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日本史についての雑文その217 エビス信仰
廣田神社というのは西宮市にある天照大神を祀る神社で、この神社が京の西にある重要な神社であるということで「西ノ宮」として崇敬され、それが西宮という地名の語源となったという重要な神社で、現在は平野部にありますが元来は六甲山地の東端にある甲山の南山麓にあり、当時は西宮から尼崎にかけての平野部は武庫川と猪名川の下流によって形成された干潟地帯でしたから、この廣田神社はその干潟地帯を北西から見下ろす位置にあったということになります。
この廣田神社の攝社の扱いで西宮市の甲陽園に越木岩神社があります。この神社は廣田神社の元来の位置であった甲山から六甲山地の南稜のラインに沿って東南方向に進んだ位置にあり、まさに廣田神社の前進基地のような位置にあるのですが、この越木岩神社では元来は蛭子命を祀っており、後にこの神社の南の干潟地帯が平野と化した後に蛭子命の祭祀が南の海岸線近くに移動して西宮戎神社になったのです。
この西宮戎神社が有名な海神であるエビス信仰の総本社なのです。古代においては廣田神社や越木岩神社のラインが干潟地帯と陸地との境界線で、海岸線であったので、エビス信仰が行われていたのでしょう。

エビス信仰にはコトシロヌシ系と蛭子神系の二系統あり、そのうちコトシロヌシ系のエビス信仰の総本社が松江の美保神社で、蛭子神系のエビス信仰の総本社がこの西宮神社で、その起源は越木岩神社なのです。
これは、古来から日本列島にはエビス信仰という土俗的な海からやって来る来訪者に対する信仰というものが存在し、それに後になって神話に登場するような人格神を習合する際に、コトシロヌシを習合させる傾向が強かったのが東南アジア起源の海洋民で、蛭子命を習合させる傾向が強かったのが南洋系の海洋民だったということで、この二系統のエビス信仰は元来は同一のもので本質的な違いは無いのです。
そしてこの越木岩神社のエビス信仰が蛭子神系であるということは、この神社の祭祀を行っていたのは南洋系の海洋民ということになります。だからといって大阪湾のエビス信仰が全て南洋系なのかというとそんなことはなく、大阪湾の東岸、つまり上町台地の東岸に存在した今宮戎神社はコトシロヌシ系のエビス信仰であり、スサノヲを祀る八坂神社とも関係が深く、つまり大阪湾エリアは、淀川や猪名川、武庫川を経由して北からやって来た東南アジア系と、紀伊水道や明石海峡を通ってやって来た南洋系の、二系統の海洋民が混在するエリアだったといっていいでしょう。

エビス信仰の本質は単なる海神というよりは、海からやって来た異邦人への信仰ですから、このエビス信仰の神社である越木岩神社を摂社として持つ廣田神社の本来の祭神はエビス、つまり海からやって来た開拓者、つまりこの土地を開拓した氏族の祖霊である可能性が高いといえます。だいたい廣田神社の元来の位置も、干潟地帯と陸地の境界線であり、これは開拓者の祖霊を祀る神社の典型的なパターンでもあります。
そして、そのエビスが蛭子神と同一視されているという点から、この土地を開拓して廣田神社の原型を作ったのは南洋系の海洋民であったということになります。
そのようにして、もともと甲山山麓で土着の南洋系海洋民氏族によって行われていた祖霊祭祀に、オキナガタラシヒメが三韓征伐の帰路にこの地に進出して大和王権の祭祀との一体化を図り、アマテラスの祭祀と習合させたのが現在に続く廣田神社の祭祀の起源ということになるのでしょう。
何故、祭祀の一体化を図る必要があったのかというと、この地に大和王権の人々が進出し駐屯、生活するようになったから、その人々の信仰するアマテラスに関する祭祀もこの地で行う必要があり、また同時にこの地の本来の神も祀る必要があるわけで、そのために祭祀を一体化し、土着の首長霊を大王家が継承するというのが大和王権の勢力拡大の定番の手法であったからです。

また生田神社は現在は神戸市中心部の生田の森に存在しますが、もともとは神戸市街地を見下ろす布引山の南山麓に祀られており、布引山は南北に狭い神戸市街地の北にある六甲山地の南端の山で、ここからは神戸港が一望できます。
この布引山を通って神戸港へ真っ直ぐ注ぐ短い河川に生田川があり、生田神社はもともとは布引山の山中の生田川沿いに存在したと思われます。つまり生田川の作る小さな干潟地帯の真上に位置して、神戸港を見下ろす位置で、非常に海に近い位置に存在した神社であったということになります。
この生田神社の神事を執り行うためにこの地に封ぜられた民の家々が四十戸ほどあり、それらが現在の神戸市中央区あたりの生田神社の社領にまとまって住んでいたためにそのあたりを「神の戸」と呼ぶようになり、これが神戸の地名の由来となりました。

六甲山地が瀬戸内海に最も迫った地である神戸は大きな河川が存在せず、河川の運んでくる土砂の堆積量が少なく、岩礁海岸が大部分において維持されたので天然の良港の条件を備えており、神戸港が国際港として本格的に繁栄するようになるのは平清盛による大和田泊の修築、人工島である経ヶ島の建設後のことですが、それ以前から遣唐使船の寄港地であったり、古代から潮流の複雑かつ危険な明石海峡の潮待ちの港として有用であったので港町として特化して栄えました。
この神戸の地はその地理的条件は鞆の浦を抱える福山や尾道に似ており、北に迫った山地によって東西の出入り口以外は閉ざされた東西に細長い土地で、海にのみ開かれており、優勢な海軍力さえあれば防御するには非常に適した土地だといえます。
それゆえ古代から軍事的拠点として重要で、平家水軍の拠点ともなり、平清盛が福原京を置いたりもしたのです。源平合戦ではこの地で一ノ谷の合戦が行われ、騎馬戦法を有効活用した源義経の奇襲によって水軍を擁した平家が敗れましたが、後に南北朝時代の湊川の合戦では、この地を守る楠木正成軍を足利尊氏の軍が水軍を有効に使った戦法で破っています。なお、これらの合戦はいずれも生田神社より西方、東西に長い神戸平野の西部で行われたものでした。
このような港町であったので、古くから海洋民が居住していたであろうと推測され、この地を開拓した海洋民の祭祀場所が港を見下ろす布引山の山麓の元来の生田神社の土地だったのではないかと思われるのです。

現在の生田神社の祭神はワカヒルメで、これはアマテラスの妹神だとか幼名だとか言われていますが、要するに大和王権が伊勢から移植して信仰していたアマテラス信仰のバリエーションであり、これは元来の生田神社の祭神ではなく、廣田神社の場合と同様に、軍事拠点として重要であった神戸の地に大和王権の民が移住してきた際に従来の土着の信仰の祭神と、アマテラス信仰とを一体化、習合させた結果であると見ていいでしょう。
では、生田神社のもともとの祭神は何だったのかというと、境内の脇社に蛭子神社があることから、やはりこの生田神社においても廣田神社の場合と同様に、海からやって来た開拓民の祖霊であるエビスを祭神としていたのであり、それが蛭子神に比定されている点から見て、この布引山から流れる生田川付近に居住して生田神社の祭祀を行っていたのは南洋系海洋民の氏族であったと思われます。

また、長田神社は神戸市長田区にあり、六甲山地の南端に位置して南方の狭い市街地とその向こうの海を見下ろす位置にあり、また六甲山地から海へ向かって流れる短い河川である苅藻川のほとりに存在していたという点でも生田神社とほぼ同じ立地条件を備えており、やはりこの狭い岩礁海岸を備えた平野部を古来から開拓した海洋民の祖霊が祀られていたのではないかと推測されるのですが、この神社の祭神はコトシロヌシです。
コトシロヌシは出雲系の水神であり、東南アジア系海洋民によって海からの来訪者であるエビスにも比定される神ですから、この地を開拓したのは亀岡経由で淀川か猪名川を南下して大阪湾に出てきたか、あるいは播磨方面から明石海峡を通ってきた東南アジア系海洋民であったと思われます。
そして、この長田神社の付近の地は神戸港の西端の高台にあたり、明石海峡を通過して神戸港へ迫ってくる敵水軍、あるいは狭い山陽道を東進してくる敵陸軍を警戒監視する防衛網の最終ラインであり、湊川の合戦時には楠木正成軍もこのあたりに布陣しました。また同時にこの地は、六甲山地を越えて苅藻川沿いに南下して神戸へ迫る敵軍へ備える場所でもあり、一の谷の合戦時は平家が山手の備えとして夢野口の陣を敷いた場所でもあります。
湊川の合戦時は足利方の陸軍が神戸平野の西端の一の谷を既に制圧していた上に足利方の水軍が東方の生田方面に上陸して、この長田近辺の楠木軍を東西から挟撃したため足利方が勝利しましたので、神戸防衛のためにはこの長田方面と生田方面、そして出来れば一の谷方面を押さえておく必要があります。ただ源平合戦時の平家はこの3箇所を押さえていた上に制海権も握っていたのに敗れたわけですが、これはあまりに源義経の奇襲が鮮やかであったからでしょう。
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