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日本史についての雑文その142 日本人の起源
人類の発祥は約600万年前のアフリカといわれており、180万年前にはユーラシア大陸にやってきて、その後、40万年?50万年前には北京原人だとかジャワ原人なども存在していたといわれます。日本列島においてもあるいはこうした時代に人類が生息していたのかもしれません。
しかしこれらの原人や旧人といわれる種族は7万年前から始まったヴュルム氷期に際して寒冷適応が出来ずに絶滅したようですので、現在の日本人とは無関係の存在ということになります。そうなると日本の歴史に繋がってくるものとしては、10万年前にアフリカで出現した現生人類の歴史のみを対象に考察していけばいいでしょう。

現生人類は10万年前にアフリカ中南部において出現しました。ここは現在ではネグロイド、つまり黒色人種の居住地ですが、この現生人類の祖先がネグロイドであったかどうかは定かではありません。現生人類は生物学的には一種一亜種で本質的には同じ種類の生き物なので、肌の色などの形質は全く後天的に獲得したものであり、この現生人類発祥時点で彼らがどのような形質を持っていたのかについては、現在の形質から推測しても意味は無いからです。
黒色の肌に代表される現在のネグロイドの形質的特徴はおそらくはアフリカ中南部が熱帯化してから暑さへの適応として獲得されたものです。何故ならコーカソイドの血統であるインド人やモンゴロイドの血統であるポリネシア人などもネグロイド的形質を備えているからです。
つまり、人種というものはもともと同一種であった現生人類が血統別に枝分かれしていった結果の分類であって、形質的な特徴は人種とは直接関係は無く後天的に獲得されるものだということになります。そういう意味では10万年前の現生人類発祥時点ではまだ人種の区別というものが存在していないのであり、形質的特徴もおそらくは現在のどの人種とも異なっていたのではないかと思われます。
だから10万年前にアフリカ中南部に出現した現生人類の祖先はネグロイドではなく、その子孫の中でアフリカ中南部から別の地域へ移動していかなかった集団の血統がネグロイドになったのであり、その黒色の皮膚などの形質的特徴は1万4千年前のヴュルム氷期終了以降に熱帯化したアフリカ中南部の気候に適応して獲得されていったものなのです。

その現生人類が数を増やして、その一部がアフリカ中南部から他の大陸へ移動を開始したのはヴュルム氷期で他の原人や旧人などの人類種族が7万年前に滅亡した後のことで、だいたい6万年前のことでした。これらのうち北上して北アフリカから中東、ヨーロッパ、コーカサス、中央アジアなどのユーラシア大陸西部に4万年前ぐらいに広がったのがコーカソイドであり、いわゆる白色人種というものですが、必ずしも肌が白いというわけではありません。形質的には乾燥地帯での生活に適応したものが多いようです。
どうやら現生人類の多数派人種はこの4万年前の時点ではこのコーカソイドだったようで、それとは別に北アフリカから中東を通り抜けてひたすら東進して5万年前にインドシナ半島まで達していた集団がいました。この血統が旧モンゴロイドです。これはやや黒色皮膚以外のネグロイドに似た形質的特徴を持っていますから、おそらく現生人類の祖先に近い形質的特徴なのではないかと思われます。
この旧モンゴロイドはインドシナ半島南部から東部にかけてヴュルム氷期に存在した広大な陸地であったスンダランドに多数が居住し、一部はマンモスを追って北上していき、一部は海洋民族となって太平洋に広がり、一部はスンダランドから海を渡りオセアニアに移住してオーストラロイドになりました。
マンモスを追ってスンダランドから北上していった旧モンゴロイドの多くはシナ大陸に分布していきましたが、3万年前にシベリアにまで達した一部の集団の血統は極端な寒冷適応の形質を獲得し、またマンモス狩りを繰り返すことによって狩猟民族としての高度な技術力を有するようになりました。これが新モンゴロイドです。

このシベリアに居住していた新モンゴロイドは狩人であったので、ヴュルム氷期が最盛期を迎えた2万年前に寒さに耐え切れずに南下した動物を追って、ユーラシア大陸全域において先住民を圧して人口を増加させて広がり始めたのです。
ただ、ユーラシア大陸西部にはコーカソイドが多数居住していたために新モンゴロイドの進出は阻まれ、新モンゴロイドは主に人口密度の比較的低かったユーラシア大陸東部において旧モンゴロイドを南に押しやって広がっていったようです。
こうして新モンゴロイドは今から2万年前にシベリアから南下してモンゴル、中央アジア、シナの華北地方、チベット、ヒマラヤ地方などに広がっていき、またベーリング海峡にかかった氷の橋を通ってアラスカへ移動し南北アメリカ大陸に分布していった新モンゴロイドもいました。
このヴュルム氷期の最盛期においては日本列島においても津軽海峡や瀬戸内海などは全て地続きで、更に北海道から樺太を経て沿海州までは氷の橋が架かり、そして対馬海峡も氷の橋が架かっており、しかも日本列島はヴュルム氷期を通して動植物の繁殖が続いたという恵まれた環境であったのでシベリアから南下した動物は必ず歩いてこの2本の氷の陸橋を渡って日本列島へ到達したのであり、新モンゴロイドの狩猟民はそれを追ってこの北方ルートと朝鮮半島ルートの2つのルートで歩いて日本列島に渡ってきたと推測されます。
これ以前に日本列島に現生人類が居住していなかったのかというと、おそらくそんなことはなく、スンダランドを根拠地にしていた旧モンゴロイドの海洋民族がいくらかは生活していたであろうとは思いますが、この2万年前の新モンゴロイドの南下はさすがに歩いて移動出来ただけあって数が多く、これによって日本列島における現生人類の数は一気に増えたと想像できます。
こうして新モンゴロイドの狩猟民族を多数派として、旧モンゴロイドの海洋民族を少数派とするような状態が2万年前の日本列島において出来上がったのだろうと思われます。

その状況が更に劇的に変化するのが1万4千年前のヴュルム氷期の終結時です。この時に海水面が上昇して対馬海峡と北方の氷の陸橋が水没して日本列島はユーラシア大陸から切り離されます。これで新モンゴロイドが歩いて日本列島へ移動してくることは出来なくなったのです。これで新モンゴロイドの大量移住はもう困難になりました。
そしてヴュルム氷期の終結は気候の激変ももたらし、日本列島の気温は上昇し湿潤な気候になり森林が広がり漁労資源も豊富になりました。
森林が広がったことによって自然の恵みが豊かになり、草原で動物を狩っていた狩猟民族の新モンゴロイドは、この氷期以降の日本列島においては森林内で動物を狩りながら豊かな植物資源を採集する生活を送るようになりました。
そして地球全体の気温の上昇と相まって、氷の陸橋が無くなったことによる列島付近の海流の変化によって日本列島近海の漁労資源が豊富になったことは、太平洋で活動していた旧モンゴロイドの海洋民族の多くを日本列島に向かわせました。この時代の海洋民族とは、つまるところ漁労民族だからです。
おそらくヴュルム氷期の時代におけるスンダランド近海などの南方海域は氷期終了後の気候激変によって以前ほどの漁獲量が見込めなくなったのでしょう。それに替わって漁労資源の宝庫となったのが、より北方にあった日本列島であったのだと思われます。
そうした漁労資源の北方への移動という問題と、更に根本的問題としてヴュルム氷期終結後の海面上昇によってスンダランドが徐々に海中に没し始め、1万4千年前から水没は始まり、6千年前には完全に水没してしまうことになったのでした。
これによりスンダランドに多数居住していた旧モンゴロイドは他の地域への移動を余儀なくされ、彼らの多くは海洋民族であり漁労民族であったので、漁労資源を追いかけて北上して東アジアの海岸沿いに住むようになったのですが、インドシナ半島東岸やシナ南部、華南などの海岸はほとんど遠浅の海であったので漁労資源が多様でなく、やはり最も多様な漁労資源を得られる場所は日本近海であったのでした。
そこでスンダランドから北上を開始した旧モンゴロイドの海洋民族の多くは黒潮に乗って日本列島の太平洋岸、あるいは対馬海流に乗って日本海側に向かったのでした。この移動は船に乗ってのものでしたから一度に大量というわけではなく、1万4千年前から始まり、その後も6千年前まで、いやそれ以降も、波状的に続いたと思われます。
これによって、ヴュルム氷期には新モンゴロイド狩猟民族が多数派であった日本列島に徐々に旧モンゴロイド海洋民族が増えてくるようになり、日本列島においてこの新旧モンゴロイドの混血が進み、6千年前までには比較的同一の文化を保持した日本民族といえる独自の民族集団が形成されていったと推測されます。
例えば言語は、原日本語群といえるようなものはこの6千年前ぐらいに形成されたのですが、これは新モンゴロイド狩猟民族のツングース系言語の特徴である、主語の後に目的語が来る語順をベースにして、それに旧モンゴロイド系の語彙なども合わせて形成されたと思われます。もちろん同一系統の言語というだけのことで、そのまま互いに完全な意思疎通が出来るような同一言語ではなかったとは思われますが。
おそらく江戸時代の東北弁と琉球語で会話をするような困難を更に10倍ほど困難にしたようなものであったのではないでしょうか。そのような困難なコミュニケーションが日本列島の各地の小集団の間で普通に存在していたような状況であったでしょう。
しかしそれでも、おそらくそこに異邦人がやってきた場合には、その異邦人から見ればそれらの諸言語は明らかに同じ系統の言語で、方言が甚だしいというようにしか思えなかったであろうというようなレベルだったと思います。
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