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日本史についての雑文その162 皇帝制度の本質
嬴政は「皇帝」と称することで自分が最初のシナの王であると言ったわけですが、確かに統一国家としてのシナの最初の支配者は嬴政ということになります。嬴政はこの「皇帝」という称号に更に「最初の」の意味をつけて「始皇帝」と自ら名乗り、中華帝国の最初の皇帝となったのです。
周や殷の天子も版図は狭いながらも諸侯の盟主としてシナ世界を統治したとも考えられますが、彼らは始皇帝が作り上げたような「皇帝」とは異質な存在です。皇帝は戦国時代の専制君主の延長線上に位置する存在であり、諸侯や氏族共同体のような社会の中間組織を介さずに直接に人民を支配し、全ての都市や軍を直轄支配する、支配領域内においては唯一絶対の権力者なのです。

皇帝としての資格には、版図の広い狭いはあまり関係なく、むしろその統治の在り方がポイントなのです。一君万民的な人民直接支配や、中央集権的官僚制、郡県制などが皇帝専制体制の特色であり、始皇帝以後が本当の意味でのシナの歴史であり、こうした皇帝専制体制の条件を満たした君主だけが皇帝を名乗ってシナ世界の統治者となることが出来るようになったのです。つまり、始皇帝によってシナの歴史は始まったのであり、それ以前のシナ大陸の歴史は厳密に言えばシナの歴史ではなく、シナ前史とでも言うべきものだといえます。「皇帝」こそがシナそのものであり、「皇帝」無しでのシナというものはあり得ないということになります。

実際、ここまで私も「シナ世界」や「シナ大陸」などという言い回しを頻繁に使ってはきましたが、そもそも「シナ」という言葉自体が「秦」の英訳である「china」が中国を指すように使われていたのを明治時代になってから日本人がそれに倣って「シナ」と呼び出して今に至るわけですから、「シナ」とは「秦」のことであり、秦帝国以後の国家を指す言葉なのです。だから戦国時代以前の歴史を語る場合に「シナ」という単語を用いるのは厳密には正しくないといえます。
そういうわけですから「シナ人」という存在も秦帝国以後に生まれたものであり、戦国時代以前の諸国の民は、単に極東地域にあった諸国の人民という括りで考えるべきもので「シナ人」ではないと考えればいいでしょう。そもそも漢民族というものも単なる政治的集団に過ぎないのですから、これもまた厳密には政治的統一のなされた秦代以降の産物と考えればいいでしょう。「中国」や「中華帝国」などという概念も同様のことです。
そう考えると「中国4000年」などとよく言いますが、これは夏王朝からの歴史を全部中国史に含めてしまっている一種の粉飾的なもので、実際の中国の歴史は始皇帝即位以後の2200年間弱というのが正確なところでしょう。まぁこのように考えるとすれば日本の場合の「皇紀2600年」というのも一種の粉飾であり、実際は1350年間ほどが日本国というものの歴史であると考えるのがフェアな考え方になるのですが。

さて皇帝の資格に版図の広い狭いは関係ないというのはどういう意味なのかというと、例えば、厳密に言えば天下統一後に秦帝国が新たに創設されたわけではなく、戦国時代にシナ西部地区に存在した秦王国の頃から既に官僚制や郡県制などの皇帝専制体制の原型は揃っていたわけです。つまり秦王国の版図内では既にその頃から秦帝国的な治世は始まっていたわけで、天下統一によって全土を「秦化」して、その秦王国の専制政治スタイルをシナ全土に及ぼして、全土に郡県制を敷いただけのことなのです。
紀元前210年に始皇帝が死去した後に再び天下が乱れて、紀元前206年に秦帝国を滅ぼしてまず覇権を握ったのは項羽でしたが、項羽は「西楚の覇王」と名乗り皇帝とは名乗りませんでした。これは、秦の治世に不満を持った戦国時代の諸王国が復活し、皇帝のような絶対権力者よりもかつての周王室や春秋の覇者のような盟主的存在が望まれたからであり、項羽自身もそれを望んだからでした。
しかし既に時代は戦国時代を経て、そのような統治方式ではシナ世界は治まらないようになっていたので再び世は乱れて、項羽を倒した劉邦が紀元前202年に漢帝国を建てて初代皇帝になりました。しかし初期の漢帝国は弱体で、戦国時代の諸王国は残存して、それら王国の人民や都市や軍を漢帝国の皇帝は直接支配することは出来ませんでした。つまり劉邦の時点ではまだ漢の皇帝は諸侯の盟主的な存在でしかなかったのです。
もちろん各国の諸侯は漢皇帝に服従していましたし、各国の君主には皇帝一族であった劉氏が多く就いていましたので、劉氏の天下自体は安泰だったのですが、始皇帝が定義づけた「皇帝専制体制」という統治形態の定義から見れば、甚だ不完全な形であったのです。漢の皇帝が直接支配を出来ていた領域は漢帝国の発祥の地であった漢中の地、つまりかつて秦王国が存在していた地だけであり、他の地域の諸王国の民から見れば漢の皇帝は諸侯の盟主的存在でしかなかったのです。
この郡県制と封建制の折衷的な統治形式を「郡国制」といいます。これは郡県制とは全く異質な制度で、皇帝制度としてはインチキなものであるかのように思えるかもしれませんが、実はこれはこれで立派な皇帝制度ということになるのです。

つまり、6代皇帝の景帝の時代の紀元前154年の呉楚七国の乱をきっかけにして7代皇帝の武帝の時代には郡国制を打破して皇帝が全土を直接支配する郡県制を実現することに成功したのですが、それ以前の漢中のみ直接支配時代も、狭い版図でありながらもその領域内では立派に郡県制を敷いた皇帝政治を行っていたわけであり、再び始皇帝の統一事業のように周辺諸国を滅ぼして皇帝の直接支配版図をシナ全土に拡大したからといって、何ら皇帝政治の質が変化するわけではなく、その支配の及ぶ領域が拡大しただけのことなのです。
つまり、皇帝の直接支配領域は常に膨らんだり縮んだりするのであって、シナ帝国には固定の版図という概念は無いのだといえます。シナ人の世界観においては、シナ皇帝は地球上の唯一の支配者なのであって、極論を言えば全世界がシナ帝国の版図ともいえるのですが、現実にシナ皇帝の直接支配が及ぶ領域というのはその時々の政治情勢や軍事情勢などによってコロコロ変わるということなのです。
だからシナ帝国の郡県制というものは、シナ帝国の概念的な版図が無限であると考えれば、その実態は常に「郡国制」でもあるということになるのです。厳密に言えば、純粋な意味での郡県制というものは存在しないのです。全世界をシナ皇帝が直接支配する全体主義的世界が実現しない限り、シナ皇帝にとっての「直接支配の及ばない諸国」というものは常に何処かに存在するのであり、そういうものが存在する限り、その地域に関しては郡県制は及ばない「諸侯」という扱いになるわけで、シナ世界以外のそうした地域も加えた世界全体としては郡国制が敷かれているということになるのです。もちろんこれはシナ人の妄想的世界観なのですが、そうした妄想の存在そのものが実害をもたらす場合が往々にしてあることが問題なのです。
私達日本人は勝手にシナの版図というものを歴史的経緯を鑑みて「これぐらいのものだろう」と決めていますが、これは実はあまり意味の無いことなのであって、シナ皇帝にとっては国境という概念は無いので、魏だの趙だの斉だのと、周辺の諸国を征服してシナ全土に郡県制領域を広げたとしてもそれで終わりなのではなく、そうなると新たに征服対象地である辺境の諸国、例えば朝鮮や日本などが視野に入ってくるだけのことなのです。郡県制エリアを広げれば広げるほど、その周辺に新たに郡国制エリアが立ち現れてくるのであって、その郡国制エリアというのはつまりシナ皇帝にとっては次なる征服対象地ということになるのです。
実際、秦以降の歴代シナ王朝は最初はごく狭い領域しか直轄統治できていない状態から生じるのですが、その時点から既にミニチュアながらも一君万民制、郡県制、中央集権官僚制、専制支配体制などの皇帝支配体制の特徴を備えており、次第に直轄支配領域をシナ全土に及ぼすようになり、それが完了すると次は外征を開始するようになります。いや、シナ帝国にとってはこのシナ統一と外征の間に明確な区別が存在しないのです。国境という概念が無いのですから。

そうやって征服を繰り返して郡県制エリアを広げていく、つまり皇帝の直接支配領域の版図を広げていくという、貪欲な征服主義的国家というのがシナ帝国の本質であり、皇帝制度の本質なのです。何故それが本質なのかというと、皇帝制度そのものが全体主義的な戦時体制なのであり、大飢饉と戦乱、征服戦争の中で生まれてきた非常時を前提とした制度だからなのです。皇帝制度を維持していくためには常に戦時体制を展開していかなければいけないのであり、そのために外征を繰り返さざるを得ないのです。
もし戦時体制を解いてしまえば全体主義体制である皇帝制度はあっという間に腐敗を極めるようになります。平時にこのような非常時用の絶対的中央集権体制を敷いたら、それは腐敗と汚職の温床になることは必至です。実際、シナ帝国に外征を行う力が無くなった時代、膨張が止まった時代には帝国は常に恐るべき腐敗と汚職にまみれました。しかしそうした腐敗や汚職が社会を不安定化して再び戦乱を招き帝国の直轄地は縮小し諸国乱立の乱世となり、その戦乱の中で再び皇帝制度が求められてシナ全土が統一され、結局シナでは皇帝制度がいつまでも生き残り、むしろ強化されて、そうしてまたシナ帝国は皇帝制度の宿命の命ずるままに再び外征に向かうのです。
そういう繰り返しの末に、今では皇帝制度なしではシナ文明は語れなくなってしまいました。いや、おそらくあの広大でバラバラなシナ全土を直接支配するためには皇帝制度のような全体主義体制でなければ不可能なのでしょう。
現在の共産党政権にしても世襲制ではないだけのことで、あれは全体主義的な部分も軍事政権である部分も、侵略主義的である点、腐敗汚職の甚だしい点なども含めて、典型的な皇帝制度の一種です。いや現代の共産主義体制が皇帝制度と相違していたとしても、あまりにも長い期間を皇帝制度の下で過ごしてきたために、今となっては戦乱や侵略や独裁、権力による収奪、そして腐敗と汚職がシナという国家の本質そのものになってしまったのであり、政治体制の種類などは些細な問題に過ぎないのです。そう考えると、シナ皇帝制度の持つ本質的な膨張主義的性格は、日本人にとっても常に憂慮すべきテーマであったのであり、現代の日本人にとっても非常に深刻な問題なのだといえるでしょう。

それでもシナにおいても秦漢帝国が滅びた後の長い混乱期においては皇帝専制制度も少し翳りが見えて、その後にシナを再統一した隋唐帝国の時代の初期には貴族政治が強くなったのですが、科挙の制度によって貴族が弱くなり官僚が強くなっていったために皇帝制度が生き残り強化され、宋代には貴族の軍事力を弱めたために皇帝独裁がむしろ強まり、軍事力不足のためにモンゴル帝国の支配を受けることになり、その反動で明代には最悪の皇帝独裁暗黒体制が生まれることになってしまいました。
日本も7世紀にこの皇帝制度に類似した中央集権体制を導入しましたが、シナのように戦乱や外征が継続することがなかったのと、科挙の制度を導入しなかったため、戦時体制としての中央集権制度は定着せず、社会の中間組織を温存した貴族政治が強くなっていきました。そして貴族政治から派生して武士階級が力を持つようになっていき、それが結局モンゴル帝国の侵略を退けることに繋がり、日本とシナの運命を大きく分けることになったのです。

それらはまぁ後のこととして、ここで問題なのは、シナ帝国というものが皇帝制度という収奪システムを維持するために、つまりは皇帝の存在意義や威信を高めるために常に外征を必要とするシステムであるということで、シナ全土を郡県制によって皇帝の直轄地にしてしまったら、次にはそのまた周辺の辺境地域を新たな「諸国」と見なして、征服の対象にしようとすることです。
辺境の服属国は郡国制の支配を受け入れている地域と見なされて、次には郡県制を敷いて直接支配を目指す地域と見なされます。更に辺境の皇帝への朝貢も拒否している地域はとりあえず服属や形だけの臣従を要求して郡国制の支配を受け入れさせようとします。それを受け入れないような地域にはとりあえず皇帝に対して友好の意思の表明を求めます。
とにかくそのようにして、シナ帝国の皇帝直轄地や藩属地、友邦などを拡大して、シナ世界を拡大していくことが皇帝の権威を高めて国内の人民の支持を得る方法なのです。皇帝というものは始皇帝の昔からそうやって生まれてきた制度だからです。そうやってシナ帝国を維持して拡大して、交易の利権を独占して支配地の物産を収奪することが皇帝の狙いということになります。つまりシナ皇帝は常に外征を求める宿命を持っているのです。
このような膨張政策による皇帝権力の拡大戦略を正当化するために儒教の王化思想を巧みに利用して国教化したのが漢帝国の7代皇帝の武帝でした。紀元前147年に即位した武帝はまずシナ全土を皇帝の直轄地にして、更に辺境地域へ郡県制を敷く直轄地を拡大しようとすることで戦時体制である皇帝制度の正当性を維持しようとしたのです。また、実際に、北方も南方も東方も、通商路を周辺国に押さえられていたための皇帝が交易の利権を独占できていない状態でもありましたので、その打破を図るという目的もありました。
そうした武帝の行動が日本列島にも大きな影響を及ぼすことになるのですが、それはまだ少し先の話です。ここでは再び、こうしたシナ大陸の状況をふまえて、紀元前250年頃から始まる原始国家文明の「承の部」の日本のことについて考察していきます。
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