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日本史についての雑文その181 天岩戸神話
とにかくこのように、シナ人の考える「天から天命を受けて地上世界の統治を委任された君主」と、日本人の考える「主要な祖霊・農耕霊・自然霊である首長霊の体現者である君主」というそれぞれ異質な君主像の間の相違は、これはもう文化の優劣の問題ではなく、基本的に拠って立つ文明の種類が違うことに起因する決定的な差異なのであって、この溝は埋まることは無いのだといえるでしょう。
つまり、皇帝専制体制という一神教的世界であるシナにおいては「天命を受けた絶対君主」が生まれるのであり、多神教的な氏族社会である日本においては「首長霊の体現者」が生まれてくるのです。お互いそのような君主理解しか生み出せないのであり、お互いの君主像を無理に理解しようとするほうが間違っているのです。
だから、600年に倭国の使者の「天」に対するあまりの無理解を文帝は笑ったけれども、ここは本来は笑うところではなく、異文化に対する理解が必要な場面なのですが、まぁシナ皇帝にそんなものを求めても詮無いことではあります。同様に、文帝が倭国の使者に、「天」に関する考え方を改めるように諭したこともあまり意味の無いことで、倭国は倭国なりの歴史や風土に合った王権を作るしかないのであり、シナ風の「天」概念をそのまま押し付けようなどというのはそもそも無理な話なのです。
さて、しかし663年以降に本格化した日本書紀編纂作業においては、天皇家に「天命」が降されて日本の統治を「天」から委任されたという印象をシナ人に与えるような書き方が要求されることになるのです。かといって、かりそめにも日本の「国史」を作るわけだから、あまりにも日本の実情と違う異文明の論理で貫徹するわけにもいかないのであって、日本における天皇家の王権の実際の形の大枠は壊さないような書き方で、それでいてシナ人が見てもなんとか天皇家が天命を受けた正統王権であるかのように見える、そういった妥協ラインを探っていかないといけないのです。そして、そうやって出来上がった日本書紀上の記述が、後世の日本における王権の在り方の定義となっていくのですから、これは責任重大な作業ということになるのです。
では、日本書紀作者たちはどのようにしてそうした知的綱渡りをしていったのか、つまり言い換えると、どういう嘘をついていったのかについて、説明していきます。

まず、「天」という絶対的抽象的概念をそのまま持ってきても日本人の多神教的精神世界では理解できませんので、「天」もまた一種の神なのだということにして「天神」という概念を作りました。この「天神」はシナの「天」とは違い、人格神でありたくさん存在し、従来の日本の神である祖霊・農耕霊・自然霊とほぼ同じような属性を持ちながら、それでいて地上世界からは隔絶した「天界」に住んでおり、地上の支配権を持っているのです。
この天界が「高天原」なのですが、日本書紀においてはこうした天界の概念をゼロから作り上げたのではなく、もともと地上の何処かの地方、おそらくは伊勢地方にあった土俗の神話世界をそのまま舞台を強引に「高天原」に移し変えたのでしょう。それゆえに日本書紀における高天原には何故か天上界であるのに田んぼや畦道があり、天神たちは稲作に従事したり機織りをしたりしているのです。ここで神々が稲作に従事していることからも、この神話の原型が比較的新しい時代のものだということが分かります。
この「高天原」の主宰神であり「天神」たちのリーダーが天照大神なのです。アマテラスは元々は伊勢の海の太陽神である「海照」なのですが、何故この神が高天原の主宰神になったのかというと、600年の倭国の使者の口上にもあるように、日本人にとって「天」に一番近いイメージの存在は、空において最も大きく光り輝く「太陽」であったからで、そして天皇家にとって最も馴染みの深い太陽神はこの日本書紀編纂時ではこのアマテラスだったからです。だから日本書紀では日本人に分かりやすくするために、太陽神である「アマテラス(海照)」を「天神」と同一視し、名前もいかにも天神らしく「天照(アマテラス)」とし、天神のリーダー格ですから「天照大神」としたのです。
そして日本書紀の文中では天照大神について述べる文章では「天照大神」という正式名ではほとんど呼ばず、だいたいは「天神」という名前に置き換えて呼称しています。これは、天照大神は天神のリーダーであると同時に、天照大神こそが天神を体現しているのであり、絶対的かつ抽象的な天神そのものだという強調でもあるのです。このようにして、「天神」というものの持つイメージを、もともとのシナ世界での「天」のイメージに近づけようと努力しているのです。

そうして天照大神を高天原の主宰神として印象づけるために、もともと伊勢地方に伝わっていたであろうアマテラスを中心に据えた太陽神の復活蘇生に関する土俗的な神話である「岩戸神話」を、そっくりそのまま舞台を高天原に移し変えて日本書紀の神代の巻の冒頭に持ってきて展開させたのが、「天岩戸神話」です。
「天岩戸神話」のだいたいのあらましは、天照大神の治める高天原に天照大神の弟神のスサノヲがやって来て、最初は清らかな心でやって来たことを証明するのですが、それで調子に乗ったスサノヲが乱暴を働いて田を荒らしたり水門を壊したり機織女を殺したりしたので天照大神は怒って岩戸に篭ってしまい世界は真っ暗になってしまい、困った八百万の神々が集まって相談し、岩戸の周りで宴会を開いて大騒ぎして、何事かと覗き見た天照大神を岩戸の外へ連れ出して世界に光を取り戻し、騒動の原因となったスサノヲは高天原を追放処分となった、というような感じです。
このような神話を日本書紀にもってきた目的は、この「天岩戸神話」を通して、日本には日本なりの「天」の世界というものが存在しており、その「天」である高天原の住人である「天神」たちの中でも最高位かつ最重要の存在が天照大神であり、天照大神こそが日本における「天」の意思を体現する存在であり、つまり「天命」を降す資格を持った存在なのだということを印象づけることです。

ちなみに天照大神がどうして女神なのかですが、もともと伊勢の太陽神のアマテラスは男神であったようですが、日本書紀の中でも天照大神の別名としてオオヒルメムチというものが出てきますが、これは最高位の巫女というような意味で、男神であるアマテラスに仕える巫女が神格化されたものでしょう。
どうして巫女が神格化されたのかというと、アマテラスを祀る伊勢神宮の巫女は11代の垂仁天皇の時代から大王家の皇女が務めており、古墳時代以降、つまり10代の崇神天皇時代ぐらいから、大王が首長霊と一体化して神格化されるようになり、それに伴って伊勢神宮の巫女である皇女も神格化され、いつしか天照大神と同一化されるようになって、天照大神が女性であるかのような解釈も生じていたのでしょう。
しかし、もともとは男神であり、日本書紀の記述の中にも天照大神には男神的な要素も残されており、別に男神としてでも女神としてでも、どちらに設定しても問題は無かったように見えます。それがどうしてあえて女神になったのかというと、やはり日本書紀完成時の720年の天皇が女帝である元正天皇であったからではないかと思います。つまり、最高神が女神なのだから、女帝が存在しても不自然なことではないということをアピールしたかったのでしょう。
特にシナでは女帝というものは基本的には有り得ないもので、しかも684年から705年にかけて唯一の女帝であった武側天の暴政に痛めつけられていたばかりなので女帝に対して良いイメージが無かったと思われますので、特にシナ人に対してそういうアピールをしたかったのでしょう。

また、この「天岩戸神話」で悪役として登場するスサノヲは、元々はこの神話の登場神ではなく、この神話においては悪役神は本来は別の名前の神であったか、あるいは単に「悪神」とでも称されていたであろうと推測されます。スサノヲは本来は天岩戸神話の次に記述されている出雲神話の主宰神であり、天岩戸神話の日本書紀バージョンに特別にゲスト出演しているという格好になっています。これは、このように別々の神話を繋ぎ合わせて1つのストーリーに仕立てあげようという日本書紀作者の意思を貫徹するための一種の演出だといっていいでしょう。また、スサノヲは後で易姓革命によって倒される側に属することになるので、悪神である必要があったのです。
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