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日本史についての雑文その228 神秘の大鏡
鏡を作ったのは石凝姥であったのですが、その出来上がった鏡を使って神事を行ったのは別の者でした。古事記や日本書紀の本文、上記のアマノヌカトのでてくる一書などでは鏡は常緑樹の枝に架けられるという描写が展開されます。
ただ伊勢神宮の伝承と思しき一書においては枝に架けられる描写は無く、太陽神を岩戸の外に出した後に入れ替わりに鏡を岩戸の中に入れる描写が出てきます。ある種の「身代わり」のようなものであり、鏡を太陽そっくりに作るというのもこのように最終的には身代わりとして使うためであったのかもしれませんし、実際にそういう用途に供される場合もあったのではないかと思われます。ただそれはあくまで最終的な用途としてであり、太陽神復活神事における鏡の本質的な用途はやはり「太陽神をお招きするための依り代」であろうと思います。

古事記における描写を見ると、鏡は他の勾玉などの祭具と一緒に常緑樹の枝に架けられてフトダマという神が手に持っており、その横でアメノコヤネという神が祝詞を唱えて太陽神を称えていたということになっています。そして岩戸の傍にはタヂカラオという怪力の神が隠れて立ち、岩戸の前でウズメがトランス状態で踊り狂い、それを見て他の神々が大笑いするという役割分担になっていました。
その大騒ぎを聞きつけた岩戸の中のアマテラスが何事かと思い岩戸を少し開けてウズメに質問するとウズメが「他の尊い神が現れたのでお祝いしています」とウソをつき、そこにフトダマとアメノコヤネが常緑樹に架けた鏡を差し出してアマテラスに見せ、つまりアマテラスは鏡に映った自分の姿を見たわけで、それを「他の尊い神」と勘違いし身を乗り出してもっとよく見ようとしたところ、腕をタヂカラオに掴まれて引き出されることになるのです。
しかし、このアマテラスが鏡を覗き込むという描写があるのは古事記だけであり、日本書紀の本文や一書などでは鏡は単に常緑樹の枝に架かってフトダマによって捧げ持たれているだけであり、日本書紀の本文においてはウズメの踊りを見て神々が大騒ぎするのを聞いてアマテラスが岩戸を開けたところでタヂカラオが腕を掴んで引き出したことになっており、一書においてはアメノコヤネの祝詞を聞いて岩戸を開けたところを引き出されるか、あるいは祝詞を聞いて自分で出てくるかのいずれかであり、ウズメすら登場しません。とにかく鏡はフトダマの持つ常緑樹の枝に架かったままで単なる祭具の1つという扱いであり、アマテラスの姿を映したりはしません。おそらく古事記の描写は文学的修辞と解釈していいと思います。

やはり本来はこの神事における鏡は姿を映すことが目的なのではなく、もっと宗教的な意味合いが強いものなのでしょう。太陽に似せた鏡であり、太陽の象徴であり、太陽の依り代で、太陽の霊力や生命力を溜め込む霊的装置のようなものだったのではないかと思われるのです。
何故なら、この神話の描写の中で鏡が架けられるのは常緑樹ですが、神道においては植物には神が宿り、特に枝先や葉先などの先端が尖ったものは神の依り代となるとされ、常緑樹の葉が年中同じ緑色であるのは神の不死の生命力の象徴であるとされたからです。その常緑樹に架けられているわけですから鏡にも同じ役割が期待されているのは必定であり、特にこれは太陽神の復活神事ですから、太陽神を蘇生させるために常緑樹や鏡の持つ不死の生命力が何らかの役割を果たすことが期待されるはずです。
例えば太陽に似せて作られた特別の鏡は太陽の光や太陽の生命力が宿り依り代となってそれらを溜め込んでおいて、冬至において生命力を使い果たして一旦死んだ太陽神に向かって鏡から太陽の生命エネルギーを光の形で照射して太陽神を蘇生させる霊的装置だったのではないでしょうか。
あるいは更に想像をたくましくするならば以下のように神事は進行するのではないでしょうか。すなわち、冬至の日の夕刻の日の入りと共に太陽神は死に、蝋燭の薄明かりの中、太陽神の似姿とされる大鏡が岩戸に葬られるという象徴的な葬送儀礼から神事はスタートし、その後おごそかに何本もの常緑樹が祭祀場に用意され、鏡や勾玉などの祭具が出てきて、それらを常緑樹に取り付け、岩戸の周囲に配置し、延々と太陽神を称え祝福し復活を祈る祝詞が唱えられ、夜半に祝詞が終わるとそこからは酒が出てきて香が焚かれ、巫女が出てきて激しく踊り狂いトランス状態になり、つまり太陽神が巫女に憑依して祝詞への答礼の形で色々なことを喋り始めるのです。そこからは夜明けまで神と人々が交歓する宴会が延々と続き、夜明け前に巫女の口を借りて太陽神が復活を宣言すると同時に鏡の架けられた何本もの常緑樹の前で何本もの松明に火が点され、その光を反射してそれぞれの鏡が小さな太陽となって光り輝き、そこで再び祝詞が唱えられる中、おごそかに岩戸の扉が開かれ大鏡が姿を現すと同時に常緑樹に架けられた何枚もの鏡の反射光が一斉に岩戸の中の大鏡に照射され、大鏡は光と共に生命エネルギーを浴びて激しく光り輝き、その姿はまさに太陽神の復活そのものであるかのように見え、ここに神事はクライマックスを迎えます。そしてその時、岩戸の背後から本物の朝日が昇ってくるのです。

もしこのような神事が行われていたとするならば、先述の伊勢神宮関連の一書にあったように岩戸の中に入れるための特別の大きな鏡というものも存在したということになり、その一書ではその鏡こそが「伊勢の神秘の大鏡」つまり伊勢神宮の神宝であった「八咫鏡」であると述べているのであり、あるいはこの大鏡だけは鉄で作られていた可能性はあるかもしれません。
いや、日本書紀の日前宮関連の一書にあるように、この岩戸の中に置く大鏡こそがタタラを踏んで鍛造した鋼で作った太陽神の像を象った「日像鏡」であり、「日像鏡」は普通名詞であり、その中でも伊勢神宮で使った分は特に「八咫鏡」と呼んだのかもしれません。そして「日像鏡」に向かって光を真っ直ぐ矛のように照射する小型の青銅鏡を「日矛鏡」と呼んだのかもしれません。
そうであるならば、「日像鏡」を作る鉄は通常の悪鉄であるはずはなく、草薙剣と同じタタラ吹きで作った特別性の鋼で作られたのであろうと思われ、それはあまり多く作れるものではなかったので伊勢神宮と日前神宮ぐらいにしか無かったのでしょう。逆に「日矛鏡」は他の青銅器を鋳潰せばいくらでも作れましたから、各地に複数の「日矛鏡」が下賜されてバラまかれた可能性はあり、あるいは伊勢神宮における冬至の太陽神復活祭祀において使用される「日矛鏡」は大和王権の連合加盟の各共同体から持ち寄られた各地の神宝であったのかもしれません。
ただ、大鏡であれ常緑樹に架けられた通常の鏡であれ、また青銅鏡であれ鉄鏡であれ、これはよほど鏡面の反射率を上げなければ成り立たない神事であったろうと思います。つまり単に金属面を滑らかに磨いて整えたキラキラした鏡面にボヤ?ッと自分の姿が映るというような程度では足りないわけで、鏡面の反射率を上げる何らかの最先端技術が必要になるということです。

ところで、この天岩戸神話の様々なバージョンにおいて共通したパターンは、様々な祭具をつけた常緑樹を持つのがフトダマで、祝詞を唱えるのがアマノコヤネであるという役割分担ですが、フトダマが祭具担当、アマノコヤネが祝詞担当となっているようです。実はフトダマは忌部氏の祖であり、アマノコヤネは中臣氏の祖です。
神事そのものの進行役はどちらかというと中臣氏のほうです。中臣氏は大和王権の祭事の担当氏族でしたから、こうした節目節目の重要祭事においては主導的役割を果たすのは当然でしょう。一方、忌部氏のほうはもともとは出雲の勾玉製作集団であった玉作氏ですから祭具の製作を行う技術者集団で、祭具の製作やメンテナンス、保管をもっぱら行っていたのでしょう。
祭具は年に数度の重要祭事においては表舞台に出てきて中臣氏の主導のもとで使用されますが、それ以外の一年の大部分の期間は厳重に保管されているのであり、神社というのはそういった祭具の保管をする場所でもあったわけです。特に重要な祭具は神器や神体として神社において常に祀られていました。こういった重要祭事以外の場での祭具の管理については中臣氏の管轄ではなく忌部氏の管轄であったと思われます。
つまり、忌部氏は大和王権においては祭具の製作、補修、管理を行い、特に重要な祭具に関してはその祭具を管理する神社を運営し、その神社における祭具や神器、神体、神宝に対する日常的な祭祀も執り行っていたのであり、またそれら祭具を使った重要祭事の場においては中臣氏と協力して祭具担当としての役割を引き受け、祭具を取り扱っていたということになります。
そういうわけで忌部氏は伊勢神宮の祭祀を担当する氏族となり、大和王権の神事に奉仕し、祭具の製造、神殿宮殿の造営に関わっていくようになりました。鏡も重要な祭具で、特に伊勢神宮の祭祀にも深く関わることですから、太陽神復活神事で使われる鏡の鏡面の反射率を上げるための最先端技術についても忌部氏は関与していたはずです。忌部氏自体がその技術の使い手でなかったとしても、祭具製造の担当氏族ですから、それについて把握し管理していたはずです。

その忌部氏の主要な勢力圏は紀伊国、伊勢国、阿波国、讃岐国でした。他に出雲、筑紫、安房がありますがここで関係してくるのは畿内に近い前者の4ヶ国のほうです。この4ヶ国の共通項は中央構造線の近くにあるということです。
中央構造線は日本最大の断層で、関東南部の鹿島あたりから出発して諏訪湖の北東部を北端とした大きな湾曲を経て諏訪湖を通り渥美半島に復帰し、そこから近畿南部、四国北部を通って九州南部にかけて日本列島を東西に貫いて南北日本を分けていますが、近畿から四国の地域においては中央構造線は伊勢湾口を通って伊勢から櫛田川北岸、高見山の北から高見川北岸、そして吉野川から紀ノ川北岸を通って紀ノ川河口部を経て、紀伊水道の海底を通って四国の吉野川の北岸を通って松山を経て九州方面へ向かうというほぼ東西一直線のラインを形成します。この一直線のラインが忌部氏の勢力範囲と重なるのです。
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この記事に対するコメント

 そういえば、今年の作刀コンクールの日本一は日立金属さんの研究員の方でした。なにやら草薙剣がらみの技術で古刀の波紋を再現したらしいとのことです。

【2007/12/23 22:26】 URL | ラストサムライ #- [ 編集]


 鏡をつくったもう一人の人物に天津麻羅というのがあります。出雲国風土記に「天津子」というのが安来あたりに降臨して社を立てたとありますが何らかの関連を示すのではと考えてしまいます。

【2008/03/24 08:50】 URL | トクヤマ #- [ 編集]


 安来というのはいい着眼点ですよね。普通神秘の女神といいますがそこには女神の神秘があります。

【2008/08/26 01:14】 URL | ナスターシャ #- [ 編集]


 あまり西洋的神秘を強調すべきでないと思います。もともと日本における神とは上(かみ=時間的な先人)を意味し、神秘とは、公開すれば次の時代に残るであろうことに意図的に封印し(秘め)たものという意味。あるいは封印するような歴史的断絶(革命、政治構造の一新)による歴史的な力に逆らっても残った全時代的なものごと。現代思想を突き破ろうとする攻撃的古典のこと。

【2008/08/26 02:07】 URL | グレゴールザムザ #- [ 編集]


いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海側で四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来-妻木晩田 の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるの ですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 西谷は出雲大社に近く、安来には日本の母神であるイザナミの神陵があるとのことでこれら神話とのかかわりも考えられるかもしれません。

【2008/10/29 19:46】 URL | 大和島根 #- [ 編集]



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