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日本史についての雑文その132 文明の修正期
11、250年?275年 C文明の修正期前期(+)/B文明の残滓期前期(?)

この時代は前の時代における新文明の完全定着と抵抗勢力の完全排除を受けて、抵抗勢力への抑圧方針自体が不要のものとなったので、前時代末期における圧迫の行き過ぎによる形成期前期への揺り戻しへの反省もふまえて、新文明の支配原理となった外来の価値観の浸透による穏健な方法での新文明の普及と安定が図られ、そしてその上での安定成長が達成される時代です。

ところが新文明の支配原理である外来の価値観はもともとは抵抗勢力を排除していくために採用されたものですから、目立った抵抗勢力が存在しなくなったこの時代においては、これを無理に普及させていくことによって社会における伝統的価値観との衝突によって余計な摩擦を生むことになってしまいます。
もはや新文明の支配原理に取って代わるほどの力を持った抵抗勢力も存在しないわけですから、そのような不毛な争いはもはや行う必要が無いのであって、新文明の支配原理を早急に効率よく浸透させていくには、むしろ伝統的価値観を取り込んでいくほうがいいのです。いや、そのようにして浸透力を高めなければ、敵対勢力の存在しない時代において外来の価値観は容易に受け入れられないのです。
そういうわけで、C文明の支配原理である外来の価値観は、旧文明であるB文明の残滓のエッセンスを取り込んでいきつつ、日本社会に深く浸透していくようになったのです。これによってB文明はそのエッセンスがC文明の中に取り込まれることによって昇華され、社会の表面上からは姿を消すことになります。しかし完全に消滅するわけではなく、次の時代においてB文明のエッセンスはC文明の中で化学変化を起こしC文明を日本化していくという作用を発揮することになるのです。
ただ、この時代においてはまだそうした化学変化はあまり生じることはなく、B文明はC文明の中に単に呑み込まれただけのように見え、表面上はB文明は消滅し、C文明が完全勝利したように見えます。
実際にC文明の担い手である新文明勢力もそのように思い、とうとう完全にC文明の社会を完成させたという自負のもと、目覚しい成長を遂げていくことになるのです。
この時代はこうした展開を見せる時代なのであって、この時代に人格形成期を送った世代はまさに得意の絶頂であり、この成長がどこまでも続くものだと信じて、次の時代においても全く同じやり方で更なる成長が成し遂げられると思うようになるのです。


12、275年?300年 C文明の修正期後期(?)/B文明の残滓期後期(?)

この時代は、前の時代における完全定着したC文明の下での安定成長路線の継続が図られます。それはこの時代の前半においては前の時代以上の目覚しい成功を収めるのですが、この時代の後半に差し掛かるあたりから退廃が目立つようになり、終盤には成長自体が失速して行き詰るようになります。
何故こういうことになるのかというと、もともと形成期以降に本格的に構築されてきた新文明は危機対応型のもので、危機を克服するために外来価値観を主導原理としてきたのです。そして形成期で危機が去った後は確立期においては文明建設に、そして修正期においては成長のカンフル剤として、この外来価値観のエネルギーは消費してきたのですが、そのような使い回しもそろそろ限界が来たということなのです。
もともと外来の価値観ですから、日本の風土には合わないわけです。それをその都度、目標を設定してそれを達成するための言わば必要悪として、その外来価値観を使い続ける意味を強調して誤魔化してきたのが実情で、そういう手法がこの急激な成長による社会の大きな変化に翻弄されて、この成長の頂点においてとうとう制度疲労を起こして機能不全に陥るのです。
その機能不全は、まずこの時代の後半に入ってから、外来価値観を重視しすぎて伝統的価値観を軽視したツケが出てきて、道徳的退廃が広がるようになります。やはり伝統的価値観に根ざした道徳観でなければ、真の意味で日本社会に深く浸透していくことはないのです。成長と相まって生じてくる軽薄な風潮の中で道徳を維持していくためには、外来価値観のみを重視する姿勢では不足なのです。
そうやって道徳的退廃が蔓延していくようになると、社会は人間によって構成されているものですから、人間の退廃は社会の停滞にも繋がっていくのであり、この時代の終盤には社会の成長自体が頭打ちになり停滞していくようにもなるのです。
こうした停滞に対応していくために、前の時代にC文明の中に取り込まれ消化吸収されたB文明のエッセンスがこの時代に入ると水面下で化学変化を起こして、もともと外来価値観を核としたC文明を次第に日本化していき、伝統的価値観にも根ざしたものに昇華して変えていくのです。
しかし、この時代の行き詰まりはこの程度のことで解決できるような容易いものではないのです。これは結局、形成期以来のC文明の大方針が限界に来たということであり、それによって、ここまで急テンポで走り続けてきた中でC文明の外来価値観の力で抑え込んできたC文明そのものが社会にもたらした様々な矛盾点が浮き彫りになってくるようになったのです。そうした矛盾そのものを解決していかねばならないわけです。
この時代の終わりには、こうしたC文明の矛盾点がとうとう表面化して、C文明の主導原理である外来の価値観の限界が明らかになり、替わってB文明のエッセンスによって日本化されたC文明から新しい価値観が生じてくることが暗示され、人々はそうした新しい価値観や方向性が生じてくることを期待するようになります。
実際、C文明の矛盾を解決するためにはC文明の原理では根本的には対処不可能なのであって、C文明を超える新たな文明を創出しなければならないのです。しかもそれはまず道徳の回復が基調となるものですから、伝統的価値観に沿ったものでなければならないわけで、そうなるとB文明の要素を引き継いで日本化されたC文明から発展させて新たな文明を創出していくのが一番良いわけです。
しかしそれはそんなに簡単なことではなく、非常に時間のかかることで、またその方向性も具体的に見えてこないものでした。そういうわけで、ここから暗中模索の時代に入ることになるわけです。
こうしてこの時代は終わり、次の時代に移っていくことになるのですが、この時代に人格形成期を送った世代は文明の行き詰まりという初体験に大きな挫折感を味わい、それを解決していこうというよりも、大部分の人は混乱して途方に暮れることになります。そんな感じですから、次の時代もしばらくは混沌が続くことになるのです。
ただ、一部には懸命に事態の解決を図ろうとして悪戦苦闘する意思を持つ人もいますので、次の時代においては少しずつ試行錯誤が繰り返されて、徐々に同調者も増えて事態は好転していくことになります。
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