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日本史についての雑文その157 北方系神話
さて、越人の渡来もその伝える情報や技術も、一度にまとまってやって来たものではなく、おそらく断続的、段階的なものであったろうと推測されますから、この原始国家文明の「起の部」もそれぞれの段階を追って進行していったのであろうと推測されます。つまり、黎明期、胎動期、草創期に分かれていたであろうと推測されるのですが、いかんせん、この時代はあまりにも史料不足であり、詳細の流れを追うことは出来ません。
まず考古学的な史料だけでは細かな年代特定は不可能です。そもそも考古学史料である遺跡や遺物は「たまたま発掘されたもの」だけを相手にしなければならず、バラバラの遺跡と遺跡を繋ぐキーとなる遺跡が結局は発見されず失われている場合も多々あるので、遺跡や遺物だけでストーリーを組み立てるのは困難であるし危険なことです。そうなるとそれら遺跡の間の空白部分を埋めるものとしてやはり史書を頼りにしなければいけないのですが、これがこの時代についてはほぼ絶望的です。
史書というものはそこに描かれた年代とその史書が書かれた年代があまりに離れすぎている場合は甚だしく信頼性が低下するのですが、まずこの時代について描かれたシナの史書の最古のものは司馬遷の「史記」であり、これはだいたい紀元前100年ぐらいの編纂ですからだいたいこの時代から300年後の作ということになります。
これは古代という時代環境を考えれば十分に上出来の部類で、信頼性は高いといえるでしょう。ただまぁそれは記憶の曖昧さが少ないであろうという意味での信頼性の高さであり、シナの史書の場合は政治的思惑やイデオロギー的偏見による記述内容の改竄という悪癖への注意は常に必要なのですが、そうした理由で年代まで改竄することもあまり無いので、まぁ年代的には信頼性は高いと思われます。
ただ、いかんせん日本から見れば他国の史書ですから、日本列島内の動向については辺境史の中でも更に一段と手薄な扱いとなっていて、参考資料にしかなりません。特にこの時代については記述は皆無といっていいでしょう。

そうなると日本の史書ということになるのですが、この最古のものである記紀はだいたい紀元後の700年ぐらいの編纂ですから、この時代から見れば1100年後の作となり、これはさすがに年代が離れすぎています。ただ記紀のうち日本書紀の場合は引用史料があることを明記しており、その引用史料が相当古い可能性もあるのですが、この時代の記述に関してはそもそも厳密な信頼性を期待するのは無理というものでしょう。
それは何故かというと、記紀においてはこの時代の出来事に関しては神話時代に分類しているからです。これは後世の研究者がそのように分類したのではなく、記紀の編纂者が自らこの時代を神話時代として記述して、その実証性というものを最初から放棄していることが重要です。記紀の編纂者だって確かな史料があるのならば実証性のある記述を遺したであろうから、つまりは記紀の編纂時にはこの時代に果たしてどのようなことがあったのかについての正確な年代記のようなものは失われていたか、あるいはそもそも存在しなかったのかもしれません。だから日本の史書である記紀もこの時代の正確な年代記としては使えないわけです。

記紀から読み取れることは、記紀の神話部分に関しては、おそらくそれは元々はバラバラに日本各地に伝わる神話伝承の類を繋ぎ合わせて、一連の皇祖神一族の神話物語として再構成したものであり、その神話伝承の大半は南方系の海洋民の保持する神話でありながら、一部には北方系の狩猟民の神話要素も混じっているということです。
日本列島の住民には確かに1万4千年前以前にユーラシア大陸と地続きだった頃に歩いて渡ってきた北方系の新モンゴロイドが基層として存在しますが、それはあくまで1万4千年前以前の渡来者であり、北方は北方でも氷河期の記憶を持ったまま日本列島に渡ってきた人達ですから、いわゆる北方系神話とは無縁の人達といっていいでしょう。
日本神話に痕跡として残っている北方系神話というものは、氷河期以降にユーラシア大陸北部の草原地帯や森林地帯で生まれたものですから、それが日本に伝わっていたということは、おそらく氷河期以降に海を渡って日本列島に渡来してきた人達の中に南方系の旧モンゴロイドやその一種である越人などに混じって、ツングース系などの北方系の民族の人達もいたのであろうということが推測されます。
しかし北方系の森林の狩猟民であるツングース族などは単独で海を渡れませんから海洋民と一緒に海を渡ってきたことになります。倭人にせよ越人にせよ自分の船に行きずりのツングース族を乗せるというのもあまり無いでしょうから、倭人や越人とツングース族が雑居している地域から出た船に乗ってきたものと思われます。

そうした雑居地域ということになると、それは朝鮮半島南西部ということになるでしょう。
朝鮮半島はもともとヴィルム氷期においては日本列島へ歩いて渡った新モンゴロイドたちの通り道だったわけですから、当然、朝鮮半島の住民も新モンゴロイド、おそらくツングース系が基層になるということになります。
しかもヴィルム氷期終結後は対馬海峡の陸橋が無くなりツングース系部族は日本列島へは渡れなくなりましたが朝鮮半島にはその後もどんどん新しい部族が入ってきます。そうなると古参の部族は南へ南へ押されてくることになりますから、朝鮮半島のツングース族は南部のほうが古い部族ということになります。古いということは、それだけ日本列島に渡ったツングース族と同族に近くなるということになります。
そしてヴィルム氷期終結後、今度は南方の旧モンゴロイドの海洋民が日本列島へ北上してくるのですが、北九州と朝鮮半島南岸は現在でも密漁事件が後を絶たないように、海洋民から見れば同じ漁場を共有する同一エリアのようなものですから、北九州沿岸にやって来た旧モンゴロイドの海洋民の部族は朝鮮半島南部にも住み着いたはずです。当時は国境など無かったのですから、そのほうが自然の成り行きでしょう。
そうなると、縄文時代の日本列島の住民と朝鮮半島南部の住民はその基層の部分では非常に血統的には似通ったものになります。ただ日本列島全体で見れば北方狩猟民の流入路としては北方ルートもありましたし、南方海洋民もより多彩な部族が渡来したでしょうし、また朝鮮半島全体で見ればヴィルム氷期以降も継続した多彩なツングース族の南下による混血もあったでしょうから、厳密に言えば特に似通っていたのは北九州の住民と朝鮮半島南部海岸地域の住民ということになるでしょう。

ただ、似通っているといってもそれは血統の上でのことで、文化というものは長い歴史の中で異なった環境の中で居住すれば互いに異なったものになるのが当然ですから、紀元前400年あたりにおいては既に日本列島の住民と朝鮮半島の住民とでは相当異なった文化を有していたと思われます。
例えば言語においては、日本列島の言語は語順から見ても基本はツングース系言語であるはずですが、同じくツングース系言語である朝鮮語とは、当時においても語彙は全く違っていたようです。それは日本語の場合はおそらくツングース系の文法に南方系の語彙をかなり当てはめていったからであり、朝鮮語の場合は幾つかのツングース系の部族語をまとめていったものだからでしょう。ただ、それでも同じ生活圏を形成していたであろう北九州と朝鮮半島南岸地域の間では、かなり文化的にも共通したものはあり、言語も似通ったものが存在したのではないかと思われます。
このように血統的にも文化的にも割りと似通った北九州と朝鮮半島南岸地域だったのですが、明らかに違っていた点は、そこに保持される北方系狩猟民の神話の有無でした。北九州側のほうは氷河期以前の北方民しかいないために北方系神話が無く、朝鮮半島南岸地域のほうの北方民は氷河期以降の歴史も持つ新しい北方民であったので北方系神話を持っていたという点に大きな違いがあったのです。
つまり、この朝鮮半島南岸地方に住んでいた北方民が日本へ渡ってきて北方神話を伝えて、それが記紀の神話部分に残ったのです。では、誰がその北方民を日本列島へ運んできたのかというと、それはおそらく越人ではないかと推測されます。

先述のように、越人はまだ越王国が健在な頃は、山東半島南岸を出発して黄海を横断し朝鮮半島南西部を経由して日本列島へ至ったと思われます。この「経由」というのは現代的に「ちょっと立ち寄る」という感覚ではなく、一定期間を朝鮮半島南西部で生活して拠点を築いてから日本列島へ向かうという感覚ですから、朝鮮半島南西部には越人の渡来民も居住していたということになります。
そこにはもともと北九州にいた倭人海洋民と似通った血統の海洋民部族や、ツングース系の狩猟民が南下してきて農耕を行うようになっていた部族などが雑居して混血していました。そこに越人の渡来人がやってきて更に雑居するようになったのです。こうして見ると、なんだか北九州の倭人集落に越人がやって来た時とほぼ同じ状況がそれに少し先行して朝鮮半島南西部で現出していたことが分かります。
そうしてそこから日本列島に向けての新たな航海が企図された時、旅の一行に加わったのは越人だけに限定されてはいなかったでしょう。おそらくこの雑居民全体から希望者が日本行きの船に乗船していったのではないでしょうか。そしてそこに乗り込んだ北方民出身者が北方神話を日本にもたらしたのでしょう。
もちろんその船には南方海洋民出身者も多く乗ったであろうし、そもそも越人自体が南方海洋民の出身でした。また、日本列島にはもともと縄文時代を通して断続的に南方海洋民が渡来してきていたので、日本列島に蓄積されていった神話伝承には圧倒的に南方海洋民系のものが多いのです。ただ、少し北方狩猟民系の神話が混じっているということには、こういう事情が関係しているのであろうと推測されるということです。

そういうわけで、この時代までに日本列島に渡来した文化には南方起源のものもあれば北方起源のものも幾らか混在していたのであり、その伝来時期もまちまちであり、その文化の発祥地もバラバラであったろうと思われます。南方系文化の発祥地はそれぞれバラバラであったのは容易に想像がつきますが、北方ツングース系の文化といっても、朝鮮半島南西部で農耕化した部族が保持していた文化だけだとも限らず、半島東部のより原始的な部族の保持していた文化であったものもあったであろうし、半島北部やその更にユーラシア奥地で狩猟生活を続ける部族が保持していた文化も含まれていたかもしれません。
それらの南方系や北方系のバラバラな文化の集まってきた場所が日本列島なのであり、そうした状況が記紀神話などを見ると想像することが出来るわけです。この紀元前400年から紀元前250年の間の原始国家文明の「起の部」の150年間において、細かな年代記は作成不可能ではありますが、だいたいそのような外来文化の伝播が断続的にあり、それらを受けて日本列島内で水田稲作の西日本への普及と相まって文化が形成されていき、農村共同体の構築に影響を与えていったのだと思われます。
こうした外来文化を乗せた越人の企画による朝鮮半島南西部から日本列島へ向かう航海が紀元前400年の前ぐらいから始まり、断続的に実施されるようになりました。その間、朝鮮半島南西部にはツングース系農耕民、倭系海洋民、越系海洋民による雑居集落が多く作られることとなったことでしょう。その傾向は紀元前334年の越王国の滅亡後も後退することはなく、むしろこの朝鮮半島南西部を越の遺民たちは新たな本拠地と位置づけて、日本列島への移住計画を更に進めていき、日本列島の倭人社会と朝鮮半島南西部との関与を深めていったのでした。
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この記事に対するコメント

ツングースや北方民族のY染色体は大部分がC系統でオロチョン ブリアート エベンキ モンゴル人など9割から6割ほどの高い比率なわけですが韓国人においては一割ほど、日本人ではゼロにほぼ近く、又ヴュルム氷期以降に人類は定住を始めた、ヴュルム氷期には朝鮮半島は無かったわけですから遺伝子の解析無しの想像だけでは意味が無いですね。

【2009/02/06 12:27】 URL | 57 #- [ 編集]



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