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日本史についての雑文その205 たたら吹き
出雲地方においても古来から砂鉄を産出し、砂鉄を原料とした製鉄が行われていました。主に製鉄が行われていたのは宍道湖の東端から中海の西部にかけての南岸にある意宇平野で、古代出雲の中心地帯でもありました。
この意宇平野を流れる意宇川の上流には熊野大社がありますが、熊野大社の周囲は山林地帯で豊富な木炭の供給地です。製鉄には多量の木炭が必要で、その供給源である山林地帯は不可欠です。そして熊野大社の祭神はスサノヲと同一神とされますが、スサノヲは木の神とも言われており、また、熊野大社は火の発祥の神社ともされています。製鉄と密接な関係のある神社であるといえるでしょう。

この熊野大社のある意宇川の中海に注ぐ河口のすぐ東の揖屋に溝咋姫が住んでおり、そこにコトシロヌシが会いに通ったとのことですが、コトシロヌシはオオアナムチの子であると言われますが同時にオオアナムチの子のアジスキタカヒコネの子ともされ、このあたりの親子関係は出雲神話を構築する際に無理にこじつけたもので、アジスキタカヒコネは賀茂神社の伝承では賀茂大神と同一視されており、またコトシロヌシも賀茂大神と同一視されることからコトシロヌシとアジスキタカヒコネは同一神と考えてもよく、大阪茨木の溝咋神社の社伝ではコトシロヌシと溝咋姫の間に生まれた子が五十鈴姫とされていますが、この五十鈴姫の正式名はヒメタタライスズヒメと言って、イワレヒコの妻となった女性でした。
ここで出てくる「タタラ」という言葉はもともと古い外来語で、サンスクリット語で「熱」の意味、古代朝鮮語で「もっと加熱する」というような意味であるそうで、製鉄法はヒッタイトからインド、シナ、朝鮮を経て日本列島に伝来したと思われますので、そうした経路で伝わってきた言葉なのでしょう。
古代出雲においてはタタラは、製鉄用の窯の内部に風を送り込む「ふいご」のことを指したのですが、そうして風を送り込むことによって窯の内部の温度を上昇させる器具が「ふいご」ですから、「熱」を意味する「タタラ」がその器具の名前にも使われるようになったのでしょう。
そうした製鉄作業に使われる特殊器具の名前が姫の名前に使われているということは、その一族は製鉄技術に関係する一族ということになり、父親のコトシロヌシと同一神となるアジスキタカヒコネの名には「鋤」という鉄製農具が含まれており、母親のミゾクイという名も護岸工事などの土木工事を連想させますが、土木工事には鉄製工具が不可欠です。そしてこうした神々を含んだ出雲神話の世界そのものに「国造り」という土木工事を連想させる要素があり、意宇平野を中心として土木技術集団が存在し、そのために使用する鉄器も同時に作っていたのではないかと推測されるのです。ただ、もちろん当初は低質な鉄器をもっぱら作っていたのであろうと思いますが。

出雲神話には、巨人神が各地の土地を引っ張ってきて出雲国を作ったという「国引き神話」がありますが、この巨人神と製鉄神が合体して紀伊、大和、伊勢に「ダイダラボッチ」という巨人神の伝説が分布しています。この「ダイダラボッチ」の語源は「タタラボッチ」で、「片目で一本足の巨人で、タタラを操り風を起こす」とされ、暴風の神様とされて、このあたりは台風の進路ですから祀られているようで、桑名の多度大社の社伝ではこの神は蛇の形をしているともされ、出雲系の神の特徴を備えており、暴風神となるとスサノヲのイメージにも近くなります。
また多度大社ではダイダラボッチは天目一箇神として祀られており、この神の親神はアマツヒコネと言い、アジスキタカヒコネと似た名前を持っており、天目一箇神は天叢雲剣を作った神といわれています。天叢雲剣は草薙の剣のことで三種の神器の1つですが、ヤマタノオロチの尻尾から出てきたのがこの剣です。
おそらく紀伊や伊勢に出雲方面から製鉄技術を持った氏族が移住していって、この出雲地方の製鉄関連神話や巨人神神話を伝えて、それが紀伊や伊勢において台風に関する祭祀と習合して暴風神としての属性も持つようになって台風の進路に沿って広まることになったのでしょう。
もともとは出雲地方で製鉄が行われており、草薙の剣も出雲で作られて大和王権へ献上されたものなのでしょう。それは、この出雲の地が「たたら吹き」という日本独自の直接製鋼法の発祥の地で本場であったからなのです。

タタラ、つまり「ふいご」は外来語であることからも分かるように外来物で、古代出雲が朝鮮半島経由で導入した技術でした。つまり器具だけではなく、その器具の有効な使用法も含めた製鉄技術全般を導入したのです。そういう技術も含めた総称として「タタラ」というものがあると考えればいいでしょう。
そしてそのタタラ製鉄術を改良し、砂鉄を原料とした日本独自の直接製鋼法へと昇華させたのが「たたら吹き」という技術なのです。この技術が最も洗練された形態で完成したのは江戸時代のことですが、その原理的なものは古代から同じで、木炭の燃焼反応によって、銑鉄を作らずに砂鉄から直接、鋼を作る方法です。
たたら吹きでは、砂鉄と木炭を交互に炉にくべながら風量を調節しながらタタラを踏んで比較的低温を維持しながら3日3晩の作業を行い、不純物の極めて少ない鋼を作り出すことが出来、これによって出来た鋼は硬く曲がらず粘り強く、研磨しやすく錆びにくいという特徴を示し、これを更に幾度も鍛えることによって刀剣の材料として最高品質のものが出来上がり、これが後に日本刀を生み出すのです。
この作業の間、炉の中の炎の色を注視して温度調整を細かに行うことが必須となり、そのため長時間にわたって炎を凝視する製鉄技術者は視力障害を起こす場合が多く、それゆえに製鉄神であった天目一箇神やダイダラボッチは片目であったのです。
その「たたら吹き」の技術は古代出雲においてはまだ完成してはいなかったでしょうけれど、それでも技術の研鑽の途上において、他の地域で産する鉄よりも良質の鋼を得ることが出来るようになっていったはずです。
また、この「たたら吹き」は非常に作業効率が悪く、わずかの良質の鋼を得るために莫大な砂鉄と木炭を消費せねばならず、そのため古代においては結局、この「たたら吹き」によって大量の良質の鉄器を生み出すことは出来ず、相変わらず朝鮮半島からの鉄素材や鉄鉱石の利用が主流であったのですが、それらを超える最高品質の鋼を大変なコストをかけて生産するということから、かえって「たたら吹き」で産する鋼の希少価値を高め、その鋼で作られる剣は神宝として奉られることとなったのです。

そういった出雲の神宝の1つが草薙の剣であったのでしょう。草薙の「ナギ」は蛇の意で、蛇の剣がその実体です。蛇はヤマタノオロチのことで、ちなみに草薙の「クサ」は「臭い」であり、オロチが異臭を放っていたということなのかもしれません。そうしたオロチの尻尾から出た剣だから蛇の剣だということで、もちろん本当に尻尾から出たわけではなく、水神たる蛇の意味する斐伊川から採集した砂鉄から作った剣であるということなのでしょう。あるいは製錬作業の行程で何らかのガスが発生したことを「臭い」と表現したのかもしれません。
結局、「たたら吹き」は6世紀になって朝鮮半島から新たに入ってきた最新製鉄技術を取り入れることによっていくらか効率を上げることになり、その頃から朝鮮半島における鉄に関する利権を大和王権が失うようになっていったため、日本列島内で「たたら吹き」によって作られる鋼の需要が次第に高まっていくようになります。
それ以前の段階の、おそらく紀元前250年から紀元後100年ぐらいまでの間であろうかと思いますが、あくまで出雲の外の世界から見て「たたら吹き」が古代出雲の神宝を作る秘術であった時代に製鉄に関連する出雲神話世界が構築され、それが製鉄技術者集団と共に紀伊や伊勢方面に伝播していってダイダラボッチ神話を生み出していったのでしょう。そしてそれら技術者集団が200年頃の大和王権誕生にも関わっていくことになり、大和王権誕生に際して、出雲の神宝であった草薙の剣も、古代出雲と古代大和の同盟に際して、その「大和」たる共同体統合の象徴としての役割を担うこととなるのです。
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この記事に対するコメント

 鉄といえば安来のことが書かれていないと調査不足を否めないのでは?

【2007/12/29 23:43】 URL | 八俣遠呂知 #- [ 編集]


 ナギとはイザナギにも通ずるのでは?
そういえば安来にはイザナギの妻イザナミ大神の御神陵があるみたいですね。

【2008/07/21 21:19】 URL | 神世意宇 #- [ 編集]


 日立金属の子会社、安来製作所が日刀保から委託されて、たたら吹きは行われていますね。調度今の時期に操業されている筈です。わたしも何年か前に行ったことがありますが、とても神秘的な体験として記憶に残っています。

【2009/02/02 15:44】 URL | 名古屋人 #- [ 編集]


このコメントは管理者の承認待ちです

【2011/12/11 21:40】 | # [ 編集]


このコメントは管理人のみ閲覧できます

【2012/06/15 01:11】 | # [ 編集]



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