KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本史についての雑文その124 健全な歴史感覚
このように、1842年のアヘン戦争後の対外的危機の深まりの中で、皇国意識を高めて西洋文明の研究を行う、新たな「国民」という存在が立ち現れてきたところで幕藩国家の爛熟期は終了し、1853年のペリー来航事件から、国民国家の形成期が始まり、幕藩国家の成果でもある伝統的価値観と西洋社会システムを習合させて、それらを「国民」が駆使して新たな国造りに取り組んでいくことになります。
この新興勢力の「国民」といえるほどの意識を持っているのは、まだこの爛熟期の時点では一部の武士階級のみですが、次の国民国家形成期に入ると一般民衆も国民意識を持つようになりますが、これら一般民衆も、この爛熟期においては、その前段階的な大衆社会や商業資本、そしてそれらを律する村方や町方の代議制度などによる「法による支配」を築き上げていったのです。これらが次の国民国家の形成期に受け継がれ、大きな財産となって活きてくるのです。
一方、幕藩体制のほうはこの爛熟期の末期において1843年の天保の改革の失敗によって明らかに形骸化することとなり、入れ替わりに勃興してきた雄藩に政治の主導権を奪われていきますが、続く国民国家形成期においてはこの雄藩も早々に姿を消して、天皇と国民を主体とした新たな君民共治の国民国家が立ち現れてくることになるのです。
また、西洋諸国はこの爛熟期の末期においては、アヘン戦争の勝利によって世界を単一市場化し世界中の海に西洋諸国の商業航路を開通させることになりました。このペリー来航前の世界の状況は、まさに西洋諸国による植民地化の途上にあり、イギリスはアヘン戦争の余勢を駆って日本近海に進出し、アメリカは1846年には太平洋岸まで領土を拡張し東アジアへ進出してくるようになり、ロシアはクリミア戦争直前のイギリスやフランスとの緊張状態にあり、その余波は極東にも飛び火しようとしていました。隣国の清国においては1850年から太平天国の乱が勃発し、それに外国軍が介入し、更にアロー戦争によって本格的に植民地化へ進もうかという分岐点に差し掛かっていました。
こうした危険な状況を日本が切り抜けるためには、まさに「夷の術を以って夷を制す」戦略が不可欠であったのですが、西洋の技術を真に使いこなすためには、西洋文明の原理を受容して自らの血肉にしなければいけないのです。
しかし近代西洋文明には危険な毒が含まれているのです。この日本における国民国家形成期のスタートである1853年時点においても既に、全体主義体制に繋がるルソーの民主主義思想、サン・シモンやフーリエの社会主義思想、ベンサムの功利主義哲学、ヘーゲルの弁証法哲学などが出揃っており、イギリスではミルが社会民主主義やリバタリアニズムの理論を積み上げていたところであるし、市場原理主義的な資本主義の暴力が吹き荒れていおり、またドイツでは人定法主義と法治主義が結合したドイツ概念法学が形成されようとしていました。そして1848年に「共産党宣言」を発表したカール・マルクスはマルクス主義思想の構築にまさに取り掛かろうとしていたところでありました。

これらの近代西洋文明の毒を中和して受容するためには伝統的価値観が不可欠であったのです。もちろん近代西洋文明にも良い側面も大いにあったのであり、日本の歴史においては外来の良いものはむしろ積極的に取り入れてきたのであって、日本の歴史はそうした進取と変化の連続でもあったのですが、それでいて文明の有り様の基本的な部分はあまり変わらないというのは、外来の価値観と伝統的価値観との折り合いを常に上手くつけてきたからなのであり、この近代西洋文明という外来文明にしても、同じように伝統的価値観と上手く折り合いをつけていく必要があったのでした。
むしろ、そのように伝統的価値観と上手く折り合いをつけて新しい外来の価値観を受け入れることが出来るという自信があるからこそ、大胆に新しい価値観を受け入れていくことが出来るのであって、日本の歴史が非常にダイナミックな変化に富みつつ、大事な部分で大きく逸脱しないというのは、そのあたりが要因であるといえるでしょう。
日本の歴史が変化に富んでいるのは、変化しない核の部分がしっかりしているからなのでしょう。その核の部分がしっかりしている以上、伝統的価値観は修復可能なのであり、安心して核以外の部分で大胆な変化をつけることが出来るということです。
もちろん、そのように外来の文明を上手く飼い馴らして伝統的価値観と折り合いをつけていくのは長い時間を要するのであって、文明サイクルの形成期に新規の外来文明を受容したとしても、それは文明サイクル300年のうちの前半150年ぐらいはむしろ上手く馴染まず、後半になってからやっと馴染んでくるのであり、200?300年ぐらいかけて伝統的価値観と上手く折り合いがついてくるものなのです。
例えば幕藩国家においては江戸儒学が文明サイクル150年目あたりの元禄赤穂事件あたりからやっと日本の政治風土に馴染んでくるようになり、ペリー来航前にはもうすっかり日本の伝統的価値観と同化していたのです。ですから、近代西洋文明にしても、現在の日本においては、まだ受け入れて150年少し経ったところであり、ここまでは伝統的価値観と馴染まず衝突するような局面が多かったが、これからやっと馴染んでくるところではないかと推測されます。

近代西洋文明の毒を中和し、上手く折り合いをつけて受容していくための伝統的価値観の核には、やはり古来からどのような外来価値観の輸入時にも不変であり続けた日本文明の核である皇室が据えられるのが順当であったといえるでしょう。
日本の歴史で外来文化による大きな変化が生じる時、その中和役はだいたい皇室が担ってきたのであり、そういった安全装置があったからこそ大胆な変革が可能だったともいえます。それがこの近代西洋文明の受容時にも繰り返されたのです。
近代西洋文明を象徴するものとして民主主義を挙げるとするなら、皇室にまつわる伝統的価値観とは保守主義そのものであり、民主主義の暴走を抑止する保守主義という役割を果たすものなのです。具体的には民衆政体と君主制の合体である、日本古来の伝統的価値観の「法による支配」に基づいた「君民共治」の政体が、幕末から様々な曲折を経て明治後期に成立して近代日本がスタートしたというのが、1900年頃までの国民国家の形成期の大まかな流れなのです。
そして、それはやはり簡単には馴染まず、その後も1950年頃までの国民国家確立期や2000年頃までの国民国家修正期においても、近代西洋文明と伝統的価値観とは様々な葛藤を引き起こしてきたのであり、そうして現在に至るというわけです。

それら日本の近代国民国家の歴史においてどのような葛藤が引き起こされてきたのかについては後に詳しく検証していくとして、近代西洋の合理主義や民主主義思想などの暴走を制御するためには伝統的道徳観が必要であるということは、幕藩国家末期の佐久間象山らの知的葛藤や、幕末から始まる近代国民国家における葛藤を見ても明らかであり、それが少しも解決されていない今日においても伝統的道徳観の重要性は、むしろますます大きくなっているといえるでしょう。
伝統的道徳観を重視するといっても、単に昔風の生活を送ったり懐古趣味に走ればいいというわけではなく、伝統的道徳観とはつまり過去の堆積の上に積み上げられた歴史感覚に基づいたものでありますから、まずは健全な歴史感覚を取り戻すことが重要だといえるでしょう。
健全な歴史感覚とは一言で言えば「過去が過ぎ去ったというばかりでなくそれが現存するものだという感覚」であるといえます。もう少し詳しく言えば、「過去の中を自在に動き回り、過去のあらゆる時代を完全に我が物とし、それを未来においての積極的な働きをするための財産として保持する感覚」ということになります。
未来のために現在を生きながらも、現在に至る過去をも同時に生きることこそが、真に現在を生きるということになるのです。つまり、過去から教訓や道徳を得て、それを未来の糧とするということを日常的に継続的に行う生き方なのだといえるでしょう。過去を生き、それを未来に活かすことこそが現在を生きるということなのです。そういう生き方が健全な歴史感覚に基づいた生き方であり、伝統的道徳観を重視する生き方に通じるのです。
このように過去、現在、未来は一体のものであり、過去を遠い存在と見做して単なる学究の対象として突き放す生き方は、歴史学者のスタンスとしては正しいが、現在を生きる生身の一般人の生き方としては賢明ではありません。
近隣に歴史を恣意的に捏造してやたらと教訓や道徳を唱える不良国家を多く抱えるため、日本の良識的な歴史学者としては、そういう不良たちとの違いを鮮明に示したいがために殊更に歴史事象から一歩距離を置いて冷静に学究の対象のみにしようとする傾向が強く、一般人もそれに影響される傾向が強いのですが、これはせっかくの歴史資源を有効に活用し切れていない悪しき傾向だといえるでしょう。
歴史学者としての「歴史を研究する姿勢」と一般人としての「歴史を学ぶ姿勢」とは違うものなのです。歴史を研究するには全く客観的に冷静にあらねばならないのですが、歴史を学ぶ場合は単に歴史的事実のみを暗記するのではなく、もっと主観的に、自分が歴史と向き合って何を感じるのかが重視されなくてはならないのです。
近隣の不良国家の場合は、この「歴史を学ぶ姿勢」は一応ちゃんとしているのですが、「歴史を研究する姿勢」がこの「歴史を学ぶ姿勢」と同じになってしまっているので、歴史のテキストがお話にならないくらいレベルの低いものになってしまっているため、結局、学ぶ姿勢がいくら良くても内容があまりに酷くて無意味になってしまっているのです。

過去も現在も未来も同じ生身の人間が織り成す営みであり、現在は常に変化しており未来は不確定である以上、我々が参考とし指針とする材料は確定した過去に求める以外にはないのです。過去と未来は対立関係や相克関係にあるのではなく、過去はより良き未来を創造していくために有効活用していかねばいけないのです。
それはつまり過去を教訓として現在を生きてより良き未来へ向かっていくという姿勢であり、これはともすれば戦後において左翼陣営が口喧しく「過ちは繰り返しません」と唱えてきた姿勢や、最近とみに煩いシナや朝鮮による「過去を鑑とせよ」という歴史認識における対日攻撃姿勢と重なって見えてしまいますが、これは似て非なるものです。
健全な歴史感覚においては、あくまで現在も未来も不確定なのであり変革可能なものであり、確定しているのは過去のみなのです。過去の事象によって現在や未来は左右されるのであり、つまり過去から得た教訓を現在にどう活かすかによって現在や未来は変わっていくと考えます。だからこそ過去を探求することは重要であり、過去の真実を追究することには真摯でなければならないのです。過去を欺いたり裏切った者は必ず良き現在や未来を生きることは出来ず、必ず未来に裏切られるからです。ですから現在や未来は過去の前に謙虚でなければならないのであり、現代人は過去の祖先に対して謙虚でなければいけないのです。そのようにしてこそ過去の伝統的道徳観は現在や未来に繋がって、現在や未来の人間に「正しく生きる自由」をもたらすのです。
一方、戦後左翼やシナ、朝鮮のごとき考え方においては、まず未来のあらかじめ到来が予定されている理想社会や、あるいは現在の矛盾に満ちた現実状況の正当化のための理論のほうが優先され、過去などというものはそれら現在や未来の辻褄合わせのために都合よく、常にコロコロ改変され捏造歪曲されるものに過ぎないのです。これは悪しき歴史法則主義であり、全体主義体制において行われる恥ずべき所業で、自由な精神というものに対する抑圧に他なりません。
まず不確定のはずの現在や未来が確定事項と見做されて優先され、それらによって過去が左右されるのです。また、現在における恣意的な理論が「教訓」や「道徳」に偽装され、それらを尤もらしく見せかけるために都合よく過去を捏造するのです。
実際はそれらには真実というものが無いわけですから、そこから得られる教訓や道徳などというものは皆無なのです。しかし、あたかもその捏造された過去から教訓や道徳が得られたかのように偽装されますが、それらは贋物の教訓や道徳なのであって、過去ではなく現在において根無し草のようにでっち上げられた「制定された命令」に過ぎないのです。
このような伝統を無視し圧殺した上に制定された命令は決して自由をもたらすことはなく、抑圧と退廃をもたらすだけなのであり、こういう過去を圧殺した社会はモラルを失い野蛮人社会のレベルへ堕落していきます。
そして何よりも、過去を欺く者は同時に現在と未来の人間に対しても詐欺行為を働くのであるから、間違いなくその代償に未来から裏切り行為に遭うことになるのです。つまり彼らのごとき詐欺師や詐欺師の子孫たちの未来には間違いなく破滅が待っているのです。
これはシナや朝鮮の未来が破滅に至るという当然予測可能な事実だけを意味するのではなく、私たち日本人にもまた、現在のような嘘で塗り固めた歴史教育を子弟に施している限りは、破滅的な未来が到来することは必至であると言わざるを得ないでしょう。

ですから、我々は過去の歴史から教訓や道徳を得ていこうとするのならば、決して歴史の発展法則が解明可能だと考えてはいけないのであり、未来が既に決定しているとか、歴史が定められたゴールに向かって進んでいるかのような運命論は考えてはいけないのであり、また、現在というものは、その価値観も含めて常に変化変転し続けており、変革改良の可能性は常に開かれていると捉えるべきなのです。
そして過去の真実をを真摯に探求することによって、歴史の発展法則ではなく、変化の傾向や趨勢、つまり人間が行う所業ならではの何らかの行動パターンを読み取り、それにより現在の変化変転の方向性を予想するヒントとし、その変化変転を促進あるいは阻止し、決して現在や未来の状況や価値観の正当化のために過去を使わず、未来の展開をより良きものに改善していく智恵や叡智を過去の歴史から発見していくことが大事なのです。
そういった智恵や叡智が伝統的価値観なのであり、常に変化変転している現在の局面の中でいかにして伝統的価値観を継承していくのかに心を砕くことが、そのまま現在の変化をより良き方向へ改善していく指針ということになるのだと思われます。
そして、その変化変転する現在において伝統的価値観を未来へ向けて継承していくためには、「未来のために生きる現在の生が過去を生きる生と同義のものとして結びつく人生こそが真に現在を生きる人生である」という、健全な歴史感覚を心がけて生きていくことが大事だと思われます。
そういう意味で、私もここまでの歴史記述において、過去の時代に生きている感覚で、過去の人間の気持ちを推測しつつ、過去の出来事を出来るだけ同時代的な視点で批評していくことを心がけてきたのです。また、その時点時点での変化の脈絡を、必ず原因と結果の連続した一連のものとして辻褄をつけて現実感覚的なものとして論じてきたつもりなのです。

このように歴史から教訓や道徳を見出すことは現在を生きるにあたって非常に重要なことなのです。しかし現在の日本においては、全くそれ以前のレベルで、そもそも日本国民のほとんどが歴史を知らないのです。特に自国の歴史を知りません。
戦後一貫してまともな歴史教育というものが行われていないのですから、今の70歳より下の世代はほぼ全員、歴史を知りません。いや、戦前の昭和10年代なども相当怪しげな歴史教育が行われていましたし、そもそも明治以降が薩長史観のイデオロギーの害悪も受けていましたから、そのあたりも問題なのですが、まぁそのあたりはもう現在時点において直接弊害は無いのでいいでしょう。
現在において特に問題なのは70歳より下の連中で、その中でも下のほうにいけばいくほど悲惨な状態になっていくのですが、70歳でも相当悲惨なので五十歩百歩というところでしょう。
今の若者などは多くは聖徳太子も知らないし織田信長も知らないし明治天皇も知りません。彼らの知る歴史上の有名な日本人は中田英寿や木村拓哉なのであって、要するに歴史というものを知らないのです。これは年配の世代でも同じことで、彼らの知る歴史上の偉人は美空ひばりや石原裕次郎なのです。
自国の歴史を知らないということは自分自身を知らないのと同じことであり、自分自身を知らないでいったいどうやって何を守るのか、彼ら自身が皆目見当がつかないでしょう。彼らの頭の中は全くの空虚であり、全く痛々しいほど気の毒です。
外国では小学生でもこれぐらいのことは分かっているのであり、日本では若者は言わずもがなですが、50歳代、60歳代の分別めいた老人のような政治家ですら、政治学や経済学などという根っこも定かでない空虚な学問だけ適当に齧りながら、その実は、外国の小学生以下の国家観や歴史観しか持ち合わせていないのです。
こういう小学生以下の人達が国家の安全保障などの責任を担わされるのですから、これはもう不安や怒りは通り越して気の毒というしかありません。彼らは日本を知りませんから、日本を守るといっても何を守ればいいのかすら分かっていないのです。
現在の日本はとうとうこんなレベルにまで陥ってしまったのです。これは戦後教育が始まった時から容易に予測がついたことだったのですが、今まで全く是正がされてきませんでした。だから今後ますます状況は酷くなっていきます。今から急いで改善したとしても、向こう20年ほどは状況は変わらないでしょう。とにかく今の20代ぐらいが一番酷い状態なのですから、どうしようもありません。
しかしそれでも20年後から始まる状況改善を実現するためには、向こう20年間は全くの徒労にしか見えない努力を続けていくしかないのです。それまで日本という国が存続しているのかどうかは分かりません。しかし存続している可能性もあるわけですから努力を放棄するわけにはいかないのです。まずは健全な歴史感覚に基づいた歴史教育の復活こそが必要であるといえるでしょう。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。