KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本史についての雑文その120 幕藩国家の成果
そして、丁度このあたり、天保の改革が失敗に終わってから、爛熟期末期の10年ぐらい、言い換えれば新文明の草創期末期の10年間ぐらいから、新文明の形成期の初期に活躍する人物や勢力などが姿を現して活発に活動を始めます。あるいは、新文明の形成期の準備的な動きが起きてくるのです。
それはどのような勢力なのか、そもそも新文明とはどのような性格のものなのかについて考えるためには、その新旧両文明のせめぎ合いのそもそもの原点、スタート地点に戻って考えてみるのがいいでしょう。

それは、旧文明たる幕藩国家文明が元禄期に絶頂を迎えた後で失速し、18世紀前半に建て直しが図られていた頃、新文明が人知れず誕生していた頃、来るべき新旧両文明の相克を見通して将来の日本のあるべき方向性を指し示していた人物の言葉を吟味してみることによって考えてみるということです。
その人物とはこの幕藩国家文明300年のちょうど中間地点の18世紀初頭に活躍した儒学者の荻生徂徠です。徂徠は元禄期の幕藩体制の行き詰まりを観察し、その根本原因を「何も生産せず消費だけする武士生活の矛盾」にあると喝破し、「武士は土着し生産活動に従事すべき」と説いたのです。
しかし武士が土着して生産活動に従事するとどうなるかというと、武士が経済的に自立するので幕府による武士や大名への統制力が弱まり、要するに戦国武将や戦国大名が復活して戦国時代に逆戻りすることになるのです。
そこで徂徠はそうした事態を防ぐための方策も同時に提案しています。それが「身分制度の徹底」と「農民の移動の制限」でした。生産手段を得た武士が民衆と運命共同体となると幕藩体制を揺るがす戦国大名的な存在に成長してしまい戦国時代に逆行してしまうので、武士と民衆の間を分断しようというのが徂徠のプランなのですが、これは実際に実施しようとすれば大変な軍事力を必要とするのであって、この徂徠の提案は「幕藩体制を維持するための究極的なプラン」であるにもかかわらず、幕藩体制下では実行は実際は困難だったのです。
そこで、徂徠と同時代の為政者であった徳川吉宗や、その後継者であった田沼意次はこの徂徠案は採用せず、武士階級については土着化も生産活動もさせず現状のまま据え置き、農民や商人に殖産興業をさせて幕藩体制を建て直す契機としたのです。
これは一定期間、18世紀末ぐらいまでは効果を発揮し、幕藩体制は一見、安定したように見えるようになりました。しかしこの吉宗の始めた殖産興業政策が新たな文明を生み出すことになり、商業資本を生み、大衆社会を生み、そして国内市場を発展させたのです。
そうした新文明の市場経済の発展する中で18世紀末には武士生活が困窮し、領主経済が圧迫されるようになってきたのです。そこで19世紀に幕藩国家爛熟期に入ると、幕府は諸藩に国産品の専売制の導入を許すようになり、つまりここで「武士が土着し生産活動に従事する」という事態が生じたのです。
そのように土着化し生産手段を手に入れた武士階級が1820年代の大御所時代や1830年代の天保大飢饉期を通して次第に領内の農民や商人と運命共同体化してきたのであり、それが幕藩体制の許容範囲ギリギリのところまで来ていたのが天保の改革直前の状況だったのです。

つまり、天保の改革直前には、まさに徂徠が危惧したような戦国時代に酷似した社会構造が出現しかけていたのです。実際、その状況が更に進行して、幕末期には一種の戦国期の群雄割拠のような状況が一時的に出現することにもなるのです。
そこで、そのような憂うべき状況にストップをかけるべく始められたのが天保の改革であったわけです。つまり、武士階級が土着化し生産手段を獲得したのならば、その武士階級と民衆が結びつかないように民衆を抑圧し商業を圧迫し農民には単に米作りだけをさせようと再検地を強行しようとしたり身分の区別を厳格にしたのであるし、人返しの法などで農民の移動を制限しようとしたのです。
こうして見てみると、天保の改革とは、「武士階級の土着化と生産活動への従事」という状況の出現を受けて、とうとう荻生徂徠の提言を正確に実行に移そうとした改革なのだということが分かります。
しかし、そもそも幕藩体制下ではこのような厳しい統制政策を徹底するだけの軍事警察力が不足していましたし、もうこの時期では大衆社会や商業資本が大きく成長していましたので、少々の統制では押さえきれなかったのです。
そして、それが上手くいかないと見て、今度は武士階級の土着化を阻止するために上知令などで大名の領国意識を牽制したり、武士階級の生産手段を剥奪するために国産品専売制を禁止したりしたのです。そしてこれも、武士階級自体がもう幕藩体制に適応できないくらい市場経済と一体化していたために、結局うまくいかなかったのでした。

結局は手を打つのが遅すぎたのであり、時代の流れには逆らえなかったのだといえます。ただ、だからといって嘆く必要はありません。もしこの天保の改革が上手くいった場合の社会の有様を考えれば、それはそれであまり歓迎すべき社会ではないからです。
武士が土着化し生産手段を獲得することで戦国大名化するといっても、どうしても古臭いイメージで捉えがちですが、要するに軍隊が商売もしているようなもので、これはシナの軍閥みたいなものをイメージしたほうが現代的には分かりやすいでしょう。軍閥も古臭いと思われるかもしれませんが、要するに現在のシナ各地方区の人民解放軍も一種の軍閥ですから、それをイメージすればいいでしょう。
まず軍閥があり、そして中央政府が出来て、軍閥が民衆と結託して中央政府を倒さないように、いちはやく中央政府が民衆を徹底的に弾圧し、身分や階級の差別を徹底し、民衆の移動を制限した社会というのが、第二次大戦後に成立した毛沢東の共産シナの社会の姿です。つまり、天保の改革が成功した場合の社会とは、最悪の全体主義国家である共産シナの社会と酷似したものになった可能性が高いのです。
それは、天保の改革期の様々な非常識な禁令の内容などを見れば、容易に想像がつくことです。まさに長年の伝統や経験によって積み上げられてきた慣習や常識を、人工的にでっちあげた観念でもって破壊しようとしたのが天保の改革であり、それに対して「法による支配」という名の自由が発動して、そうした破壊工作を阻止したわけですから、天保の改革の失敗は、日本としては誇るべきことだと見ていいでしょう。

幕藩体制を守るためといいながら、天保の改革は結局は民の生活を破壊しようとしたでっちあげの観念にしかならなかったのであり、真に幕藩国家の生み出した成果はむしろ、幕藩国家文明の後半になってから生じてきた新文明の要素、つまり大衆社会や商業資本、国内市場などであり、それらを律する慣習的な「法による支配」であったのです。これらは新文明の要素ではありましたが、同時にまた幕藩国家の中の要素でもあったのであり、幕藩国家の中で育ってきて、新文明に繋がっていく要素であったのです。こういうものこそが幕藩国家の生み出した成果なのだといえるでしょう。
そして、幕藩国家の生み出した成果はこれだけではなく、これら大衆社会や国内市場を律する「法による支配」を支える伝統的道徳観もまた、古代から中世を経て、幕藩国家の時代を通じて熟成されて伝わってきたのであり、そうであるからこそ幕藩国家期におけるこうした「法による支配」を維持することが出来たのです。これらの具体的な姿としては、江戸時代において独自の発展を遂げた江戸儒学や武士道、勤勉哲学、勤皇思想などがあるのですが、これらの伝統的道徳観もまた、幕藩国家の生み出した成果として、新文明の時代に繋がっていくのです。
一方、幕府や藩の制度などのようなものは、幕藩国家においては確かに存在したのですが、その後の新文明の時代、つまり我々の現代文明には伝わりませんでした。これらは実は既に江戸時代前半において行き詰っており、新文明にとっては不要なものになっていたので伝わらなかったのですが、文明の継承も人間のやることですから完璧な事というものはなく、日本などは世界でも継承が上手なほうなのですが、それでも取りこぼしもあるものであって、本来は有益なものでも上手く伝わらなかったものもあります。例えば神仏習合信仰のようなものですが、こういうものは現代において再評価して復活させる意義は十分にあります。
また、こうした文明の大きな切り替わりの時期だけでなく、各文明サイクルの中の形成期や確立期などのような各期ごとの変遷の時にも上手く伝わらず取りこぼされる要素というのは無数にあり、それらの中でも有益なものは復活させていくことが重要だと思われます。何故なら、伝統というものは蓄積していってこそ価値があるのであり、文明サイクルを繰り返せば繰り返すほど、それが濃密になっていくべきだからです。
もちろん不変のものなどそうそう無く、実際の日本の歴史は変化の連続であるのが実情なのですが、何らかの形でエッセンスが伝わるほうが有意義なものであるならば、エッセンスの継承は確保すべきではないかと思われるのです。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。