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日本史についての雑文その166 権力の重層構造
このように紀元前250年から紀元前100年の原始国家文明「承の部」において、「皇帝制度以前のシナ文明の価値観」の影響を受けて北九州において戦争を通して共同体の統合と国家の形成が進められたのですが、これは時代の一側面でしかありません。
こうした外来価値観の影響だけで国家形成が進められたという考え方だけでは説明のつかないことも多々あるのです。日本独自の内在的な要素についての考察も必要だといえるでしょう。

まず、シナ系亡命民は北九州に集中して渡来しており、瀬戸内以東には渡来していなかったにもかかわらず、瀬戸内以東の西日本でも国家形成の歩みは北九州に比べれば遅れがちではあったが確かに存在し、紀元前100年の時点においても未だに小共同体を統合した大共同体が現れるという段階のものではありましたが、それはやはり氏族共同体を重視して共同体の統合を進めるタイプであったのです。
つまり日本における穏健な形での共同体統合の動きというのは、皇帝制度以前のシナ文明の価値観の影響だけによるものではなく、日本独自の何らかの要素にも起因していたのではないかと考えられるのです。
確かにそもそもシナ系亡命民は各共同体内においては相談役のような存在に過ぎませんでしたし、世代を重ねる間に彼ら自身が倭人社会の中に同化してその特異性を無くしていったのでありましょうから、彼らの価値観はある程度の変化のきっかけにはなったとしても、継続的な影響力はそれほど大きくなかったはずです。とにかく、やはり倭人社会そのものやその支配層の価値観の中にこのような共同体相互の共生を旨とするような統合形式をもたらす要素がもともと存在していたと考えるほうが自然なのです。

また、皇帝制度に反発し氏族共同体や国家のような中間組織を重視するような考え方を持ったシナ系の住人や亡命民は、なにも日本列島だけに存在したわけではなく、シナ東部や朝鮮半島にもたくさん存在していたのです。しかし日本における共同体の統合の方式はそれらの地域における統合方式とはやや趣きを異にしていました。
つまり、シナや朝鮮半島における反帝国思想においては、皇帝による一元支配に反対してそれぞれの氏族共同体や国家が分立している状態が望ましいと考えられたのであって、権力は横並びで共生すべきもので、統合していくべきではないと考えられたのです。つまり周の時代のような状態が理想と考えられたのであり、諸侯が独立国を統治し、その盟主として天子が乗っかっている状態です。
もちろん一方ではシナにも朝鮮半島にも、そのようなバラバラな状態ではなく共同体をどんどん統合していったほうがいいという考え方も存在しました。しかしそれは要するに皇帝権力のような形で権力を一本化していこうという発想で、唯一権力以外の権力を排除して統合していこうという考え方でした。
しかし日本列島の倭人社会の場合、戦争に敗れた共同体の権力も温存しながら共同体が重層的に統合していって、大共同体や国の中で権力間の上下関係がピラミッド型に積み重なっていきました。つまり氏族共同体を温存しながら統合を進めていくという、シナや朝鮮半島ではあまり見られない形での統合が進んでいったのです。
倭人社会における共同体統合の形は、戦争で勝敗がついた場合は勝者共同体が敗者共同体を温存して支配下に加えていったり、また戦争で勝敗がつかなかったり戦争をあえてしなかった場合などには対等な同盟関係から縁戚関係を深めていったり、大共同体や国の首長を交互に出し合ったりして、とにかく小共同体を破壊しないまま、より大きな共同体や国家を作っていくものでした。北九州では特にそうした傾向が顕著で、大共同体や国の中の首長はその共同体内の権力ピラミッドの頂点に立ち大きな権力を持つようになりました。かといってシナの皇帝のようにその首長が全ての土地や人民を直接統治する唯一絶対の権力者ではなく、氏族共同体の頂点に位置して氏族共同体を通して土地や人民を支配する間接的な最高権力者であったのです。
これは一見、周の天子のような諸侯の盟主的存在と似ているようですが、この倭人国家の首長の場合は権力ピラミッド内での他の下位権力者に対する絶対的優越は保持しており、盟主的存在よりはもっと厳しい階級的君主であったといえるでしょう。それはやはり戦争や武力の誇示を通して実力で奪い取った権力であったからでした。
北九州の場合は戦争が頻発したのでそのようなタイプの君主が誕生したのですが、この時代においてはまだ瀬戸内以東ではあまり戦争が起きていなかったので、瀬戸内以東の西日本における大共同体の首長はむしろ盟主的存在であったようです。ただ、これも結局はそれらの地域で後に戦争が起きてくるようになると権力ピラミッドの上下関係が形成されるようになり、階級的君主が現れてくるようになるのです。

つまり、日本においては戦争を経て共同体が統合されていく際に、シナや朝鮮のように戦争によって徹底的に共同体を破壊するということにはならず、氏族共同体が温存されて国家内に権力者の上下関係の序列がピラミッド型に構成されていく傾向があるということです。これによって日本列島においては国家形成のスピードが非常に速くなり、国家形成後も人的物的資源の消耗が少なく急速に富強化していくことが出来たといえます。また国家内において氏族共同体などの社会の中間組織が極めて重層化、複雑化して強固なものになっていったといえます。
特にこの中間組織の強固さは、後に日本文明とシナ朝鮮などの大陸文明との間を分かつ重要なポイントになってきます。シナではこの後の皇帝専制体制の確立と打ち続く戦乱の中で氏族共同体などの中間組織は消滅していきましたし、朝鮮半島でも7世紀以降の統一新羅時代にシナ式の中央集権制度を導入してから中間組織は衰弱していきました。しかし朝鮮半島とほぼ同時期にシナ式の中央集権制度を導入した日本においては氏族社会はしぶとく生き残り貴族政治が発達し、そこから派生した武家社会が12世紀以降は封建制度を発展させていったのです。
この封建制度の有無が後に近代社会や民主主義への適応の可否を分けたといわれていますから、これは重要なポイントであったのだと思われます。つまり中間組織なき民主主義は全体主義に堕落しやすいというわけです。それは現在のシナや朝鮮半島を見ていれば如実に理解できることだと思います。
もちろん中央集権制度と封建制度のどちらが優れているのかについては、純粋に制度として比べればそれは一長一短あるのであり、封建制度が発達した日本のほうが一概に優れていたというわけでもありません。実際、封建制度の行き過ぎによってもたらされる弊害が15世紀には頂点に達して戦国時代の混乱を招き、それを収拾しようとした信長や秀吉、そして家康や秀忠あたりまでは明らかに中央集権型の覇権で秩序を再編しようという方向性を持っていました。分かりやすく言えば皇室を抑えて自らが皇帝になろうという志向も少なからずあったといえるでしょう。しかし結局は皇室制度とそれに付随する諸々の中間組織がそれを阻み、江戸幕府は天皇の下での分権型の政治機構となり、中間組織が無くなるということはありませんでした。しかしその分権型政治機構でやはり行き詰った結果、19世紀になって明治維新で天皇中心の中央集権国家が作られましたが、すぐに中間組織が無くなるという状況にはなりませんでした。ところが最近はとうとう中央集権下で中間組織が消滅の危機に瀕して、せっかくなんとか健全さをギリギリ維持していた日本の民主主義がとうとう全体主義に堕落しかけています。これはまさに中央集権の弊害であり、中間組織の再興が今こそ必要とされているのです。
このように封建制度が一概に中央集権制度よりも優れているというわけではなく、またその逆のことも言えるわけなのですが、とにかく現代のような民主主義を基調とした社会においては社会の中間組織は必須であり、その基盤が長らく日本社会に保持されてきたということは現代の日本人にとっては大変ありがたいことであり、それがこの紀元前250年から紀元前100年あたりの倭人社会での国家形成のあり方に起因するというのならば、それはやはり当時の倭人の方々に感謝しつつ、更にその源泉に迫っていくべきだといえます。

そこで話は戻るわけですが、この紀元前250年から紀元前100年の原始国家文明「承の部」の日本における穏健な形での共同体統合の動きというのは、皇帝制度以前のシナ文明の価値観の影響だけによるものではなく、日本独自の何らかの要素にも起因していたのではないかという話になるわけです。
そして、それはつまり縄文時代以来の日本独自の伝統的価値観の影響ではないかということになってくるのです。この原始国家文明の「承の部」の150年間というのは、同時に縄文末期農耕文明の「結の部」にも相当しているのであり、この150年間で縄文末期農耕文明のエッセンス、つまり縄文時代に連なる日本的伝統的価値観が原始国家文明の中に吸収され取り込まれていったはずであり、その影響によってこのような日本独自の国家形成の特色が生じたのではないかと推測されるのです。
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この記事に対するコメント

 中間層の存在が日本と朝鮮・中国の社会の違いを生み出したというお説には、感銘を受けました。

 中間層が存在していた古代の日本の氏→貴族制度。それに対して中間層が存在しないまで徹底した中央集権制度。その違いというものがおぼろげながら見えてくるような気がしました。

【2007/04/15 20:55】 URL | 田島敬一 #gT61Wq7M [ 編集]



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