KNブログ


プロフィール

KN

Author:KN
気紛れにエントリ更新してしまいました。これからはのんびり気紛れなペースで、書き上がり次第に更新していきます。

メールアドレスはこちら
jinkenbira@yahoo.co.jp 

未来のために生きながらも、引き続き



ブログランキング

人気blogランキングへ



FC2カウンター



最近の記事



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


日本史についての雑文その183 天孫思想
その「天孫降臨神話」で主人公のニニギは「天神」たる天照大神の「天命」を受け、首長霊を受け継ぐ儀式を行う必要があるのであり、「天孫降臨神話」に描かれた儀式は日本書紀編纂時に実際に天皇家で行われていた首長霊継承儀式、つまり現代で言う「大嘗祭」の原型となったような儀式をモチーフにしたものだったのでしょう。そしてそれは実際に、現代の「大嘗祭」もそうであるように、農耕儀礼と祖霊信仰の要素が強いものであったのでしょう。
であるからこそ、やはりニニギは農耕神でなければならなかったのであろうし、首長霊である天照大神はその儀式の担い手であるニニギの先祖でなければならなかったのです。天照大神自身が太陽神でありながら同時に農耕神であり祖霊でもある首長霊であり、その子孫である農耕神のニニギが天照大神の首長霊を継承秘儀を通して受け継ぎ、その首長霊と一体化し、首長霊である天照大神の持つ「有徳性」や「天命」をも受け継いだ上で、天界である高天原から地上の日本列島、日向の高千穂峰に降り立つのです。
ちなみに、元々はこの「天孫降臨神話」のストーリーのモチーフ自体は伊勢地方の土俗的神話で、そこには「天界から地上へ降りる」というような垂直的な世界観は元来は存在しなかったので、そういった垂直的世界観のモチーフをここにミックスしています。それは北方系のツングース族の神話で、「神が天から地上の山に降る」という降臨神話です。これは高句麗や百済の神話にも共通したモチーフで、日本にもこのタイプの神話は伝わっており、それを日本書紀作者が拝借したものでしょう。

さて、そうして地上に降り立ったニニギがそのまま引き続き「日向神話」にも登場して山幸彦の父となり、山幸彦からウガヤフキアエズ、そしてイワレヒコへと天照大神の首長霊とともに「有徳性」と「天命」も受け継がれ、それがイワレヒコを経て、歴代天皇にも受け継がれて日本書紀編纂時の天皇家にも繋がってくるのです。
そうした継承が絶えることなく続いているのは、その「天孫降臨神話」で描かれた「大嘗祭」の原型のような継承秘儀が代々の天皇の代替わりにおいて行われてきたからで、それが確かに受け継がれていることを象徴的に証明するものが、代々の天皇に伝わる、その儀式において使用されたレガリア、つまり「三種の神器」なのです。
日本書紀編纂時の天皇も保有していた「三種の神器」の、まさにそれと同じものが日本書紀の「天孫降臨神話」の中に登場するのであり、それこそが日本書紀編纂時の天皇家が確かに天照大神の首長霊とその「有徳性」と「天命」を受け継いでいることの動かぬ証拠なのだということなのです。
これは実際にはあべこべで、現実に天皇家に代々伝わる首長霊継承用のレガリアである「三種の神器」を日本書紀の「天孫降臨神話」の中に登場させただけのことなのですが、天皇家の統治の正統性をアピールするためにはこれぐらいの嘘はつかなければいけないのであり、「三種の神器」そのものは偽物というわけでもなく、実際にレガリアとして存在してきたわけですから、まぁそんなに悪質な嘘というわけでもないでしょう。

むしろ、ここでもっと重大な嘘は、天皇家の祖霊がいつの間にか八幡神から天照大神に変わってしまっていることでした。天照大神はもともとは伊勢の太陽神の「海照(アマテラス)」で、天皇家も重要な太陽神として信仰はしており、それは実際に天皇が継承してきた首長霊の一部にはなっていましたが、天皇家の祖霊ではなかったはずです。
しかし、アマテラスは「天照大神」という存在に生まれ変わり「天神」として「天命」つまり天の意思を体現する存在となっていきました。そして天皇家も「天命」を体現する存在であることをシナ向けにアピールする必要がありました。日本書紀はそもそもそれをするために編纂されているのです。
つまり、日本書紀においては「天照大神=天皇家(=天)」という関係を表明したいわけですが、このように神と人を一体化させる方法論として当時の日本において一般的に認知されていた首長霊継承儀式しか無かったわけで、それ以外の方法で「天照大神=天皇家」なんていきなり言い出しても日本人に対しては何の説得力も持たないのです。だから首長霊継承儀式に則った記述をやっていくしかないわけで、そうなると、まず前提条件として天照大神が天皇家の祖霊でないといけないのです。
このあたりはややこしいところで、日本における「首長霊」というものは祖霊や農耕霊や自然霊など諸々のものを含んでいたのですが、シナ人にはこの「首長霊継承」というものの概念自体がなかなか理解できなかったのですが、それでもなんとか理解させるにはシナ人が祖霊信仰なら馴染みがあったので「首長霊=祖霊」という構図を示す必要があったのです。特に、自然霊信仰があまり無いシナ人には、ここに自然霊が加わるというのは理解不能であったのであり、だから天照大神は太陽神ではなく祖霊でなければいけなかったのです。

そういうわけで、日本書紀において突如として「天照大神は天皇家の先祖」ということになったのです。つまり「天皇家は天神の子孫」ということになったのです。これが「天孫思想」ということです。この「天孫思想」こそが日本書紀のついた最大の嘘なのです。
確かにもともとの天皇家の祖霊も「八幡神」という神様でした。そういう意味では天皇家が神の子孫であるという点では同じことだと思えますが、これは全然意味合いが違うのです。
八幡神の場合は、天皇家の先祖であった人間が死んでから神様として祀られたのであって、もともとは人間だったのです。人間にとっての祖霊というものは天皇家に限らず、みんなそういうものです。
ところがアマテラスはもともとは太陽神で、しかも天照大神と変名してからは「天神」という一種の究極的存在となっているわけで、一度たりとも人間であったことはないのです。だからそもそも祖霊になる資格も無いのですが、そういった特別な神を祖霊とする天皇家は、普通の人間の一族ではないということになるのです。
つまり「天孫思想」の行き着くところは、天皇もまた神であるという結論なのです。それは従来の古墳時代以降の「秘儀によって首長霊と一体化して神同然の身となった」というような意味合いをも遥かに超えた、もっとストレートに「天皇=天神」つまり、天皇が「天」そのものであるという思想に行き着くものなのです。
もちろん日本書紀の「天孫降臨神話」に基づく限り、天皇が天神(天照大神)と一体化するためには三種の神器を使用した特定の秘儀が必要とされており、それは古墳時代以来の伝統に則ったもので、そうした制限は確かに加わっているので、全く無条件に「天皇=天神」ではないのですが、そもそも八幡神が祖霊のままであればそうした逸脱の心配は全く無いのですが、「天神が祖霊」という通常ではありえない状態が前提となっているわけですから、日本書紀をちょっと誤読すれば、天皇が無条件に神であるかのような誤った「天孫思想」が生じる危険性が常にあるのです。

しかし、この「天孫思想」こそが日本書紀の編纂によってシナ人に対して天皇家の統治の正統性を示すためには不可欠の要素だったのです。何故なら、この天皇が「天」そのものであるかのような思想というのは、皇帝が「天」と一体化したようなシナの皇帝制度と相通ずるものがあり、シナ人には非常にとっつき易かったからでした。
この日本書紀が編纂されていた時代というのは、建国されたばかりの日本はまだ土台が固まっておらず、天皇家の統治権もまだ正統性が確立されておらず揺らいでいました。そうした時代にはこうした「天孫思想」のような嘘でもなんでもいいから強い王権を志向する思想が必要だったのであり、この「天孫思想」によって奈良時代の日本は対外的に威信を保ち続けることが出来たのだといえます。
その後、平安時代初期に唐が滅びたりして外圧が無くなり、また国内でも天皇家の統治は完全に定着し、「天孫思想」のようなものに頼る必要も無くなり、血統的な継承が当たり前となった天皇家ではむしろシナ風の「徳治」のほうが重視されるようになっていったのですが、江戸時代に入ってからシナ風の「徳治」の限界が露になり、全く新しく「万世一系思想」というものが生じてきて、それによって明治維新が遂行されて近代日本は「万世一系思想」に基づいて運用されていきました。そこに明治末期にマルクス主義が入ってきて天皇家の統治の正統性が激しく攻撃されたので、それに対抗するために、シナ皇帝並みの強い王権を志向する「天孫思想」が久々に甦り、それが昭和初期に更に過激化して、まさに「天皇=神」の思想である「現人神思想」にまでエスカレートしたのです。
このような逸脱によって第二次大戦期における言論表現の自由への侵害が起きたのは確かであり、それが元々はこの日本書紀編纂時に天皇家の統治を正統化するためについた嘘である「天孫思想」に起因するのは確かです。
この「天孫思想」という嘘は、建国間もない日本が天皇家の統治の正統性をシナ人に納得させるために、シナ文明の価値観に無理に合わせて、日本古来の伝統的価値観をギリギリまで捻じ曲げて、苦肉の策で生み出した工夫の一環だったのです。ただ、そうはいっても嘘は嘘であり、しかも日本の伝統に違和感のある手法であったために、後々になってそのような禍根を引き起こしたのでした。

だから、戦後歴史学会が日本書紀や古事記の中のこの「天孫思想」の部分を攻撃し「こんなものは出鱈目だ」と言う分には、これは仕方ないことだと思います。まぁもともと危機の時代に突然発生的に現れたもので、戦争が終われば自然に引っ込むものではあったので、そんなに殊更に攻撃する必要も無かったわけですが。
ただ、そうした戦後の必然の反動である「天孫思想」への攻撃に便乗して、左翼御用学者が「万世一系思想」への攻撃も行ったのは悪質なデマ宣伝であったというべきでしょう。「万世一系思想」は江戸時代から続く由緒正しい思想であって、決して言論表現の自由を害するようなものではありません。だいいち「万世一系」そのものは事実であり、「万世一系思想」は嘘などではありません。ただその「万世一系」が神武天皇まで遡れるだけのことで、その前の神々には繋がらないということなのです。
日本書紀においては、「万世一系」という事実に「天孫思想」という虚偽を繋げているところに問題があるのであって、「万世一系」という事実そのものは何ら揺らぐものではなく、それゆえに日本書紀においては「天孫思想」については随所でしきりに強調されていますが、「万世一系」ということについては特に強調されるようなことは無いのです。だいたい嘘ほどしきりに強調して本当のことのように思わせようとするものであり、「万世一系」に関してはそのような宣伝扇動などは一切行われていないことからも、「万世一系」は嘘ではなく事実なのだろうと思われます。
だいたい日本書紀編纂時代においては「万世一系」などということに特に有難味は無く、そういうことに価値観を見出すようになるのは江戸時代の日本人の独創的な発想なのであって、まだこの奈良時代の時点ではそういう思想自体が無いのです。ですから「万世一系」という嘘を捏造する動機自体が存在しません。
そもそも「万世一系」であるということは「易姓革命が起こっていない」という意味であり、それによって天皇家の統治の正統性が確固たるものにならないのであり、むしろ「万世一系」は日本書紀作者にとっては当時は「不都合な真実」だったのであり、そのマイナスをカバーするために「天孫思想」などという嘘をつく必要に迫られたのではないかと思われるのです。
スポンサーサイト
人気blogランキングへ 応援のクリック 宜しくお願い致します。

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。