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日本史についての雑文その362 2つの倫理と西洋史
「統治の倫理」と「市場の倫理」が別々に存在している場合においても、その時代その地域のそれぞれの場合に応じて、どちらかの倫理が時代に適合していたり、どちらかの倫理の担い手の階層が勢いがあったりして、それぞれの場合における中心的倫理は、ある時は「統治の倫理」、ある時は「市場の倫理」というように入れ替わっていきます。ある地域のある時代においては極端に「統治の倫理」が強くて「市場の倫理」が弱いという場合もあるであろうし、逆もまた然りです。それらの倫理が時には混じり合ったり、時には分離したりしてきたのが人間の倫理観の歴史なのですが、概して貨幣経済が浸透すると「市場の倫理」の勢いが強くなってくるものであり、また民主主義の進展に応じて身分の区別が撤廃されて2つの倫理は混じり合いやすくなってきたといえます。ただ、それでも地域や時代の特性によってそうした傾向も一律のものではないのが実情です。
ごく大雑把に言えば、ソクラテスによってまとめられた古代ギリシャ哲学は当初は「統治の倫理」のみでありましたが、アレクサンドロス大王は「市場の倫理」でもって世界帝国を築き上げ、アレクサンドロスの世界帝国は「市場の倫理」で形成されましたが、「市場の倫理」のみで長持ちすることは出来ず、各地に「統治の倫理」が発生して分裂し、そうして生じた4つのヘレニズム王国において「統治の倫理」と「市場の倫理」は時には対峙したり、時には融合して腐敗をもたらしたりしたのでした。
紀元前3世紀からのヘレニズム時代は地球温暖化の時代でしたから商業が発達して、全体的には「市場の倫理」が優勢であったようです。そうした傾向はローマ帝国の時代にも受け継がれ、ローマ帝国前期にあたる2世紀末期あたりまでは「市場の倫理」が優勢でありました。この時代というのはローマ共和国の興隆期からローマ帝国の最盛期である五賢帝時代までの時代で、開放的で豊かな時代でした。
ところが2世紀末期から地球が寒冷化し始めると世情が不安定になってきてローマ帝国において「統治の倫理」が強くなってきて、しかもこの時期に統治階級(戦士階級)であるローマ市民の資格を全ての人民に解放したために「統治の倫理」と「市場の倫理」が融合するようになり、社会に腐敗が拡大していきました。そうした腐敗した状態のまま、ローマ帝国は4世紀には「統治の倫理」を支配原理とした皇帝専制国家となり、その後、東西に分裂したローマ帝国はゲルマン民族の大移動を受けて西ローマ帝国は滅亡し、ローマ帝国後期の「統治の倫理」と腐敗した社会体制はそのまま東ローマ帝国に受け継がれ、西ヨーロッパにおいては西ローマ帝国滅亡とともに商業ネットワークが崩壊して文明が太古の状態に退行したため、そこに移住してきたゲルマン諸侯の共同体においては「市場の倫理」は失われ、部族国家的な「統治の倫理」の支配する状態となっていきました。そこにローマ帝国末期の「統治の倫理」を引き継いだキリスト教が結びついて9世紀以降はカトリック支配体制という一種のカルト的な「統治の倫理」の支配する世界を形成していきました。

一方、オリエント世界においてはヘレニズム世界の系譜を引くパルチア王国、ササン朝ペルシア帝国において「統治の倫理」と「市場の倫理」の対峙した状態が引き継がれていましたが、7世紀になってイスラム共同体という極めて「市場の倫理」の支配力の強い勢力が生じてオリエント世界を席捲して大帝国を築くようになりました。このようにして出来たアラブ帝国やイスラム帝国は貨幣経済を進展させたこともあって、徹底的に「市場の倫理」に則った帝国で、戦士すら金で雇うという特性を持っていました。しかしこのイスラム帝国においても9世紀以降になると各地で「統治の倫理」が生じてきて、「統治の倫理」と「市場の倫理」が対峙する状況の中で王朝が乱立するようになっていきました。
また一方では、オリエント世界の東のユーラシア大陸中央部では古来から騎馬民族が活躍しており、これら騎馬民族は素朴な「統治の倫理」を持った小部族の連合体として行動しており、戦闘には強かったのですが大帝国を長期間維持するようなことは出来ませんでした。しかし10世紀ぐらいからこの騎馬民族がイスラム教に触れて「市場の倫理」も持つようになり、幾つかの騎馬民族がユーラシア中央部で入れ替わりに「市場の倫理」に基づいた大帝国を築いては、ほどなく領地内に「統治の倫理」が台頭してきて帝国が解体し、また新たな勢力が「市場の倫理」で大帝国を築くというような繰り返しを演じるようになっていきました。その騎馬民族帝国の決定版が13世紀に現れたモンゴル帝国で、イスラム世界も含むユーラシア大陸の大部分を支配する世界帝国を築きましたが、すぐに13世紀後半には各地に「統治の倫理」が生じて世界帝国は分裂していきました。
そうした中でもイスラム世界全体は繁栄を続け、特に10?11世紀にかけてはイスラム科学が花開きました。論理的思考に基づいて真理の探求を行う科学というものは「市場の倫理」の産物ですが、古代ローマ帝国において発展していたアリストテレスの系譜の自然哲学が東ローマ帝国を経てイスラム帝国に受け継がれ、それがイスラム世界の「市場の倫理」のもとで花開き、理論的発展を遂げたものがイスラム科学でした。

そうしたイスラム世界の影響を受けて「市場の倫理」を導入するようになったのが11世紀末の十字軍以後の西ヨーロッパでしたが、この西ヨーロッパの「市場の倫理」は当初は自治都市の商人達によって担われており、封建諸侯たちの支配下に組み込まれなかったため、封建諸侯やカトリック教会の「統治の倫理」と混ざり合うことはなく、上手く均衡のとれた状態を維持していきました。この時期から13世紀にかけては地球が温暖化しており、「市場の倫理」を担う自治都市の商人が強く、封建諸侯の「統治の倫理」による支配を跳ね返すことが出来たのでした。この時期には「市場の倫理」と共にイスラム科学もヨーロッパ自治都市に導入され、スコラ学という名で地道な発展を遂げることになります。
しかし14世紀になって地球が急激に寒冷化し、更に黒死病の大流行もあっての混乱期を経て封建諸侯が没落したかわりに国王権力が強くなり、15世紀末には新興のイスパニアやポルトガルによって大航海時代の幕が切って落とされ、自治都市の商人たちから経済の主導権を奪うようになり、重商主義という名のもとに「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合が図られるようになり、政治と経済の結びつきが強くなると同時に腐敗が拡大していったのでした。更にイスパニアが新大陸からヨーロッパに持ち帰った大量の銀によって貨幣経済が進展したため、「市場の倫理」が支配的となって「統治の倫理」と融合して政治と経済の結びつきがより強くなった一種の拝金主義的な植民地主義体制が17世紀にはヨーロッパにおいて生じることになりました。
この「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合ということはすなわち、統治階級と生産階級の垣根が明確で無くなり、相互の結びつきが強くなったということであり、それにより腐敗した植民地主義的体制が出現することになったのですが、このように統治階級と生産階級の結びつきが強くなったことによって、この時期、統治階級はその権力の根拠として、従来の「統治の倫理」的な文脈での伝統的価値観だけでなく、「市場の倫理」的な文脈での啓蒙主義的な価値観も必要とするようになっていったのでした。
すなわち、黒死病以降の時代においてヨーロッパにおいてもイスラム科学から受け継いだ開明的思想がルネサンスを経て17世紀には啓蒙主義思想を生み出し、啓蒙主義思想によって近代科学が発展を開始していたのでした。この近代科学ももちろん「市場の倫理」の産物であったのですが、この近代科学の成果がヨーロッパの軍事的膨張を支援する役割を果たしたりするようになり、遂には18世紀末には産業革命を引き起こして、その結果、近代科学は19世紀には植民地主義体制を発展させて帝国主義体制というものを生み出してヨーロッパ以外の地域に災厄を大々的に輸出するようにもなったのでした。これもまた「市場の倫理」と「統治の倫理」の結合による腐敗の一種であるといえるでしょう。
このように帝国主義体制というのは「統治の倫理」と「市場の倫理」の癒着した極めて腐敗した体制なのですが、その腐敗によって生じる弊害を全て国外の植民地に押し付けるという特殊な仕組みになっていたため、植民地を持っている限り、本国には大きな実害も無く発展することが可能であったのです。また、それゆえ、国外に際限なく植民地を拡大していく宿命を内包していたのでした。アメリカ独立によって北米植民地を失った後、インド洋方面へ活路を見出したイギリスは19世紀に世界の制海権を握り、アフリカや中東からインドや東南アジア、オセアニア方面へ植民地を拡大し、またナポレオン戦争以降は陸軍国として成長したフランスは陸伝いにアフリカや中東へ植民地を拡大し、またユーラシア内陸に位置したロシアはユーラシア中央部へ進出した後、南下を開始するようになったのでした。

そして、17世紀に「市場の倫理」から生まれた啓蒙主義思想は近代科学を生み出すと同時に「統治の倫理」とも結びついて民主主義思想をも生み出しました。
統治階級の持つ権力というものはもともと「統治の倫理」の伝統的価値観に基づいていました。それはヨーロッパにおいてはキリスト教、つまり神の権威に基づいていたのですが、16世紀から続いた宗教改革や新旧キリスト教間の宗教戦争を経て教会権力が失墜し、17世紀中頃には国家権力の教会権力に対する優越が決定的となり、「主権国家」というものが生まれるようになったのでありました。これにより国家権力が何者にも制約を受けない「主権」となると同時に、国家内部において統治階級と生産階級の結びつきが強くなりました。この統治階級と生産階級の結合が帝国主義を生み出していくのであり、つまりは帝国主義と主権国家、そして民主主義の進展は不可分の関係にあるといえます。実際、19世紀に海外に植民地を持つようになっていく国家はみんな一様に民主主義化が進展した国家ばかりです。

さて、この17世紀中頃において主権国家の「主権」の暴走、すなわち「統治の倫理」の暴走を掣肘するための2つの方向性が生じることになります。1つは「統治の倫理」に内在する伝統的価値観や慣習法の体系によって主権を掣肘しようという方向で、17世紀イギリスのコークから生じ、18世紀のヒューム、バーク、ハミルトンへと連なる保守主義思想です。そしてもう1つの方向が「市場の倫理」たる啓蒙主義思想の理性重視主義に基づいて、生産階級、すなわち市民の契約によって主権を創造したり変更したり出来るというもので、17世紀イギリスのホッブズから生じ、ロックを経て18世紀のルソー、ジェファーソンらに受け継がれる民主主義思想です。保守主義思想のほうは完全に「統治の倫理」内部において完結している思想であるので性悪説に基づいたものでありますが、民主主義思想のほうは「統治の倫理」に「市場の倫理」を組み合わせたものであったので、最初のホッブズの時点では性悪説に基づいていたものが、ロック以降は性善説に傾くようになります。また、民主主義思想は「統治の倫理」と「市場の倫理」の組み合わせであるため、宿命的に腐敗構造を内包したものとなりました。
18世紀末に、この保守主義思想がイギリスの北米植民地において独立戦争を経てアメリカ合衆国を建国し、一方、民主主義思想がヨーロッパにおいてフランス革命を引き起こしました。当初は「市場の倫理」に則って生産階級たる市民によって主権を打ち立てた人工的国家として始まりながら、「統治の倫理」によって主権の暴走を掣肘し、伝統的道徳観に裏打ちされた法の下の自由を保障したアメリカはその後も着実に発展していきましたが、一方、「市場の倫理」に則ってとことんまで急進的に新たな主権を創造、つまり人工的国家を造成しようとしたフランス革命は大失敗に終わり、生産階級が統治階級となったために「市場の倫理」が「統治の倫理」を呑み込んでしまい、国家は破壊されアナーキーが出現し、極度に腐敗した独裁体制であるジャコバン体制に堕落し、道徳や自由が徹底的に破壊されました。
つまり生産階級を統治階級に据えることによって「国民」とするタイプの新しい国家モデル「国民国家」というものは腐敗やアナーキーから逃れて存続することが難しいものなのですが、その「国民国家」の健全な統治哲学として何とか通用するのはあくまで「統治の倫理」たる保守主義思想だけであり、「市場の倫理」たる純粋の民主主義思想は統治哲学たることは出来ず、これによって国家を作ることは基本的には不可能で、作ったとしても極めて不安定なものになるので、それを無理に維持しようとすると、伝統に基づかない極めて人工的な「統治の倫理」を作り出して「市場の倫理」と融合させて、とんでもない強圧的な独裁体制を敷くことが必要ということになるのです。そんなものが長持ちするはずもなく、フランス革命後のフランスはジャコバン体制からナポレオン時代を経て、結局は19世紀初頭には「統治の倫理」たる保守主義思想に基づいた王政に戻ることになりました。

しかし、ナポレオン戦争を通してヨーロッパ各国において国民軍が結成され、生産階級の統治に対する影響力が増して、統治階級と生産階級の一体化が進行し、それによって民主主義は浸透していくことになったのです。そして結局、ナポレオン戦争後の19世紀のヨーロッパ世界は、フランス革命政府のような極端なものではなく、「統治の倫理」たる保守主義思想と「市場の倫理」たる民主主義思想の折衷したような政体がスタンダードとなっていったのでした。
これは「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合ですから腐敗を引き起こします。国民国家においてはあくまで統治哲学は「統治の倫理」ですから、この2つの倫理の融合は「統治の倫理」が「市場の倫理」を支配するような形になります。つまり政治が経済を支配する形になりますから、権力と結託した富める者はとことん富み、そうでない者はとことん収奪されるという状態となります。そして「市場の倫理」の反国家的傾向、反伝統的傾向による悪影響も生じますから、伝統や文化の破壊も生じることにもなります。
こうした腐敗の法則が存在するところに、国民軍の維持強化のために19世紀前半に産業革命が進展し、それに合わせて海外植民地が必要となり、資本主義と帝国主義が同時に定着していったために、この腐敗の法則もそれにつれて増幅していき、資本主義社会における貧富の格差の増大、帝国主義体制における宗主国と植民地の格差拡大と植民地の伝統や文化の徹底的な破壊などという深刻な社会的腐敗構造が問題となっていくようになったのです。

アメリカももともと建国時から「統治の倫理」によって「市場の倫理」の暴走を掣肘するという意味では「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合体制という側面はあったのであり、それによって生じる腐敗はもっぱら国内植民地といえる西部フロンティアにおける無法状態に表れることになっていたのだが、ヨーロッパのこうした状況はアメリカにも影響を及ぼすようになり、19世紀後半にはアメリカも資本主義国家となり、また国内フロンティアが消滅して海外植民地を求めるようになり、帝国主義国家となり、ヨーロッパ諸国と同じような腐敗が生じるようになっていきました。
つまり身分の区別の無い民主主義国家ほど「統治の倫理」と「市場の倫理」が融合しやすく帝国主義に転倒しやすいということであり、実際、19世紀にヨーロッパ各国でも市民革命によって民主主義化が始まり、民主化の進んだフランスやイギリスこそが最も多くの海外植民地を持った代表的な帝国主義国家となったわけですから、「民主化=帝国主義化=倫理的な腐敗」という図式は成り立つわけです。

こうして見ると、19世紀の民主主義思想は保守主義思想と融合してしまって腐敗を生み出す統治哲学となってしまい、民主主義思想が本来担うべきであった、「統治の倫理」から離れた、生産階級のための「市場の倫理」としての役割を果たせていない状態にあったといえます。そこでアンチ国民国家の思想として純粋なる「市場の倫理」として19世紀に発生した民主主義思想の一つのバリエーションが社会主義思想でした。
また、この貧富の格差の増大というのは単なる社会的腐敗というだけではなく、「統治階級と生産階級の差を解消して国民が一体となった経済を立ち上げる」という国民経済を基本とした帝国主義体制そのものの目的とも矛盾してくることになるのです。そこで帝国主義体制を健全に運用していくためにも、格差解消のための処方箋はどうしても必要となってくるのであり、社会主義思想はそういう意味でも必要なものであったのです。
この社会主義思想は当初は国家という枠組みを超越して当時最大の社会問題となっていた「貧富の格差」を解決しようとした思想で、啓蒙主義的な理性万能主義と性善説に基づき生産階級が生産と配分の手段を共有する貧富の格差の無い理想的な共同体を作るべきであると提唱したユートピア的思想で、典型的な「市場の倫理」でありました。要するにこれは人類社会の大多数を占める底辺生産階級であるプロレタリアートが統治階級に取って変わることを目指す思想で、これによって「市場の倫理」が支配する社会を作り上げて国家の枠を超えたプロレタリアートの連帯によって「国民国家」という「統治の倫理」優位の収奪体制を解体して均一の豊かな理想社会を作り上げようという思想であります。これは徹底した「反国家」の思想であり、今日のいわゆる一般的な(日本では一般的ではないが)左翼思想というもののイメージに近いもので、この思想で説かれる「人権」というものはとことん国家主権と対立した概念であり、政治的地位ではなく政治体を超えた概念であります。
ただ、国家という枠組みを超えてそうした思想を共有することは可能であり、それが国家の施策に間接的に影響を与えることは不可能ではありませんが、実際には国民国家が厳として存在している以上、社会主義思想の唱えるような理想的な共同体を実現することというのはほぼ不可能でした。社会主義思想が理想とする社会は「市場の倫理」の支配する社会であり、共同体の枠を超えて伝統や文化の差を無くした均一化を志向したものでありますが、各共同体の文化や伝統を破壊した均一な社会というのは多様な自然環境に満ちた地球上に遍く存在することは物理的に不可能なのであり、自壊を運命づけられた絵空事に過ぎないのです。いや、そもそもそんな社会は一瞬たりとも存在することは出来ないでありましょう。そもそも生産階級が社会主義思想のような「市場の倫理」をもって共同体の統治にあたるということは無理で、統治は「統治の倫理」によってしか為し得ないのです。だから社会主義思想というのはその目標を実現することの出来ない空虚な思想となっていきました。このような社会主義思想がしかし、その目指すところが純粋な理想主義であるゆえに、そしてそれがこの世に存在しない理想郷であるがゆえに、19世紀後半の欧米の理想主義者の知識人たちはこれに惹きつけられることになり、20世紀になると多くの知識人はこの美しく空虚な思想の虜になってしまったのでした。

一方、この社会主義思想の目標とするものは結局は貧富の格差の解消であり、つまりは資本主義によって生じる社会的腐敗構造の解消であったのですが、その解消のためには社会主義思想の唱えるような生産階級の楽園のようなユートピアを作らなくても(実際作ることも出来ないのだが)、別の方法論もあるのではないかという考え方も19世紀には生じてきました。
それは法律の制定によって社会を改造して財産の再分配による格差解消を漸進的に進めていく社会改革で、政府の機能によって政治的平等と経済的平等を実現していこうという社会民主主義の思想で、これはベンサム、ミルを経て大成した古典派経済学の自由放任主義が堕落した形態であるリバタリアニズムと表裏一体となった思想でした。
本来の「市場の倫理」の典型例の1つが古典派経済学の唱える「周囲が豊かでなければ自分も豊かになることは出来ないので共助精神によって自然に経済的調和が成立する」という「神の手」の原理なのですが、これを支えるのが「商人道」ともいえる庶民の道徳観であったのです。それが19世紀になって「統治の倫理」と「市場の倫理」が融合して資本主義が生じて、「市場の倫理」の道徳観が堕落することになったため、この「神の手」が機能しなくなり、経済的調和が崩れて貧富の格差が拡大したのです。これが資本主義による社会的腐敗構造の本質であり、その真の原因は「商人道」という道徳観の崩壊であったのです。それはつまり「市場の倫理」における真の道徳観に裏打ちされた自由の精神が歪んで「他人に迷惑さえかけなければ自分の欲望のおもむくままに振舞う」という放縦の精神へと堕落したということでした。この放縦の精神に基づく堕落した「市場の倫理」がリバタリアニズムの正体で、共助精神を全く欠いた利己的な経済原理でありました。
これによって生じる経済格差を政府の機能によってセーフティーネットを設けて解消していこうというのが社会民主主義の考え方で、つまりリバタリアニズムとセットになった社会民主主義というものは「統治の倫理」と「市場の倫理」が従来の資本主義や帝国主義よりも更に強固に結びついた形態であるといえます。この2つの倫理観がより強固に結びついているということは、それはつまりより腐敗の度合いが激しいということも意味します。実際、社会民主主義というのは「大きな政府」を志向するもので、それだけ行政官僚の経済活動に関与する権限が大きくなり、それはより大規模な汚職を誘発するのです。
結局、このリバタリアニズムと社会民主主義の組み合わせでは、さほど経済格差は解消されずに社会腐敗が広がったので、これの改良型として20世紀にケインズ経済学と社会民主主義を組み合わせた政治経済体制が考案されることになりました。ケインズ経済学は古典派経済学の自由放任主義を捨て、政府による市場介入や公共投資の促進、福祉国家化などを特徴とした、より「大きな政府」の度合いが強くなったもので、政治による経済への支配度は古典的資本主義の段階からベンサム、ミルの順に大きくなり、ケインズの段階で更に政治は経済を従属させるようになり、政治によって経済はコントロールされるものとなりました。これに更に社会民主主義の施策を加えて格差解消を図ったのです。
これによって確かに格差はだいぶ解消されることになりましたが、このケインズ経済学自体が「統治の倫理」と「市場の倫理」をミル経済学の段階よりも更に強固に結びつけたものであり、この2者が国民国家の統治システムとして結びつく場合は必ず「統治の倫理」が優位になりますから、その結びつきが強ければ強いほど「市場の倫理」が「統治の倫理」に極端に従属した形になります。つまり統制に対して自由が、善悪判断に対して真理の追究が、圧殺された形になり、社会は自由を失い真理は覆い隠される全体主義体制に近づきます。その上、更に社会民主主義という「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合が重なってきますから、このケインズ経済学と社会民主主義がセットとなった国家体制は一種のソフトな全体主義体制であるといえます。つまり、それだけ腐敗が激しいということであります。
しかし、このような全体主義体制というものは、「統治の倫理」と「市場の倫理」の強固な融合であるということは、統治階級と生産階級の一体化、政治と経済の一体化が極めて進んだものであり、経済効率、生産性は極めて高くなります。それゆえ、1929年の大恐慌以後のアメリカにおいて、ケインズ経済学を基にしてニュー・ディール政策が採用され、このソフト全体主義体制を維持したままアメリカが第二次大戦の戦勝国となり、西側諸国のリーダーとなったため、戦後の西側諸国ではこのケインズ型の全体主義体制がスタンダードとなったのでした。

一方、フランス革命の大失敗によって「市場の倫理」たる啓蒙主義思想の理性重視主義の挫折を経験した啓蒙主義者たちは、その原因を、「理性によって全てを把握できる」とした啓蒙主義思想によっては実際は把握できない領域があったからであると考えました。この理性で把握できない領域というのはつまり神秘的領域で、伝統的宗教に属するものであるので「統治の倫理」に含まれる領域です。つまり「市場の倫理」とは別個に「統治の倫理」の世界というものがこの世には存在するのだということで、ごく当たり前の認識であったといえましょう。むしろ理性で全てが把握できるという考え方のほうが「市場の倫理」の存在しか認めない姿勢であり、現状認識としては異常なのだといえます。
しかし一団の啓蒙主義者たちはそうした現状認識は認めつつも、遥かな過去においては理性によって全てが把握できていた完全な理想社会というものが存在し、それが近未来において再び回復されるという「歴史的運命」を唱えて、現状の不完全な状態のほうが異常状態であり、近未来の「完全な理性社会」のほうが自然な状態であるという転倒した理論を提唱するようになりました。つまり、歴史法則主義を持ち出して、あくまで「市場の倫理」のみで理想社会を構築できるという主張を堅持したわけです。こうした潮流を19世紀前半に集大成したのがヘーゲル哲学でした。
すなわち、ヘーゲル哲学においては、過去において人間は理性によって全ての真実を認識できていた(「統治の倫理」と「市場の倫理」が統合されていた)が、近代にはそれが失われて近代的分裂状態(「統治の倫理」と「市場の倫理」が分裂した状態)にあり、それが近未来(すなわち彼らヘーゲル哲学派自身の働きによって到達する近未来)において再び統一(「統治の倫理」と「市場の倫理」が統一)されて、人間は真実を認識するようになり新たな理想社会へ救済されるとされたのです。しかしこれは全く根拠の無い謬説であり、実際はヘーゲルの言う近代的分裂状態(「統治の倫理」と「市場の倫理」が分裂した状態)こそが人間社会本来の姿なのであり、過去においても基本的にはもちろんそうした分裂状態であったのであり、ヘーゲルの言うように2つの倫理が統合されて理性によって全ての真実が把握されていた時代などありませんでした。むしろ近代になって2つの倫理の間の距離が不自然に狭まってきていたぐらいです。だからこのヘーゲルの歴史観は決定的に間違っているのです。
しかしヘーゲルはこの歴史的運命を絶対的真理として、近未来において「市場の倫理」(理性)が「統治の倫理」(伝統的な神秘世界)をも制して理想社会を築き上げて人々を救済すると唱えました。そしてヘーゲルはそうした近未来の理想社会の定められた運命的な到来を促すための行動を呼びかけたのですが、この「統治の倫理」と「市場の倫理」の極端な融合においては、ヘーゲルは「市場の倫理」の優越した形での融合を夢想していたようですが、実際にこの組み合わせでの融合が為される場合は必ず「統治の倫理」が「市場の倫理」を従属させる形になるのです。つまり、いざ実地の段階になると、理想主義的なヘーゲル思想は、それが急進的であればあるほど、政治権力が経済活動を抑え込む極端な全体主義体制へと転倒することになるのです。
実際、ヘーゲルはプラトンの「哲人王の下で意思を1つにして支配されるのが理想の政治形態である」という政治哲学を理想としていましたが、これは典型的な「統治の倫理」の考え方で、プラトンの時代のポリスであればこういう体制も有りであったかもしれませんが、共同体内に生産階級も「市場の倫理」も存在する近代社会において全てが哲人王に支配される政治形態とは、必然的に腐敗した全体主義体制となるのです。
そしてこのヘーゲルの全体主義体制の特徴として、過去のありもしない架空の理想状態への際限ないノスタルジーと、近未来の来るべき理想状態への変革への揺ぎ無い強い意志があり、前者は怪しげな民族精神救済をテーマとした神秘主義思想への傾倒、後者は高度な管理体制における完全統制主義となってヘーゲルの死後は立ち現れることとなったのでした。このヘーゲル型の全体主義体制の中の完全統制主義や政治経済統制主義が1929年の大恐慌後のドイツ経済の建て直しのために採用され、この全体主義体制を公約とするナチス党の台頭を招き、ヒットラー・ナチズムが出現するのです。
このヘーゲル型全体主義体制は、ケインズ型全体主義体制よりもなおいっそう「統治の倫理」に対する「市場の倫理」の従属度が高くなっています。もともとは「市場の倫理」への志向が極端に強かっただけに、それが転倒した反動によって「統治の倫理」が絶対神化してしまっており、国家こそが理想状態を実現して民族精神を救済してくれる神そのものであるかのような「国家信仰」のレベルにまで高められ、狂信的なカルトさながらの状態になります。そして、あまりに「統治の倫理」が強いため、「統治の倫理」は元来、共同体防衛の運命的戦争を重視する傾向が強いため、極めて好戦的な国家となり、それが民族精神救済思想と結びついて「運命の戦争」へひた走る傾向があります。しかし、この体制は「統治の倫理」と「市場の倫理」がほとんど一体化した極めて腐敗した体制であるため、その戦争も表面的な美辞麗句とは裏腹に、その実態は腐敗した戦争、すなわち領土的野心、経済的利権を得るための純粋な侵略戦争となる傾向が強いといえます。

ヘーゲル思想は歴史法則主義という謬説によって啓蒙主義思想による理想社会の建設を可能であるかのように偽装した思想であったわけですが、この方式を応用して、19世紀後半において歴史法則主義という謬説によって社会主義思想による理想社会の建設を可能であるかのように偽装して出現した思想が共産主義思想、つまりマルクス主義思想でした。
社会主義思想は国民国家を解体してプロレタリアート(生産階級)の理想郷を作ろうという思想であったのですが、これはつまり「市場の倫理」のみで共同体を作ろうという思想で、それは不可能なので、社会主義思想は非現実的であったのです。マルクス主義ではこれを「現状においては不可能」と素直に認めたのです。しかしここで歴史法則主義が出てくるわけで、現状においては不可能だが、未来の「プロレタリアート主導の国民国家」においてならば急速に社会は豊かになって理想郷の建設は可能になるということは「あらかじめ決定された歴史的法則」であると唱えたのです。このような歴史的法則などには何の根拠も無いのですが、マルクスはとにかくまずは理想郷建設へ至る第一段階として「プロレタリアート主導の国民国家」なるものの成立へ邁進することを奨励します。
これは国民国家である以上、統治階級と生産階級によって構成されるわけですが、「プロレタリアート主導」ということは生産階級が統治する国家ということになり、生産階級が統治階級になるということです。しかし統治階級は少数でなければいけないので、生産階級が2つに分かれて、片方の少数派のほうが統治階級となり、残りの多数派のほうが従来通りの生産階級となるということです。この選ばれた少数派のプロレタリアートのエリート層が新たな統治階級となる体制を「プロレタリア独裁体制」と言います。では既存の統治階級はどうなるのかというと、それは新たな統治階級たるプロレタリアートのエリート層によって「階級闘争」の結果、暴力的に抹殺されるということになります。これが「暴力革命必然論」で、これによって既存の統治階級ごと「統治の倫理」も抹殺されます。つまり既存の文化や伝統や道徳観が徹底的に破壊されるということです。そうして新たに統治階級に就いたプロレタリアートのエリート層が新たな「統治の倫理」を打ち立てるのですが、これはもともとこの新統治階級は生産階級であったわけなので、生産階級の有する「市場の倫理」と同根のものとなり、それは過去の「統治の倫理」の伝統とは隔絶したものとなります。つまりこのプロレタリア独裁国家においては「統治の倫理」と「市場の倫理」は非常に近しい関係となり、一体化しやすいものとなるわけです。その上、このプロレタリア独裁国家は「国家を超越したプロレタリアートの理想郷(共産主義社会)」への進化の道を踏み外すことなく邁進していかねばならない必然的運命を有しているわけですから、その実現を完全統制主義で実行していかねばなりません。つまり統治階級が生産階級を完全に管理して、政治が経済を完全にコントロールする統制経済体制となるわけですから、「統治の倫理」と「市場の倫理」は完全に一体化することになります。つまり、極端に腐敗した全体主義体制が出現することになるのです。この場合、「市場の倫理」の「統治の倫理」に対する従属度は最高度のものとなり、「市場の倫理」が極めて小さなものとなるので自由や真理というものが社会からほとんど消え去り、牢獄や収容所のような国家になります。更に加えて、この「統治の倫理」自体が伝統的道徳を喪失した根無し草のようなものですから、更に腐敗は凄まじいものとなるのです。
この極端に腐敗したマルクス型全体主義体制は、マルクスの予言によれば、成立後には急速に豊かになって、そのまま超国家的な生産階級の楽園(共産主義社会)へと進化していくということになっており、そうした希望の未来へ至る前段階としてのみ存在することが認められたものであるのですが、この共産主義社会のような「市場の倫理」のみで成り立つような共同体は何処までいっても、どのような段階を経ようとも、存在し得ないものであるのだから、その前段階としてのマルクス型全体主義体制も、「市場の倫理」の理想郷に偽装した、不道徳極まりない「統治の倫理」によって「市場の倫理」を支配する独裁体制というのがその正体であるという壮大なペテンに過ぎないのだといえます。つまり国際的な左翼革命を目指す運動に偽装した超右翼全体主義国家がその本質であるということになります。

このペテンを現実世界において実行したのが1917年のロシア革命を遂行してソ連を建国したレーニンで、その実績によって、これ以降、レーニンの教説がマルクス主義思想の本家として扱われることになります。それはプロレタリアートによる階級闘争を政治闘争として先取りして実行する前衛政党こそが新たな統治階級となってプロレタリア独裁の担い手となり、一党独裁体制でマルクス型全体主義体制を引っ張っていくべきであるという理論でした。この前衛政党こそが「共産党(ボリシェヴィキ)」でした。
この共産党こそが最終的には理想社会を築いてプロレタリアートを救済する神のごとき存在となり、ヘーゲル型全体主義にいては国家が崇拝対象となりましたが、このマルクス型全体主義においては共産党が絶対的な神となり、崇拝対象となったのでした。つまり共産党は全てを統制する絶対的な統治者となったのであり、強力な「統治の倫理」が国家を貫徹することになりました。それゆえこの国家は極めて好戦的国家となったのですが、その好戦性の現れ方が「運命の戦争」であったヘーゲル型全体主義とは違い、過去へのノスタルジーが全く無く、むしろ既存の「統治の倫理」、つまり伝統や文明への破壊を常とするマルクス型全体主義の場合は「文明や道徳への呪詛や破壊」という形で現れることになりました。それゆえ、ヘーゲル型全体主義においてはひたすら狂気の戦争が外国や国内の異分子に向けて発動されていったのに比べ、マルクス型全体主義の場合、その闘争の対象は内も外も区別は無く、むしろ内のほうがやりやすいというのもあり、もっぱら自国民へのテロという形で現れることになりました。
そして表向きは「市場の倫理」に基づく国際的な理想的共同体の構築を目標としている以上、そうした文明破壊行為をステップとした革命を世界中に拡散していくことを使命としていたのですが、こんな「世界革命」などは全くの絵空事であり、これは実際は壮大なペテンであり、革命による権力奪取の正当化に過ぎませんでした。
何がペテンなのかというと、マルクス型全体主義体制の真の正体は統治階級たる共産党が不道徳な「統治の倫理」によって全ての「市場の倫理」を統制し支配する不自由、不道徳極まりない腐敗した全体主義体制であり、この体制が世界へ輸出する革命の真の目的は、この共産党の「統治の倫理」による支配体制、搾取体制を永続化させ、また支配地を拡大させるために他の地域を混乱させることであったのです。この傾向はレーニンの後を継いだスターリンの時代に顕著になり、「ソ連帝国主義」とも言われるようになりますが、実際はレーニンの時代から一貫して外国に対する陰険な策動は「世界革命」などのためではなく、ソ連の国益、その支配者たる共産党の利益のために他国を混乱させることのみを目的として行われていたのでした。マルクス型全体主義体制の場合、その好戦性はヘーゲル型全体主義体制のように「民族の祭典」のような祝祭を必要としないので、ヘーゲル型のように派手な形では現れず、どちらかというと陰険な謀略活動や破壊活動のような形で現れることが多いといえます。
このような腐敗しきったマルクス型全体主義体制であったのですが、1929年の大恐慌時に古典派経済学の経済体制が破綻した時に完全なる統制経済体制であったソ連だけが恐慌の影響を受けなかったのを見て、他の先進国もソ連に倣って政治と経済の一体化した統制経済体制、すなわち全体主義体制を採用することにしたのでした。ソ連は一応表向きは理想社会建設を最終目標として掲げており、先進国のお人好しの知識人の多くはこれにまだまだ騙されていたのです。

また、全体主義体制といっても、要するに政治(統治階級)と経済(生産階級)の距離が近くなるのが民主主義の進展なのであり、それが究極まで進展して政治と経済が一体化して階級というものが消滅して大衆社会が誕生した段階を全体主義というのであって、民主主義の道を歩んできた諸国にとってはそれほど抵抗のあるものではありませんでした。まぁソ連の場合は自国民への大規模テロによって階級を暴力的に消滅させて全体主義体制を構築したのですが、他の先進国の場合、ちょうど民主主義が進展して大衆社会が現出する頃であったので全体主義を自然に受け入れる素地はあったといえます。
その全体主義にも大別してケインズ型、ヘーゲル型、マルクス型の3種類があり、それぞれの国の特性に応じて受容することが出来ました。資本主義が根付いていた国ではマルクス型は急進的過ぎて受け入れ難かったので、だいたいケインズ型かヘーゲル型ということになりますが、どちらかというと歴史伝統のある国ではヘーゲル型、新興国や人工的国家ではケインズ型が受け入れやすかったようです。それで1930年代にドイツやイタリアではヘーゲル型全体主義、アメリカではケインズ型全体主義が採用されていくことになったのでした。これにソ連のマルクス型全体主義も合わせて、世界は「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合を進めて「統治の倫理」による「市場の倫理」の支配度を高めた全体主義体制の時代を迎えることになったのでした。
これらの全体主義国家が世界大恐慌後の世界経済のブロック化の中で、統制経済体制が生み出す膨大な工業製品の消費市場、すなわち「生活圏」を奪い合って経済紛争を引き起こすようになり、それがエスカレートして武力衝突に至り、第二次世界大戦が勃発することになるのですが、ここにおいて全体主義国家はそれぞれ当初は合従連衡して、1941年あたりまでは敵味方の組み合わせは明確にはなりませんでした。それは、先進国は表面上のイデオロギーや国家体制の違いなどはありつつも、実際は全体主義体制という意味では同類同士なのであり、互いにさほど違和感は無かったからであり、結局は単なる利害計算の結果、連合国と枢軸国という2チームに分かれて戦うことになったのであり、その組み合わせはかなり遅くまでどう転ぶか分からなかったのでした。
そして勝利した連合国側からアメリカをリーダーとする西側諸国、ソ連をリーダーとする東側諸国という風に世界を二分する対立構造が生まれてくるのですが、これはそれぞれ西側諸国はアメリカに倣ったケインズ型全体主義体制、東側諸国はソ連に倣ったマルクス型全体主義体制で戦禍からの復興を図る体制がそのまま定着したものでした。こうして戦後世界は全体主義の時代となり、政治と経済は一体化して急速な発展を遂げ、統治階級と生産階級の階級差は無くなり世界規模で大衆社会が出現し、「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合によって倫理的腐敗が広がっていったのでした。

ただ、戦後世界で2つの異なる全体主義体制が睨み合う冷戦構造が長期間継続したというのはどうしてなのかというと、それは別に核ミサイルの撃ち合いを恐れていたというわけではなく、実はアメリカの統治層のかなりの部分が基本的にはソ連や共産シナに対して同じ全体主義国家として、イデオロギーの違いを超えてかなりの親近感を示しており、共存および通商の機会を常に窺っていたという要素が大きいでしょう。つまり冷戦構造というのはタイプの違う2つの全体主義体制の統治層同士の共存構造がその本質なのではないかと思われるのです。つまりは、ソ連やその衛星国でどのような圧制や弾圧、テロが行われていても、アメリカなどの西側諸国の政府機関は同じ全体主義国家のソ連を徹底的に追及しようとはせず、ナアナアで済ますことが多く、また東側からのスパイにもガードが甘かったのでありました。こうした全体主義体制同士の馴れ合い体制を「雪解け」や「デタント」などと呼んで囃し立てていたのが冷戦時代という時代の腐敗の実相であったのでした。また、ソ連のマルクス型全体主義体制が理想社会実現のためのステップであるという幻想をかなり長期間抱き続けた西側の暢気な多くの左翼系知識人も冷戦の腐敗を長期化させる一因となっていました。
その冷戦期間において東側諸国においては共産党独裁体制の下で言語を絶する人権侵害が行われていたのですが、結局はお互いに「統治の倫理」に拠って立つ全体主義体制の権力者同士というのはイデオロギーの違いを乗り越えて妥協したがる傾向が強く、西側の権力者たちは独裁者との共存を望み、虐げられる庶民の苦しみという真実を無視したがるものであったのです。その方が彼ら全体主義体制下での名士たちにとっては何かと都合が良かったのでしょう。これこそが全体主義体制特有の腐敗であったのです。だからこそ、国家の枠を超えた左翼的な救済運動、すなわち「市場の倫理」に基づいた真理の追求が必要だったのですが、実際は超右翼国家であったソ連は巧みに自らを左翼運動の元締めとして宣伝し、多くの左翼運動家がそれを真に受けてしまったために攻撃の矛先が鈍り、左翼運動はその本来の意義を失い、庶民の信頼をも失っていったのでした。結局、マルクス・レーニン主義の前衛政党の文脈で左翼勢力が政党という形をとったのが間違いであったのです。本来は「市場の倫理」に則って動くべき左翼勢力が政党という形で政治権力化したために「統治の倫理」を行動原理とするようになり、これによって元来の「市場の倫理」に「統治の倫理」が融合して大いなる腐敗が生じることになってしまったのです。そして、その挫折の中から本来の左翼運動を取り戻すという文脈で新左翼運動が生まれてくるのです。
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この記事に対するコメント

読み応えがありました。統治の倫理と市場の倫理というキーワードを縦横無尽に駆使しての分析は、「日本の歴史についての雑文」の総編集番ですね。
読みながら私が考えたのは、今のアメリカについてです。ケインズ式全体主義から派生したコチコチの全体主義の本質は、20世紀初頭とそう変わらないようですね。あからさまな領土拡張がなくなった分、より巧妙で陰湿になったきたように感じます。WTO成立で合法的に資金・物・サービスの移動が可能になった結果、破滅へのカウントダウンが早まったように感じます。その崩壊への先導者としてのアメリカは財政赤字や経常収支の均衡なんて屁とも思ってないようですkら。その尻拭いとして今年の一月から連銀が市場にドルを供給してますが、バーナンキさんがどこまで頑張れるか・・・。こんなときにアメリカの伝統的保守派に頼りたいんだけど、唯一の救世主が今では民主党www。残念。

私は一方に振り切れた振り子の針の反動は大きいと予想します。KNさんはどのようにお考えですか?最後に、お体に気をつけて更新してください。友達にもこのブログを勧めています。大ファンのたろうですた

【2008/05/12 10:20】 URL | たろう #- [ 編集]


技術士補とは、技術士第一次試験に合格し、登録した人に与えられる http://earlobe5.stepuptechnologies.com/

【2008/11/06 01:30】 URL | 57 #- [ 編集]



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