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日本史についての雑文その127 文明の黎明期
では先ほどの例にあった「・・・A衰退期/B形成期→A解消期/B確立期→A残滓期/B修正期→B改革期/C黎明期→B変質期/C胎動期→B爛熟期/C草創期→B衰退期/C形成期→B解消期/C確立期→B残滓期/C修正期→C改革期/D黎明期→C変質期/D胎動期→C爛熟期/D草創期→C衰退期/D形成期→C解消期/D確立期→C残滓期/D修正期→D改革期/E黎明期→D変質期/E胎動期→D爛熟期/E草創期・・・」というA→B→C→D→Eという5つの文明の連続モデルの場合のC文明の黎明期から残滓期までの時期を例にとって、それらの時代区分を更に前期後期に分けて、C文明を中心とした視点で各時代区分の特性について、下記の順番で改めて説明していきます。
1、B文明改革期前期/C文明黎明期前期
2、B文明改革期後期/C文明黎明期後期
3、B文明変質期前期/C文明胎動期前期
4、B文明変質期後期/C文明胎動期後期
5、B文明爛熟期前期/C文明草創期前期
6、B文明爛熟期後期/C文明草創期後期
7、B文明衰退期前期/C文明形成期前期
8、B文明衰退期後期/C文明形成期後期
9、B文明解消期前期/C文明確立期前期
10、B文明解消期後期/C文明確立期後期
11、B文明残滓期前期/C文明修正期前期
12、B文明残滓期後期/C文明修正期後期
13、C文明改革期前期/D文明黎明期前期
14、C文明改革期後期/D文明黎明期後期
15、C文明変質期前期/D文明胎動期前期
16、C文明変質期後期/D文明胎動期後期
17、C文明爛熟期前期/D文明草創期前期
18、C文明爛熟期後期/D文明草創期後期
19、C文明衰退期前期/D文明形成期前期
20、C文明衰退期後期/D文明形成期後期
21、C文明解消期前期/D文明確立期前期
22、C文明解消期後期/D文明確立期後期
23、C文明残滓期前期/D文明修正期前期
24、C文明残滓期後期/D文明修正期後期

ちなみに、上記の1?24のそれぞれ25年単位の時代区分のうち、1と13、2と14、3と15、4と16、5と17、6と18、7と19、8と20、9と21、10と22、11と23、12と24はそれぞれ同一の中身の時代を、勃興してくる文明側と衰退していく文明側のそれぞれの視点で眺めたものなのですが、ここでは常にC文明側から見た視点を中心にして、C文明が生まれてから消えていくまでの文明史600年間を追っていくようにしてあります。
つまり例えば1の時代においてはC文明は生まれてくるのであり、13の時代においてはC文明は衰退を開始することになるのですが、1の時代においてはB文明が衰退を始めるのであり、13の時代においてはD文明が生まれてくるのであって、つまり1の時代も13の時代も、何かの文明が生まれ何かの文明が衰退を開始するという時代相としては全く同一の現象が起きているのです。ただC文明を主人公とした文明史物語として捉えた場合には、1の時代と13の時代は全く意味合いの違った時代ということになるのです。そして以下の各時代の説明は、そうしたC文明主体の記述になっているということなのです。
また、各時代の年代スケールを分かりやすくするために、C文明の黎明期開始時点を0年に設定し、仮の年代を時代区分の表題の前に付記することにしました。
では、1番から順番に説明していきます。


1、000年?025年 C文明の黎明期前期(+)/B文明の改革期前期(?)

この1つ前の時代において、既存のB文明が安定成長の末に行き詰まり、はじめてその文明としての矛盾が明らかとなり、この時代の冒頭においては、その解決のための努力が求められていました。
この時点でB文明を動かしていた文明原理は、幾分は日本化されたとはいえ未だに外来的な要素が強く、これを日本の伝統的価値観に馴染ませる必要がありました。そのために、B文明の1つ前の文明であったA文明の残存したエッセンスをB文明の中に消化吸収してきたのであり、その消化吸収が終わり完全にA文明のエッセンスをB文明の血肉とし終わったのがこの時代の冒頭のことであったのです。
よって、この時代の25年間においてはA文明のエッセンスの化学作用によってB文明が完全に日本化されていく過程が進行していくのであり、それによってB文明が再生される端緒を掴むまでの試行錯誤に、この25年間は費やされるのです。
この化学作用の結果、この時代の試行錯誤の後に、その副産物として新しい文明であるC文明の息吹が生じてくることになるのですが、これは当初はB文明再生のための新しい試みとして生まれてくることになるのですが、次の時代以降、次第にB文明とは異質なものとして育っていくことになります。
ただ、それが生まれるのは次の時代の冒頭のことであり、この時代の25年間はだいたいがC文明が生み出されるまでの試行錯誤の時代であるといっていいでしょう。それはB文明再生のための試行錯誤とほとんど区別がつきませんし、実際に渾然一体となったものだと言っていいでしょう。
このように、B文明再生の試みの中からそれとは異質なC文明が生じてくるようになる理由は、結局は長期的にはB文明の限界は見えているのであり、ここで為される再生は延命措置にしか過ぎないのであって、B文明に替わる新しい文明を生み出して育てておく必要があるからなのですが、そのような先読みが正確に出来る人間というものはほとんどいないでしょう。
実際は、B文明再生のために生じたはずの要素であっても、その後のB文明の辿る道筋において不要になり相容れなくなっていくものも多く生じるのであり、その中で社会の変化に上手く合致していったものだけが生き残り、新しいC文明を築いていくことになるのです。
これはつまり、B文明から弾き出されたC文明のほうが社会変化に合致していくということは、B文明のほうが社会変化に合致しなくなっていくということなのですが、それもそのはずでB文明は実は既にこの時代の前に行き詰った時点で既に時代の変化に合致しなくなっているからなのです。ただ、その時代の変化自体、B文明の発展によってもたらされたものなのですが。
つまりB文明は単にA文明の要素を取り入れての日本化や、B文明自体の確立期前期への回帰や、新規C文明の要素を取り入れていったり、様々な延命措置を施して時代になんとか合わしていくのですが、結局はそれらはいずれは破綻するのです。それに替わって時代の流れに上手く合わしていくものが新しいC文明となっていくのです。
そういったC文明を構成する要素の可能性を直感的に感じ取って、C文明の息吹を形あるものとして世に出してくる先覚者たちが現れるのが、この時代の次の時代ということになります。
この時代においては、未だ姿の見えないC文明についてよりも、問題解決を迫られているB文明の再生のほうに人々の関心が向くのが当然であり、この時代に人格形成期を送った世代のほとんどは、次の時代も引き続き、とうとう方向性の定まるB文明の再生に邁進していくことになります。そうした中で、ごく一部の勘のいい先覚者たちがこの時代の空気を感じ取って次の時代においてC文明を発生させていくことになるのです。
その時代の空気の中には、新たな外来文化の波というものもあり、先覚者たちはこの時代に新たに現れる外来の影響にも反応して、それを新たな文明を生み出す契機にもしていくことになるのです。既存の日本の伝統とは異質な新しい外来の影響を受けることによって、このC文明は既存の文明とは異質なものとして育つことが可能になるのです。
何故この時代や、この時代以降において外来の影響が生じてくるのかというと、文明が成長したり活動の幅が広がることによって、外界を刺激したり外界から刺激を受けたりするリスクは当然高まるのであり、この前の時代においてB文明が一旦成長しきった時点で、日本社会は外来の影響を受けるサイクルに入ったのだと考えればいいでしょう。それは外国からの影響であるかもしれないし、自然界からの脅威かもしれません。とにかく既存文明とは異質なものからの働きかけということです。
この新たな外来の影響は、この時代においては小さく、ごく限定された範囲にしか認識されていないものですが、この後の時代を追っていくにつれて、次第に大きなものになっていくことになるのです。それはつまり、この後の時代を追っていくにつれて、B文明とC文明を合わせたトータルとしての日本文明というものが質的あるいは量的に成長し続けるからであり、それにつれて外界との摩擦が徐々に増大していくということなのです。


2、025年?050年 C文明の黎明期後期(+)/B文明の改革期後期(+)

この時代は新たなC文明の息吹が生まれてくる時代です。それはこの時代においては一部の先覚者たちによって生み出されて保持されるものであり、具体的な制度や組織などの形を成すまでに至っておらず、漠然とした時代精神として存在することになります。
この新しいC文明の時代精神は、この時代の初期において、ごく少数の先覚者たちによって、この1つ前の時代におけるA文明の残存エッセンスを吸収したB文明の再生の試みの中から見出された先進的な要素に外来の新要素を加味して作り出されたものです。
まだこの時代においてはこのC文明の時代精神は世の中に広まっておらず、この一部の先覚者を中心とした、ごく狭い閉じられたサークルにおいて育てられていく段階にあるといえます。
よって、このC文明に影響を及ぼす外来の刺激についても、前の時代に比べればやや明らかにはなってきますが、まだまだ小さく限定されたものであり、世間一般に知られたようなものにはなっていません。よってこうした外来の刺激も、この先覚者のサークルにおいて認識されているのみということになりますが、その中においてC文明の時代精神に着実に影響を与えていっている状態と言っていいでしょう。
一方、前の時代においては試行錯誤を繰り返していたB文明の再生が、前の時代の終盤には方向性を見出し、この時代は既存のB文明の再生に向けて抜本的改革を断行していく時代となります。
そのためこの時代においては世間の関心はほとんどはB文明の再生のほうに向けられ、新生のC文明のほうはまだそれほど注目されません。ただ、B文明の再生のための改革政策が結果的にC文明の生育に有利な状況を作ることも多々あり、この両者の動向は全く無関係というわけではありません。
また、この時代にもB文明の変質が少しばかり始まるようになりますが、それはC文明の要素が次第に育ってきて僅かながら社会に影響を及ぼすようになってきて、その影響によってB文明が少し変質してくるようになるのです。
そもそもB文明の抜本的改革自体が、B文明の維持を目的としつつも実際には大幅な変化をもたらすものになっていますから、これがC文明にも肯定的影響を与えますし、B文明自体の変質ももたらす結果に繋がっていくのです。ただ、この時代においてはそうした作用はまだ大きく発揮されることはありません。
こういう時代に人格形成期を送った世代は、ほとんど大多数はB文明の改革の嵐を肌で感じることになり、次の時代にもその改革の続きを引き継いで改革を成し遂げようという意識を持ちます。そうした中で、C文明を地道に育ててきた先覚者サークルに属していた若い世代の人達は、上の世代が育ててきたC文明の時代精神に自信を持つようになり、それを思い切って広く世に問いたいという欲求を持つようになってきます。こうして、次の時代において彼らの世代によって、C文明の時代精神は世間に広まっていくことになるのです。
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