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日本史についての雑文その369 世界宗教史4
ここまでの人間社会における倫理発生のメカニズムの流れについてまとめると、まず原始の精霊信仰は超越的存在が不在の倫理以前の段階であり、その後、四大文明地域などで人間から見て超越的な「神」という存在が生み出され、真の自己を確立するための「象徴界(物質世界)」における欲望充足作業を禁止する「統治の倫理」が確立されます。これによって「神」の下す戒律を受け入れ、その見返りに恩恵を受けるという、「神」の支配下に入るという形の多神教が形成され、それが善悪二元論を経て紀元前7世紀には一神教も生み出します。
ここにおいて「神」の禁止命令の絶対性が高まったため、2つの異なった道が生じます。1つは、「統治の倫理」と対峙しつつ共存する形での「与えること」による一定程度の自己確立や欲望充足で妥協する道で、これが「市場の倫理」を生み出します。そしてもう1つが、「統治の倫理」(物質世界の倫理)を否定する形での、「現実界(霊的世界)」の果てまでもとことん「求めること」による完全なる自己確立や欲望充足を求める道で、これがウパニシャッド哲学の霊肉二元論を経てグノーシス主義の「魔術の倫理」を生み出します。
そして、紀元前5世紀にこの「魔術の倫理」を否定して、目指すべき「真の自己」などというものは存在しないという前提のもとに「現実界(霊的世界)」のみならず「象徴界(物質世界)」の存在をも否定し、不完全な自己や世界を肯定して欲望を捨て苦しみから解放されるべきと説いた仏教は、倫理の存在意義自体を否定しているわけですから、これは倫理を超越した思想ですが、ここではあえて(この世に常なるものは無いという意味で)「無常の倫理」とでも呼んでおきます。

「統治の倫理」と「市場の倫理」は対立し合いながらも共に「象徴界(物質世界)」の秩序を形作る倫理で、「統治の倫理」は物質世界の支配者たる神が欲望の流れを止めて物質世界を固定化する倫理で、「市場の倫理」は物質世界の住人たる人間が欲望を追求して物質世界を活性化させる倫理であり、トータルで見れば神と人間が「統治の倫理」というブレーキと「市場の倫理」というアクセルとを駆使して欲望をコントロールして「象徴界(物質世界)」の秩序を維持しているといえます。ただ、そうした2つの倫理の均衡によって秩序が維持されている「象徴界(物質世界)」においては、完全なる自己の確立や完全なる欲望の充足というのは困難となります。
そこで「魔術の倫理」は「象徴界(物質世界)」に重なって存在する「現実界(霊的世界)」にこそ真の自己、真の欲望の対象が存在するので、「象徴界」の住人である人間は「現実界」、あるいは「現実界」から「象徴界」に突き出した抽象的なシンボルとしての「想像界」にアクセスして完全なる自己を確立し、完全なる欲望充足をすべきであると考えます。つまり「魔術の倫理」は「象徴界」と「現実界」の2つの世界にまたがる倫理で、「魔術の倫理」においては「象徴界」は仮の世界であり、「完全なる実体」は「現実界」に存在すると考えられますから、「象徴界」は欲望追求の過程として捉えられ、「象徴界」における「魔術の倫理」は欲望追求の倫理で「市場の倫理」と似た性格を有します。一方、「現実界」はこの「象徴界」においては目指すべき「完全なる実体」、すなわち「真の神」の支配する調和のとれた完全な世界として捉えられますから、「現実界」や「現実界」化した「象徴界」における「魔術の倫理」においては欲望追求はもはや不要であり、「魔術の倫理」は「真の神」の支配を受け入れる「統治の倫理」的な性格を有することになります。つまり、「魔術の倫理」は現実世界にある場合と霊的世界にある場合とで2つの相反する側面を有する倫理なのだといえます。
そして「無常の倫理」は「象徴界(物質世界)」や「現実界(霊的世界)」の外側からそれらを客観視したもので、いくら完璧だ永遠だと言ってみたところで実際には人はあっという間に死んでしまったりする儚く不完全な存在なのであり、肉体も霊魂も実体は無く、それゆえ自己というものも無く、ただ認識のみがあり、その認識すら実体は無く、ただ空っぽの世界を魂として認識された信号が輪廻しているだけという世界観でありますので、自己の確立のための欲望も無意味であり存在しないものとします。それを悟って無用な執着から生まれる苦しみを消し去るのが目的となります。
この「無常の倫理」は世界に対する理解としては最も冷静であろうとは思いますが、「倫理」というものは端的に言えば欲望というものに対してどのように対処するのかについての哲学であるので、欲望の存在すら認めない仏教のような「無常の倫理」はやはり「倫理」を超越したものだといえます。しかし問題は我々はそれでも「象徴界」や「現実界」に住んでおり、そこには欲望が存在しており、我々はそれに対処していかねばならないということで、「無常の倫理」的な世界観は持ちつつも、やはりそれとは別に何らかの倫理は必要になってくるということがいえます。
だいたい、やはり「魔術の倫理」や「無常の倫理」は、この我々の生活する「象徴界」においては理解することが難しく、どちらかというとマイナーな存在とならざるを得ず、あくまで主流となるのは「統治の倫理」と「市場の倫理」でありました。「象徴界」における純粋なる「魔術の倫理」はあまりにも過激思想であり、また、「象徴界」における純粋なる「無常の倫理」はあまりにも非現実的思想でした。どちらも現実の事象に現実的に対処していくには不適であり、「統治の倫理」や「市場の倫理」とのブレンドが必要であったのです。
また逆に「象徴界(現実世界)」に暮らしていて自らの霊的側面を意識しないわけにはいかず、それを何らかの形で処理する必要も生じてきます。それにはだいたい3つの解釈の道があると思われます。まず1つは、あくまで「象徴界」を中心とした世界観を維持して、霊的世界は現実世界に付属したものと捉え「統治の倫理」の主である現世の「神」の支配する世界であるとする解釈です。次の1つは、霊的世界を「現実界」として「象徴界」とは別に設定し、「現実界」こそが真の世界であるとする「魔術の倫理」的な解釈です。そして最後の1つが、「象徴界」にも「現実界」にも実体というものは無いとする「無常の倫理」的な解釈です。だいたい「象徴界」における「統治の倫理」が「市場の倫理」よりも優位な場合は最初の1つ目のパターンになることが多く、逆の場合は後の2つのパターンになることが多いようです。このように、「象徴界」においては「統治の倫理」や「市場の倫理」が主役でありつつも、「魔術の倫理」や「無常の倫理」の必要性も存在し、結局、これらの倫理の様々な組み合わせによって各時代各地域の倫理は形成されていったのでした。

紀元前5世紀あたりの世界においては、「統治の倫理」と「市場の倫理」の均衡で秩序づけられる「象徴界」を備えた文明地帯はオリエント、北インド、シナ周辺あたりぐらいでした。オリエントにおいてはゾロアスター教、ユダヤ教、ミトラ教などの様々な宗教に由来する「統治の倫理」や「市場の倫理」が主流となった社会にグノーシス主義やウパニシャッド哲学のような「魔術の倫理」が秘教的に加わるようになり、また北インドではアーリア人社会の「統治の倫理」と「市場の倫理」の上に仏教の「無常の倫理」が被さっていき「魔術の倫理」たるウパニシャッド哲学をもとにしたバラモン教を駆逐していくようになりました。
またシナにおいては紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけて、春秋戦国時代の乱世の中で既存の「統治の倫理」が弱体化していく中、ウパニシャッド哲学由来の「魔術の倫理」の要素を援用しつつ霊的世界たる「天」という概念を「統治の倫理」の中心に据えた儒家思想や、純粋なる「魔術の倫理」に近い現世否定的な老荘思想、そして多神教的な「市場の倫理」に近い墨家思想などが入り乱れる百家争鳴の状況となっていきました。
この中でも特に重要なのは儒家思想、すなわち後の儒教です。シナ思想における「天」とはウパニシャッド哲学で言うところの「真の存在」である「ブラフマン」とほぼ同義なのですが、インド思想における「ブラフマン」があくまでこの物質世界とは別世界である霊的世界の存在であるのに対して、シナの儒家思想においては独特の解釈で「天」は究極の存在でありながらこの物質世界を支配する存在として設定されているのです。そうした現世の絶対的支配者としての「天」の思想を整備して、乱世を収めるための「天」の意思を反映した政治哲学を作り上げたのが儒家思想なのであり、シナ独特の皇帝独裁体制の起源はここにあるのです。つまり、シナの儒教は当初から「魔術の倫理」でありながら「統治の倫理」であったのです。
これに比べて老荘思想のほうは「天」はあくまで物質世界とは別の霊的世界における究極の存在と設定し、乱れた物質世界を否定してひたすら霊的世界にある「天」との合一を望むという、ほぼウパニシャッド哲学と同じような現世否定的な、いわば正統派の「魔術の倫理」といえる存在でした。
そして、戦乱の中で既存の氏族共同体が弱体化して「統治の倫理」が空洞化していく中で氏族共同体にあって信仰されていた神々をまとめて多神教的な世界観を創り上げ、その下で新たな「統治の倫理」と「市場の倫理」の再構成を試みたのが墨家思想で、「統治の倫理」の揺らいでいた時代であったので自然と「市場の倫理」が主体となっていきました。実際、この当時のシナの現状に最も合致していた現実的思想は墨家思想であったので、墨家思想は多くの支持者を得て、春秋戦国時代は儒家思想はあまり人気はありませんでした。

そうした中、グノーシス主義やウパニシャッド哲学などの「魔術の倫理」はオリエントの辺境に位置するギリシャにも伝わり、そこでギリシャ哲学として体系化されます。紀元前4世紀に活動したプラトンは個別の事物の背後に「イデア」という真の存在があり、個別の事物は「イデア」の影が投影されたものに過ぎないとし、物質世界はデミウルゴスという造物主が「イデア界」を模倣して作ったものであるとしました。また、その弟子のアリストテレスはプラトンのイデア論を更に整理して、事物に内在して事物の性質を決定づけるイデア由来の因子を「エイドス」と呼び、この「エイドス」が事物の素材である「ヒュレー」に働きかけて特定の性質を有した現実世界の事物を形成するとしました。
この場合の「イデア」とはもちろん「現実界(霊的世界)」に相当し、「エイドス」と「ヒュレー」の関係も「エイドス」が「現実界」に由来する法則で、「ヒュレー」が「象徴界」に由来する材料であり、「象徴界(物質世界)」の材料を「現実界(霊的世界)」の法則で組み立てたものが個別の事物であるということになります。たとえば人間という事物は物質世界の肉体に霊的世界の霊魂が入ることで出来上がっているということになります。それゆえ人間は肉体は不完全なものであってもその霊魂は完全なる存在であるとされるのです。そして「ヒュレー」が何であれ、「エイドス」次第で物質の特性は変わるのであり、物質の本質は「ヒュレー」ではなく「エイドス」であるということになります。それゆえ、後にアリストテレス哲学をイスラム世界から逆輸入した中世ヨーロッパにおいて究極の「エイドス」である「賢者の石」を用いてあらゆる「ヒュレー」を黄金へ変成を図る錬金術が盛んになったのであり、また、その錬金術の系譜を引くニュートンの開いた近代科学思想では「ヒュレー(物質世界の素材)」ではなく「エイドス(霊的世界の法則)」が重視されるようになったのです。
このプラトンの哲学を「アカデメイア派哲学」といい、アリストテレスの哲学を「リュケイオン派哲学」といいます。これらは「魔術の倫理」の系譜を引くもので、物質世界である「象徴界」を殊更に否定的に捉えるグノーシス主義よりも、むしろ単に「現実界」こそ真の世界であると捉えるウパニシャッド哲学の考え方に近いものでありました。グノーシス主義自体もギリシャに伝わっていましたが、現世否定的な考え方は維持しつつ、このように形成されたアカデメイア派やリュケイオン派の哲学の影響を受けて教義をギリシャ哲学風に洗練させていったようです。
また、アカデメイア派やリュケイオン派はギリシャにもともとあった「統治の倫理」や「市場の倫理」にも影響を与え、紀元前3世紀にはプラトンやアリストテレスの世界観を基盤にしながら「象徴界」における実践活動に重きを置いた「統治の倫理」としての禁欲主義的な「ストア派哲学」が成立し、また「市場の倫理」としての享楽主義的な「エピクロス派哲学」も成立しました。

これらのギリシャ地方の諸思想が紀元前3世紀以降、アレキサンドリア大王の征服によるヘレニズム世界の形成に伴ってギリシャから北西インドまで及ぶ範囲に広まり、更に紀元前2世紀以降はローマなどの地中海方面にも広まっていきました。これらの地域には従来型の多神教や一神教などが「統治の倫理」や「市場の倫理」を包摂し、更にグノーシス主義やウパニシャッド哲学などの「魔術の倫理」も存在していましたが、そこに新たにギリシャ由来の「統治の倫理」であるストア派哲学や「市場の倫理」であるエピクロス派哲学、更にはギリシャ哲学の影響を受けた「魔術の倫理」であるグノーシス主義などがオリエントに逆輸入されてきて、次第にそれぞれの地域ごとに文化混淆状態が生じて独自の文化を形成していったのでした。
「魔術の倫理」たるグノーシス主義は霊的世界における「統治の倫理」と物質世界における「市場の倫理」の両面を持っていましたが、地中海方面においては「統治の倫理」の側面が強く神秘主義の閉鎖的サークルを作る傾向が強く、オリエント方面では「市場の倫理」の側面が強く一般信者の獲得を図っていきました。何故そのような違いが生じたのかというと、おそらく古代ヨーロッパは農耕も遊牧も不適な生産性が低い土地であったので商業が発達せず、それゆえ「市場の倫理」が発達せず「統治の倫理」優位となったのであり、対してオリエントは古来豊かな土地であったので商業が発達し、古来「市場の倫理」優位の土地柄であったからなのでしょう。閉鎖的サークルにおいて発達した西方グノーシス主義においては、グノーシス主義独特の肉欲否定傾向、現世否定傾向が強まり、ますます密儀宗教化していくことになりました。

この間、北インドの「無常の倫理」である仏教は紀元前3世紀以降は南インドにも広まり、同時に戒律重視の「統治の倫理」化して上座部仏教となっていっていましたが、紀元前1世紀ぐらいから顕著になってきた地球温暖化の影響から地中海から北インドまで交易が盛んになり「市場の倫理」優位の状況となり、北インドでは「市場の倫理」化した仏教である大乗仏教を生み出しました。
一方、シナにおいては紀元前3世紀に儒家思想の中から過激思想である法家思想が生まれ、これによって戦国乱世が統一されてシナ帝国が生まれるようになります。儒家思想は霊的世界の究極的かつ絶対的な「真の存在」である「天」によって物質世界を統治する「魔術の倫理」を援用した「統治の倫理」であったわけですが、それをとことんまで突き詰めて「天」の命令(天命)を受けた絶対的君主による中央集権独裁体制で人民を法で縛って教化することを絶対視した思想が法家思想で、この法家思想を国教とした秦によって他の国の王権はおろか、他のありとあらゆる社会的な中間組織をも破壊して紀元前3世紀末にシナ世界は統一され、「天」の代理として地上を統治する唯一の神的君主である「皇帝」による極端な中央集権独裁体制を特徴としたシナ帝国が誕生したのでした。「皇」も「帝」も古代シナにおいては神を表す言葉であり、「皇帝」は人ではなく神なのです。「皇帝」はシナ帝国を創始した秦の始皇帝によって「皇」と「帝」を合成して作られた言葉であり、シナ帝国においては君主は「天」と同格の神と見なされたのです。
このように法家思想においては、絶対的存在である「天」および「皇帝」によって物質世界は一元的に支配されるわけですから、他の神や他の倫理は存在してはいけないのであり、多神教的な「市場の倫理」を有していた墨家思想は徹底的に弾圧されて消滅してしまいました。儒家思想や老荘思想は一応、法家思想と同じく「天」を崇拝する「魔術の倫理」の類型であったので消滅するまで弾圧はされませんでしたが、それでも抑圧されて社会の表面からは消え去って社会の底流に潜むようになりました。墨家思想に含まれていた多神教的な「市場の倫理」は社会の裏面で秘密結社化して生き延びた老荘思想の中において再構成され、シナ特有の現世否定的かつ反体制的な夢現のような「市場の倫理」を形作っていくことになります。

こうした社会裏面の「市場の倫理」が暴発して一時、秦王朝を倒して天下は一時混乱しますが、その後、漢王朝によって、始皇帝の敷いた法家思想に基づいたシナ帝国のシステムは回復され、紀元前2世紀中頃には法家思想に基づいたシナ帝国の皇帝独裁体制のシステムを儒家思想から発展した儒教という「統治の倫理」によって正当化するというシナ帝国のフォーマットが完成し、天下は再び統一され、シナ帝国は復興しました。
このシナ帝国の「統治の倫理」となったのは表向きは儒教、内実は法家思想ということになるのですが、これらは共に単なる「統治の倫理」ではなく、その正体は霊肉二元論に基づく霊的世界の「真の神」である「天」を崇拝し、その支配を物質世界にまで及ぼそうという「魔術の倫理」にして「統治の倫理」である存在なのです。このような「魔術の倫理」が「統治の倫理」として機能するような社会はどのような社会になるかというと、絶対的な神であり「天」以外の神や価値観を認めない、異教の存在を許容しない思想的に単一な社会であり、少なくとも社会に影響を及ぼす思想としては儒教以外は認められない社会となります。
「魔術の倫理」が「統治の倫理」となると、その「統治の倫理」以外の倫理の存在が許容されなくなるので、「市場の倫理」の存在も公式には認められなくなり、「統治の倫理」が「市場の倫理」も兼ねることになり、「統治の倫理」と「市場の倫理」が一体化することによって「統治の倫理」たる儒教には重大な腐敗が生じることになります。また、シナ帝国における儒教は実はシナ帝国の密教である法家思想を正当化するための道具に過ぎず内実というものが無いので学問的な進歩も止まってしまい、紀元前1世紀ぐらいになるとその本性である魔術性が露わになり、オカルト的な言説ばかりが目立つようになり、腐敗に拍車をかけるようになりました。
しかも儒教以外の宗教を弾圧して無くしてしまったためにそれらの宗教に保持されていたモラルが社会から失われ、儒教まで腐敗して権威を失墜したためにシナ帝国はモラル喪失社会になっていきました。そもそも「魔術の倫理」の本質は「欲望の解放」ですから、肉欲に対する病的な忌避傾向を除けば、人間の欲望を抑制する作用など殆ど無くなるのです。そうして「魔術の倫理」に支配された社会で他の倫理を排斥した社会においては、自己を見失った人々がモラルを喪失して移ろいゆく欲望に次々と身を任せることになるのです。
そうした腐敗と欲望とオカルトの暴走するシナ社会は1世紀初頭に一旦、漢王朝の滅亡によって乱世となりますが、その後、後漢王朝が興って再びシナを統一します。しかしシナ帝国の儒教を原因とした思想的な腐敗構造は更に悪化していき、社会は行き詰っていくことになります。

その頃、インドでは1世紀には南インドの上座部仏教(「統治の倫理」+「無常の倫理」)が東南アジア方面へ拡散していっており、2世紀には北インドの大乗仏教(「市場の倫理」+「無常の倫理」)がアフガニスタンから中央アジアを経てシナ方面へ伝来していきましたが、北インドにおいては2世紀にこの大乗仏教にオリエントのミトラ教の救世主信仰の要素が加わりマイトレーヤ信仰を形成しました。ミトラ教の中のグノーシス主義(「魔術の倫理」)の要素はオリエントにおいては現世の変革を志向する「市場の倫理」の側面が強く、それが大乗仏教の中の「市場の倫理」を媒介にして習合したのでしょう。マイトレーヤはミトラのサンスクリット語訳ですが、このマイトレーヤ信仰もシナに伝わり「弥勒信仰」となりました。
弥勒信仰においては釈迦入滅の56億7千万年後にこの世に現れて衆生を救済するという弥勒菩薩が未来仏として崇拝され、弥勒菩薩がその遠い未来に現世に現れる前に修行している兜率天(霊的世界、現実界に相当)に死後に生まれ変わり、そこで弥勒と共に修行して解脱しようという弥勒上生信仰が後に日本で流行します。これは明らかに仏教の要素以外にグノーシス主義由来の「魔術の倫理」の要素が強い思想です。しかし、この弥勒信仰が2世紀にシナに伝わった頃はもっとグノーシス主義の救世主信仰が過激に前面に出ており、今まさに弥勒菩薩の現世(象徴界)への顕現が実現するのだからそれに合わせて現世を変革しなければいけないという弥勒下生信仰の形をとっていました。これは言い換えれば弥勒の顕現を促すために現世を変革しようという終末論的な革命思想でありました。
また北インドにおいて同じ2世紀頃にゾロアスター教の最高神である光明の神アフラ・マズダーへの信仰が大乗仏教に導入されてアミターバ信仰が生まれましたが、これもマイトレーヤ信仰と同じくグノーシス主義の要素の濃い信仰で、アミターバは現世をあまねく照らす光の仏とされ、現世よりも高次元の「極楽浄土」という異世界の支配者であるとされることから、「魔術の倫理」の世界観における真の神や救世主の性格を有していました。このアミターバが阿弥陀如来で、アミターバ信仰もシナへ伝わり「阿弥陀信仰」となり、後に日本にも伝わりましたが、阿弥陀如来が異世界の支配者にして衆生の救済において絶大なる力を有するとされたことから阿弥陀信仰は弥勒信仰と同一視されることが多く、弥勒上生信仰と阿弥陀信仰はほとんど一体化した信仰となっていきました。
2世紀の後半には地球が急速に寒冷化し始め、世界各地の文明地帯で飢饉や天災が常態化し始め、それに伴い「魔術の倫理」の持つ終末論的な救世主信仰が庶民に受け入れられるようになっていきました。特に社会の腐敗が頂点に達していたシナ社会においては弥勒信仰を含む大乗仏教が、同じように「魔術の倫理」と「市場の倫理」の要素を含む老荘思想と共鳴し合い、道教というシナ独自の魔術的な超人崇拝と現世否定を特徴とした民間信仰を形成して大規模な教団を組織するようになり、これが社会不安の拡大の中で過激な革命思想集団となり、2世紀末にこの道教教団の黄巾賊の起こした終末論的な反乱をきっかけにした大混乱の中で後漢王朝は倒れ、それに続く長い戦乱や北方遊牧民の侵入によってシナ帝国は4世紀初頭までには完全に崩壊してしまい、シナ帝国の「統治の倫理」であった儒教の権威は失墜して、実際は「シナ帝国」というシステムに寄生していたに過ぎなかった儒教は、シナ帝国の消滅によってその影響力をほぼ喪失し、シナ世界は長い混沌の時代に入ることになります。

一方、オリエントにおいてはアーリア神話の太陽神信仰にグノーシス主義の救世主信仰が習合したミトラ教という宗教が発生し、これが紀元前1世紀以降、ローマ帝国をはじめとしてヘレニズム世界で密儀宗教として広まりました。こうした神秘主義傾向が「統治の倫理」の色彩の濃い一神教であったユダヤ教の中に神秘主義的な修行サークルを作り、ここから1世紀にイエスが「市場の倫理」の要素を大きく加えたユダヤ教の改革派であるイエス派を打ち立て、イエスの死後、その教義は弟子たちに引き継がれます。この時点ではイエス派の教義は単に「市場の倫理」色を強めたユダヤ教というようなものでした。
このイエスとほぼ同時代のユダヤ教思想家のフィロンという人がユダヤ教の創世神話をギリシャ哲学を用いて解釈し、プラトンの唱えた「デミウルゴスがイデア界を模倣してこの世界を作った」というのが旧約聖書の創世記の天地創造のことであると読み解き、ユダヤ教の神こそデミウルゴスであると唱えました。この説はユダヤ教の主流派からは受け入れられませんでしたが、ユダヤ教内の異端派であったイエス派は宗祖のイエスの死後、この説を受け入れ、これによってイエス派においては神はユダヤ民族の民族神というよりも、もっと普遍的かつ抽象的な創造神という性格を強くしていき、イエス派はユダヤ人以外の異邦人(主にギリシャ人)へも布教していくようになったのでした。このイエス派が1世紀末にユダヤ教から破門されて2世紀にはキリスト教へと変貌し成長していくのです。

そして2世紀後半になって寒冷化の影響を受けた地中海世界ではローマ帝国はゲルマン民族の侵入に苦しむようになり社会が揺らいできて、現世否定的な思想が受け入れられるようになり、救世主信仰を特徴とするミトラ教が大流行しました。その一方でプラトン思想を受け継ぐアカデメイア派のプロティノスが3世紀にグノーシス主義の影響を受けて新プラトン主義を打ち立てました。それは「造物主であるデミウルゴスは不完全な偽の神であり、デミウルゴスによるイデア界の模倣の失敗によって不完全な物質世界が出来てしまった」というように、プラトン思想における霊的世界(イデア界)と物質世界との比較的対等な関係を改めて、明確に霊的世界を上位に置いて物質世界を価値の低いものとして否定する思想でした。これはこの時代の現世否定的な風潮と連動した新しいプラトン思想の解釈でありました。
この新プラトン主義においては物質世界(象徴界)は救済不可能なほど堕落した世界であるので、人間救済のためには物質世界に唯一イデア界(現実界)から直接流出してきた要素である人間の霊魂(想像界に相当)を浄化してイデアへの帰還を果たすしかないということになり、新プラトン主義では特にイデア界における真の存在である「一者」からの流出によって人間の霊魂をはじめ万物が生じた(しかしデミウルゴスによる模倣の失敗によって台無しとなった)という面が強調して唱えられることになり、もともと西方グノーシス主義には「統治の倫理」の側面が強かったので、その影響を受けた新プラトン主義は「一者」への強い帰依を特徴とした「統治の倫理」的性格を強めていきました。
この新プラトン主義がプロティノスと同時代の3世紀前半に活躍したキリスト教の教父オリゲネスによってキリスト教に導入されました。キリスト教においてはもともとデミウルゴスをユダヤ教の創造神と同一視していましたから、新プラトン主義の導入によってユダヤ教の創造神は不完全な偽の神とされ、「一者」こそがキリスト教の真の神であるとされました。ここにおいてキリスト教が大きく変質することになったのです。
それまでのキリスト教はユダヤ教と「市場の倫理」が習合したようなもので、ユダヤ教に破門されて以降はその信仰スタイルや布教スタイル、教義も大きくユダヤ教とは異なり、神に関する解釈もユダヤ教とは全く違ったものになっていましたが、それでもその崇拝する神はあくまでユダヤ教の創造神であるヤハウェ神であったのです(まぁ2世紀にグノーシス主義の影響を受けてヤハウェ神を偽の神と見なしたマルキオンという例外もありましたが、これはキリスト教においても当時は異端視された)。しかしこの3世紀の新プラトン主義を通じてのグノーシス化によって、ヤハウェ神は偽の神として排斥され、新たに「一者」という「現実界(霊的世界)」の神がキリスト教の神「主」となったのです。つまり、3世紀にキリスト教は崇拝する神を換えており、この時点で全く新しいグノーシス的な「魔術の倫理」の宗教に生まれ変わったのだとも言えるのです。ユダヤ教と完全に縁を切った世界宗教としてのキリスト教がここに誕生したのです。
こうしたキリスト教がその中に取り込んだ西方グノーシス主義の極端な肉欲忌避主義傾向とストア派哲学の禁欲主義とが表面的に親和性があったため、キリスト教は3世紀当時のローマ帝国の支配者階級の処世哲学、すなわち「統治の倫理」であったストア派哲学とも習合していって更に「統治の倫理」の傾向も強め、更に同じくグノーシス的な終末論的な救世主を重視する教義の密儀宗教であったミトラ教とも習合(イエスの誕生日を12月25日とするのは太陽神ミトラの冬至の復活祭の名残)していき、イエスを霊的世界の神である「主」が遣わした救世主であるとする教義を確立し、ミトラ教の信者やストア派哲学の信奉者らを取り込んで一気に世界宗教として成長し、ローマ帝国の版図である地中海世界全体に広まり、とうとう4世紀になるとキリスト教はローマ帝国の当局に公認され、帝国の政治混乱によって権威が失墜していたローマ皇帝の権威を保障する存在として、皇帝権力との繋がりが強くなっていきました。

ローマ帝国はもともとは古代的な民主制政体をとっていた共和制ローマから発展したもので、戦士階級である「ローマ市民」が統治階級として合議して政治を執り行う共同体で、ローマ土着の多神教とストア派哲学に基づいた独自の「統治の倫理」と、同じく多神教とエピクロス派哲学に基づいた「市場の倫理」とがバランスをとって多様な価値観を受け入れる社会でありました。それゆえ、征服した土地の神々をもローマの多神教の中に取り込んでゆく「寛容」の精神によって世界帝国にまで成長したのでした。
紀元前1世紀末に帝政に移行したというのも、シナ帝国のような独裁的中央集権国家へと変貌したのではなく、単に版図が大幅に拡大して支配地の政治文化や宗教文化が多様化したために従来の「ローマ共和制」のみでは的確な対応が難しくなったため、共和政体の上に大きな決定権を持った行政官を置いて行政の円滑化を図るための措置であったのであり、ローマ市民は自分たちのリーダーを「皇帝」などとは思っていなかった(日本人が勝手に「皇帝」と訳しているだけで、戦士でもあった彼らは軍司令官という意味の「インペラトール」と呼んだ)し、ローマは共和政体のままだと信じて疑っていなかったことでしょう。いや、実際、ローマ皇帝は世襲でもなかったし、議会や市民によって追放されることもあったわけだから、ローマは共和政体のままだったのでしょう。少なくとも、ローマ皇帝の存在意義が「多様な帝国版図の円滑な統治」にあったのは間違いなく、「多様性」こそがローマ帝国のコンセプトでした。それは一元的で画一的な中央集権体制を特徴とするシナ帝国とは対極に位置するものであったのでした。
よく世界帝国というと強大な独裁者の下で画一的な支配が行われるというような誤解がありますが、どこを切っても同じような画一的な社会ならば、わざわざ多くの地域が連合して大帝国を作る必要など無いのです。それぞれの地域に多様な特色があって、それぞれの足りない部分を互いに補い合う必要があるところに、多様な価値観を許容する寛容な政府が存在してはじめて大帝国が生まれるのです。ローマ帝国というものは、まさにそうしたコンセプトで作られたものであったので「寛容」や「多様性」がキーワードであったのでした。
シナ世界の場合は「魔術の倫理」たる儒教を「統治の倫理」としたことで、社会の多様性を破壊してしまったため、実はシナ帝国として1つにまとまっている意義というものを失っており、常にバラバラになろうという力学が働く社会となっていたのです。つまりシナ世界の本質は中央集権的な統一国家ではなく、無個性で同じように腐敗した政治権力が各地方で割拠する分裂国家体制なのです。皇帝権力が商業的な利権を独占するためにそれを無理矢理に1つにまとめようとするからこそ、極端な中央集権独裁体制が敷かれるのであり、それは力によって無理を通しているだけなので、皇帝権力の権威が失墜すればあっという間に崩壊して群雄割拠の状態になるのです。実際、そのようにして2世紀末から4世紀初頭にかけてシナ帝国は崩壊していったのでした。そして、これはシナだけに限らず、「魔術の倫理」を「統治の倫理」として中央集権的な独裁体制を敷いて社会の画一化を進めたならば、分裂圧力が強くなってきて世界帝国はもう世界帝国であることが難しくなってくるのです。まさにローマ帝国もその道を歩んだのです。

2世紀後半になってからの地球寒冷化の影響による税収不足や兵員不足に加えてゲルマン民族との辺境での戦いの多発を受けて、3世紀初頭にローマ帝国は税収や兵員を増やすため、それまで統治階級の「ローマ市民」のみにかけていた税や兵役を全てのローマ帝国の人民にかけるようになり、それはつまり全てのローマ人民を統治階級とするということで、これによって統治階級と生産階級が一体化し「統治の倫理」と「市場の倫理」が融合して価値観の多様性が失われていったのです。
そして「統治の倫理」と「市場の倫理」の融合は深刻な腐敗を生みますから、結局、この統治階級の拡大措置によってローマ帝国の状況は改善されず、むしろ社会状況は悪化することとなりました。それまでは階級の差が社会の多様性を保障していたのですが、階級差が無くなったために画一化が進み、画一化はかえって分裂圧力を強めるのです。考えてみれば当たり前の話で、仮に2世紀以前のローマ帝国が100万人のローマ市民によって統治されていたとして、3世紀以後に統治階級を全人民に解放した後、1000万人の「新ローマ市民」によって統治されるとしたなら、本来100万人でもローマ帝国は統治可能なのですから、地域の多様性も失われつつあるのだとすれば、わざわざ1000万人で1つのローマ帝国を運営するよりも、100万人ずつで10個のローマ帝国を分割運営したほうが統治者としては旨味があるのです。そういうわけで3世紀のローマ帝国は各地で勝手に皇帝を名乗る者が独自の勢力を築き、群雄割拠の状況となってしまったのです。この時期はシナ世界もシナ帝国崩壊過程の群雄割拠の時代であり、東西似たような状況であったわけです。
そうした群雄割拠の状態を収拾してローマ帝国を再統一したのが4世紀初頭のコンスタンティヌス1世であったのですが、実際はこの時点で多様性を喪失していたローマ帝国はもう再統一する必要など無くなっていたのです。それをコンスタンティヌスは無理矢理に再統一したのですが、無理矢理の統一は従来のローマ帝国とは異質の中央集権的な独裁体制によって成し遂げられました。そして中央集権体制構築のためには皇帝の強大な権限と権威が必要で、皇帝の権威づけのためには腐敗してしまった既存の「統治の倫理」ではなく、新たな強力な「統治の倫理」が必要であったのです。それが「魔術の倫理」のキリスト教であったというわけなのです。ここにおいて、ローマ帝国は全く変質することとなったのです。そして、それはキリスト教をも大きく変質させ、それがまたローマ帝国の更なる変質にも繋がっていったのです。

つまり4世紀においてキリスト教は混乱するローマ帝国の権力御用達の宗教となったわけで、「魔術の倫理」でありながら「統治の倫理」ともなったわけです。霊的世界を肯定し物質世界を否定する「魔術の倫理」が物質世界において秩序維持のための「統治の倫理」となるということは何を意味するのかというと、それは「この物質世界が霊的世界のレベルまで上昇した」という前提が成立したということを意味します。厳密に言えば、ローマ皇帝がキリスト教に帰依することによってこの物質世界(少なくともローマ帝国の版図内)は「真の神」の支配する「霊的世界(現実界)」と一体化した新秩序を打ち立てたということになります。
実際は内政の混乱によって権威の失墜したローマ皇帝が多くの信者を有するキリスト教の「真の神」の権威と一体化することで権力拡大を図ったというのが実情なのですが、そのために、この4世紀以降のキリスト教の主流派(権力と結びついた勢力)における世界の解釈としては「真の神の王国は既に地上に実現した」という建前になったのです。すると、物質世界を偽の神が支配しているという従来のグノーシス的な世界観は既に過去のものとなり、この物質世界も「真の神」が支配しており、その「真の神」と一体化した権力としてローマ皇帝権力というものがあるという解釈になるのです。つまり、もはや二元論は不要となり、「統治の倫理」化した「魔術の倫理」においては一元論が基本となるわけです。
そういうわけで4世紀以降、ローマ皇帝権力と一体化したキリスト教主流派においては、神は1つであることが求められることになりました。つまり「霊界の神」や「物質界の神」、「救世主」や「聖霊」など、崇拝対象や権威が複数あってはいけないわけで、それらをとにかく「主」の名のもとに一元化してしまった宗派がアタナシウス派といいまして、これがローマ皇帝権力によって正統とされ、他の宗派を弾圧してキリスト教をアタナシウス派一本にまとめようとする力が働くようになっていったのでした。ちなみに、この過程で「物質界の神」で「偽の神」として排斥されたはずのヤハウェ神もまた「真の神」である「主」のイメージの中に吸収されて一体化したために、キリスト教の神がヤハウェであるかのような誤解が生じたのです。
しかし、もともと3世紀以降のキリスト教思想の根幹であったグノーシス主義の教義においては二元論こそが世界理解の基本であり、そうした本来のグノーシス的な世界観を尊重するキリスト教信者たちにとってはアタナシウス派の一元論は到底受け入れ難く妥協不可能なものでした。そこでキリスト教内における熾烈な正統争いが続くことになったのです。そして、やはり皇帝権力を味方につけたアタナシウス派優位で争いは続き、アリウス派、ネストリウス派、東方諸教会派、そしてグノーシス派が排斥されて、ようやく5世紀になってローマ帝国内のキリスト教はアタナシウス派に一本化されます。これが「正統」という意味で「オーソドックス」という名で、日本語では「正教会」と訳される宗派となるのです。

つまり、4世紀から5世紀にかけて正教会は「魔術の倫理」でありながら「統治の倫理」として、他のキリスト教宗派を弾圧し続けたわけです。そして、「真の神」の支配が絶対的なものであることから、その弾圧対象は当然ながらミトラ教やマニ教、その他の数々の多神教など、他の宗教の神々にも及び、ローマ帝国内では正教会による他宗教攻撃により、ますます価値観の多様性が破壊されていきました。
そうなると他の宗教によって保持されていたモラルが失われていき、正教会自体が絶対的なものとなったために腐敗しモラルを喪失し、「魔術の倫理」特有の欲望の解放や、「市場の倫理」と一体化することによる腐敗の進行などもあり、4世紀のローマ帝国の社会はまさにシナ帝国末期と同じように、腐敗と欲望とオカルト的言説の暴走する末期的状況となっていき、自壊していったのでした。
そして、そもそも3世紀に事実上の分裂状態に陥った時点で既に世界帝国としてのローマ帝国は終焉していたのであり、それを無理に再統一するために3世紀以降のキリスト教という「魔術の倫理」を「統治の倫理」として中央集権的な独裁体制を志向した時点で、社会の画一化は避けられない道だったのであり、画一化された社会が世界帝国として維持される必然性は無く、ローマ帝国はもう世界帝国であり続けることは不可能になっていたのです。
そういうわけで4世紀終盤にゲルマン民族の大移動が開始されると、既に事実上崩壊していたローマ帝国はあっという間にバラバラになり、その版図はバルカン半島、アナトリア半島、シリア、エジプトのみとなり、東ローマ帝国と呼ばれるようになっていったのです。そうした宿主のローマ帝国の崩壊過程の中においても異教や異端への弾圧を繰り返して5世紀にはローマの国教としての地位を揺るぎないものにしたアタナシウス派、すなわち正教会は、結局のところ、地中海東岸地方のみを支配する東ローマ帝国の版図内における独占的な国教の地位を得たに過ぎませんでした。正教会はもはや世界宗教ではなく、地中海の東の隅で政治権力と一体化した「統治の倫理」にして「魔術の倫理」として、画一的で頑迷で腐敗した中央集権官僚制を支えて延々と停滞しつつ生き永らえていくことになるのです。
そして正教会によって排斥された諸宗派は単に東ローマ帝国の版図から追い出されたというだけのことで、東方諸教会派はササン朝ペルシアの支配するようになったオリエントの地で健在でしたし、ネストリウス派は更に東方の中央アジアからシナ方面まで布教範囲を広げていきました。そしてグノーシス主義もまたヨーロッパ各地で健在で、キリスト教に習合される以前のもともとの姿に戻って神秘主義サークルを形成して教義を維持していったのでした。つまりキリスト教からはグノーシス的な「魔術の倫理」の最も純度の高い部分は分離されて、中世ヨーロッパにおいてその純粋形態のまま維持されていくことになったのでした。
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この記事に対するコメント

白血球は血液に含まれる成分のひとつです http://datable.victoriaclippermagazine.com/

【2008/10/21 01:20】 URL | 57 #- [ 編集]


インドネシア語技能検定試験とは、インドネシア語の通訳・翻訳者として認定を受けるための試験(日本インドネシア語検定協会主催) http://tokuma.wglorenzetti.com/

【2008/10/26 07:15】 URL | 57 #- [ 編集]



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