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日本史についての雑文その191 対馬海流
では日本海側はどうであったのかというと、これは少し違った状況で、黒潮に乗って太平洋岸にやってきた太平洋の島々起源の海洋民とはまた別ルートの海洋民がやって来ていたのです。つまり、東シナ海方面から対馬海流に乗って日本海側に辿り着いた海洋民がいるのです。
対馬海流は黒潮の支流である暖流で、台湾と先島諸島の間を抜けて北上してきた黒潮が九州の南西沖海上で東へ急旋回していった時に曲がりきれなかった黒潮起源の暖かい水塊が南シナ海から東シナ海のユーラシア大陸沿岸沿いをゆっくり北上してきた水塊と合体して九州西岸を北上し、対馬海峡を通過して日本海側の日本列島沿岸近くを北東方向に進み、最後は津軽海峡から太平洋側へ抜ける流れと、宗谷海峡からオホーツク海へ抜ける流れに分かれます。

太平洋へ抜けた対馬海流は三陸沖で黒潮を合流して太平洋の彼方へ去っていきます。また、間宮海峡あたりで冷やされた対馬海流の一部はユーラシア大陸沿岸沿いに南下し、アムール河から流れ出る淡水と混ざってリマン海流という寒流を形成します。

この対馬海流に乗って日本近海へやって来る海洋民というのは、1万4千年前にヴュルム氷期が集結した際に沈み始めて分裂したスンダランドのユーラシア大陸と繋がった部分、すなわちマレー半島やインドシナ半島あたりにいた海洋民で、どちらかというと遠洋航海よりも沿岸航海に特化した部族であったと思われます。
彼らは南シナ海へ漕ぎ出して海岸伝いに広州や福建、台湾西岸、浙江を経由して東シナ海を漂い、対馬海流の流れに乗ってまずは五島列島へ到着したと思われます。近年においてもベトナム難民を載せた漂流船がたびたび五島列島に漂着しており、どうやら南シナ海に漕ぎ出した船は五島列島へ流されてくるようなのです。
五島列島の目の前には平戸、佐世保、西海に囲まれた内海が広がり、そこから更に奥に佐世保湾、大村湾という閉鎖海域が繋がっています。また、佐世保湾に入らずに角力灘を南下すれば長崎港に行き当たり、更に南下して野母崎を回り込めば橘湾、島原湾を経由して有明海という大規模な閉鎖海域に行き着きます。このあたりは非常に入り組んだ海域を形成しており、漁業資源は豊富といえます。

そして五島列島をパスして対馬海流に身を任せた場合、次に辿り着くのは済州島、そして次に海洋民の海流離脱時の目標物となるのが対馬、壱岐や、東松浦半島、糸原半島、志賀島などの玄界灘周辺の島や半島ということになります。これらの地点に辿り着いた海洋民は対馬や壱岐、唐津湾、博多湾を根拠地としていきました。また、対馬や済州島経由で朝鮮半島の南岸にも同種の海洋民は流れていったでしょう。
対馬海流は黒潮と比べれば速度は非常に遅く幅もそれほど広くないので離脱はそれほど困難なことではありませんが、この対馬海峡周辺は狭くて比較的島の多い海を流れているために海流が複雑かつ急になっており、操船は難しいといえるでしょう。そういうわけで、ここであえて無理をしないとすれば次に対馬海流に乗った船から見えてくる目立った目標物は島根半島の先端の日御碕ということになります。

ここに出雲大社があるわけで、出雲神話の舞台の地ということになります。出雲神話といえば有名なのがヤマタノオロチとイナバノシロウサギです。ヤマタノオロチ神話は英雄が怪物から女性を守り妻にするというアンドロメダ型神話の類型で、これは世界中に普遍的に見られるモチーフであることから、この基本ストーリーに関しては何らかの伝播によるものというよりは、オルフェウス神話などと同様に人類の原初の記憶に起因する深層心理の産物と考えたほうがよく、むしろここでポイントとなるのは、その怪物がおそらく水神である八首八尾の大蛇なのだということでしょう。
東南アジアやシナの南部では蛇が水神として信仰され、東南アジアには実際にジャングルにアミメニシキヘビなどの巨大な蛇が生息しています。シナ南部の長江方面の神話などでは水霊は九首の人面蛇神とされます。ヤマタノオロチのイメージに近いといえるでしょう。また、ヤマタノオロチ神話は海洋的で開けた印象のある日向神話とは違い、舞台がうっそうとした森林部でじめじめした印象があります。どうもこうしたことからヤマタノオロチ神話というものは、スンダランドの切り離された海洋部起源ではなく、ユーラシア大陸に繋がった東南アジア部分のジャングル起源のような印象があります。
また、イナバノシロウサギ説話も、その原型はマレー半島やスマトラ、ジャワなどに伝わる、鹿がワニを騙して川を渡るという説話であるのですが、ワニはもちろんジャングルの河川に生息し、鹿も森林に生息する生き物です。ちなみに長江下流域にも揚子江ワニが生息しています。どうもこちらも島嶼部ではなく大陸の森林地帯起源の神話である印象が強いといえます。
つまり、出雲神話は黒潮に乗って日本列島太平洋岸にやって来た神話とは別系統の、おそらく東南アジアのマレー半島、インドシナ半島方面から北上して長江下流域ぐらいに分布していた神話が起源となっており、もともとの起源はスンダランドであったのでしょうけれど、スンダランドの大部分が水没した後は太平洋海洋部とは切り離されて独自の発展を遂げた神話であり、そしてもちろんそれを伝えていた民族が存在するわけで、そういった沿岸型の旧モンゴロイド海洋民が南シナ海や東シナ海に漕ぎ出して対馬海流に乗って五島列島や北九州、そして出雲地方へやって来て、出雲神話の原型を伝えたのではないかと思われるのです。
東南アジアやシナ南部の海洋民や水上民は、もちろん基本的には太陽や鳥を神格化するという海洋民共通の特徴は持っていますが、大陸方面の水上民の特性として、水神として蛇を神格化する傾向が強いといえるでしょう。出雲神話でも蛇は重要視されており、ヤマタノオロチがその典型例ですが、出雲系の神とされるオオモノヌシ、つまり三輪山の神の正体も蛇でありました。

こうして対馬海流に乗って島根半島へ辿り着いた東南アジア系海洋民たちは、今でいう出雲、松江、米子、鳥取方面の海岸に居住地を定めていきました。そして、対馬海流に乗ったまま島根半島をやり過ごした海洋民たちが次に海流離脱の目標物とするのは丹後半島の先端にある経ヶ岬ということになります。経ヶ岬から海岸線沿いに南下すれば天然の良港を備える宮津湾、舞鶴湾があり、更に海岸線沿いを東に進めば小浜湾、そして敦賀湾があります。
丹後半島をやり過ごして進めば、次に能登半島の先端の禄剛崎が目標物となります。そこから海岸線沿いに南下すれば能登湾や富山湾に行き着きます。能登半島の次の目標物は佐渡島で、ここからは佐渡海峡を挟んだ新潟方面に行き着きます。そして更に対馬海流は北上し、次の目印は男鹿半島の先端の入道岬となり、ここから秋田や能代、そしてこの頃はまだ大きな湾であった八郎潟に海洋民は分散していきました。
男鹿半島を越えて北上した対馬海流の本流は東に方向を転じて津軽海峡を通過しますが、この時に津軽半島の先端の龍飛崎に辿り着けばそこから南下して、古代には存在していた津軽半島の西半分の大きな湾や、津軽湾、陸奥湾、野辺地湾などに行き着くことが出来ます。そして津軽海峡を抜けて太平洋に出た対馬海流は親潮と共に南下して、三陸沖で黒潮と合流して太平洋の彼方へ去っていくことになります。

このようにして対馬海流は日本海側の各地に東南アジアやシナ南部起源の海洋民を運んでくることになるのですが、彼ら海洋民にとっても、日本海全体が1つの巨大な閉鎖海域であるので栄養塩が豊富であり、日本海沿岸のどの地点を拠点としても良好な漁場を確保することが出来るので、多くの海洋民が満遍なく定住していきました。それらの中でも特に、朝鮮半島南部も含めた複雑な海岸地形を有した北九州エリア、宍道湖や中海を有した出雲エリア、入り組んだ湾を多数有した越前越中エリア、そして三陸沖やオホーツク海のような好漁場にも近い津軽エリアなどが人気が高かったと思われます。

こうして太平洋岸には南方の太平洋の島嶼部からやって来た海洋民が住み着き、日本海岸には東南アジア方面からやって来た海洋民が住み着くようになっていきました。だいたいその境界線は、南方では宇土半島から天草諸島のラインであり、北方では三陸沖のラインあたりであったでしょう。
太平洋を流れる黒潮に比べて日本海を流れる対馬海流は流れが緩やかで各地の港の間の行き来も安全で、しかも日本列島を弧と見立てた場合、弧の内側に相当する日本海側のほうが弧の外側に相当する太平洋側よりも移動距離が少なくて済んだので、日本海側の東南アジア系海洋民のほうが各エリア間の交流も盛んで、万遍なく発達したようです。一方、太平洋側の南洋系海洋民のほうは東のほうへ伸びる海路はあまり発達せず、関東や東北方面の南洋系海洋民は伊勢湾以西の南洋系海洋民とはあまり密な交流は無く、個別に活動していくようになっていったと思われ、自然と太平洋側の南洋系海洋民の中心的活動エリアは瀬戸内海ということになっていったと思われます。
このように、太平洋岸の海岸線に南洋系旧モンゴロイドの海洋民、日本海側の海岸線に東南アジア系旧モンゴロイドの海洋民、そして内陸の森林地帯に新モンゴロイドの狩猟採集民という分布が生じてきたのが縄文時代前期の日本列島であったと推測されます。この内陸部と海岸線を結ぶ通路となっていったのが河川ということになります。
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【2013/08/12 03:16】 | # [ 編集]



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