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日本史についての雑文その180 アマテラス
さて、これで初期の皇統に関する記述部分の嘘つき疑惑は晴れたわけですが、だからといって日本書紀にかけられた嘘つき疑惑が全部晴れたわけではありません。司馬遷型の歴史記述というものは体制正当化のために絶対に嘘をつくのが宿命なのであって、嘘が無いなどということはあり得ないのです。
日本書紀の使命は、天皇家の日本統治の正統性をシナ人に納得させることだったのですが、「万世一系思想」はこの時代には存在せず、「易姓革命」は王朝交替の実体さえ無かったのででっち上げ不可能でした。「易姓革命」が使えれば一番手っ取り早く天皇家の有徳性をアピール出来たのですが、それが使えなかった場合は、まずはもっと地道に少しずつ有徳性をアピールしていくしかないでしょう。


そこで、日本書紀を見ていくと、まず随所随所に実に細かく執拗に漢籍から借用した潤色表現が挿入されていることに気づきます。だいたいは天皇や近臣の台詞なのですが、大意としては、天皇家は今までいかに徳のある政治を行ってきたか、そしてこのような天命を今受けた、だから今からこういうことをしよう、というような感じの漢文を対句や反語などを使い上手にまとめた美辞麗句です。こういうものを日本書紀の随所に散りばめて、これを読んだシナ人に天皇家の有徳であることと天命を得ていることを理解してもらおうという努力です。
また、そうした潤色表現の一環ですが、日本を中華として、周辺の異民族、つまり朝鮮半島の諸国や南九州の隼人、東日本の蝦夷などを夷として扱い蔑視する一種の小中華思想が見られます。そういうことをすることによって、日本が特別な文明国であり、つまり徳が有るということであり、シナと対等の天命を受けた存在であるということを暗に示唆しようとしているのです。シナの皇帝も日本の天皇も、共に「天」によって天命を受けた「天子」であるという点で対等だということです。
更に、日本書紀の随所には「瑞兆」に関する記述もあります。白い雉が現れたり、白い猪が現れたり、とにかくそういう珍しい現象が起きるというのは王に徳があることの証であるとシナでは考えられたのです。こういう瑞兆を様々な天皇の事跡の途中に挿入して、天皇に徳があるように見せようとしたのです。
そして、「瑞兆」ばかりでは不自然と思ったのか、例えば天皇や皇子が崩御する少し前には「凶兆」として、地震があったり彗星が出現したりという記述もあります。また、皇統の系統が変わる前などは、まるで易姓革命時のように、天皇による悪逆非道の振る舞いが書かれていたりして、それでいて肝心の易姓革命は起きておらず、このあたりは、こうしたシナ史書特有の慣用表現を上手く使いこなせていない面であろうと思われます。まぁ何せ、日本の歴史上初めて、シナの二十四史を模倣した史書を編纂しているわけで、そりゃあ何かと上手くいかない部分も多々あるでしょう。
特に日本人が混乱したのが「天」という概念の使い方だったようです。天皇家の日本統治を正統化するためには上記のように細かく「有徳性」をアピールすることも重要でしたが、それ以上に重要なポイントは、天皇家が「天命」を受けているということを証明することでした。しかしこの「天」や「天命」という概念が日本人にはよく分からなかったようです。

日本人はもともと多神教世界に慣れ親しんできており、特に弥生時代以降は祖霊信仰を重視していました。日本人にとっての最も敬うべき存在は守護神としての祖霊でした。特に天皇家にとって敬うべきものは天皇家の祖霊でした。
ちなみにこの天皇家の祖霊ですが、実は天照大神ではありません。後に奈良時代の末期に道鏡事件というのが起きまして、天皇の位を皇室とは血縁関係に無い道鏡という僧に譲るべきか否かについて天皇家の祖霊の意見を伺いに和気清麻呂が出かけるという事件があるのですが、この時に清麻呂が出向いたのが伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮なのです。つまり天皇家の真の祖霊は伊勢神宮の天照大神ではなく、宇佐八幡宮の八幡神なのです。
八幡神は航海の守護神で戦神でもあります。天皇家は神武東征もそうですが、ヤマトタケルや仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇など、船を使って移動したり戦をしたりすることが多い一族です。また天皇家のトーテムは太陽と鳥です。太陽や渡り鳥は航海をする際の重要な目印ですから海洋民は普通に太陽神を信仰します。
鳥については、神武天皇の道案内をしたのはヤタノカラスであり、また神武天皇の弓の先端にトンビがとまって光輝いたり、一族の名にもオオサザキやハヤブサワケなど、鳥の名前がよく使われています。
そもそもヤタノカラスや光輝くトンビは太陽を表すとも言われており、太陽もヤタノカラスも「道先案内」という役割は同じで、太陽と鳥は同一の意味のシンボルなのかもしれません。そして太陽と鳥は海洋民族のトーテムであり、このことからも天皇家が海洋民の氏族であったことが分かります。海洋民氏族である天皇家の本来の祖霊が航海の守護神の八幡神であっても不自然ではありません。あるいは天皇家の祖霊である八幡神が、天皇家が海洋民氏族であるために、いつの間にか航海の守護神と同一視されるようになったのが真相なのでしょう。

では天照大神はいったい何なのかというと、これは伊勢地方で崇拝されていた太陽神で、天皇家が大和に入った時に土着の神々も祭祀するようになったのですが、それらのうち太陽神が祟りをなして、まぁ何か災厄が起こってそれを太陽神の祟りと思ったということなのですが、11代の垂仁天皇の時にそれを鎮める祭祀場所を探した結果、伊勢地方の太陽神であったアマテラスを天皇家の王女が祀れば吉であるということになり、天皇家が伊勢のアマテラスを祀るようになったと思われます。
アマテラスはもともとは「アマ(海)をテラス(照らす)」という意味で、海面を照らす日の出のイメージを神格化したもので、三重県の津あたりから海上に出て遠州灘を目指す際に伊勢の二見浦の夫婦岩の間の海上を昇ってくる日の出を目標として進み、その日の出の太陽に航海の安全を祈願する神事の際に拝む神様というふうに連想すればいいでしょう。そういうアマテラスという伊勢の海洋民が祀る太陽神を天皇家も垂仁天皇の時から祀るようになり、もともと天皇家自体が太陽神を祀る海洋民でしたから、祖霊の八幡神と同じくらい重要視して祀るようになっていったのです。
つまりアマテラスは「天照」ではなく「海照」ということになるのですが、何故こういう概念の混乱が生じたと思うのかというと、古代の天皇家、いや古代の日本人はそもそも「天」というシナ世界特有の抽象的概念を理解出来ていなかったのではないかと思われるからです。

600年に大和朝廷が初めて隋に使いを送った時の詳細な記録は日本書紀には載っておりませんが、シナ側の記録である「隋書」にはその時の隋の文帝と倭国の使者の会話が記録されています。そこで倭国の使者は「倭王は天を兄、日を弟と考えており、天が明けないうちに仕事をして、日が出たら政務を止めます」というような口上を行い、それを聞いた文帝が「物事の道理がまるで分かっておらぬようだな」と呆れて、使者にその考えを改めるように勧めたといいます。
私にも倭国の使者の言っている意味がさっぱり分からないのですが、とにかく倭王が「天」という、その原型のイメージが北極星という、シナ世界では本来は無人格の抽象的な、世界の唯一の主宰神のような概念の本質を全く理解出来ておらず、数ある自然神の1つとしか捉えられておらず、おそらくシナ世界でよく知られた神であると聞いて、シナ皇帝が守護神としている神なのであろうという風に思い込み、付け焼刃の知識で受け答えしてみたものの、実体の見えない「天」のイメージを上手く掴むことが出来ずに、混乱したイメージを抱いていることを露呈してしまい、文帝に「道理がまるで分かっていない」と笑われたのであろうという感じです。まぁ、こんな有様ですからとても日本書紀にこの遣り取りを載せることは出来なかったのでしょう。
600年の段階でこれですから、3世紀前半の垂仁天皇の時代に太陽神に「天照」という意味合いで「アマテラス」と名付けるとも思えず、やはり「海照」の意味での「アマテラス」のほうが古代日本のイメージとしてはしっくりくるのです。

そして、この600年の隋の文帝と倭国の使者の会見の時にもっと興味深いことは、この使者が倭王の名前として「アマタリシヒコ・オオキミ」と説明していることです。「オオキミ」は「大王」の意味ですから役職名のようなもので、「アマタリシヒコ」が姓名であると隋側は解釈したようです。「アマ」が姓で「タリシヒコ」が名であるというわけです。
しかし当時の倭国の大王は推古女帝で、このアマタリシヒコには后がいるそうなので推古女帝のことではないということになれば、このアマタリシヒコの正体は摂政にして事実上の大王であったウマヤド皇子、つまり聖徳太子です。聖徳太子の本名はアマタリシヒコなどではないので、これは一種の称号なのでしょう。
「タリシヒコ」は「満ち足りた者」というような意味で、豊かな者、長者、首長というような意味でしょう。ここで問題は「アマ」なのですが、これを「天」と解釈すれば「アマタリシヒコ・オオキミ」のイメージは471年に雄略天皇に献上された稲荷山鉄剣の銘にある「治天下」「大王」のイメージに近いものになります。
しかし、この古墳時代には既に倭人社会では、祖霊や農耕霊、自然霊とをミックスした「首長霊」ともいうべき部族の崇拝する何種類かの守護神という概念が形成されており、その首長霊の司祭ではなく体現者としての「大王」という強大な王権が成立しており、そうした「大王」の属性にはシナ的な「天」という絶対者からの天命を受けた者というイメージは含まれません。
だから稲荷山鉄剣の「治天下」にしても、シナ的な本質的意味合いでの「天下」ではなく単に大王の支配する領域というような意味合いで使われていた外来語の1つであったのだと思います。あるいはこの銘を打った者自体が渡来人であったのかもしれず、とにかく先述の600年の遣隋使のエピソードのこともありますし、古墳時代の倭人が「天」や「天命」などについてシナ人と共通したイメージを抱いていたとは思えないのです。
となると、「アマタリシヒコ」の「アマ」が「天」であった可能性は低く、仮に「天」であったとしても、それは最初には「天」ではなく別の意味であった「アマ」に、後から単に「天下の首長(支配地域の王)」というような意味で文字を充てたものであり、「アマタリシヒコ」という称号が出来た古い時代には「アマ」は「天」ではなく「海」であったのだろうと思われます。
「アマ」が「海」なのであれば「アマタリシヒコ」は「海の首長」ということになり、八幡神を祖霊に持ち太陽と鳥をトーテムとする海洋民一族である天皇家の首長の称号としてはいかにもふさわしいものとなります。
いや、私はここで更にもう少しシンプルに考えて、「タリシヒコ」が「首長」なのであれば「アマ」はもともとは単に氏族名だったのではないかと考えます。天皇家も古墳時代に豪族連合政権内で超越的権威を獲得するまでは姓というものがあったはずであり、その姓が「アマ」であり、「アマタリシヒコ」は「アマ氏の首長」という称号であったのではないかと思います。そして「アマ」は「漁労生活者」という意味合いの言葉である「海人」であり、もともとは「漁労生活をしている氏族」という意味で名付けられた「海人氏」こそが天皇家の本来の姓なのではないでしょうか。
最初はおそらく「アマイワレヒコ」などと姓名で呼んでいたのでしょうけれど、日本人というのは他人を「部長さん」「課長さん」などと役職名で呼ぶのが好きですから、いつしか単に「海人氏の首長さん」という意味で「アマタリシヒコ」と呼ぶようになり、それが古墳時代以降も称号として残り、古墳時代に新たに呼称として加わった「オオキミ」と合体して「アマタリシヒコ・オオキミ」という正式称号が完成したのでしょう。これは「海人氏の首長にして首長霊の体現者である大王」とでもいう意味でしょうか。
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この記事に対するコメント

どうも井沢のトンデモ説に毒されてますね。
清麻呂が宇佐に派遣されたのは祖霊の意見を伺うためなどではありません。
「道鏡に天皇位を与えよ」という宇佐神宮が出した神託の真偽を確認に行ったのです。
ですから伊勢神宮はこの件にはまったく関係ありません。
そもそも伊勢神宮は宇佐神宮のようなシャーマン神ではないので、頼まれて神託を出すサービスは受け付けてません。
それを伊勢を無視したとか、本当の皇祖は宇佐だからとかいうのは、推理小説家井沢のトリックレトリックです。

【2007/06/21 17:48】 URL | 伊勢肖像 #kBuQhUcQ [ 編集]


いま、籔田紘一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。

【2008/11/26 04:57】 URL | 大和島根 #- [ 編集]



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