KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本史についての雑文その128 文明の胎動期
3、050年?075年 C文明の胎動期前期(+)/B文明の変質期前期(+)

この時代においてはC文明の時代精神は社会の水面下で広がっていきます。C文明にとっては前の時代の先覚者の時代から組織者の時代への代替わりの時代であり、閉じられた個人サークルを超えて社会に裾野を広げていく時代になります。
ただそれは単に自らの新たな時代精神を世に知らしめたいというだけの欲求であり、まだ社会に積極的に働きかけようというほどのものではありません。よって、まだ新しいC文明は社会に大きな影響は及ぼしておらず、ただ水面下で密かに広がっていっているという時代であったのです。よって、C文明に影響を与える外来の刺激も、この時代はそれほど劇的展開は見せず、前の時代と似たような感じです。

しかしそうはいっても、新しいC文明が水面下で広がっていくだけでも幾らかは社会に変化をもたらしていくものであり、その結果、社会の本流である既存のB文明も変質していくことになるのです。
B文明自体が前の時代の抜本的改革の流れを引き継いで安定した状態の中で変化を遂げていく時代であるのですが、それは新しいC文明の広がりと表裏一体の関係にあり、どちらがどちらというような区別がしっかりしているわけではなく、B文明の変化とC文明の普及との両輪で社会を変質させていっている時代だといっていいでしょう。
つまり、この時代においては既存のB文明と新規のC文明とは相克関係にはなっておらず、むしろ協力関係にあり相乗関係にあるといえるでしょう。それは、この時代においてはまだC文明が育ちきっておらず、B文明の存立を脅かすほどの存在にはなっていないからです。
このように新規のC文明の要素をも有効活用することによって、既存のB文明は300年サイクルの中で最も安定し成熟し、この時代の終わり頃にはB文明は頂点を迎えて完成されることになるのです。言い換えると、ここでB文明は実質的には主役としての役目を終えているとも言えるわけですが。
こういう時代ですから、ここで人格形成期を送った世代は、次の時代もこの完成されたB文明のやり方でやっていけば間違いないと確信しているわけなのです。ところが実際にはB文明の主役としての役割はここで終わりつつあるのであり、更なる社会の変化に対応できず、同じやり方では次第に齟齬が生じてくるようになります。
次の時代においてそのような社会変化を推進していくのは新規のC文明の更なる広がりによるものなのですが、それはこの時代においてしっかりと社会に基盤を築いたC文明の担い手達で、この時代に人格形成期を送った人達が、次の時代においては社会の表面に姿を現して社会に影響を与えていくことを望むようになるからです。


4、075年?100年 C文明の胎動期後期(+)/B文明の変質期後期(?)

この時代においては、新規文明であるC文明が次第に社会の表面に姿を現してくることになります。つまり多くの人々に新文明の存在が認識されるようになってくるのです。それは先述のようにC文明の担い手達が更に積極的になった結果でもあり、C文明が地力をつけてきたからでもあるのですが、それらだけが原因ではありません。
B文明の全盛期においてC文明の存在が認識されてくるということは、それはつまりC文明がB文明とは異質な存在であるということが人々に認識されてきたということなのです。つまり前の時代においては共同歩調をとっていた新旧両文明がこの時代に入ると次第に離れた道を歩むようになってきて、C文明がB文明とは違った特色を発揮してくるようになるのです。
それはどうしてなのかというと、C文明の成長につれて、この時代に入ると外来の刺激もハッキリと目に見える形、これが外国からの働きかけであったり自然災害であったり、とにかく既存の文明の枠組みの外からの刺激なのですが、そういうものが現れてくるようになり、それに対して既存のB文明は適切なリアクションをとれなくなってくる反面、新規のC文明のほうは適切なリアクションをとって、その外来の刺激を受けて更に成長していくというように、新旧両文明の間で明白な違いが生じてくるからなのです。
何故そういう違いが生じるのかというと、B文明のほうはもともと矛盾を根本的に解決しないままに延命措置を続けながらC文明の要素も動員して全盛期をやっと維持していた状態であったので、外来の刺激に対応する余裕が実は既に無くなっていたのです。一方、C文明のほうはまだまだ伸びる余地があるので外来の刺激に対応する柔軟性をまだ持っている上に、もともとこの時代の外来の刺激に関係して生み出されてきた文明なので、それに対して親和性が高かったという事情があります。
こうしてC文明は次第にB文明から離れて独自の道を歩むようになり、外来の刺激も受けて成長を加速させ、そしてとうとう、この時代の終盤にはC文明は社会に影響を及ぼす存在として認知されることになるのです。つまりC文明の影響力がとうとう表面化することになるのです。
これはつまり、C文明の影響力が表面化してくるということは、B文明の変質の末の対応力の喪失や矛盾が表面化してくるということと同義ということになりますから、このあたりから社会を動かす主導権がB文明からC文明のほうに移り変わろうとするのだと言っていいでしょう。
この時代の終盤においてこうした逆転現象が表面化し、そのため既存のB文明を守るために一種の反動政策が行われ、新興のC文明に対する抑圧政策が初めてとられることとなりますが、C文明は既にこういうものでは潰れるようなものではなくなっており、むしろそれをきっかけにC文明がB文明とは異質なものであることが明確に認識され、C文明はB文明からいっそう自律的になり活性化し、次の時代における大発展の引き金となるのです。
一方、こうした時代の流れに逆行した反動政策によってB文明のほうは時代の変化について行けなくなったことを明白にしてしまい、その文明としての足腰を弱める効果を生じてしまうようになります。
もちろんこの次の時代においても社会の安定や成熟は続き、むしろ成長局面に入っていくのですが、これはC文明の要素に牽引されてのことであり、B文明の元来の要素にはさほどの勢いは無くなってくるようになるのです。
こうした時代に人格形成期を送った世代は、その多くが既存のB文明よりも新規のC文明のほうに魅力を感じるようになり、次の時代においては積極的にC文明の活動に参加していこうとし、更にこの時代の終盤にC文明が獲得した社会への影響力を行使して、社会に働きかけていこうという志向も持つようになります。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。