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日本史についての雑文その146 文明というリスク
ではまず、BC400年?BC250年の原始国家文明の「起の部」ですが、年表においてそれに先行するBC400年以前の部分については、この原始国家文明の「起の部」へ至る導入的要素として記入したものですから、この後の部分では、まずはそこの部分から触れていくことにします。
このBC400年?BC250年の150年間は、まぁだいたいの区分けで、とにかく太古のことで日本国内の出来事に関しては文献記録も皆無ですから、ややズレはあるかもしれません。ただ大雑把に見て、だいたいこのあたりにこういうことがあったのであろうということを考古学的史料を基に想像しているだけのことです。

そういうわけですから、この150年間も本来は原始国家文明の黎明期前期、黎明期後期、胎動期前期、胎動期後期、草創期前期、草創期後期の25年間ずつに分類すべきなのですが、いかんせん細かい出来事が分からないので大雑把に150年のスケールで説明するしかありません。
まぁだいたい、この時代は、基本的には縄文時代の末期に日本列島の縄文社会に受容されていた畑稲作混合の農耕文明が一応受容されきって、縄文社会が狩猟採集を主として農耕を従とするような社会に変質していた段階で、北九州に新たに稲作文明が入ってきてそれが西日本に普及していく時代ということになります。何故この時代が「原始国家文明」の「起の部」に相当するのかというと、この新しい稲作文明が日本列島における国家形成の契機になるからなのです。

ではまずは、BC400年以降のこうした原始国家文明「起の部」の150年間の背景事情の説明のために、更に時代を遡ってみたいと思います。
日本列島において新モンゴロイドの狩猟民と旧モンゴロイドの海洋民が合体して日本民族の原型が成立したのはおそらく1万4千年前から6千年前の間でしょう。豊かな自然環境の中で森林での狩猟採集と海や川での漁労のみでも豊富な食料を確保できた日本人は、4千年前、つまり紀元前2000年ぐらいに農耕も一応受容しましたがあくまで補助的実験的なものに止まり、基本的には都市国家なども作らず戦争なども行わない文明を維持していきました。
いや、私は別に、縄文時代の日本人が決して争いごとをしないような平和人道主義者であったなどというお花畑的な考えを持っているわけではなく、また、それを理想視したり憧憬したりするつもりも毛頭ありません。縄文人だって喧嘩やトラブルを起こしたでしょうし、それが嵩じて集団で殺し合いになったこともあるでしょう。
ただ、そういった抗争的なものと、共同体としての生存を賭けたような計画的戦争とは全く別次元のものなのです。戦争は切実な必然性と、共同体内の政治的回路の整備を前提条件として生じるものであり、そして戦争を行うことを通して共同体の政治的回路の整備は更に進展していくのです。
縄文時代の日本にはこの切実な必然性というものがありませんでした。狩猟採集や漁労の生産様式だけで食料が十分に足りていたからです。だからわざわざ戦争する必要が無かったのです。
しかし、なぜ農耕をもっと大胆に導入して更に豊かな生活を目指さなかったかは疑問ですが、私は縄文人はおそらくそれが戦争に繋がることを知っていたのではないかと思います。つまり農耕を主とした社会においては共同体内の政治性が強まり、また、農耕社会自体の耕作地拡大欲求や灌漑水利の争奪などの戦争へ至る切実的必然性もあり、農耕を大幅に取り入れることによって戦争が頻発するという本質的危険性を知っていたのでしょう。
日本列島は例外的に豊かな自然環境を備えていましたからこんな悠長なことを言えるのであって、世界の他の地域では否応無く農耕や牧畜を導入して戦争に突入していかざるを得なくなっていったのですが、とにかく縄文日本人にとっては、農耕などしなくても十分に食料は足りているのですから、わざわざ戦争のリスクを伴う農耕など大幅に導入する必要はなく、一応先端技術として実験的に保持しておくだけという段階に留めておくことにしたのです。
つまり縄文日本人は戦争をリスクと捉え、また戦争に繋がる農耕もリスクと捉えたのです。このような考え方は一面の真理ではあるでしょう。特にこの戦争と環境破壊によって人類の未来自体が脅かされつつある21世紀においては深く考えさせられる洞察ではあると思います。しかし、農耕をはじめとする文明というもの、そして特に戦争によって、人類の生活が向上してきたのも紛れも無い事実なのです。
そしてこの日本が縄文の平和を送っていた頃、世界の他の地域ではそれとは全く逆の発展段階を迎えていたのであり、その波はやがて日本列島にも及んでくることになるのです。
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