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日本史についての雑文その125 文明サイクル
過去の歴史から教訓や道徳を見出して現在や未来へ活かしていくためには、歴史の変化の傾向や趨勢、人間の行動パターンを読み取り、未来の展開をより良きものに改善していく智恵や叡智を伝統的価値観から発見していくことが大事です。
それが伝統的価値観を継承していくということであり、常に変化変転している現在の局面の中でいかにして伝統的価値観を継承していくのか、そのヒントとして、過去において伝統的価値観がどのように受け継がれてきたのか、つまり文明の連綿と受け継がれてきた一定のサイクルを観察するのが有効ということになります。

そういう意味があって、ここまで1550年から1850年の江戸時代の歴史をモデルケースとして文明サイクルについて考察し、とりあえず仮説として論立てしてきたのです。その作業がひとまず完了しましたので、これから、文明サイクルの仮説について説明していきますが、繰り返し強調しておきますが、これは歴史法則や歴史必然論の類のものではなく、歴史の趨勢や傾向を説明したものに過ぎないのです。歴史の必然的な向かうべき方向性などについて述べたものではないのです。
これは、歴史の中で文明が伝えられていく時に、歴史の細かな時代区分の節目節目で必ず危機的状況が生じるのであり、そういう時に人々がどのように対処してきたのかについての行動パターンを示したものであり、今後のパターンの類似した危機において人々がどのように対処したら良いのかについての目安に過ぎません。
ここには、具体的にどういう危機が生じるのか、どういう対処をしたらいいのか、その具体的な解答も無ければ方向性すら明らかにされていません。そもそもその文明がどのような文明であるのか、未来の場合においては分かってすらいないのです。現在の危機においては少なくともどのような文明であるのか分かっている分、少なくとも目安が示されれば参考にはなるという程度のことなのです。
ここでは、危機が生じた時にどのようにすれば文明を上手く繋げていけるのかについての心得程度のことが述べてあるだけで、実際に危機が生じた際にはどのような具体的な方法論を選択するのかについては同時代的な当事者の努力の結果の判断に委ねられるのです。

実際、ここまで日本における文明が断絶なく続いているように見えることから、過去のそれぞれの危機時の当事者たちが常に適切な判断をしてきたかのようには思えます。
しかし、それが最善の選択であったのかどうかとなると、今となっては不明です。いや当時も不明だったでしょう。だからこそ常に人は迷って判断するのです。それぞれの局面において明らかにその後の歴史の展開の明暗の濃度に差異は認められるのであり、中にはあまり適切ではない判断も含まれていたとも思われます。
それでも日本文明がここまで大きな断絶は無く続いてきているのは、それぞれの危機時の当事者たちがそれでもなんとか最低限以上のレベルの適切な判断はクリアしてきてくれたからであると感謝しなければいけないでしょう。
そして同時にそれは、今後において私たちや私たちの子孫が直面する様々な危機の局面において、文明を確実に繋げていくためにどのような対処方法を選択するのかについては、私たち自身の努力や判断にかかっているのだということも意味しているのです。
また、歴史を前進させてきたのは既定の運命などではなく、定められた時に定められた人が定められた事を行ってどうにかなるようなものでもなく、歴史上の全ての局面の一瞬一瞬を生きている全部の人間の絶え間ない努力によってのみ歴史は前に進んでいくのです。責任を他人や未来の世代、あるいは過去の世代に預けて自分は責任を放棄して怠けていい人間など、一人として存在しないのです。

この文明サイクルについての説明は、その判断のための目安になれば幸いだと思って示したものでありまして、決して「文明は必然的に継承されていく」などという慢心や安心を抱かせるためのものではありません。
日本においては文明は確かに過去においては偶然うまく継承されてきましたが、それはあくまで過去の先人たちの努力の賜物であり、外国においてはむしろ失敗例のほうが多いわけですから、先人たちの努力に加えて幸運の要素も強かったと思い慢心は戒めねばいけません。
また、過去の事例の場合も決して常にベストの選択ばかりだったわけではなく、薄氷を踏むような危うい事例もあったのであり、次回は薄氷が割れる可能性も十分あるわけですから、出来るだけ万全の選択を心がけるべきなのです。
油断をしていれば次回の危機の時には私たちの失敗によって文明が断絶するかもしれないのです。そういう危機感を常に持って、歴史の当事者として危機に立ち向かっていく姿勢が私たちには求められているのです。未来の選択は現在の私たちの努力の結果にかかっているのです。そしてその努力とは、過去からいかに多くの教訓を得るのかにかかっているのです。
漫然と歴史の流れを眺めるのではなく、そのような心構えでこの文明サイクルの説明に示された教訓を読み取るとこが出来るならば、そういう生き方こそが「未来のために生きながらも過去を生き得ることこそが真に現在を生きること」という生き方だと言えるのではないでしょうか。

ただ、仮に危機への対処に失敗したとしても、それによって次なる危機がより深刻なものになるのは確実ですが、それが完全に文明の糸を断ってしまうような大失敗でない限りは、1回や2回程度の失敗ですぐに文明が断絶するというものでもありません。
そういう場合は、失敗を重ねれば重ねるほど、次に克服すべき危機の深刻度が大きくなっていくのであり、焦れば焦るほど更に失敗を重ねて、最終的には完全に文明が断絶して潰れてしまいます。だからとにかく落ち着いて、現実逃避はせずに正直に現実に向き合い、出来るだけ早期に「失敗をした」という事実を受け止め、その挽回のために何をすべきなのか冷静に考えて実行に移すことです。
現実に打ちのめされて落ち込んではいけませんし、現実に背を向けて失敗の現実から目を逸らしてもいけません。とにかくまだまだ挽回のチャンスはあるのであり、挽回の可否を左右するのは、必然の運命でもなく、敵の自滅への期待感でもなく、神風や天佑などでもなく、当事者である我々の努力のみなのです。そういった何やかやの言い訳をして努力をしない者や、努力をしなかったことの言い訳にするような者には、決して挽回のチャンスは永遠に巡ってくることはないのです。

例えば現在においては日本は、アメリカに軍事を全て任せきるという前時代的システムを妄信し自主国防という当たり前の態勢の整備をひたすら回避し忌避し、その忌避に挑戦しようとした安倍政権の足をマスコミの扇動に乗せられて引っ張ることしか知らない愚かな国民が多数派を占めるという現状において、同時に大衆民主主義の弊害が極まっているという最悪の条件が揃い、しかもそれへの是正を誰もしようとしないことによって、完璧にシナや北朝鮮に外交戦争において敗北しつつあるのであり、今後20年間は挽回のチャンスすら巡ってこないことは確実です。
何故なら、戦後のぬるま湯に浸かりきって愚民化教育を受けてきた現在の世代は自国の歴史すら知らず、自分自身も知らない愚か者の集まりに過ぎず、この愚かな世代には、今後予想されるアメリカによるアジア地域のシナ朝鮮との協調路線と日本封じ込め戦略の中、アメリカの核の傘の無力が露呈した後での核ミサイルの恫喝のもとで行われるシナ朝鮮との苦しい交渉の中で、シナ朝鮮への支援を強要するアメリカや、甘い言葉でそれらへの屈服妥協を囁くマスコミの恒常的な扇動洗脳の中で、それでもこうした現状を変革していく意識を持った人間は少数派しか生まれないのであり、しかもこの大衆民主主義の極点に達した現在の日本においてはこの覚醒した少数派は一切の影響力を発揮することはないからです。
そうなると、まずは歴史を教えて自分自身というものを認識させて、その上で現状を変えて自主国防の勁い気概を持つ国民を育て上げ、そうした国民の力でもって民主主義システムの弊害の是正も図るしかないのであり、ならば教育再生でしか突破口は開けないのです。しかし今からすぐに教育再生を図ったとしても、現在の腐りきった教育を少しでも受けた子供の世代は決してまともな人材が多数派を形成することはあり得ないのであり、希望が持てるのは現在7歳未満の世代以降ということになります。
その子供たちが成人し被選挙権を得るまでに18年かかります。選挙権などは、現在の政治に制度上の欠陥があまりにも多く選挙などで民意が政治に反映するわけはないので意味はありません。実質的に意味があるのは被選挙権だけです。まともな国民がそれを得るまでにあと18年かかるわけです。
しかもその教育再生のスタートが遅れます。何故なら現在の内閣主導の教育再生は必ず挫折するからです。現在の愚民が多数派を占める日本において政治の回路に乗せてああいうまともなものが通るはずがないのです。今から民間主導で新たな教育再生の試みを大至急進めていかなければいけません。その仕切り直しに2年かかるでしょう。
そういう意味で最短であと20年は挽回のチャンスすらやってこないという予想が成り立つのです。こうした苦々しい現実から逃避したいがために「シナはもうすぐ崩壊する」「アメリカが圧力をかけてくれる」などと耳障りの良いとこを言ったり聞いたりして悦に入っている者が多いのが昨今なのですが、現実にはアメリカは何もしてはくれませんし、むしろシナ朝鮮への屈服を催促してくるだけでありますし、シナ朝鮮ではなく実際は日本こそが滅亡の淵に立っているのが現実なのです。もちろんシナ朝鮮の状況が安泰だなどとは言いませんが、そんなことは我々の努力とはそもそも関係ない話です。シナ朝鮮が崩壊しそうだからといって我々が何ら未来へ向けての努力をしないことへの免罪符にはならないのです。
何故に日本がシナや北朝鮮に敗北したのかというと、日本国民が全く現状変革の努力を放棄していたからであり、これはあまりにも当然すぎる結果なのです。このことを日本国民はまず重く受け止めなければいけません。そして臥薪嘗胆の故事を思い出し、この危機を挽回するため捲土重来を期すべきなのです。そもそも今回の失敗にしても、日本国民が甘いことばかり言って現実から常に目を背けてきたことによる必然の結果だったのです。
臥薪嘗胆こそ今の日本には必要な考え方でしょう。負けは負けと潔く認めて、自力で挽回するのです。日清戦争後の三国干渉でロシア・ドイツ・フランスに決定的敗北を喫した当時の日本国民は決して「ロシアは近いうちに崩壊するはず」や「イギリスがきっとなんとかしてくれる」などという戯言は言いませんでした。素直に敗北を受け止めて、そのうえでひたすら自力で現状を打開しようとしたのです。だからこそ危機を克服し日露戦争に勝利することが出来たのだといえるのです。100年前には日本人はそういうことが出来たのです。

シナは今回勝利はしましたが、一気に日本を呑み込むような冒険はおそらくしません。そんなことをすれば日本国民が危機感によって覚醒してしまうかもしれないからです。だからシナとしては、日本国民がこのまま敗北の現実から目を背けて「シナはもうすぐ崩壊する」「アメリカがきっと圧力をかけてくれる」などと冷笑し続けてくれているほうが都合がいいのです。そうしてまた日本が努力を放棄して時間を空費すれば、また次も日本は敗北し、今度こそは日本を安全に呑み込むことが出来るからです。
つまり今から努力し続ければ、つまりまずは教育を文部科学省や内閣などとは全く無関係に国民自身の手で変えていくことから始めれば、20年後には日本にも逆転のチャンスが巡ってくるのです。しかし、これは言い換えれば20年間は報われない努力を続けなければいけないということなのです。
その20年の間には寿命が尽きる人もいるでしょう。例えば拉致被害者のご家族の方などの多くは失意のうちに亡くなるでしょうし、拉致被害者本人も無事でいられるか不透明です。また、その間にシナや北朝鮮が滅亡するなどという神頼みはしても無駄というものです。シナやアメリカの圧迫によって日本は北朝鮮との国交正常化と多額の支援を強制させられ、それが達成されれば用済みになった拉致被害者は始末される可能性が高いでしょう。そしてそれを我々は指を咥えて見ているしか出来ないのです。何故なら今まで真の意味での主権を持つための努力を全く怠ってきたからです。そういう苦い苦い現実と20年間向き合い続けて、それでも遠い未来の希望に賭けるだけの気概を持った日本人がいったい現在どれほど存在するのでしょう。
しかし、不愉快な現実とも向き合い、決して手を抜くことなく希望的観測や願望などに流されず、必要な努力さえ継続していけば、20年後には必ず挽回のチャンスは来るのです。危機を克服するための努力とはそういう類の苦い苦い努力なのです。
今までの日本の歴史において危機を克服してきた先人たちはみんなそうした不愉快な現実を果敢に向き合い、苦い苦い努力をしてきたのであり、決して下らない希望的観測や願望に縋ったりはしなかったのです。
そういうわけですから希望的観測や願望は厳に戒めなければいけないのではありますが、現在そして未来の日本国民の中の一部の目覚めた人達もまたそうした苦い努力を遂行してくれるであろうという一点に関してだけは、私も希望的観測と願望を持ちたいと思うのです。同時に、そうした日本国民であって欲しいと祈り願わずにはいられません。

そういう意味では私は現在の安倍内閣を高く評価します。安倍内閣の内政にしても外交にしても、あまりに稚拙であるという批判はよく聞かれます。これは特に反日的な扇動者的有識者からだけでなく、むしろ保守系のまともな有識者から聞かれることが多いと思います。実際私もそうした安倍内閣批判論は正確な分析だと思います。
確かに現状において「もっと上手くやれる」手法はいくらでもあるのです。しかし、そうやって60年間「上手くやって」きた結果は、現状システムの維持への貢献しかもたらさなかったのです。今後も「上手くやって」いけば、失敗することはないのですから、現状システムの不備には気づくことはなく、現状のシステムは守られていくでしょう。
しかし実際はもう現状のシステムは時代遅れなのです。つまり例えば米軍が日本の安全を保障するというシステムはもう老朽化して使い物にならないのです。しかしそれがまだ使い物になるように「上手くやって」見せていけば、誰もその老朽化には気づくことはないのです。
逆に、その老朽化したシステムに代わる新しいシステム、例えば自主国防システムですが、そういうものはまだ整備されていません。特に日本ではそれを執拗に妨害する勢力が強固なので、なかなかそれが出来上がっていきません。そういう状態で、自主国防システムの存在を前提としたような外交や国防政策を打ち出せば、そんなものは失敗するに決まっています。だからそういうことをすれば「下手糞」や「稚拙」に見えるわけです。それが現在の安倍内閣の「稚拙さ」の正体です。
しかし、本当に稚拙なのはいったいどちらなのでしょうか?
喩えてみれば、戦後日本は羅針盤の無い船のようなものです。羅針盤が無くても不便のないように色々な工夫がなされてきました。出来るだけ陸地から離れないように航行するとか、外洋を航海しなければいけない時は羅針盤を持ったアメリカの船と一緒に航行するとか、「上手くやれる」方法を編み出してきたのです。
だから、その方法からはみ出したようなことをやると非難されるわけです。「せっかく上手くやれる方法があるのにどうして使わないんだ。稚拙すぎる」と。しかし、この「上手くやれる」方法とは結局は、羅針盤の必要性を隠蔽するためのまやかしに過ぎないのです。
陸地の近くをウロチョロしたり、アメリカの船のお尻にくっついていっているうちは「どうだ、上手くやれただろう」と偉そうにしていますが、こんなものは失敗しそうな場面から逃げているだけのことで、子供用プールで溺れないことを自慢している大人のような醜悪さがあります。
それでも外洋へ単独で航海する必要や、深いプールで泳ぐ必要性が無いのなら、それでもいいのでしょう。しかし、実際はそういう必要性が生じてきつつあるのです。
ならば羅針盤を装着すればいいのですが、なかなか妨害が多くて簡単に装着できませんし、現実の事態の進行はそうした状況に合わせて待ってはくれないのです。そうなると見切り発車的に羅針盤無しで外洋に単独で出たりすることもあります。すると当然難破します。難破すれば「下手糞」とか「稚拙」とか言われて非難されます。
しかし、そういう時に沿岸で水遊びをして目的地に向かうこともしないことが「上手くやった」と言えるのでしょうか。確かに難破はしませんが、目的も達成できないわけで、しかも羅針盤の必要性も隠蔽し続けるわけですから、こちらのほうが性質が悪いのではないでしょうか。
安倍内閣のやっていることは、この羅針盤無しで外洋に出るようなことであって、これは当然のように難破し漂流するわけで、だから非難されますが、少なくとも羅針盤が無ければ難破するという現実は知らしめることは出来るわけです。そういう苦い不愉快な現実を直視させてくれる意味で、国民にとって良い内閣だと思うのです。
こんなことを言えば「難破すると分かっていて漕ぎ出すのは為政者として国民に対して無責任ではないか」という反論もありましょうが、今まで60年間、あらゆる無関心と妨害とで羅針盤を持とうとする努力を怠り邪魔をしてきて、真の意味で責任を放棄してきたのは他ならぬ国民なのですから、そのような反論はナンセンスと言うしかありません。
今まで国民が主権者などと僭称して犯してきた無責任の罪の重さを思えば、安倍内閣の無謀な航海によって生じる難破で何人か溺死したとしても、まったく当然のこととしか思えません。
そういう意味で、私は安倍内閣が何らかの実のある成果を残すという期待は全くしておりませんが、果敢な挑戦の結果の失敗によって、日本国民にとって苦々しく不愉快であり有意義な「日本はシナや朝鮮に負けた」という現実を直視させて、自主国防の必要性を痛感させてくれるという意味で、後世の日本に貴重な得がたい教訓と指針を残してくれることを期待し、高く評価しているのです。少なくとも、見たくない真実を見ようとせず国民に隠蔽しようとする政権よりはマシというものでしょう。そして、必ずや安倍内閣の意思を継いで日本を正常化する政権がいずれ生まれてくるであろうと信じます。
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この記事に対するコメント

2ちゃんねるにマルチポストしてまでアクセス数稼ぎたいんですか?

【2007/02/13 16:21】 URL | pl #- [ 編集]


小泉の5年でもずいぶん変わったと思う。

20年待ちは長すぎますが、黒船来航から
明治維新までが15年・・・やっぱりそのくらいは
かかるんですかね?

【2007/02/14 12:36】 URL | 774 #- [ 編集]


ある意味では黒船来航の時よりも混迷は深いかもしれませんね。
というか黒船来航の時とは時代背景がだいぶ違うと思ったほうがいいでしょう。
それに20年は単に待つ期間ではありません。遣り甲斐は十分にありますよ。
その間に良い事が全く無いわけでもありません。
逆に20年後以降が良い事ばかりというわけでもありません。
これは時代の大きな流れにおける話であって、個々の人達は常にやれることをやっていけばいいのです。

【2007/02/14 13:52】 URL | KN #- [ 編集]



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