープやビリー・ザ・キッドなどが活躍することになるのです。まぁつまり、西部開拓地に大勢の魑魅魍魎が集まり、無法地帯が多く出現したということなのですが。
また、1860年代から1870年代にかけては西部地区においてインディアンの各部族がアメリカ政府のあまりに酷い圧迫政策に耐えかねて武装蜂起して、逆に撃滅されていくインディアン戦争も起きています。これによりインディアンは強制的に居住区へ移されコミュニティも壊滅し人口も減っていきました。一種の民族浄化政策といっていいでしょう。

そうした西部開拓も行き着くところまで行き着き、1890年にフロンティアの消滅が宣言された後、アメリカは海外に向かって膨張していくようになりました。国内植民地であった西部というフロンティアが消滅したので、海外植民地というニュー・フロンティアを獲得する欲求が出てきたのです。
1897年にはハワイを併合し、1898年には、キューバの利権を巡ってスペインとの対立が深まる中、米戦艦メイン号沈没事件を契機に不確実な情報に基づき「リメンバー・メイン」の合言葉を掲げ反スペイン感情が煽り立てられ、これにより米西戦争を行い、勝利してグアム島やフィリピンを領有しました。
このように、相手に一撃を撃たせてから国民感情を戦争へ向けていくという手法がアメリカのお家芸のようになっていきます。後の第一次大戦時も第二次大戦時も、最近の同時多発テロの時も同じようなものでした。これはつまり言い換えれば、アメリカ国民という人達は自ら進んで戦争することをあまり望まない、基本的には戦争が嫌いな国民なのだということなのでしょう。平和愛好的というよりは、面倒臭がりで内向的なのです。
ちなみに、この米西戦争時の米海軍によるサンチャゴ港閉塞作戦が後に日露戦争での旅順港閉塞作戦の手本となることになります。もうひとつ米西戦争で特筆すべきことは、この戦争を戦うことで、国民共通の敵が出来て、これにより南北戦争以来の南北の住人同士のわだかまりが解消して、再びアメリカ国民が一体化することが出来たことです。
また、フィリピンにおける初代軍政総督を務めた南北戦争の退役軍人アーサー・マッカーサー・ジュニアの息子がダグラス・マッカーサーであり、この親の代から生粋のフィリピン王のごとき男に屈辱を与え、この植民地統治しか知らない男の怨みを買ってしまった日本は後に大変な目にあうことになります。
このようにアメリカは再び日本周辺に勢力を広げてくることになり、1899年にはシナの市場への参入を求めてくるようになり、20世紀初頭には東アジアのパワーゲームのプレイヤーとして立ち現れ、近代化を達成し立憲体制へ移行した日本と再び接触することとなるのです。

こうして見てみると、アメリカ合衆国という国家はナポレオン戦争後における社会思想の潮流の変化の直接的影響を同時代的にはほとんど受けていないようです。
言い換えると、19世紀においては全体主義体制へと至る具体的手法というものを持たない社会であり続けたのだといえます。
アメリカは、もともとが移民や開拓によって出来上がった人工的社会であり、ルソー思想が最初に花開いた土地なので、潜在的にはアナーキーもしくは全体主義に転じやすい社会なのですが、それに歯止めをかけるために保守主義思想に基づいた合衆国憲法によって建国されました。
この保守主義思想の効力によって、ルソー的な民主主義が暴走してアナーキーや全体主義に転化することを食い止めているという状態が19世紀のアメリカの姿だといえるでしょう。そしてそうしたアナーキーの部分が強く出るのは、どちらかというと西部開拓地や海外植民地のような周辺部であり、国内中心部においては保守主義的傾向のほうが強かったといえるでしょう。
こうしたアメリカ国内の状況に変化が生じるのは、全体主義へ至る具体的ステップである社会主義思想や共産主義思想がアメリカに入ってくるようになる20世紀になってからです。
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FACK YOU!

【2007/06/24 16:21】 URL | 俺 #- [ 編集]



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