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日本史についての雑文その119 幕藩体制の終焉
以上のような天保の改革の挫折の経緯から読み取れることは、まずこの改革が結局は保守派の主導で終息させられたことによって、この後の幕府内では保守派が主流派となり、思い切った改革が困難になったということです。
幕末においてもそれなりに幕政の改革を図る動きもあるのですが、大勢を占める保守派の抵抗によって根本的な改革の実をあげることが出来ず、西南雄藩にどうしても一歩遅れをとり、結局ズルズルと幕府の終焉を迎えることになってしまうのですが、それはこの天保の改革の失敗に遠因があるのではないかと思います。

また、水野忠邦の独断専行型、情報独占型の改革が大名や庶民の大きな反発を招いて失敗したことを受けて、この後の阿部正弘らによる幕政はコンセンサス重視型となっていき、幕臣以外であっても有力大名やその家臣の意見なども諮問することが増え、そうした流れが1853年の黒船来航後は一気に加速して庶民にまで意見を諮問したり、雄藩連合構想や公武合体構想が生まれてくる下地となったのです。特に幕府の独断が否定されたことによって相対的に朝廷の権限が高まることになったのは重要なことです。

そして最も重大なことは、この1843年の天保の改革の失敗によって、実質的には幕藩体制に引導が渡されたということです。この後も1868年までの23年間、徳川幕府は継続し、その間も幕政改革は何度も行われるのですが、この天保の改革が、実質的には最後の「幕藩体制を守るための改革」となり、この天保の改革の失敗をもって、幕藩体制はその寿命を終えていたのです。
これ以降の幕政改革は、あくまで「徳川幕府を守るための改革」あるいは「徳川家を守るための改革」、そして「幕藩体制に替わる新たな体制を模索する改革」というものであり、従来の「徳川幕府が他の藩を従えて武士階級の棟梁として政治を行う」という形での徳川幕藩体制を維持しようという方向性は消失することとなります。
それが1853年以降は更に顕著になり、当初は雄藩との協調体制でやっていこうとしますが、朝廷の存在感が大きくなってくると公武合体路線でいくようになり、それも困難になってくると最後は大政奉還した上で朝廷のもとでの諸侯会議での徳川家主導体制を目指そうという方向になっていきます。それらにおいて幕府や徳川家はそれなりの強権も発動しますし、リーダーシップも発揮するのですが、これらは結局、幕府や徳川家をいかにして維持していくかという意味合いのものであり、幕藩体制維持とは別次元の努力なのです。
徳川幕府は徳川将軍家による政治なのですが、簡単に言えば、天保の改革以前は徳川将軍家は日本における唯一権力、オンリーワンの権力であったのです。それが天保の改革の失敗以降は、ワン・オブ・ゼムの存在、他の多くの藩の中で最大の勢力を保持する最大最強の大名家であり、全ての大名家の中で最も朝廷の信任の厚い特別の家柄というような存在となったのです。つまり、オンリーワンの権力から、単なるナンバーワンの権力になったといえます。そういう体制は既に従来の幕藩体制ではないのであって、つまり天保の改革の失敗をもって、見た目上の繁栄の絶頂期において突如として、幕藩体制は事実上、終焉したのだといえます。

どうしてそういうことになったのかというと、天保の改革の失敗していく過程において、幕藩体制をあくまで維持していくためには国家と民衆の生活を犠牲にしなければいけなくなっていることが明らかになってきたからです。いや、そうであるからこそ、あくまで幕藩体制を維持しようとした天保の改革は各方面からの反発を受けて潰れることになったのだと言えます。
すなわち、幕府の権威を保って幕藩体制を維持していくためには、国防上の重要情報すら幕府が握りつぶして、艦隊の建設という最も適切な対応を選択することさえ怠ったわけで、こうなると幕藩体制は既に国家にとって有害な存在であるということになります。
また、幕藩体制を維持するためには幕府が市場経済を抑圧統制して武士階級の利益を守護しなければいけないのですが、それを行うと農民や商人が抑圧されるだけではなく、市場経済と密接な関係を築くようになっている各藩の経済をも圧迫することとなり、それがひいては一般武士の生活をも犠牲にしていくという矛盾が生じるようになっていたのです。こうなると幕藩体制は一般民衆のみならず、その最も守るべき武士階級にとってすら有害な存在ということにもなります。
少なくとも日本においては古来から、文明というものが存在するのは、国家を保持するため、民の安寧を守るためなのであって、幕藩国家体制という形態の文明も、あくまで国家を保持し民の安寧を守るという目的達成のために最も有効な手段として、戦国時代において生まれてきたのです。
この手段と目的が逆転してしまってはいけないのであって、幕藩体制という文明形態を守るために国家の保持や民の安寧にとって有害になってしまったとしたら、それはもう幕藩国家という文明は新しい時代状況に対応できなくなっているのであり、その役割を終え、寿命を終えようとしているのであって、新しい時代に合った新しい文明の登場が必要とされているのです。

この幕藩体制に取って替わる新しい文明について考える場合、天保の改革の失敗の構図を再度検討してみると有益です。天保の改革の失敗の顛末は、単純に権力に対して民衆が打ち勝ったというような浅薄なものではなく、長年の慣行を無視した忠邦の改革政策に対して、慣行に則って実際の生活を送る者達、その中には大名から農民まで幅広く含まれるのですが、そういう広い意味での民が不信任を突きつけたというのが真相に近いでしょう。
つまり、これは慣習法が制定法に優越したということであり、実定法が人定法に優越したともいえます。長年の伝統と慣習の中で、領主や領民、武士や農民、商人たちのやり取りの中で自然に決定されてきた慣習法による支配、言い換えると英米法で言うところのコモン・ローによる支配、つまり「法による支配」が江戸時代の日本において確立していたということです。
天保の改革はその「法による支配」に逆らったから失敗したのであって、これはイギリスの名誉革命と同じ構図で、為政者の唱える絶対主権や恣意的な立法措置に対して「法による支配」が優越した事件なのです。「法による支配」が天保の改革期において遂に幕府権力をも明確にその支配下に置いたということなのです。この「法による支配」の確立は、江戸時代日本の誇るべき到達点でありました。

しかし天保の改革もまた幕藩体制の立て直しを図った正統派の改革だったのであり、同じく幕藩体制下の江戸時代において自然的に確立されてきた「法による支配」と正面からぶつかり合うというのもおかしな話です。
それは、江戸時代におけるこうした「法による支配」が幕藩体制由来のものではないということなのです。幕藩体制の基礎が作られたのは16世紀後半の信長や秀吉の時代であり、それが17世紀前半の家康から家光にかけて確立され、17世紀末の元禄時代には幕藩体制は一旦行き詰ったのです。そこで18世紀前半に徳川吉宗によって新たに殖産興業政策を加えて幕藩体制はリニューアルされ甦ったのです。甦ったというよりなんとか延命措置を施されたといってもいいかもしれません。そしてその時、新たな文明の息吹も誕生したのです。
その新しい文明が黎明期、胎動期、草創期を経て育ってきて大衆社会や商業資本を生み出してきたのであり、吉宗以降の為政者たち、つまり旧文明である幕藩体制文明側はその新しい文明たる大衆社会や市場経済をなんとか統制してコントロールしていこうと試み続けたのですが、新文明側もそれに抵抗し、そのせめぎ合いの中で慣習法を築き上げ「法による支配」という自由を獲得したのは新文明側であり、幕藩体制側は最終的には新文明の統制に失敗したということなのです。
天保の改革はそうした新旧文明のせめぎ合いの最終局面なのであり、新文明側にとっては草創期終盤、旧文明側にとっては爛熟期終盤にあたります。旧文明側に立つ水野忠邦が、新文明側が18世紀前半の吉宗時代以降に積み上げてきた「法による支配」を反故にして、それ以前の状況、つまり江戸時代初期や前半の時代に強引に戻そうとしたので、新文明側の「法による支配」の逆襲を受けて敗れ去り、新文明の「法による支配」の優越が確定したという事件だったのです。
もちろん、その後も旧文明たる幕藩国家文明は残留し、それは徳川幕府が倒壊した後も文明としては残り、衰退期、解消期、残滓期を経て、ちょうど2000年ぐらい、つまりつい先年ぐらいまで残留し、そこで新文明の中に消化されて消えていったところなのですが、そうした新旧両文明のせめぎ合いのひとまずの決着点が天保の改革付近、つまり幕藩国家爛熟期の末期ということになります。
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