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日本史についての雑文その358 世界宗教史1
さて、なんだかカトリックについてボロクソに書いてしまいましたが、もちろんカトリックにも良い面もあります、などと綺麗事を言うつもりはありません。カトリックとは、少なくともあの時代においては概略ああいうものであり、あのような狂気じみたカルトでもそれはそれで信じる人にとっては救いになるのです。宗教とはそういうものでしょう。良い面があるから救われるのではなく、悪魔のような宗教でも信者にとっては救いになる場合もあるというものです。
いや、そもそも「救われる」などという捉え方が間違っているのでしょう。宗教が精神的な慰みに特化したものであるというような定義は、科学が発達した近代以降のものであり、近代より前においては宗教は科学そのものであり、言い換えれば現代の科学も一種の宗教ということになります。つまり宗教とは本来は世界把握の手段であったのであり、森羅万象の現象を説明するためのものであったのです。
そういう意味では現代の宗教ともいえる近代科学というものが、いかに多くの人間を殺戮してきたか、いかに多くの自然を破壊してきたか、カトリックの比ではありません。そして近代科学で説明のつかない現象はまだまだ多く、近代科学では治せない病気のほうが多いのも事実で、近代科学という宗教もまた不完全な宗教でもあります。ある意味、カトリックよりも更に悪質なカルトであると言ってもいいでしょう。しかしそのような近代科学によって救われた人が多く存在するのも事実であり、つまりは宗教というものはそういうものだと考えれば、カトリックもまたそういうものだと了解しておけばいいわけです。
科学によって世界の謎を解明していくという作業は一筋縄ではいかないもので、綺麗事ばかり言っていられないものでしょう。そうした試行錯誤によって傷つく人が多く出てくることもあり、しかしそれによって得られた成果で多くの人が救われたりもするのです。宗教が科学の役割を果たしていた時代においては、宗教もまさにそうしたものであり、功罪半ばするというより、功罪が一体化したものであったのでしょう。ですから私が近代科学の功罪両面を認めざるを得ない立場である限り、カトリックについても、そのカルト性に疑いを差し挟むつもりは毛頭ありませんが、同時に多くの人の世界把握の方法として通用した普遍的宗教であったことも高く評価したいと思います。
むしろ宗教が現実社会に大きな被害を及ぼす場合というのは、その宗教そのものの持つカルト性の大小も確かに影響力はありますが、それよりも俗世権力のその宗教への関わり方や、その俗世権力そのものの持つ性質などによって左右される部分のほうが大きいと思われます。例えば同じ近代科学という宗教を奉じていても、現代日本とナチスドイツとではその及ぼす実害の大きさが全く違います。中世ヨーロッパにおけるカトリックの絡んだ様々な逸脱行為も、主因はまだ農耕社会の経験も薄かった未熟な文明であったヨーロッパにおける領主権力が安易にカトリックを利用して抑圧的な支配を維持しようとしたことであり、それにカトリック自体のカルト性の高さが相乗効果をもたらして悲惨な結果となったのです。そして、ヨーロッパ文明が成熟してくることによって、あるいはヨーロッパ文明が支配の手段をカトリックから近代科学に切り替えていくことによって、カトリック自体の教義はほとんど変わっていないにも関わらず、カトリックに絡んだ逸脱行為は影を潜めていったのです。これは逸脱行為の主因がカトリック自体に存在したのではないという証拠でしょう。

人間にとって世界を把握するということはどういうことかというと、大きく2つのことを把握することを意味します。それは人間そのものを把握するということと、自然界を把握するということです。つまり宗教が世界把握のための方法論であるとするならば、宗教の大きな目的は小宇宙である人間そのものを把握することと大宇宙である自然界を把握することということになります。
人間にとって人間自身というのは、まず肉体として認識されます。しかし肉体を認識する精神活動もまた人間なのだということにすぐに人間は気づきます。つまり人間は肉体と精神という2つの別々の物によって構成されているのです。「人間の死」というものによっても、このことは証明されます。人は誰でも死にますが、死を主観的に経験する人というのはいません。正確には誰もが主観的に死を経験するのですが、経験してしまったらその経験を語ることが出来ないので、そんな経験には「人間の死」を考察する上では全く意味が無いということです。そこで考察の材料となるのは他人の死を客観的に観察した経験のみということになります。
人間は死ぬと、まぁよほど悲惨な死に方をしない限りは、肉体は見た感じ死ぬ前と変わりない状態であるのに、喋ったり笑ったり怒ったりしなくなり、手足などを動かしたりしなくなり、何か思索をしているような様子も無くなります。つまり精神活動をしなくなり、意識というものが無いような状態になったように見えます。つまり死によって肉体と精神は別々に切り離されるのです。別々になるということは、もともと別個の存在であるから別々になるのです。つまり肉体と精神はもともと別個の存在であり、その別個の存在である肉体と精神が一体化しているのが「人間が生きている」という状態になります。

しかし、「精神活動をしなくなった状態」が「死」なのかというと、それは違います。確かに死ねば肉体は精神活動をしなくなりますが、精神活動をしない肉体が必ずしも死んでいるというわけではないのです。意識して全く喋らず心や身体の動きを止めて何も考えない無我の境地に入って横たわったとして、それは遠目で見れば死んでいるようにも見えるかもしれませんが、実際は心臓は鼓動を打っていますし呼吸もしています。まぁ呼吸は止めようと思えば止められますが、本当に死ぬまで意識して止められる人は大抵おらず、苦しくなって自然に呼吸してしまうものです。しかし本当に死ねば、心臓も呼吸も止まります。
つまり精神活動によってコントロール出来ない何かが肉体の一部の動きを支配しており、それが肉体から分離することによって人間は死ぬのです。最終的には肉体から分離するということは、その何かはやはり肉体とは別個の存在ということになりますが、精神活動によってコントロール出来ないという点で、精神とも別個の存在ということになります。つまり厳密には精神とも肉体とも違う第3の存在があるということになり、人間は3つの存在によって構成されているということになります。
この3つの存在のうち、目で見ることの出来る肉体以外の不可視の2つの存在のうち、意識的な精神活動を司るものを「霊」と呼び、無意識的に肉体を機能させるものを「魂」と呼びます。というか、色々な呼び方があるのですが、ここでは便宜的にそう呼びます。つまり人間は「肉体」と「霊」と「魂」によって構成されており、「霊」は精神との結びつきが強く、「魂」は肉体との結びつきが強いのです。「霊」は意識そのものと言ってよく、これのみでは「肉体」と結合し得ず、「魂」を媒介して「肉体」と結合します。例えば植物状態にある人は何らかのアクシデントによって「霊」と「魂」が分離してしまい、「肉体」と「魂」のみの状態であるとも考えられます。また人間は眠っている時、一時的に「霊」だけが「肉体」と「魂」から分離して外に抜け出しているとも解釈できます。そして人間が死ぬと「魂」が「肉体」から分離するので、一緒に「霊」も分離するのですが、その時に「霊」と「魂」が一体化したまま分離するのか、それとも「霊」と「魂」もまた分離するのかについては色々な考え方があります。

死によって肉体から分離した霊や魂がその後どうなるのか。それらは目に見えるものではないので古代人には分かりませんでした。しかし目に見えるほうの存在である肉体のほうが死後徐々に朽ち果てていくことから類推して、霊も魂もまた死後は雲散霧消していくと考えることには十分に蓋然性はあります。しかし古代人は霊や魂は不滅であると考えました。特に根拠があってのことではなく、単にそう思いたかったのでしょう。むしろ肉体が朽ちていくという厳然たる事実を認識していたからこそ、せめて霊や魂は不滅であって欲しいと思ったのでしょう。かといってそうした考え方が誤りであるとも限りません。霊や魂が不滅ではないということを証明することも出来ないのですから。
では霊や魂が不滅であるとしたなら、死んだ後、肉体から離れた霊や魂は何処へ行くと古代人は考えたのでしょうか。まず素直にそこらへんの中空を漂うと考えたことでしょう。そうなるとこの世界は霊や魂で満ち満ちた世界ということになります。では霊や魂はこの世界で漂いつつ何をするのでしょうか。生前においては霊と魂はセットになって肉体という一種の物質を意思の力で操っていたわけですから、霊と魂が不滅であるのならその性質も基本的に変わっていないはずで、ならば死後においても霊と魂は一体化して「霊魂」となり、何らかの物質界の事象を操作するはずです。見てみるとこの物質世界には人間の肉体以外にも動く事象は多く存在します。動物や植物はもちろんのこと、風や水の流れ、燃え盛る炎、太陽や星の運行などの自然現象全般は動きというものがあり、そしてそれは何らかの意思を持っているようにも見えます。ならばこれらは全てこの世を漂う霊魂の働きによるものではないかと古代人は考えました。
これが自然界を把握するための方法としての宗教の原初の形態である、自然界の森羅万象に人間と同じようにそれぞれ心があって自分の意思で動いているのだという精霊信仰でした。精霊たちは非物質的存在である霊魂ですから通常は姿は見えませんが、人間の肉体に入っていた霊魂と本質的に同一の存在ですから、その姿は人間のような形で、人間のような意思や感情を持っており、その上でそれぞれの操作対象の事象に応じて様々な超常能力を持つ存在と考えられ、そうした精霊たちの働きによってこの物質世界は成り立っているとされました。よって、祭祀によってこれらの精霊に働きかけることによって物質世界を操作することが出来るということになります。日本の縄文時代などはこうした精霊信仰の典型でした。

しかし、この精霊信仰においては霊魂の本質は「物質を操作する機能」ということになり、その個々の性格は操作対象ごとに変わるということになります。つまり人間の肉体を操作する時にはその人間の個性を持つことになるのですが、その人間の肉体から霊魂が離れてしまえばそうした個性は失われるということになります。そうなると人間の肉体というのは霊魂にとっては一時の乗り物に過ぎず、いや人間の肉体だけでなく個々の物質はみんな霊魂の一時の操作対象に過ぎず、この世の主役は無個性の霊魂の群れということになります。そうなるとそもそも人間が生きている意味が希薄になってきます。
日本の縄文時代のような自然の中に融け込んだような、そもそも人間や物質の存在が割と希薄な文明であれば、こうした精霊信仰でもさほど問題は無かったのでしょうけれど、紀元前4000年以降に構築されるようになった、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の四大文明に代表されるような人工的要素の強い文明においては、この人間の生前の個性に対する扱いの低さはあまり歓迎されず、精霊の中で階層分化が図られるようになりました。すなわち、超常的な働きをする特別な霊魂と普通の人間の霊魂とに分けて考えられるようになったのです。
超常的な霊魂は主要な自然現象や動植物(妖怪や幻獣に近いような空想上の怪物も含む)の精霊や特別な功績を残した偉人や共同体の始祖などの霊魂などが合体したもので、これらは自然界を操る超常能力を有しながら、文明の基盤たる農耕を司る機能も有して、共同体の守護者としての役割を与えられるようになりました。こうしたポスト精霊信仰時代の古代文明における超常的な霊魂が「神」なのです。無個性の精霊の群れから、こうしたそれぞれの個性が明確な「神々」が多数発展して生じてくるようになり、多神教世界が構築されるようになります。文明を構成する氏族共同体はそれぞれ、この神々のうちから1つずつ氏族共同体の守護神を持つようになり、それぞれその祭祀を担当していくようになり、祭祀によって氏族共同体の繁栄や豊作を願うと同時に、自然界をコントロールしていこうとするようになります。また氏族共同体の集合体である文明総体としても王権を挙げてこれらの神々の祭祀を行うようにもなりました。
こうして精霊の中で「神々」と「人間」の分化が行われたのです。超常的な霊魂が「神々」として祀られていく一方で、普通の人間の霊魂は、「神々」になるのではなく、もともとの「人間」として復活するのだと考えられるようになったのでした。こうした「復活」の思想が生まれるというのは、それだけ人間として生きるということは素晴らしいことだという考え方がこの時代には根底にあったのだということが言えます。こうした「生」に対する肯定的な姿勢というのは、四大文明の最初の文明であるメソポタミア文明が発祥した紀元前4000年ぐらいから4番目の文明である黄河文明が発祥した紀元前2000年ぐらいまでの期間はすっぽりと地球が長期的に温暖化していた時代に含まれることに関係しているといえるでしょう。温暖化した環境の中で都市文明が栄えたことによって、それ以前の時代に比べればかなり生きていきやすい時代であったので、死者も復活してまた生きることが幸せであろうという発想が生まれたのだといえます。

さて、しかし人間の霊魂が復活するとなると、肉体はどうするのかという問題が生じてきます。肉体は死後に朽ちてしまったはずです。しかし四大文明の人々はそれは死者の肉体の扱いを失敗した例であると考えたのです。死体を野ざらしにしてしまったために肉体を機能させる魂が飛び去ってしまい、それで肉体は朽ちてしまったと考えられました。ならば死体の周りにまだ魂が漂っているうちに、魂が飛んでいってしまえないように密閉した空間に死体を封印してしまえば、肉体の傍に魂がいる状態となるので肉体は朽ちることがないと考えられました。こうして死体は厳重に棺に入れて地下に埋葬されるようになったのです。権力者の場合は特に厳重に石室や墳墓を作ったり、ピラミッドを作ったりして密封して魂を肉体と共に閉じ込め、さらに念を入れて死体に防腐処理のためのミイラ処置を施したりもするようになりました。
この密閉空間の中では肉体と魂が結合しますので、意思を持って能動的に活動するというわけではありませんが、一応生きている状態ということになります。だから生きている時と同じような扱いをすべきだということになります。それでシナ文明などでは死者にご飯を与えるために宗族が延々と継承されるようになったのであり、また権力者の墳墓などには生前と同じようにお供が必要であろうということで殉死者も一緒に埋められたりするようになったのです。
密閉空間の中で肉体と魂が封じ込められている状態であるとするならば、霊は何処へ行ったのでしょうか。いっそ霊も一緒に封じ込められるということにしてしまえば、全く生きている人間と同じ状態になります。しかしそれではマズいのです。何故なら、肉体と霊と魂が揃えば本当に死者が復活してしまうはずなのですが、実際には死者が生き返った例など無いわけですから、そうした現実と整合性をつけるためには、霊は何処か別のところへ行っていて肉体と魂とは分離した状態なので、それで完全なる復活には至っていないという設定にしておかなくてはいけないのです。だから人間が死ぬと肉体から抜け出た魂と霊は分離して、魂はしばらく肉体の周りを漂っているのですが、霊のほうはすぐに飛び去ってしまうということになりました。あるいは密閉しても霊は抜け出ることが出来るというふうにも考えられました。実際、こっちのほうが都合はいいでしょう。いずれ完全なる復活を遂げる時、霊は密閉空間の中の肉体と魂のもとへ飛んでいかなければいけないのですから。
つまり人間の場合、霊魂は死後に霊と魂に分離して、魂は肉体と共に埋葬され、霊は何処か別の場所で復活の機会を待つということになります。そして、そうした死者の霊が集まる場所として「死者の国」のような場所が想定されるようになります。現世においては霊は魂と一体化していなければ物質世界に影響力を及ぼすことが出来ないのですから、霊のみの存在であるならば現世にいても仕方ないので、現世でない特別な、霊ばかり集まる霊的世界に集まることになります。それがいわゆる「あの世」で、シナでは当初そうした霊の集まる場所が「天」と呼ばれました。ここで「あの世」や「天の国」というような概念が生まれたのですが、この時点では、この「あの世」や「天」は単に復活前の霊の待機場所としての意味合いしか無く、現世との間に上下関係や貴賎関係などは存在してはいません。

ここまでを要約すると、最初に人間が持っていた宗教観というのは、この世には精霊という名の霊魂があまねく存在していて、それが時には人間の肉体を動かしたり、時には自然現象を操ったりしているという精霊信仰であり、精霊自体には個性というものは無くそれぞれの機能が分化しているという状況ですので、それらの機能ごとに感謝を捧げたりして祭祀を行うことでこの世の事象に影響を及ぼそうというような祭祀形態になります。
そういった精霊信仰が全世界規模で遍在していたところに、紀元前4000年以降、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河などの四大都市文明が栄えたエリアにおいて、超常的な霊魂である神々を祀ることによって現世の事象の操作と共同体の繁栄を願う多神教信仰と、あの世の霊と肉体と共に埋葬された魂とが再び一体化することによる死んだ人間の復活を目指す死者復活信仰との2つの信仰を柱とした宗教観が生じるようになり、これらの文明地帯においては紀元前1500年ぐらいまでの間には精霊信仰に取って代わってこの新しい宗教観が定着していくようになりました。ただ、それら地域以外の世界の大部分(日本も含む)においてはこの時代はまだ精霊信仰のままでありましたが。

ところが紀元前1500年ぐらいから太陽黒点が減少して、人類は文明発祥以来、最初の本格的な寒冷化時代を迎えることになります。これによって緑豊かな地であった四大文明地帯は乾燥化が進み農業生産力が低下し、周辺の異民族の侵入も生じて文明は危機と群雄割拠、そして拡大の時代を迎えます。メソポタミアではチグリス・ユーフラテス河流域のバビロニア王国の統一支配が崩れてミタンニ王国やアッシリア王国が割拠する時代となり、北方のヒッタイト王国では鉄器が初めて実用化されて強大化してエジプト王国を圧迫し、その南方ではフェニキア人が活動を開始して地中海方面へ進出し、やがてギリシア諸族がギリシア本土に移住していくことになり、またエジプトの東にはヘブライ王国が自立するようになります。インダス河流域の文明は乾燥化と北方からのアーリア人の侵入などによって衰退し、やがて代わってアーリア人によってガンジス河流域に都市国家群が興るようになります。そして黄河中流域の文明地帯においてもこの頃、最初の王朝であった夏王朝が倒れて、代わって北方異民族を出自とする殷王朝が成立し、やがてそれが周王朝に取って代わられ、周王朝は文明地帯を東方へ拡大していきます。
こうした激動の時代の中でそれまで豊穣を約束してくれていた四大文明地帯の多神教の神々の権威は失墜していくようになり、紀元前14世紀にはエジプトにおいて最初の多神教の神々の否定が起こります。それが世界最初の一神教といわれるアトン信仰で、従来の人間型の神々への信仰を否定して、光を放射する円盤の形をした異形の太陽神アトンのみを信仰するものです。活動を低下させた太陽光線への渇望がそのまま信仰となったようなこのアトン信仰はあまり体系化されておらず一時的なものですぐに廃れてしまいましたが、ここで重要なのは最初の一神教という側面ではなく、多神教の神々が否定されるような風潮が生まれてきたということでしょう。
また、多神教の神々の否定ということは現世の事象を操作して現世利益を得ることの否定でもあり、要するに災いばかりが増えてきた現世への否定感情が強くなってきたということです。そこで紀元前10世紀ぐらいから北インドのアーリア人社会で編纂されるようになったヴェーダ聖典においては、死者の霊魂は天の王国へ行って完全なる肉体を得るというように説かれるようになりました。もともとは天の国は死者の霊が現世での復活を前にして待機する場所であったのですが、ここでは復活は天の国で行われるものとなっており、それゆえ霊と魂は分離せずに霊魂の形で天へ向かうという思想になっています。これは現世の価値が低下したことの表れでしょう。
また、このヴェーダ聖典を基にしてバラモン教が成立するようになりますが、これは多神教を前提としながらも、その中で特に1つの神を主神として崇拝するもので、一神教的な性格を持ったものといえます。但し、祭祀集団ごとに主神をどの神にするのか一定しておらず、まだその教義は整理されていない状態でありました。

これらの流れを受けて、紀元前8世紀ぐらいから始まった更に厳しい寒冷期において、イランのアーリア人社会において宗教観が整理されていき、紀元前7世紀に世界最初の本格的な一神教であるゾロアスター教が成立したのでした。ゾロアスター教は光の神を主神とし、その下で光の神に従う善神の勢力と光の神に背く悪神の勢力が争い合うのがこの世界の原理で、最終的には善の勢力が勝利して悪の勢力を滅ぼす運命になっていると主張する宗教です。つまり光の神の側が勝ち残るので崇拝対象は光の神のみということになるので一神教といえます。そしてこの宗教の開祖のザウスシュトラはこの世界の原理や運命を明らかにするために光の神の遣わした預言者であるとされ、善悪の戦いの最終的局面においては光の神はサウシュヤントという救済者をこの世に遣わすとも説かれています。
光の神が主神であるというのはアトンと同じように、やはり衰えた太陽光線への渇望から来るものでしょう。善神と悪神が争い合うという世界観は、現実世界で頻発するようになった災いは悪神の仕業であるという解釈であり、いずれは善神の側が勝利して世界の秩序は回復されるという救いを提示するために歴史法則主義が生まれたのです。そしてそういった不確かな未来予測にリアリティを与えるために預言者や救世主というような、人と神の仲立ちをするような存在が必要とされたのでした。
このようにゾロアスター教においては、一神教、善悪二元論、歴史法則主義、終末論、預言者・救世主思想の要素が揃っており、これがイラン地方からメソポタミア地方を支配していた新バビロニア王国に伝わり、紀元前586年に新バビロニアによって滅ぼされたユダ王国(ヘブライ王国が南北に分裂したうちの南のほう)からバビロンに連行されていたユダヤ人の聖職者たちがこのゾロアスター教の影響を受けて、従来のユダヤ人の主神ヤハウェを信仰する宗教を大幅に改編して「ユダヤの神ヤハウェこそがこの世界を創造した唯一神であり、ヤハウェを信仰するユダヤ人こそが最終的にはヤハウェによって救済される」という極めて歴史法則主義的・運命論的な一神教を作り上げ、この運命論を預言者と称する者達が纏め上げてユダヤ人社会に説いて回るようになり、この聖職者たちが紀元前538年に新バビロニアがペルシア帝国に滅ぼされたことによってバビロンからユダ王国の故地に帰還した後は、未来における救済を受けるためにはヤハウェの定めた戒律を遵守しておかなければいけないという考え方のもと、この改編されたヤハウェ信仰のもとに戒律重視の教団を構築していきました。こうしてユダヤ教が成立したのですが、その教えの中で、いよいよユダヤ人がヤハウェによって救済される時、ヤハウェがユダヤの救世主を遣わしてくるという教義がありました。これもゾロアスター教の影響を受けた教義なのですが、後に自らこの救世主を名乗るユダヤ人が現れて、それがキリスト教誕生に繋がっていくのです。

ゾロアスター教はそれでもまだ最終的には現世における善神の勝利による救いが提示されており、寒冷化時代における一神教思潮の発展型であったといえますが、それとは別に寒冷化時代における現世否定思潮のほうの発展型として北インドで紀元前7世紀ぐらいに成立したのがウパニシャッド哲学でした。ウパニシャッド哲学においては、物質世界全体の背後にブラフマンという宇宙の源といえる究極の存在があり、全ての神々もこのブラフマンから生まれたのであり、ブラフマンは人間の霊魂であるアートマンと同一の存在であるとされました。つまりこの現実世界を超越した霊的な世界が存在し、そちらのほうが根源的世界であるということです。
そしてウパニシャッド哲学においては人間は死ぬとその霊魂であるアートマンはブラフマンと同化するとされました。これはつまり霊的世界に行って究極の存在と一体化するということです。しかしこれは、その死者が生前に自分の霊魂を意識の最深部の個の根源(真の我)の領域(これがアートマン)まで高めていれば(これが解脱に相当する)の話であって、解脱していない普通の人の霊魂は現世に転生するとされました。ウパニシャッド哲学の究極の目的は解脱してブラフマンと一体化することであり、現世への再生はむしろ解脱に至る修行の過程であるに過ぎず、それゆえ遠い未来に元の身体に霊が戻るという思想ではなく、霊魂が次々と別の身体に輪廻転生していくという思想になっています。霊的な世界を現世よりも上位に置く思想であるといえるでしょう。
そしてこの転生の思想を現実世界の世襲身分制度にあてはめたのがカースト制度の思想で、前世において霊魂のレベルを高めた度合いに応じて次の転生先の身分が決定されるとされ、カーストの最高位身分の司祭階級のバラモンはブラフマンと同一の存在とされ、特権階級として扱われました。これにより、このウパニシャッド哲学を奉じる宗教をバラモン教というのです。
このウパニシャッド哲学に反発し、それを更に発展させて紀元前5世紀の北インドにおいてゴータマ・シッタッダによって成立したのが仏教で、仏教においてはカースト制度は否定され、輪廻転生は一括して超克すべき苦しみであるとして、解脱してブッダ(覚りを開いた者)となることのみが目標とされました。仏教においてバラモン教との最も大きな違いは、一切の形あるものは無常で実体が無く、アートマンのような真我もまた実体は無く、我というものが存在しないということを覚ることによって全ての苦しみから解放されて解脱することが出来るとした点です。これは物質世界の存在だけでなくアートマンのような霊的存在も実体は無いとして否定する考え方であり、現世否定であると同時に霊界否定でもあり、ただ解脱のみが肯定されていると言っていいわけですが、解脱を得るための修行が輪廻転生の中で現世でも霊界でも可能であるという点では現世も霊界も解脱への希望に満ちた場所として肯定されていることにもなります。このように初期仏教はある意味、行き着くところまで行き着いた極めてラディカルな宗教であったといえます。この仏教がインドの既存の多神教世界の中においてバラモン教と共に広まっていくことになります。

一方、ウパニシャッド哲学は西方にも伝播し、オリエント地方においてゾロアスター教とウパニシャッド哲学が習合してグノーシス主義という神秘思想が成立することになりました。つまりゾロアスター教の善悪二元論とウパニシャッド哲学の霊肉二元論が合体して、「物質世界は偽の世界であり悪であり、霊的世界こそ真の世界であり善である」という「反宇宙的二元論」という世界把握の仕方が生まれたのです。ただ、このグノーシス主義はこの時点では極めて思索的で哲学的であり、あくまで世界把握のための神秘思想として受け継がれていっただけで、宗教として発展することはありませんでした。
オリエント世界は紀元前525年に東はインダス河流域から西はアナトリア半島やエジプトまで及ぶ範囲をペルシア帝国が統一し、最初の世界帝国が成立しました。このペルシア帝国の支配者階級の宗教はゾロアスター教でありましたが、支配下の人民の個々の宗教の自由に寛容であり、例えばユダヤ教などもペルシア帝国の統治下で発展していったのでした。また既存の多神教の神々への信仰も健在で、そうした中でゾロアスター教が勢力を伸ばし、グノーシス主義も育まれていったのでした。
このペルシア帝国において発展したグノーシス主義やゾロアスター教の影響が紀元前6世紀頃にアナトリア半島の西のギリシアにも及び、ヘラクレイトスは「絶えず変化している自然界の背後に変化しない世界の本性があり、それは火であり、この火が万物の根源である」という世界原理を示し、ギリシア哲学史上初めて「根源的な一者」と「多くの表面的なもの」との関連を打ち出した人物となりました。ただ、これもあくまで哲学の範囲にとどまり、当時のギリシアにおける宗教はオリンポスの神々を信仰する典型的な多神教世界でありました。
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【2008/11/12 14:59】 URL | 57 #- [ 編集]



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