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日本史についての雑文その135 文明の爛熟期
17、400年?425年 C文明の爛熟期前期(?)/D文明の草創期前期(+)

この時代においてはC文明は時代を動かす主導権をD文明に譲り渡していきます。そういう事態の進行に対してC文明側の反応は大きく2種類に分裂していきます。
まず前の時代の終盤の反動政策を引きずって、あくまでD文明に主導権を渡さないように抵抗していく方向性があります。この場合、D文明側からの反発を招き、C文明とD文明との乖離はますます大きくなっていき、C文明はますます時代への対応力を失って取り残されていきます。それでもC文明側によるD文明側への抑圧が続く場合は、D文明からC文明への抵抗運動も起きてきて、ちょっとした抗争状態も生じます。

そしてもう1つの方向性としては、むしろD文明側と協調して、D文明側に今までのC文明の成果を引き渡していき、C文明の成果を次のD文明体制建設のために有効活用させようという方向性があります。
C文明は前の時代の終盤で実質的な役割を終えていますから、あとはその積み上げてきた成果を表面化させてD文明に引き渡せばいいというわけです。そのためにはD文明によって社会の成長を促進させ、そこにC文明の成果を花開かせていくようにすればいいわけです。開花させてしまえば、あとは収穫するだけとなります。
そういうわけでこの時代においては、C文明によるD文明への抑圧が継続しつつ、D文明主導による社会の成長が着実に進んでいき、その中でC文明の成果が次第に花開いていくようになります。
この「抑圧」と「協調」という2つの方向性は一見して相矛盾しているようですが、実際はこの2つの方向性の妥協点においてC文明の成果というものが生まれてくるのです。つまりC文明がD文明の成長を抑えようとして、それに反発するD文明との間に抗争状態が生じて、この時代においてはこの両文明の間に大きな力の差はありませんから、妥協によって解決することになります。
するとC文明はD文明の要素を少しずつ取り入れていくことになり、D文明もC文明の要素を少しずつ取り入れていくことになります。そうなると、この場合は体制側はC文明勢力ですから、C文明の支配力はどんどん低下していくことになりますが、同時にD文明の中にC文明の成果が組み込まれることになるのです。
こうしてD文明が成長していくにつれて、C文明の成果がD文明の中に取り込まれて残っていくことになるのです。そして同時にC文明の求心力は低下していくことになるのです。
この時代はこうしたC文明とD文明の抗争と協調を繰り返しつつ、次第にC文明の求心力が低下し、D文明がC文明の成果を取り込むことでその影響力を増していく過程ということになります。そのD文明もまだこの時代においては求心力を獲得していないわけで、つまりこの時代は決定的な求心力を失い社会がバラバラに解体していく段階ということになります。
こういう時代に人格形成期を送った世代は、大部分の人が表面上の社会の成長によってC文明の成果が花開きつつある状況のほうに注目しがちで、次の時代においてもD文明主導での成長を持続してC文明の成果を得ていこうとします。
一方、社会から求心力が失われつつあることに対して危機感を持つ人は少数派ですが、それには2種類あり、C文明体制維持のための求心力を回復しようという人達と、D文明を発展させて求心力を発揮させようという人達の2種類ということになります。


18、425年?450年 C文明の爛熟期後期(?)/D文明の草創期後期(+)

この時代に入ると、C文明のD文明に対する抑圧傾向が少なくなり、協調傾向が増えてきます。それだけC文明の求心力が低下してきたということであり、D文明の影響力が高まってきたということなのです。
そうなると今度はD文明側から積極的にC文明側の体制に対して様々な要求をするようになっていき、それに対してC文明が妥協で応えるという形で、D文明の中にC文明の成果が取り込まれていくというパターンが増えてくるようになりました。
この時代になると、こういう遣り取りの頻度が上がっていき、とうとうC文明の成果が社会の表面に現れるようになってきます。これは言い換えると、D文明主導による成長傾向が極大に達したということで、一見すると文明は最高の繁栄を示しているように見えます。
しかしこれは実際にはC文明の成果がどんどんD文明に吸い取られていっているのであり、C文明の求心力が猛烈な勢いで削り取られていっているのです。それにつれて社会から求心力が失われるようになり、社会矛盾が表面化してくるようになります。
このようにして、この時代に入ると、世の中が次第に混乱してくるようになります。また、この時代における急成長によって外来の刺激も強くなり、そこにもってきて社会の求心力が低下したので余計に混乱を助長することになります。
こういう状況の中で、この時代の終盤において、再びC文明の求心力を回復しようという最後の反動攻勢の試みが為されることになります。これはここまでのD文明との妥協によって成り立ってきたC文明自身の成果も全て反故にして、D文明を力で押さえつけて強引にC文明に内包する矛盾を解決しようとする試みで、C文明自身の今までの積み上げ自体を無視したものであり、言わばC文明の支配原理のみを借用した全く別個の文明を伝統から断絶した形で社会に押し付けようという試みであり、当然のごとく社会全体の猛反発を受けてこの試みは失敗します。
これによってC文明の体制を維持するということはもはや国家や国民にとっては有害であるということが明らかとなり、C文明は社会を統制する力を完全に失い、形骸化することになります。そして社会は求心力を失って混乱が加速されることになります。
またD文明はもはやC文明と妥協する必要が無くなりますので、この時代の終盤のC文明の最後の反動攻勢の挫折後には、ここまでに得たC文明の成果を駆使して新たにD文明主導の体制を形成していく新興勢力を生み出すことになります。
こうしてC文明の支配体制は実質的には終わりを告げ、新興勢力によってC文明の成果はD文明体制構築においても活用されていくようにはなりますが、外来的危機の高まるこの時期における新興勢力の持つ価値観は従来のC文明の価値観とは異質なものとなりますから、この後しばらくの間は伝統的価値観の継承という意味では危機的状況が続くことになります。
そうした危機的状況を最終的に救うためにも、C文明の支配体制は終焉しても、C文明そのものはこの後もすぐには消え去らず、そのエッセンスを保持して次の時代に引き継いでいかなければならないのです。
この時代はこうして社会が混迷へと向かっていくところで終わりますから、この時代に人格形成期を送った世代は大部分が既存の価値観を見失い混乱した状態に陥ります。そうした中でD文明主導で新しい文明体制を築いていこうという新興勢力が次第に次の時代の原動力になっていきますが、この新興勢力にC文明の成果は伝わっているのであり、次の文明に引き継がれるべきC文明のエッセンスも保持されて継承されていくのです。
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