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日本史についての雑文その192 水路交通
日本列島は当初から険しい山岳地帯を有した列島であったのですが、それがヴュルム氷期の後の海水面の上昇によって平野部分が水没して山岳地帯の切り立った斜面がそのまま海水面に接するようになり、つまり海岸線は全部が断崖絶壁という状態になりました。そうなると波の浸食を受けて断崖に入り江が作られてくるようになり、それはそれぞれの海岸ごとの波の強弱や地質構造の差などによって千差万別ということになり、大小さまざまな形の入り江が作られていくことになりました。
そして同時にヴュルム氷期終結後の気候変動と対馬海流の出現によって日本列島の山岳部に以前とは比較にならないほど大量の雨や雪が降ることになり、それによって発生した流水が山岳部の斜面を流れ落ちることとなりました。最初は無軌道な流路で流れ落ちていったのでしょうが、次第に川による侵食作用で地面がV字型にえぐれていって河川の流路が固定されるようになり、河口部も最初は断崖から滝のように海面に流水が落ちていたのが、河口部の土砂もV字型にえぐれていって深くなっていき、徐々に河口部が海水面に近づいて降りていき、とうとう海面と河口面の高さが同じになり、海面に直接河口が接して河川の流水を排出するようになりました。

内陸の山岳地帯のほうでは河川の流路が定まってくると新モンゴロイド狩猟採集民は生活用水確保のために河川近くの谷間に居住地を作るようになり、河川沿いのラインは常に低地で移動しやすく、海面と河口面の高さが同じになることによって河川を辿っていけばほぼ確実に海へ出ることが出来るようになりましたから、塩を採取するために歩いて河口付近にも出没するようになりました。
河口は海岸のえぐれた入り江の奥に開いている場合がほとんどでしたから、山岳地帯から河口まで出てくるということは入り江の奥まった部分に出てくるということと同じであり、入り江の奥まった部分は大抵は旧モンゴロイドの海洋民が船を繋ぎとめておくための港として利用してその周辺の陸地に居住区を作っている場所でした。つまりここで狩猟採集民と海洋民が出会うことになったのです。
狩猟採集民が海に出向いてきたのは塩を得るためでしたが、狩猟採集民の居住区は最も多くの獲物を得ることの出来る場所で、それは大抵は山地奥深い場所であったのでいちいち塩のために河口にまで出てくるのは実はロスの多いことでした。その点、海洋民は常に河口付近に居住していましたから塩を作るのに手間は要りませんでした。
逆に海洋民のほうの悩みの種は野菜や果物の不足でした。ビタミンCが不足すると出血が止まらなくなりますし、ビタミンAが不足すると夜目がきかなくなります。だから野菜や果物が必要だったのですが日本列島ではそういったものを採集するためには山地に分け入っていかねばならず、それは海洋民には不慣れで骨の折れることでしたし、海岸近くのものを採ってそれでも足りない場合に奥地の山林にまで入っていくのは海洋民にとっては時間的にも人的にもロスの多い大変なことでした。
そういうわけで河口付近において狩猟採集民と海洋民の利害が一致し、狩猟採集民は野菜や果物を、海洋民は塩を、それぞれ提供するという物々交換の取引関係を結ぶことでお互いの無駄を省いて共存していくようになったのです。

また、山地の狩猟採集民にとって塩以外に次第に自給が困難になってきたものが石器製作用の原料の良質の石でした。これがだいたいは河原で探すことが出来たものですが、動物や植物と違い再生産が消費に追いつかずすぐに不足がちになりましたので最初は上流で探してそれを採取し尽くしてしまうとどんどん下流に向けて良質の石を探すために足を伸ばすことになりました。
しかし下流のほうに行けば石はどんどん小粒になっていき、良質の石はあまり見つからなくなります。やはり良質の石を得るためには上流に限るわけで、そうなると別の水系の上流域に出向いていかなくてはいけませんが、そのためには山林を分け入って探索しなければいけません。別の水系を探すのは山中で「面」で探すよりも海岸線で「線」で探すほうが楽で、海岸線を移動していけば別の河口が見つかりますからそこから川沿いに歩いて上っていけば必然的に別の川の上流域に辿り着きます。
しかし海岸線を移動するというのが、河口部以外は断崖ばかりという時代ですから大変なことで、海岸線を河口を探して移動する最も効率的な方法は船での移動ということになります。つまり石探しにも海洋民の協力を得るほうが効率が良いということになります。
この場合、良質の石の目利きは狩猟採集民にしか出来ませんが船を操って海岸線を移動するのは海洋民にしか出来ないわけですから、海洋民の船に狩猟採集民が便乗して河口まで連れていってもらうことになります。しかし河口まで船で行くのならいっそそのまま海洋民と狩猟採集民のチームで小船に乗り換えて川を遡って上流域で石を採取してから小船で川を下って河口に戻ってきて、また船を乗り換えて海岸線を移動して戻ってくるほうが効率的ということになります。
いやもっと効率的な方法としては、そうやって見つけた新しい川の上流域に狩猟採集民の一部が移住していき、石の目利きもその現地駐在員が行うようにすればいちいち目利き要員を船に同乗させていく必要も無く、上流域への川上りや川下りは海洋民のみで行えばいいということになります。いや、もともとその上流域に既に別の狩猟採集民が居住している場合ならば、その居住民に石を求める事情を説明し目利きを依頼し、見返りに塩や海産物、あるいは元々の石探しの依頼主の狩猟採集民の部族の特産物などを渡せばいいということになります。
こうやって海洋民が河川の移動も行うようになり上流域にまで出向いて取引を請け負うようになれば、海洋民のほうでも河口でひたすら野菜や果物を待つのではなく好きな時に上流域の狩猟採集民の居住域に行って野菜や果物を求めることが出来るようになり、狩猟採集民のほうでもいちいち河口まで行かなくても塩や石を得られるようになり、利便性が向上します。また河川の移動であれば海洋民でなくても狩猟採集民でも海洋民のレクチャーを受ければ可能であったので、狩猟採集民が自分たちの都合に合わせて塩や石を得るための川舟を走らせることも出来るようになりました。

こうして海と川を使った交易ルートが開拓されていったのです。とにかく日本列島は険しい山岳部が国土の大半を占めていましたので地上の物流路というものがなかなか発達せず、また仮に道がついたとしても、古代の日本列島には馬がいませんでしたので地上で荷物を運ぶのは人力ということになり、その運搬可能重量もスピードも船より劣るものでした。もちろん船の場合は海や川のあるところまでしか行けませんから最終的には人力で運ぶことにはなるのですが、古代の幹線道路としては水路交通というものは有用で必要不可欠なものであったといえます。
こうした海や川を使った交易ルートの広がりのカギを握るのは海路のほうがどれだけ交易範囲を広げられるかということになるのですが、これについては日本海側のほうが海流が穏やかであり閉鎖海域であったので移動が安全で、かつ移動距離が少なくて済んだので発達したようです。また日本海側の海洋民のほうがもともと東南アジアやシナ南部の大陸沿岸で河川通行の経験があったので河川ルートの開拓では一歩先んじていたと思われます。ただ太平洋側の南洋系海洋民のほうも一歩遅れてではありましたが瀬戸内海を中心に海と河川の交易ルートを開拓していくことにはなったようです。

河川というものは下流のほうが流れが緩やかで上流に行くほど急流になりますから、遡っていく場合は下流のほうが楽です。ですから別の水系へ移動する場合は海岸線を船で移動して別の水系の河口を見つけてそこから遡って上流のほうの狩猟採集民の居住区へ至るという方法が一般的となります。しかし海岸線での移動があまりに長距離になる場合やあまりに危険な海域を通らねばならないような場合は、内陸のほうで別の水系に乗り換えるほうがロスが少ないということもあります。
特に日本列島の細長い構造上、日本海側に注ぐ水系と太平洋側に注ぐ水系の間の移動は海上路を経由するよりは内陸路を経由するほうが効率的であるといえるでしょう。だいたい河口部の大きな主要河川の場合は多くの支流からの流れが集まっているのであり、その支流の中には必ずその地域の山岳部の頂点付近からの流れが存在し、その頂点付近というのは複数の水系の最高点における支流の水源がその頂点をぐるりと囲むように集中していることになります。したがってそれらの水源の間の徒歩での移動も最低距離で済むのであり、峠を越えれば日本海側に注ぐ水系の最上流域から太平洋に注ぐ水系の最上流域へと船を乗り換えることも可能ということになります。
こうして峠越えルートを開拓することによって、日本海側の水系を管理する東南アジア系海洋民およびその水系に居住する狩猟採集民と、太平洋側の水系を管理する南洋系海洋民およびその水系に居住する狩猟採集民とが協調することで、日本列島を横断して日本海と太平洋、あるいは日本海と瀬戸内海を結ぶ交易ルートも開拓されるようになりました。
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