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日本史についての雑文その190 黒潮
北赤道海流は赤道のすぐ北側、つまりポリネシアやミクロネシアの島嶼群のある海域を西へ進み、フィリピン諸島の東側海域で大きく北へ進路を変えて黒潮となり、そのまま台湾と先島諸島の間を抜けて北上し東シナ海に入りますが、九州西南方の海上でまた大きく右旋回して今度は針路を東へとり、奄美大島と屋久島の間のトカラ海峡を通って日本列島の南岸を東進していきます。
ただトカラ海峡を抜けた後は黒潮は、日本列島南岸近くを流れる流路と、南方海域へ大きく蛇行する大蛇行流路に分かれ、この大蛇行流路に乗ってしまうと羅針盤の無い古代のことですから日本列島の位置を見失うことになります。結局はこの大蛇行流路が日本列島のはるか南方海域で再び北上し日本列島東南方海域で本流と合体して本流を北へ押し上げて、黒潮は日本列島東岸を一旦は北上することになりますが、三陸沖で寒流の千島海流とぶつかり、千島海流と合体して東へ針路をとって、北太平洋の遥か彼方の海上へと去っていくことになります。

黒潮という海流の古代における重要な特徴は、この日本列島近辺における複雑な流路と、海流としては極めて速い速度を持っていること、幅が100km.ほどあり極めて幅広いこと、そして透明度が非常に高いということです。あまりに高い透明度のために暗い海底がそのまま見えて、黒潮は他の海域に比べて青黒く見えます。これが黒潮という呼び名の由来です。
海流というものは古代における高速道路のようなもので、高速道路はその流れに乗ってしまえば目的地へ早く着けて便利なものですが、然るべきインターチェンジで降りなければ目的地を通り越してしまう危険もあります。海流も同じことで、便利な反面、危険な面もあります。特に黒潮は速度が速く幅広いということは、離脱が困難であるということであり、トカラ海峡通過時に離脱に失敗すれば大蛇行流路に乗ってしまう危険性があるわけで、そうなると黒潮を離脱して日本列島に上陸するチャンスは再び大蛇行流路が日本列島に近づく時に限られることとなります。ただでさえ離脱成功の確率が必ずしも高くないわけですから、チャンスの数が減る確率の高い選択をすることは賢明ではありません。ですからトカラ海峡通過時よりも前に離脱すればいいわけですが、羅針盤の無い時代ですからあまり沖合いで離脱してしまっては漂流してしまうことになります。やはり陸地を目視できる位置まで黒潮に乗って、目視と同時に大蛇行流路に乗ってしまわないうちに急いで離脱して陸地に向かうのが最も得策ということになります。
そうなると台湾や先島諸島、南西諸島が目視できた段階で黒潮を離脱して何処かの島に辿り着き、その後は地道に島伝いに北上していくという選択肢もありますが、この方法だと東シナ海で方向を東に変えた黒潮をトカラ列島通過時に横断しなければいけないのであり、この方法だと黒潮の最も南側の流れに乗ってしまい大蛇行流路に乗ってしまうリスクはかえって高くなりますので日本本土を目指すのならベストの策とはいえません。
やはりトカラ海峡通過時までは黒潮の流れに乗りつつ、出来るだけ黒潮の進行方向に向かって左側に寄っておくようにして、屋久島が目視できた時点で離脱を何度も試みて左へ左へ針路をとっていくようにすれば、もし屋久島へ辿り着けなかったとしても少なくとも大蛇行流路に乗ってしまうリスクは軽減され、日本近海を流れる黒潮本流から日本列島南岸の何処かの地点に辿り着くことが可能になります。これがベストの選択肢ということになるでしょう。

この場合、海上から目視して目標物としやすいのは海上に突き出した岬や島ですから、黒潮に乗ってきた場合にまず目標物となるのは屋久島、そして種子島ということになります。そしてそこから次に目標物となるのが大隈半島先端の佐多岬、または薩摩半島先端にそびえる開聞岳、あるいは宮崎県の南端にあたる都井岬です。
もしこのあたりで黒潮からの離脱に失敗しても大蛇行流路に乗りさえしなければ次は高知県の足摺岬、室戸岬が目標物となります。そしてそこで離脱に失敗しても次の離脱チャンスは和歌山県南端の潮岬を目標物とした時であり、その次は静岡県の御前崎、その次は伊豆半島先端の石廊崎、三宅島以北の伊豆諸島、房総半島先端の野島崎と続きます。
野島崎を越えると黒潮本流に大蛇行流路が合流して北上し、次に進路左手に見える目標物は鹿島灘の南端にある犬吠埼となり、ここで黒潮から離脱出来なければ、次の仙台湾北端の牡鹿半島の先端の金華山を目標物とした離脱が最後のチャンスということになります。このあたりから黒潮は進路を東に変えて太平洋の彼方へ去っていくからです。
こうして日本列島の何処かの地点に辿り着いてしまえば、もう無理に速度が速くて危険な高速道路である黒潮に戻る必要は無く、あとは海岸伝いに移動していけばいいのです。問題はどこに向かって移動していくのかです。

ここでポイントになってくるのが黒潮の透明度の問題です。透明度が高いというのは何を意味するのかというと、海水中に含まれる栄養塩が少ないということであり、これを貧栄養状態というのですが、栄養塩は植物プランクトンの生育に不可欠のものですから、貧栄養であるということは植物プランクトンの量が少ないということで、それはつまり魚があまり繁殖しないということです。しかしそもそも彼ら海洋民は魚を求めて日本列島までやって来たのであり、このままでは何をしに日本へやって来たのか分からないということになってしまいます。
つまり、彼らが求める真に豊かな漁業資源は黒潮の流れに晒されている海域には存在しないのであり、彼らは黒潮から離脱して辿り着いた陸地周辺の海域には満足せずに、更に栄養塩の豊かな海域近くの海岸へと移動していく必要があるのです。
栄養塩が豊富な状態を富栄養状態といいますが、これが過剰な状態の時に赤潮が発生します。赤潮というのは湖や湾のような閉鎖された水域においてよく発生します。つまり閉鎖水域は栄養塩が豊富な状態になりやすく、植物プランクトンが増殖して、それを食べる魚が多く繁殖するのです。では日本最大の閉鎖水域は何処なのかというと、それは瀬戸内海なのです。
近年では瀬戸内海は赤潮被害発生が深刻ですが、これは干潟をやたら埋め立てたことによる生態系の破壊が原因で、閉鎖水域の場合は一旦生態系を壊してしまった場合に自己修復作用が働きにくいので富栄養が過剰な状態になっているのであって、本来の瀬戸内海はバランスのとれた栄養塩が豊富な良好な漁場であったのです。
しかも瀬戸内海は太平洋に比べ静かで、黒潮にさらわれるリスクも存在しませんから漁船も安心して航行できるわけで、太平洋の島々から黒潮に乗って日本列島に辿り着いた海洋民たちは自然に瀬戸内海へと集まっていくようになりました。

特に大隈半島先端の佐多岬、薩摩半島先端の開聞岳、宮崎県の南端の都井岬に辿り着いた海洋民は日向灘沿いの海岸線を北上していって鶴御崎を越えて豊後水道に入り、関崎の東にある豊予海峡を越えれば瀬戸内海に入っていきます。また高知県の足摺岬に辿り着いた海洋民は四国の海岸沿いに西へ少し行けば沖の島があり、そこで方向を北に転ずれば豊後水道に入り、愛媛県から長く突き出した佐田岬の西の豊予海峡を越えれば瀬戸内海に入ります。
また高知県の室戸岬に辿り着いた海洋民は、室戸岬から北東に伸びる阿佐海岸沿いに北上していけば蒲生田岬の東から紀伊水道に入り、そこから更に海岸線沿いに北上していけば淡路島の西で鳴門海峡を通って瀬戸内海に入ることが出来ますが、鳴門海峡は定期的に渦潮が発生する危険海域なので淡路島の北辺の海岸線を東行して、淡路島の東の友ヶ島水道を通って瀬戸内海に入るのが安全ルートとなります。
そして和歌山県南端の潮岬に辿り着いた海洋民は北西方向に海岸線沿いに進んでいけば、御坊市の日ノ御埼の西から紀伊水道に入り、更に北上して友ヶ島と淡路島の間の友ヶ島水道を通って瀬戸内海に入ることが出来ます。
もちろん、日本列島には瀬戸内海の他にも比較的大きな閉鎖海域というものは存在しており、日本列島南岸の各所に辿り着いた海洋民たちはそれぞれ、それらの到着場所からほど近い湾や内海などの閉鎖海域に落ち着く者も多くいました。
例えば主なものとしては、薩摩半島先端の開聞岳に辿り着いた海洋民の中には鹿児島湾や八代海に落ち着いた者もいたでありましょうし、和歌山の潮岬に辿り着いた海洋民の中には伊勢湾を目指した者もいたでしょう。御前崎や石廊崎、伊豆諸島、野島崎に着いた海洋民はとりあえず駿河湾や相模湾、更には江戸湾を目指したでしょう。また犬吠埼に辿り着いた海洋民は当時は古鬼怒湾といわれた入り江となっていた現在の霞ヶ浦あたりを目指したことでしょう。

ただ、日本周辺の海域で最も栄養塩が豊富で魚が大量に繁殖している海域はこれらの閉鎖海域の何処でもなく、それは三陸沖や常磐沖の太平洋海域でした。それはどうしてなのかというと、そこが黒潮と千島海流のぶつかり合う海域だからでした。
千島海流は親潮ともいう寒流で、アラスカ西岸からアリューシャン列島南岸、カムチャッカ半島東岸を東から西に向けて流れてくる海流の延長線上で、千島列島東岸を南西方向に日本列島東岸に向けて流れ込んでくるのですが、非常に栄養塩に富んでおり、黒潮の数十倍の栄養塩を含んでいるといいます。当然、植物プランクトンが大増殖しており、それを食べる魚が大繁殖しているのです。
そういうわけですから親潮の流れる海域は世界有数の漁場が揃っています。江戸時代末期の工場制手工業の発展を陰で支えた金肥の原料となったニシンを大量に産したオホーツク海も千島列島南部の海峡から親潮が流入する一種の閉鎖海域であり、世界有数の漁場の1つでありました。

しかし、このオホーツク海をも超える世界最高の漁場が親潮が黒潮とぶつかり合う三陸沖、常磐沖なのであり、それはどういうメカニズムなのかというと、親潮は黒潮よりも低温なので重く、黒潮の下に潜り込むことになり、その時に生じる境界線上において、親潮の運んできた膨大な植物プランクトンを黒潮に乗ってきた南方産の多様な魚類、例えばマグロやカツオなどが食べることによって大繁殖するのです。しかもその上にもともと親潮に乗ってきたサンマやタラも大量に繁殖しており、更に三陸沖には津軽海峡を西から東に抜けてきてから南下してきた暖流の対馬海流も合流してくるので、複雑な混合水域を構成し、量も種類も豊富な魚の獲れる好漁場を形成するのです。
そういうわけですから、黒潮に乗ってきた海洋民も犬吠崎から更に北上して常磐沖、そして三陸沖を目指す者も多く、これらの漁場に向かう漁船の発着場となる漁港としては福島県沖には適度な入り江が無いので古鬼怒湾、仙台湾、そして宮古以南の三陸沖のリアス式海岸などが天然の良好を多く備えていたので、そのあたりへ向かう海洋民は多かったといえるでしょう。
ただこれらの三陸沖や常磐沖の漁場は最高の漁場であると同時にリスクの高い漁場でもあり、一歩間違えて黒潮の流れに捕まってしまえば、あっという間に太平洋の彼方へもって行かれてしまうハイリスク・ハイリターンの漁場なのでした。
そこまでリスクを負うこともなく、瀬戸内海やその他の先述の閉鎖海域などでの漁で満足する海洋民も多くいたでありましょうし、それ以外の普通の海岸、例えば日向灘や豊後水道、土佐湾、紀伊水道、熊野灘、遠州灘、房総沖などに面したちょっとした入り江や河口部などに根拠地を構える海洋民も多くいたでありましょう。それらの普通の海域でも十分な漁獲量は確保できたからです。
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