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日本史についての雑文その189 ダブル・カヌー
日本列島は今から約2万年前のヴュルム氷期の最盛期には間宮海峡と宗谷海峡、津軽海峡、そして対馬海峡はユーラシア大陸と陸続きになり、氷期最盛期においても植物が繁茂していた日本列島には北方の氷結地帯から歩いて多くの動物が南下してきました。そしてそれを追ってシベリア方面から新モンゴロイドの狩猟民が歩いて日本列島に移動してきました。
何故、氷河期においても日本列島が氷結しなかったのかというと、それは黒潮の影響であろうと思われます。黒潮は赤道のすぐ北側を東から西へ流れる北赤道海流がフィリピン諸島の東で北に向きを変えて、その後、地球自転の影響を受けて日本列島の西南方で針路を大きく東へ変えて、日本列島南岸を通って太平洋の彼方へ去っていく世界最大の暖流ですが、これによって赤道付近の暖かい海水が運ばれてきて日本列島を温めていたのです。だから氷期の最盛期においても植物が生えていたのです。
同じ緯度の他の地域が氷結していても日本列島だけは氷結していなかったので、そりゃあ日本列島に多くの新モンゴロイドがやって来るわけです。日本列島に古代から一貫して続く「アジア有数の人口密集地」という特性は、このあたりが基本になっているのです。
もう1箇所、アジア地域で日本列島以上の人口密集地として有名なのはジャワ島ですが、ここは旧モンゴロイドの本拠地であったスンダランドの一部であった場所で、しかもスンダランドにおいて最も太平洋に向けてせり出した地域だったのです。旧モンゴロイドは海洋民としての性格が強かったので、このジャワ島地域に最も多く住んでいたのでしょう。そして1万4千年前のヴィルム氷期終結後にスンダランドが徐々に水没していってジャワ島はユーラシア大陸から切り離され、そこにいた多くの旧モンゴロイドが取り残されたというわけです。

1万4千年前のヴュルム氷期の終結時には海水面が上昇して日本列島とユーラシア大陸との間の陸橋を水没させ、日本列島を大陸から離れた弧状列島にしました。これによって日本列島には多くの新モンゴロイドが取り残されることになりました。
そしてこの時代、つまり縄文時代においては地球は今よりも温暖化が進んでおり、地球が温暖化すると陸地よりも海水のほうがより膨張しますので現在よりも海水面が上昇しており、そのため日本列島の平野部は全部海中に没しており、日本列島の海岸線は全て現在の三陸沖のようなリアス式海岸のような、山岳部がそのまま崖となって海岸線になっているような状態でした。
そもそも日本列島は太平洋、ユーラシア、フィリピン海という3つのプレートのぶつかり合う大造山帯の上にあり、国土のほとんどは険しい山地でした。またプレートの境界であるために世界有数の火山帯であり地震多発地帯でもあり、度重なる火山の噴火や地震によって山岳地の地形は複雑極まりないものとなりました。
その上、地球全体が温暖化したことによって日本列島の本州以南はモンスーン型気候になり、高温多雨となり山岳地にはびっしりと森林が繁茂するようになりました。日本列島に多くの雨をもたらしたのは梅雨や台風でしたが、更にその上に対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡の陸橋が水没して日本海が太平洋と繋がったことによって日本列島南岸に流れる黒潮の支流が対馬海流となって日本海側に流れ込み、対馬海峡から津軽海峡、あるいは宗谷海峡まで達するようになって、暖流である対馬海流によって更に日本列島は温められることになったのですが、冬場は対馬海流によって発生する水蒸気が大陸からの風に乗って日本列島の山岳地帯に吹き上げられて冷却され、豪雪を降らせることになりました。
これによって列島中央の山岳地帯に大量の雪が積もり、それが雪解け水となって海まで流れ下り、膨大な水流が山岳部を流れるために急流となり、多数の河川と、その侵食作用による深い渓谷を形成して、ますます山と谷から成る日本列島の複雑な地形を作っていきました。

こうした日本列島の環境変化に適応して、ユーラシア大陸では平原でマンモスを追っていたような新モンゴロイドの狩猟民たちは、うっそうとした森林に覆われた山岳部の川が流れる谷に住み、生活用水は川の水を使い、山地に分け入って獲物を仕留めたり、木の実や果実、川魚などを採集する森林の狩猟採集民へと変貌していきました。
1万4千年前のヴュルム氷期終結時から3500年前ぐらいまでの縄文時代の大部分の期間は日本列島は非常に暖かく動植物が豊富に生息しており、狩猟民たちは居住地周辺の森林地帯において完全に自給自足が可能であったでしょう。ただ、2つだけ居住地周辺では自給自足が困難なものがありました。
それは1つは狩猟採集用の石器などの生活用具の原料で、特に石は動植物のように再生産がきかないので採取すればするほど減っていくわけで、新しく良い石器を作るためには居住地域を離れて上流域や下流域、あるいは別の水系に探索に行かなくてはいけないことが多くなりました。そしてもう1つ山地で自給できないものが塩で、塩が無ければ人間は生きていけないわけですが、日本列島では岩塩がほとんど採取できないので塩は海辺で作らなければいけません。そういうわけで森林の狩猟民たちも塩を得るために海辺へやって来るようになったのです。

その海辺には旧モンゴロイドの海洋民が居住するようになっていました。これは南方のスンダランド方面から断続的に船に乗ってやって来た人たちで、最初にやって来た動機は、彼らは漁労で生活していましたから、魚を獲るためでした。ヴュルム氷期が終わって地球全体が温暖化したために海洋生物の生態系も変わり、南方海域よりも日本列島周辺海域のほうが多くの魚が獲れるようになっていたのです。
そして同時に南方ではスンダランドの水没が徐々に進み、スンダランドに住んでいた旧モンゴロイドの海洋民たちは新たな根拠地を求めて各地に移動を開始したのでした。スンダランドが水没したといっても全てが沈んだわけではなく、正確に言えばもともとスンダランドはユーラシア大陸のインドシナ地方から突き出た巨大な半島だったわけで、それがインドシナ半島やマレー半島のようなユーラシア部分と、インドネシアの島嶼群のような海洋部分に分割されたということになります。
これらのうち、ユーラシア部分に居住していた海洋民たちは主にシナ大陸沿岸沿いに北上、あるいはインド洋方面のマダガスカルにまで達して拡がっていき、海洋部分に居住していた海洋民たちは主にミクロネシア、ポリネシアなどの太平洋の島嶼方面へ拡がっていきました。これはやはり、前者よりは後者のほうが遠洋航海技術は発達していったようです。
ポリネシアというのはミッドウェー島、ニュージーランド島、イースター島を結んだトライアングル内にある膨大な島嶼群のことで、ミクロネシアとはギルバート諸島、マーシャル群島、カロリン群島、パラオ諸島、マリアナ諸島、ウェーク島から構成される島嶼群のことをいいます。
このポリネシアのうち、東ポリネシアと呼ばれる海域の北側の島々と、ミクロネシアのギルバート、マーシャル、カロリン、パラオ方面はまさに北赤道海流の流域と接しており、しかもこれらの海域の住民はダブル・カヌーという独特の双胴船、つまり2艘のカヌーを繋げて上に甲板を渡した船を用いてかなりの遠洋航海技術を有していたのであり、北赤道海流、つまり黒潮に乗って日本列島へやって来たとしても不自然ではなかったといえるでしょう。

実はこのダブル・カヌーは過去に沖縄でも使用されており、これら太平洋の島嶼群から北赤道海流、黒潮に乗って伝わってきたと推測されます。そして日本書紀の神代の巻の日向神話の冒頭でこのダブル・カヌーは登場するのです。それはニニギの乗り物として登場するのですが、「神秘的な二隻の船に板を渡した天の浮桟橋」という表現で出てきます。
これを読むとなにかいかにも空を飛びそうなイメージですが、これは日本書紀や古事記でやたらよく見られる修辞で、船を空飛ぶ乗り物として描くわけです。これは要するに、もともと普通に船が登場する神話であったものを、記紀の編集方針上、どうしても主人公を天からやって来た天神にしなければいけないので、その乗り物も空を飛ぶ必要があり、安直に空を飛ぶ船ということにしたのでしょう。とにかく記紀編纂時には飛行機も気球も無かったわけですから、空飛ぶ船という発想になったのでしょうけれど、それにしても翼を持たせるとか羽衣を着せるとか、他にもう少し適当な描写もあるであろうに、それをあえてせずに船を使ったというのは、要するに元々は船が出てくるシーンであったのでそれを生かしたということなのでしょう。
そういった脚色や潤色を剥ぎ取って見てみれば、これはどう見ても太平洋の海洋民の使ったダブル・カヌーの描写なのです。それが日本の日向神話に出てきて、しかも沖縄には実物のダブル・カヌーの使用例もあるわけで、すると太平洋の島々からダブル・カヌーに乗って旧モンゴロイド海洋民が北赤道海流、そして黒潮の流れに乗って沖縄や日本列島の日向地方にやって来たという推測が成り立つのです。

更にこの推測を補強するのがバナナ・タイプと呼ばれる神話類型の存在です。これはその原型がインドネシアのスラウェシ島に伝わる、神様が人間に毎日バナナを与えていたのにある日突然石を与えて、それで人間が神様に文句を言ってバナナをリクエストしたところ、神様がバナナを与えつつ「これで人間の寿命はバナナのようにはかなくなるだろう」と言ったという人間の寿命に関する神話なのですが、これと同系統の神話が太平洋の島々にも広がっており、そしてこれとほぼ同じ、というか更に洗練されたタイプのものが先述の日向神話のダブル・カヌーの描写の後において引き続き描かれているのです。
つまりニニギがダブル・カヌーを降りた後、丘つづきに辿り着いた先の海浜で出会った美女のコノハナサクヤヒメに求婚し、一緒にやって来た醜い姉のイワナガヒメを嫌い返してしまいコノハナサクヤヒメだけを妻としたところ、イワナガヒメが「もし天孫が私を斥けなければ生まれてくる子は岩石のように永久に生存したでしょう。これでこの世の人民は木の花のようににわかに移り変わって生命おとろえていく」と呪ったという神話です。
また、このニニギとコノハナサクヤヒメの間に生まれた海幸彦と山幸彦の話もスラウェシ島、ケイ島、パラオ島などに伝わる「失われた釣り針説話」の類型であり、こういうことからもやはり、日向地方に太平洋の島々から海洋民がやってきて、しかもその起源は東南アジアのスンダランド方面の海洋部分のほうであるという推測が成り立つということになるでしょう。

ただ、それが何時の時点で日本列島にやって来たのかということになると、1万4千年前から随時、波状的なものであったと言うしかないでしょう。一度にまとめて来たようなものではなく、少しずつバラバラにやって来たのでしょう。スンダランド方面からミクロネシアやポリネシアの島嶼方面へ進出してすぐに海流に乗って日本列島へやって来たグループもあったでありましょうし、一定期間は太平洋海域で遠洋航海技術を磨いてからやって来たグループも存在したでしょう。おそらく後者のほうが無事に日本列島まで辿り着いたグループは多かったとは思いますが、かといって前者のような事例が皆無ということもないでしょう。だいたい、海洋民が太平洋方面へ進出していたのはヴュルム氷期集結前からずっと継続していたことであったので、1万4千年前の時点でも既に太平洋海域には熟練の遠洋航海技術者は存在していたはずだからです。
そういうわけで彼らの来航時期を特定することは出来ないのですが、おそらく日向神話を伝えたグループ、つまり天皇家の一族を含むであろうグループに関しては、ある程度は太平洋の島々の文化や航海技術を吸収した上で黒潮に乗って日本列島方面へ移動して日向国、つまり現在の宮崎県の海岸へ辿り着いた旧モンゴロイドの海洋民であったのであろうと推測できます。
天皇家に関しては日本書紀に収録された日向神話という史料があるのでそのような推測が可能なのですが、その他のグループに関しては来航地の特定もほぼ不可能です。ただ、黒潮の流れや日本列島の地形などから想像を働かせることは出来ます。
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