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日本史についての雑文その227 太陽神復活神事
そして鏡に関しては、おそらくイクメイリヒコの時代に太陽神信仰と鏡信仰が習合して、大和王権勢力下の代表的な太陽神(猿田彦)信仰の聖地であった伊勢神宮や日前宮に新たに鏡信仰の要素が加わり、それによってアマテラス信仰としてのリニューアルが施され、神社の場所自体がやや内陸部に移されて大規模化され、この時点でご神体が鏡になったのだと思われます。
いや、あるいはこの流れは逆で、太陽神の依り代であるご神体としての鏡という神器が新たに加わったことによって従来の猿田彦信仰という古い太陽神信仰がアマテラス信仰という新しい太陽神信仰にリニューアルされて、それによって神社の土地が内陸部の広い場所に移ることになったのかもしれません。いや、神社の敷地内においてその鏡に関連して多くの人が出入りするようになったので広く交通便利な地に移る必要性が生じたのかもしれません。
こう考えると、「まず鏡ありき」ということになります。太陽神の依り代にふさわしい画期的な新しいタイプの鏡が作られ、それによって「鏡を太陽神のご神体とする」という新しい発想が生じ、鏡を首長霊継承儀式で神器として使うことで太陽神の霊力も継承するという発想も生まれました。
そして、この鏡によって継承される太陽神というものは大王家にとっては本拠地エリアにおいて信仰されていたものだったのであり、大王家自身がいつしか深く信仰していた神でしたから、草薙剣のような他の地域の神宝の場合とは逆に、大王家の首長霊を大和王権連合の他の地域や勢力、出雲や吉備や丹波、阿波や東海などの諸地域や有力豪族などにも共通して祭祀させ、また太陽神の加護が各地にあまねく及ぶためにも、この神器である鏡の複製品を多数製作し、各地各氏族に対して下賜していた可能性もあり、その作業を行うために伊勢神宮や日前宮の位置を交通便利な地にし、敷地を拡張する必要があったのかもしれません。

古い太陽神信仰とはどのようなものであったのかというと、それは猿田彦を祀る二見興玉神社から見る夫婦岩が夏至の太陽に対応したものであったことからも分かるように、夏至の最盛期の太陽神を称え、その加護を求める海洋民主体のものでした。
そうだとするならば新しい太陽神信仰とは、太陽が最も活動を弱める冬至において太陽神の復活を図る神事を重視したものであったのではないでしょうか。太陽神信仰が海洋的なものからより農耕儀礼に近づくことによって春先の太陽の恵みをより重視するようになり、そのため夏至よりも冬至のほうが重視されるようになっていったのではないかと思うのです。そうした新しい太陽神信仰の形が天岩戸におけるアマテラス復活神事であり、それを神話化したものが天岩戸神話であり、そこに鏡が重要な要素として登場してくるのです。
つまり、伊勢神宮においては元来は東方へ進出していく船乗りの信仰する、貝と共に海に沈んだ猿田彦に象徴されるような海洋的な外向きの太陽神信仰が行われていたのですが、それが大和王権の国教的な地位を占めるようになっていくにつれて従来よりも普遍的で内向きな、内陸の農耕民にも広く受け入れられるような形態にリニューアルされるようになり、祭祀場所も特に海辺である必要は無くなり、むしろ鏡のような祭祀の道具立てをより緻密なものにして権威づけていくような傾向が生じていってアマテラス信仰という新しい形態に収斂されていったのではないかと思うのです。

そのアマテラス復活神事を神話化した天岩戸神話を見ていくと、最初に太陽神アマテラスが岩戸に隠れてしまいますが、この岩戸のイメージは古代における墳墓のイメージであり、つまり太陽神が冬至においてそのパワーが底値まで低下させて一旦死んでしまうという設定になっているのです。
その太陽神を復活させるために神々が集まって相談し善後策を講じていくのですが、その描写が最も詳細に文学的に描かれているのが古事記なのですが、これは話を面白くするための修辞が多く、元来この神話のネタ元となった太陽神復活神事の実態を知るためには日本書紀の一書群なども併せて見て検証していかなければいけません。
古事記や日本書紀の本文によれば神々が最初に行ったことはニワトリを集めて鳴かせることだったのですが、まぁこれは文学的修辞であるか、あるいは本当に神事においてもそのようなことが行われていたのかもしれません。ただ日本書紀の一書群ではニワトリは登場せずに最初から鏡やその他の祭具の製作に取り掛かるものばかりなので、ニワトリは元来どうでもいい要素であったと思われます。実際ニワトリは全然役に立っていませんし。

日本書紀の一書群のうち、日前宮関連の伝承と思しき一書によれば太陽神が岩戸に隠れた後に鏡を作ったのは石凝姥という鋳物工で、この時に作った鏡が日前宮のご神体である日像鏡と日矛鏡であるということが述べられています。この鏡を作った理由は「太陽神の象を作って招きよせて奉ろう」というものだったのですが、結局鏡を作った後どうなったのかについては記されていません。これは要するに、「太陽の形をかたどった依り代を作ってそこに太陽神をお招きして祭祀しよう」ということであり、この一書は神話ではなく神事そのものの由来について述べているのです。
つまり太陽神復活神事で使われた鏡は太陽にそっくりに見えるように作られたということが分かります。また、この鏡を作った石凝姥が鋳物工であることから、この鏡は鋳物であり、鋳物であるということは青銅製であったという推測が成り立ちます。ただ詳しく読めば天香具山の金を掘って鋳物として作ったのが日矛鏡で、鞴(つまりタタラ)を使って作ったものが日像鏡であるというようにも読め、金といってもゴールドの鏡というわけではなく「金属」という意味であろうと思われ、鋳物でもあるので日矛鏡は青銅製であり、タタラを使って作られた日像鏡のほうは鉄製であったのかもしれません。ただ、別にタタラは製鉄作業にのみ使用されるものではなく一般に高温を得るために使用される器具ですから鋳物を作る場合にも使われ、そうなるとやはり石凝姥が鋳物工であることから日矛鏡も日像鏡も両方とも青銅製である可能性が高いといえるでしょう。
しかし古事記においては、「天の安川の川上の堅い岩」と「天の金山の鉄」を採集したうえで鍛治師のアマツマラという者を呼び寄せ、イシコリドメに命じて鏡を作らせているのです。イシコリドメは石凝姥と同一人であろうと思われますが、鉄を原料として鍛治師まで登場するわけですから、鏡は鉄製であったということになります。
しかし実際には古代の鏡というものはみんな青銅鏡であり、鉄鏡などというものは存在していません。錆びて崩れてしまったので残っていないという意見もあるかもしれませんが、そもそも錆びて崩れてしまうようなものを祭具として使用するものでしょうか。だいたい、黒ずんだ鉄の鏡などというものが太陽神の依り代として適当だといえるでしょうか。いや、もしも鏡の本体が鉄製であったとしたなら、それを太陽神の依り代として適当なものにする方法も無いこともありません。それは「川上の堅い岩」も鉄と一緒に採集されていることがポイントになるのですが。
まぁしかし実際は鉄製の鏡というのは可能性が低く、やはり祭祀用の鏡というと青銅鏡であったと考えたほうが自然であろうと思います。材料として鉄に言及しているのは古事記だけであり、他は材料については特に特定はしておらず、石凝姥(イシコリトベ)が鋳物工である点、現実に古代鏡のほとんどは青銅鏡であるという点などを考慮して、この神事で使われた鏡も青銅鏡であったとひとまず考えることにします。
なお、鏡の製作者は日本書紀の本文では特に記載は無く、伊勢神宮関連の伝承と思われる他の一書においては鏡作部の遠祖の天糠戸(アマノアラト)という者になっていますが、他の一書では鏡作の遠祖のアマノヌカトという者が登場し、これはおそらくアマノアラトと同一人で、このアマノヌカトの子であるイシコリトベが鏡を作ったということになっています。このイシコリトベはイシコリドメや石凝姥と同一人でありましょう。これらを総合的に解釈すると、やはり鏡の製作者は鋳物工の石凝姥であったということになると思います。
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この記事に対するコメント

いま、籔田紘一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。

【2008/11/24 21:53】 URL | 大和島根 #- [ 編集]



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